第二十話
翌朝、誠也が昇降口に着くと、何やら不穏な視線を感じた。今日は亜子と一緒ではない。であるならば、そんな視線を向けられる覚えはない。気にはなったが、必要以上に気にしても仕方がない。半ば意識的に無視して、自分の下駄箱を開けた。すると、
「……?」
小さな封筒が入っていた。一体何だろうか。こちらに関しても何も心当たりがない。誠也はその場で封を切り、中身を確認した。
「……こりゃまた古典的な」
中身を見て、誠也は一つ大きなため息を吐いた。これは面倒なことになるだろう。
「よう」
教室にたどり着くと、真っ先に隼人の元に向かった。
「……おっす」
どうやら未だ隼人の機嫌は直っていないらしい。むしろさらに悪化している様にすら感じる。それは誠也が手に持っているものの影響かもしれない。
「今朝下駄箱にこんなものが入っていた」
誠也のほうを全く見ようとしない隼人に向かって、先ほど見つけた封筒を差し出した。それを見て隼人は、
「何だよ、これ」
「見てみろ。面白いぞ」
しぶしぶと言った様子で封筒を受け取る隼人。
「何だよ、自慢か?」
その一言で全てが分かる。どうやら隼人はラブレターだと誤解しているらしい。
「それを見てうらやましいと思うなら、お前は相当変わっているぞ」
言わずもがな、誠也は生まれてこの方一度もラブレターなるものをもらったことがない。ラブレターにどんなことが書いてあるのか、想像するしかないのだが、もしこれがラブレターであるならば、金輪際二度ともらいたくない。
面倒くさそうに封筒を開き、中に入っている手紙を取り出した。そして、
「……おい。何だよ、これ」
再び同じことを言った。
「あまり人に見せるな。恥ずかしいだろ」
「冗談言っている場合か」
先ほどまでの無気力な言葉と違って、少しだけ語気が強まった。隼人が驚くのも無理はないだろう。ラブレターなんて一度ももらったことのない誠也だが、これがラブレターだったとしても、隼人はこれほど驚かなかっただろう。隼人の手の中にあるそれは、ラブレターよりはるかにレアなものなのだから。
「封筒の中を見てみろ。もっと面白いものが入っている」
言われて隼人は封筒の中を見る。すると、
「これ、カミソリ……」
「正解」
これでもう分かるだろう。どうやら誠也はカミソリレターというやつをもらったらしい。今時ラブレターも珍しいが、こちらはもっと珍しい。おそらく現実にお目にかかる機会は普通ない。フィクションでしか見ることのできないレアアイテムだ。手紙は新聞や雑誌から見出しの文字を切り抜いて作られたもの。こちらもテンプレートであるが、古典的だ。
そして、気になる内容だが、
『これ以上、琴吹亜子に近づくな』
これで全てがつながった。これは亜子のファンによる誠也に対する嫌がらせだ。
「一応聞いておくが、犯人はお前じゃないよな?」
「何で俺がそんなことしなきゃならないんだよ!」
朝の騒がしい教室に響くほど、隼人は声を荒らげた。一瞬注目を浴びたが、誠也がにらみを利かせると、みんな慌てた様子で視線を逸らした。
「でかい声を出すな。冗談だ」
「冗談にも限度があるぞ」
「悪かったな」
初めから隼人が犯人とは思っていない。本当に冗談だ。ただ、何も考えずに冗談を言ったわけではない。今の隼人のリアクション。いくらなんでも過剰すぎる。過激すぎる冗談に激昂した、と言えなくもないが、それだけですべてを説明することはできないだろう。
「で、どうするんだ?」
「どうもしない。しばらく琴吹と接触しなければ、すぐ消えるだろう」
亜子との関係を噂されることは今までもあった。今回はこうして相手からアクションがあったが、誠也はそれほど深く考えていなかった。イベントが終わった今、亜子と接触することはぐっと減る。となれば、今まで同様噂はすぐに雲散霧消するだろう。
それでもあえて隼人に報告したのは、隼人のリアクションを見るためだ。
「そんなことより身近に迫ったテストのほうが深刻だね。一年じゃないんだし、お前もちゃんと勉強した方がいいぞ」
「余計なお世話だ」
「そうかい」
そうして隼人の席を離れた。誠也の目的は十分達成された。隼人のリアクションは、ずいぶんと分かりやすいものだった。珍しく口をつぐんでいる隼人だが、素直で単純な性格は言葉以上に態度で心境を語る。今のやり取りで隼人の真意を悟ることができた。
目的は達成された。しかし、得たものは達成感ではなく苦痛だった。できることなら、見たくなかった。
「ふあぁぁー……」
亜子はいつもより遅い時間、大きく欠伸をしながら登校していた。昨日の夜は、珍しく寝つきが悪くずいぶんと夜更かししてしまった。
それもこれも全て誠也のせいである。あの男、不機嫌になると感情が露わになり、からかいやすいのだが、それでも全てを見せてくれるわけではない。意味深なセリフを口にし、穏やかに微笑んでいる裏で、何かを考えている。何かを画策している雰囲気もあり、悩んでいる雰囲気でもある。分かりやすくないがゆえに、その所々で見せる意味深な発言、表情は却って亜子を混乱させた。
