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I'm  作者: 城ノ内 ジョウ
第一章
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プロローグ

プロローグ

 笹原誠也は困り果てていた。最近中学からの友人、斉藤隼人がいつも同じ話しかしないのだ。それも誠也からしてみれば面白くない話。つまりは、

「今日も亜子ちゃんかわいかったなあ」

 いわゆる恋愛の話だった。誠也はこの手の話が苦手だった。恋愛に関心がないわけでも、隼人に関心がないわけでもない。他人の恋愛に興味がないのだ。最初こそ、中学から知っている隼人がどんな相手を好きになるのか、多少興味を持ったが、さすがにこう毎日毎日同じ話を聞かされていては飽きもする。二年に進級してからすでに一か月。もう誠也はうんざりしていた。加えて、隼人の話は一切変化しないのだ。

「聞いているのか、誠也」

「ああ、聞いているよ。琴吹亜子の話だろ」

 隼人の話す内容から察するに、隼人は亜子と知り合いではないようだ。そのため隼人の話は外見やしぐさのことばかり。もはや若干ストーカーに近い。

「誠也は本当に亜子ちゃんの事知らないのか?」

 急に真面目な声を出す隼人。隼人曰く、亜子はこの学校ではかなりの有名人であるらしいのだ。ファンクラブなるものが存在していたり、他校からわざわざ琴吹亜子を一目見ようとやってくる連中がいたり、とにかくすごい人気の持ち主らしい。才色兼備。容姿端麗。そんな言葉が似合う女性らしい。顔がいいのはもちろん、かなりの高身長で、足は細く長い。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。それはもう、世の女性の憧れをそのまま現実にしたような、そんな女性が琴吹亜子なのだ。そんなことを言われても誠也は本当に知らないので、信じようにも信じられないのだが。

「一度見てみればいいよ。俺の気持ちが、きっと解る。だが、亜子ちゃんに惚れるなよ。さすがにお前を敵に回したくない」

 正直何を言っているのだろう、と誠也は思っていた。実のところ、亜子を見てみたいという欲求は誠也の中にもあった。隼人が一人の女子に夢中になることなど、今まで見たことがない。隼人はどんなやつが好きなのか。少しだけ興味があった。でもそれも最近ではなくなってきている。一目見ただけで隼人の気持ちが解ってしまうのなら、一目たりとも見たくない。誠也としてはそう思ってしまっていた。

「そんなに好きなら、声かけてみればいいじゃないか」

「いや、そんな暴挙には出られない」

 それって暴挙なのか?仲良くなりたいとは思わないのだろうか。

「お前は見ているだけでいいのか?」

 友人である誠也からしてみれば、隼人がストーカーになってしまうのは、いささか不愉快であるのだが。

「もちろん仲良くなりたい。でも、そんな勇気が出ないのだ。せめてクラスが同じだったら……・」

 こいつ、こんなに奥手だったのか。誠也は隼人の新たな一面に驚いた。協調性がない自分とは違って、隼人は高校でも中学でもすぐに周りに溶け込めていた。今も、男女問わず友人は多い。これが恋の脅威というやつなのだろう。隼人をここまで奥手にしてしまうのだから。

 まあこんな恋の形もあるのだろう。こうして遠くから亜子を見ていたいと、隼人が言うのなら誠也としても、もう何も言わないつもりだった。しかし、隼人はやはり見ているだけでは満足できなかったようだ。


