第十五話
最後の一組とも写真撮影を終え、会場はスタッフだけになった。ようやく終わった。そう感じた瞬間、どっと疲れがやってきた。椅子から立ちあがることができなかった亜子に対して、隼人が、
「お疲れ様」
言って、飲み物を持ってきた。
「あんたもね」
お互いに労いの言葉をかけると、グラスを合わせて乾杯した。
「大丈夫?何かかなりお疲れのようだけど」
今までずっとこんな様子だったと思うけど、全て終わったことで気が抜けたことは確かだ。
「まあね。気疲れだと思うけど、疲れたことは確かだね」
「やっぱり緊張していたの?」
緊張していたのも確か。でも、緊張の原因は、隼人とは別のところにある。始まる前まで頑なに緊張していないと言っていたので、ここは一応否定しておこう。
「緊張してたのは、あんたでしょ。でも思った以上にちゃんとやっていたじゃない」
否定しつつ、隼人に水を向ける。
「そう言ってもらえると、嬉しいよ」
隼人の立ち振る舞いは、目を見張るものがあった。準備をしていた段階ではかなり不安だったのだが、いい意味で裏切られた。これは今後も期待していいと思う。
「一応誠也の言葉に恥じない活躍ができたかな」
そういえば、誠也が始まる前に言っていたな。
『あいつはああ見えて本番に強い』
本番が始まる前までは、まるっきり信じていなかった。だが、今では百八十度違う。本番での隼人は別人かと思うほど、圧倒的な迫力があった。これも一種の才能だろう。
「普段からもっとしゃきっとしてくれれば、もっといいんだけど」
「あ、そうだよね。ごめん」
「それよ、それ!あんた、何でそんなに腰低いの?あたしとあんたは上司と部下じゃないんだから、そんなにへりくだる必要ないから」
「う、うん。そうだね」
「しかも、こんな態度とるのって、あたしだけだよね?絵里や歩美とは普通に接しているしね」
「う、うん。そ、そうかな」
「そうでしょ。あたしとも普通に接してよ。じゃないと、あたしがすごく偉そうに見えるでしょ」
「は、はい。ごめんなさい」
「だからぁー!」
こんなやり取りとしている時点で、結局亜子のほうが偉そうである。大成功と呼べる結末を迎えることができ、その大部分を占める活躍をした隼人を終わった瞬間に叱りつけるのは明らかにおかしいだろう。
こんなやり取りをしながら控室にたどり着くと、
「お疲れ様。二人とも最高だったよ」
「二人ともお疲れ様!」
絵里と歩美が迎えてくれた。
「いやー、二人とも始まる前は、本当に緊張していたみたいだし、何かやる気を感じなかったし、一時はどうなるかと思ったけど、さすが本番に強いね。安心して見てられたよ」
手放して誉めてくれた。この様子だと亜子の体調不良には気付いていないだろう。
「あたしはほとんど何もしてないよ。それよりいろいろわがまま言ってごめん。握手会の件、ありがと」
「あぁ、気にしないで。あたしたちは実際どっちでもいいわけだし。そこまで大きく段取り変わったわけじゃないし。ま、ファンの人たちからしたら、残念かもしれないけどね」
「そうだね。謝るならファンの人たちに、かな」
二人の言葉に、思わず微笑んだ。二人に体調不良を隠しているのが、とてつもなく悪いことに感じた。二人は体調不良のことを知らない。亜子が握手を拒んだ理由を、ただ嫌だから、だと思っているはずなのだ。そんなこと段取りを決めたときから分かっていたはずなのに、この土壇場になってわがままを言っているにもかかわらず、嫌な顔一つせず、笑って対応してくれた。感謝してもしきれない。本当にありがたい、頼もしい存在だ。
「本当にありがとう、二人とも」
「どーいたしまして」
隼人に対して、労いの言葉をかけた。絵里と歩美には心からの感謝を言った。そしてもう一人。亜子には感謝の言葉を述べなければいけない相手がいた。関係や立場を考慮すると、絵里や歩美以上に感謝しなければならないだろう。
控え室内を見渡す。その人物の姿が見当たらない。
「で、笹原は?まだウェイターの仕事しているの?」
誰ともなく質問を投げかけると、
「あぁ、笹原ならあそこ」
言って、絵里が指をさす。その先にはソファーがある。が、誰も座っていない。近寄って、背側から覗き込んでみると、
「あ」
そこには誠也が眠っていた。
「こいつ、どうしたの?」
亜子は気持ち声を潜めて、二人に問いかける。
「さぁ。何かやたら疲れていたみたい。しばらく休んでていいよ、って言ったんだけど、気付いたら寝てた」
誠也がいったいどんな仕事をしていたのか、亜子はそのすべてを知っているわけではない。
「慣れない仕事をやったからかな?ま、朝も早かったしね」
その両方も原因の一つだろう。だが、それが全てではないと思う。おそらく亜子の秘密を知ってしまったこと。それを誰にも話せないこと。全て誠也が独断しなければならないこと。これらは亜子も同じことだが、亜子は自身の問題だ。そこは大きな違いがある。亜子は、この体調不良を隠しそれが原因で何か起こっても、それは全て亜子自身のせいであり被害をこうむるのもまた亜子である。ある意味自分自身のことを自分で決めているので、それを考えるとまだ気が楽だと思う。誠也は亜子のことを自分の判断で決めなければならない。
「…………」
本当に迷惑をかけた。この件に関して、亜子は本気でそう思っていた。それでも誠也のほうが淡々とこなしてくれたので、その罪悪感は薄かったかもしれない。ただ、こうして疲労困憊で眠っている誠也を見ると、本当にいろいろやってくれているのだと、実感した。
「何でこいつが一番疲れているのかね」
亜子は思っていることと真逆のことを口にした。
「朝から様子がおかしかったから、体調不良だったんじゃないかな?」
さっきも言っていたが、誠也の行動が違った方向に勘違いされているらしい。本当に調子が悪いのは亜子のほうで、その亜子を助けていた誠也が体調不良だと勘違いされているこの状況。何とも不思議である。
「確かに今日の笹原君はちょっとおかしかったよね」
どの辺りがおかしかったのかちょっと気になるが、深く掘り下げると地雷を踏む可能性があるので、今日は止めておこう。
「で、この後はどうするの?片付けとかあるんでしょ」
「うん。会場の片付けはここの人がやってくれるから、衣装室とここの片付けだけだけど」
「そっか。じゃあさっさとやって帰ろう」
今朝の調子だったら、片付けはみんなに任せて、先に帰らせてもらおうと思っていた。しかし、今はだいぶ回復している。体調不良が気にならないくらいだ。これなら片付けを手伝うことができるだろう。それに、
「誠也はどうするの?」
「寝かせておけば?片付けくらいなら、四人で平気でしょ」
誠也の代わりに働く必要があるだろう。ささやかなで自己満足的な恩返しである。
「じゃ、さっさと終わらせようか」
それぞれ手分けをして、片付けを始めた。