以前までだったら気付かなかったかもしれない。それほど繊細でわずかな違和感。それが誠也の見せる深淵の一端のような気がして、亜子の直感を刺激する。
なかなか気持ちを切り替えることができずに教室までたどり着いてしまった。
「……おはよ」
「おっす。どしたの、そのテンション」
「おはよう、亜子ちゃん。寝不足?」
中途半端な気持ちで挨拶を口にすると、間髪入れずに見破られてしまった。
「まあね。昨日寝つきが悪くて」
「あんたが眠そうにしているのは、なかなか珍しいね」
「勉強のし過ぎ?」
「げえっ!もうそんなに勉強してんの?このがり勉!」
「勉強じゃないよ。寝つきが悪かっただけ。で、何かいろいろ考えちゃって、さらに眠気が飛んだ。今になって睡魔が襲ってきた。ていうか、がり勉って言うな」
寝不足の日の日中ほど辛い時間はない。テストが近いとはいえ、さすがにまだ自習になる授業はない。仕方ない。休み時間に仮眠を取るとしよう。
「あ、そういえば、ホームページ更新しといたよ。今日の放課後から展示開始でいいんだよね?」
そういえばそんなイベントがあったな。昨日会場スタッフに頼んでおいたのだ。誠也のせいで、すっかり忘れていた。もう遠い昔のように感じる。
「ざっと見た感じ、みんな結構期待してたみたい」
「今回は亜子ちゃんとの撮影があったからね」
「ツーショットじゃないけどね」
握手がなかったことに対する不満は、ひとまず心に閉まっといてくれたらしい。これからもいくらか不満は募るだろう。それはお互い様なので、多少は妥協してもらいたいものだ。
「会員もそろそろ四百人の大台に到達しそうだよ。メジャーデビューも近いんじゃないかな。いや、その前に会員費だね。年会費千円くらいなら払ってくれるでしょ」
正直とんでもない数だと思う。インターネットやSNSを使用せず、口コミだけでこれほど人数を集めることができる女子高生は本当に稀有な存在である。だとしても、亜子は喜べないので、
「今時、四百人くらい大した数字じゃないでしょ。プロじゃなくても割といると思うよ」
「いやいや、そういう人は自らネットやらビラで呼び込んでその数なんだよ。亜子の場合、興味を持って調べた人だけが集まっているんだよ。ホームページだって亜子の名前で引っかからないようにしているし。そろそろインターネットに動画でもあげてみる?そうすれば四ケタ、いや五ケタは堅いと思うけど」
「そうなったら本当にアイドルだよね。動画が何十万回再生されたら、メディアも紹介してくれるし、芸能プロダクションが動くかも」
絵里と歩美が楽しそうに盛り上がっている。全く他人事だと思って……。これ以上注目されてどうしたいのだろうか。今でも勘弁してもらいたいのに、これ以上騒がしくなるのは我慢できない。せめて高校内くらいの閉鎖された空間だけにしてもらいたい。
「そんなに注目されたいなら、自分の動画を上げてよ」
「あたしじゃ無理だって。二ケタが限界。その他よくあるつまらん動画と同じ、即刻ネットの海に埋もれちゃうね」
それなら亜子だって同じだと思う。同じだと思うが、ファンクラブの前例もある。まさかここまで大きくなるとは思っていなかった。となると、亜子の動画もものすごい再生数になるかもしれない。その前に、自分を写した動画をネットにアップしたくない。歌でも、ダンスでも、だ。
「とにかく、この写真展示が終わったら、ファンクラブのイベントもしばらくやらなくていいんだよね」
「そうだね。あとはたまに日記でも書いてくれればOKでしょ」
「日記、か」
それはそれで正直やりたくないが、背に腹は代えられない。今回みたいな大がかりなイベントはしばらく無縁でいたい。しばらく情報を更新しないと、ストーカーじみた連中が動き出す可能性があるのだ。
「気が乗らないのは分かるけど、ま、有名税だと思って我慢してね。ずっと家にいました、みたいなやつでもいいから」
なぜ普通の女子高生に有名税が発生するのか。正直勘弁してもらいたい。まだ消費税以外の納税はしていないというのに。
「今度のイベントで、うっかり口が滑って二人のこと紹介しちゃうかも……」
「ちょ、それやったら、斉藤に影武者お願いした意味なくなっちゃうから!」
「それはそうなんだけど、あたしばっかり目立ってたら申し訳ないし」
「あんたが目立ちすぎるから、このファンクラブ立ち上げたんだけど」
「二人には迷惑かけているし、お世話になっているから。ぜひみんなに紹介したい!あたしの最高の友達だって!」
「は、はぁ?何言ってんの?反論しにくい冗談は止めて!」
「う、うん。嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいかな……」
「歩美もそのマジっぽいリアクション止めて。こっちが照れるから!」
「何テンパってんのよ。マジっぽいリアクションは絵里のほうだから」
「はぁあ?あたしのどこがマジっぽいのよ!」
文字通り姦しい朝の時間を過ごした。亜子のストレスと眠気は、多少なりとも解消されたが、知らないところで事態はより深刻な状況に進行していた。