「さすがに不満がたまってくるな」

「どうした、いきなり」

 本当にいきなりだった。何の脈絡もなく、隼人はこんなことを口にした。それはある日の昼休み、昼食のときだった。

「亜子ちゃんはかわいいんだよ」

「は?」

 またしてもいきなり。こうも唐突な話の切り出し方をされると、さすがに疑問を口にしなければならない。これは隼人の戦法なのかもしれない。

「何が言いたいんだ?」

 誠也はこう聞かざるを得ない。そうなると必然的に隼人の話を聞かなければならない。つまり、隼人は誠也に語るきっかけを得るというわけだ。

「亜子ちゃんに言い寄る男は多い。俺は最近さりげなく亜子ちゃんのことを観察していたからよく解る」

「そりゃ別にみんながみんな下心があるとは言えないだろう」

 誠也の言葉はもっともだったが、

「いや、間違いない。俺も同じだから解るんだ」

 隼人の言葉の説得力には及ばなかった。

「早くどうにかしなければ、俺の亜子ちゃんが誰かに盗られてしまう」

 いつの間に隼人のものになったのだろうか。早くしないと。これは誠也も思っていたことだった。早くどうにかしなければ、隼人が犯罪者になってしまう。

「お前の女友達にどうにか紹介してもらったらどうだ?」

「いや、亜子ちゃんは本当に仲のいい友達にしか心を許さないんだ。だが、俺はその本当に仲のいい友達に知り合いはいない」

 こいつ、一体どこまで調べているんだ?心を許さない?一体誰の情報なんだ。どこで得た情報なんだ。誠也は少し頭が重くなった。もしかしたら隼人はすでに犯罪者なのかもしれない。

「じゃあその仲のいい友達と仲良くなったらどうだ?外堀から攻めるのは昔からよく使われてきた手だと思うが」

「それじゃ、その友達に悪い。そしてもしその作戦が亜子ちゃんの耳に届いてしまったら、亜子ちゃんの印象が悪くなってしまう」

 隼人はいろいろ考えていたようだ。しかし、本当に奥手だこと。何の行動もせずに、うじうじ考えて、その作戦の欠点を探してはまた新たな手を企てる。全然健全的じゃない。誠也はこういうまどろっこしいことが大嫌いだった。

「面倒だ」

「え?」

「琴吹亜子ってのはどこのクラスだ?」

「七組だが、それがどうした?」

 七組か。誠也と隼人は五組だから、場所的にも順番的にも隣の隣だ。誠也は弁当の残りを急いでかき込むと、立ち上がった。

「おい、どこに行くんだ?バカな真似はよせ!」

 何かを察した隼人が誠也を制する。

「落ち着いて話をしよう。何かいい作戦があるはず!だから今は座ってくれ!」

「黙れ。俺は面倒が嫌いなんだ。これ以上お前の話を聞くのはとても面倒だ。俺が直接話をつけてやる」

「しょ、正気か?」

「もちろん正気だ。早くしろ」

「え?お、俺も行くのか?」

「当たり前だ。俺は琴吹亜子が解らない」

 半ば強引に作戦を決めた誠也は、戸惑う隼人を従え、琴吹亜子がいるであろう七組へと行進を始めた。


「本当にやるのか?」

 すでに七組の前に来ているにもかかわらず、隼人は決心が付かない様子。

「女々しいやつだな。お前らしくないんだよ、はっきり言って気持ち悪い」

「ほっとけ。人は恋に落ちると弱くなるんだ」

 どの顔でそんなこと言いやがる。どう見ても隼人は顔がいい。背も高い。バカだが、性格も悪くない。付き合う云々はともかく、友達になるくらいなら確実に成功すると、誠也は確信していた。本気でおびえている隼人の心情が信じられなかった。

「悪いようにはしない。だから教えろ。どいつが琴吹亜子だ?」

「あたしに何か用?」

 答えたのは隼人ではなかった。なぜなら声が女のものだったからだ。誠也は声が聞こえてきた方向へ振り向く。そこには眼光鋭く、誠也をにらみつける女子生徒がいた。腰に手を当てて仁王立ちしているその女子がいた。目算百七十センチメートル。

「なるほど。あんたが琴吹亜子か」

 隼人からの情報は間違っていなかった。確かに驚くほどの美少女がそこにはいた。その、若干相手を威圧するようなポーズをとっていても、被写体にするにはもってこい。どんなポーズをとっていても、そのままファッション雑誌の表紙を飾れそうだった。ただ、

「何勝手に納得してんのよ。あたしの質問聞こえた?あたしに何の用って聞いているの!」

 無残にも性格は捻じ曲がってしまっていた。初対面の人間にどうしてここまで怪訝な顔を見せることができるのだろうか。はっきり言って、隼人にこの女を攻略することは不可能だろう。もし万が一付き合うことができてもすぐに破局。隼人と亜子は似合いやしない。そのことを確認した誠也は、

「用はもう済んだ」

 亜子にそう一言告げる。

「はあ?」

 もちろん亜子は理解できていないだろう。しかし、誠也はお構いなしに自分のクラスに向かってきびすを返すと、さっさと立ち去ってしまった。

「ごめんね、琴吹さん」

 隼人は謝るついでに、念願の亜子に話しかけることができていた。しかし感動はない。もちろん原因は前を歩く誠也だ。隼人は小走りで誠也を追いかけた。


「何なんだ、あいつら」

 琴吹亜子は憤っていた。いきなり自分の名前を呼ばれたと思ったら、一方的に用事を済ませて、こっちの言い分も聞かず帰ってしまった。

「せめて名前を名乗りなさいよ。人の名前勝手に呼んどいて」

「笹原誠也でしょ。あんた知らないの?」

 いつの間にかやってきたいかにも現代風の見た目をした女子が言う。

「知らないよ。だって関わりないし」

「その返事は亜子ちゃんらしいね」

 今度は、いかにも大人しそうで趣味は読書、という感じの女子が呆れた様子で呟いた。

「何よ、二人して。歩美は知ってたの?」

 いかにも大人しそうな女子、藤堂歩美は当然といった様子で頷いた。

「知っているよ。だって笹原君有名じゃん」

「有名?何で?」

「顔がいいからに決まっているでしょ」

 いかにも現代風の見た目をした女子、中田絵里も当然といった様子ではっきり言い切った。どうやら二人の言うとおり、先ほどの男子、笹原誠也とやらは有名であるようだ。顔がいいというのだけで騒いだりするのはいかにも女子高生らしいな、などと女子高生である亜子は他人事のように思った。

「それにしても何だったんだろうね。亜子ちゃんに用があったみたいだけど」

「確かに。亜子のことが好き、とかだったら面白いんだけど」

「止めてよ。あたし、ああいう達観したやつ好きじゃないし」

「ああいうのはクールって言うんだよ。そっけないところも笹原誠也の人気の一要素なんだから」

 亜子には理解不明な理屈だった。しかし、世間から感覚がずれていることを自覚している亜子は、とりあえず納得しておいた。

「そんなもんかねー」



「どうしたんだよ、いきなり回れ右しやがって」

 誠也の後を追って、教室に帰ってきた隼人は、追いつくなり文句を言った。

「あんな態度を取るなよ。亜子ちゃんに失礼だろう」

 別に誠也から言わせてもらうと、亜子からなんと思われようと関係ないわけで、その辺りは大して興味なかった。それよりも、

「あの女は止めておけ。お前には手に負えない」

「はあ?何を言っているんだよ、いきなり」

 誠也としては、隼人を説得するほうが重要だった。隼人はもっと大人しいタイプの女子のほうが似合う。あまり力を入れると失敗するタイプの人間である隼人は、自分が惚れるより、惚れられるほうがうまく行くと誠也は考えていたのだ。加えて、目の当たりにしたあの琴吹亜子の性格。

「ああいうわがままな女はお前には似合わない」

 隼人は基本的に情に厚い。頼まれると断れないのは、男女わけ隔てない。その相手が惚れた女ならば、どんな願いでも叶えてやろうと努力するだろう。そんな性格の隼人がわがままな女と付き合うと、どう考えても泥沼にしかならないだろう。しかし隼人は、誠也の心配などお構いなしに、

「ああいうのはツンデレって言うんだよ。そっけないところも亜子ちゃんの立派な魅力なんだ」

 と言うのだった。

理解できない。誠也は心の中でそう思った。どうやら隼人の恋の病は行くところまで行ってしまっているらしい。これではいくら誠也が説得したところで効果はないだろう。誠也は基本面倒臭がり屋である。できないと解ったことに時間を費やすのは彼の心情ではない。ではどうするのかというと、

これ以上関わるのは止そう。

 これが誠也の出した結論だった。いくら隼人とは言え、所詮は他人の恋愛。首を突っ込んだところで、決していいことにはならないだろう。恋愛なんて人それぞれ。琴吹亜子がどんなに悪女であろうと、隼人が幸せならばそれでいいのだ。だからこれ以上誠也が言うことはない。誠也はそう静かに決心するのだった。


 それからしばらくいつもの生活に戻っていた。あの一件で反省したのか、隼人は亜子の話題をあまり出さなくなった。誠也も関わらないことを決めたため、そのことには触れない。そのせいか、二人の会話に琴吹亜子という名前が出なくなっていた。しかし、その日の放課後。

「あれ、亜子ちゃんたちじゃないか?」

 隼人の指差す先には三人の女生徒。そして二人の金髪男子。

「ナンパされているようだな」

「許せん。俺が成敗してくれる」

 勇ましく彼らのもとに行こうとする隼人。誠也はため息をついた。

「まあ待て。どうあれ、様子を見ようじゃないか。もしかしたら喜んで付いていくかもしれない」

「そんな様子見守れるか」

「だからといって、何も解らん現状で突っ込んでどうする。ただの知り合いかもしれないじゃないか」

「む」

 誠也の言葉に、隼人は少し考え込む。そして、

「確かにその説はありうるな。よし、お前の案を呑もう」

 もしかしたら誠也は関わりたくないだけなのかもしれないが、誠也の言うことはもっともだった。とりあえず二人は様子を見ることにした。



「しつこいよ、あんたたち」

 亜子はいらいらしていた。先ほどから何度も興味がないと言っているにもかかわらず、目の前の二人はちっとも話を聞こうとしない。

「ちょっとでいいからさあ。もちろんおごるからさ」

「何したい?どこか行きたいところとかある?」

 どうやら日本語をしゃべれる様子。ではなぜこっちの言葉が通じないのか。その耳は飾りなのか、それとも髪の色よろしく外国人なのか。亜子は自分の中でイライラを解消しようと必死だった。

「きょ、今日は用事があるんで、ごめんなさい」

「忙しいんです、あたしたち。すみません」

 歩美と絵里も必死に断っていた。相手の軽い様子とは裏腹に、歩美と絵里は重い空気を感じていた。もちろんナンパという状況とは一切関係ない。亜子が今にも爆発しそう。それが歩美たちにとって最大の恐怖だった。

「用事って何?何時に終わるの?」

「よかったらそこまで送っていくよ?俺たち車なんだ」

「……………」

 歩美と絵里の直感が叫んだ。やばい、限界だ。その直後、亜子の身体が消えた。そして、再び現れたとき、亜子のアッパーカットがナンパ男の片方に炸裂していた。

「いってーな!」

 唖然とするナンパ男2。亜子はその隙を見逃さず、華麗に半回転すると、男2の腹部に前蹴りをかました。全く防御姿勢をとる事ができなかった男2は、きれいに後ろに飛ばされ、しりもちを付いた。

「いい加減しろ!何度も言っているだろ!誰があんたたちに付いて行くか!一昨日来やがれってんだ!」

 思い切り叫ぶと、そこらへんに転がっているナンパ男たちに向かって中指を立てた。

「何してんのよ、亜子」

 絵里は、慌てて亜子を止める。歩美は突然の事態におろおろしているだけだった。

「だって、こいつらむかつくじゃん。あたしが何度も何度も丁寧に断っていたのに、グダグダグダグダ同じことばっかり」

「確かにそうだけどさあ」

 亜子と絵里が言い合っているうちに、ナンパ男たちが立ち上がった。

「てめえ、覚悟はできてんだろうな」

 男1が怒気をはらんだ声を出し、凄んだ。さすがに風貌が似合い、結構迫力がある。

「ど、どうしよう」

「だ、誰か」

 歩美はすでに泣きそうである。亜子はその姿を見て、少し頭が冷えた。さすがにまずい状況であることに気が付く。亜子はやる気満々だったのだが、今は一人じゃないのだ。いくら亜子が腕っぷしに自信があろうと、歩美と絵里を守りながら戦う自身はなかった。こんなとき、ちょうどよく誰か来てくれないだろうか。まるで、ヒーローのように。

 そのとき、

「うおらぁ!」

 いきなり男1が真横に吹っ飛んだ。どうやら誰かに横から殴られた様子。誰かって誰?そいつはいつか見た体格のいい同学年の男子だった。



 誠也はこの短い間に二度も頭を抱えた。一度目は亜子が男を殴ったとき。二度目は隼人が男を殴ったとき。

 どうしてこいつらはこんなに血の気が多いのだろうか。もっと平和的に解決したかったのだが、もはや無理だろう。目の前ではすでに隼人が肉弾戦を開始している。このままでは二対一。隼人が負けるのは必至。さすがに自分が参戦しないといけないだろう。

 誠也はため息をつくと、亜子たちに向かって、

「あんたら今のうちに逃げろ。ここは俺たちが何とかするから」

 当然逃げると思ったのだが、亜子からは思いがけない言葉が返ってきた。

「あたしも参戦するよ。こいつら本当にむかつくし」

 止めてほしい。一応女なんだし、顔の傷はのちのち響くぞ。それに助けに来たのだ。これで怪我でもされたら、誠也たちがケンカする意味が全くなくなってしまう。

「あんたの怒りは俺たちが晴らすから。今は引いてくれ、頼む」

「嫌よ。あたしも戦うから」

 これでは埒が明かない。こんなことをしている間に、隼人は天国に行ってしまう。だがこのまま亜子と話していてもきっと状況は変わらないだろう。そう判断した誠也は矛先を変えた。

「この解らず屋のじゃじゃ馬を連れて逃げてくれ」

 誠也は絵里と歩美に話しかけた。すると、

「うん」

「解った。ありがとう」

「誰が解らず屋のじゃじゃ馬よ!」

 作戦は見事に成功した。誠也は、亜子の怒声を無視して歩美たちの返事に頷き、きびすを返して、ケンカに参戦した。

「ほら、逃げるよ」

「うん、亜子ちゃん早く!」

「あ、ちょ、ちょっと!」

 絵里と歩美は、亜子を抱えて走り出した。



 誠也と隼人はアスファルトに座り込んだ。たった今、相手がかっこいい捨て台詞を吐いて、この場から立ち去っていったところだ。一応勝ったらしい。正直粘り勝ちといったところか。ダメージ具合から言ったら、こちらのほうが負けだっただろう。

「少しは冷静に動け。お前も琴吹亜子も短絡的だぞ」

 誠也は、ここにいない亜子に対しても悪態をついた。誠也は完全に巻き込まれた人間だった。状況が状況だったため、参戦せざるを得なかったが、本来なら参加しなくてもよかった立場だったのだ。

「ああ、悪かった。ちょっと、まずかったな」

 ちょっとじゃない。すごくまずかった。おかげで誠也も顔に怪我を負った。口の中も切ったし、体中痛い。幸い骨に異常はないが、一日二日後遺症が残りそうだ。それでも隼人に比べればましなほうなのだが。

 隼人はすでに顔が腫れてきている。正直見れた顔じゃない。まあこいつの場合、好きな女を守った、男の勲章なのだから別に恥ずかしがることじゃない。

誠也は単純な隼人の行動に呆れていたが、若干感心していた。自分は、隼人のように脊髄反射的に行動できただろうか。おそらくできなかっただろう。たとえ好きな女のピンチだったとしても、可能か不可能かを先に判断してしまっていただろう。今回の場合だったら、隼人が一緒にいたからケンカになっても大丈夫だったが、もし一人きりだったら。例え一人きりだったとしても隼人は考えずに突っ込んだだろう。自分はどうだろうか。好きな女のために身を犠牲にできるだろうか。

「…………」

 無駄に深く考え込んでしまい、誠也は彼女たちの存在に全く気が付かなかった。

 そこには亜子たち三人がいた。

「だ、大丈夫ですか?」

 真っ先に動いたのは歩美だった。向かった先は隼人。

「あー、うん、平気平気」

 無事をアピールするため微笑もうとする隼人だったが、顔に負った怪我のためうまく笑えていない。

「保健室!保健室に行きましょう。立てますか?」

 歩美は隼人に肩を貸して支えてやろうとしているが、身長差があるため、逆に不安定になってしまっている。隼人としてもおそらく自分で歩いたほうが歩きやすかったのだろうが、自分のために必死になってくれている歩美に気を使い、照れくさそうに保健室に向かった。

「ほら、あんたも行くよ。立てる?」

 誠也に声をかけてきたのは絵里だ。歩美がしたように、絵里が手を差し伸べてきたが、生憎誠也は立ち上がれないほど足にダメージがあるわけではない。差し出された手を丁重に断って、自分で立ち上がった。そのことに関して、絵里は若干不満げにしていたが、

「ごめんね、あたしたちのせいで」

「あんたは悪くない。悪いのはあのじゃじゃ馬だ」

 誠也は少し離れて立っている亜子を指差した。

「誰がじゃじゃ馬よ!」

「あんた以外に誰が居る」

「あたしはじゃじゃ馬じゃない!」

 忘れていた。亜子は性格が捻じ曲がっていたのだ。そんな相手にこんなこと言っても、素直に納得してくれるはずがない。誠也は解りやすくため息をついた。一体誰のために身体を張ったと思っているのだろうか。別に感謝してほしいわけじゃないが、さすがに怒鳴られるのはいけ好かない。

「悪かったな。冗談だ」

 誠也は適当に誤魔化し、隼人の後を追った。



「亜子、さすがに今のはよくないと思うよ」

「今のって何?」

 誠也が少し離れたところで、絵里に小声で話しかけられた。

「いきなり怒鳴ったこと。確かに笹原の言い方も悪かったかもしれないけど、一応助けてくれたんだから、お礼くらいは言わないと」

 亜子はきちんと理解していた。

「助けなんていらなかったよ。あたし一人でどうにかできたし」

 でも強がりを言ってしまった。

「どうにもならなかったと思うよ。相手は年上だったし、男だったし、不良だったし、二人組みだったし。それに歩美もいたんだよ。ちゃんと解っているよね」

 きっと亜子と絵里なら逃げられただろう。しかし、歩美はあまり運動が得意ではない。加えて女子から見ても小柄だし、精神的にも肉体的にも亜子や絵里より弱いだろう。

「まあいいよ。一応皆無事だったわけだし。とりあえずあたしたちも保健室に行こう」

「うん」

 これ以上言い返す事ができず、亜子は素直に頷いた。



 誠也が保健室に着くと、隼人はすでに治療を受けていた。その傍らで亜子と一緒にいた小柄な女子が固唾を呑んで見守っていた。隼人が心配なのだろうか。彼女に責任はないだろうに。

「あ、笹原君」

 小柄な女子が誠也に気付く。その声に反応し、隼人もこちらを向いた。

「亜子ちゃんたちは?」

「知らん」

 誠也はここまで一人で来た。後ろのほうで何やら話しているような声が聞こえたが、その後のことはよく解らない。

「本当にごめんなさい。私たちのせいで…」

 この女子、かなりできた人間なようだ。何度も言うが、この女子は何も悪いことをしていない。それでも自分たちがきっかけで、誠也たちを巻き込んだことを理解しているようだ。心底申し訳なさそうにしている。

「別にあんたが悪いわけじゃない」

「そう。悪いのはあのナンパ野郎だ」

 二人の会話を聞いていたのだろう。隼人が治療中にもかかわらず、こちらを向いた。そして保険医に怒られている。

「で、でも…」

「何度でも言う。君たちは悪くない」

 確かに隼人の言っていることはだいたい合っている。だが、やつらの次に悪いであろう、隼人がこうして力説するのは何となく腹が立つ。もちろん亜子も隼人と同率で二番目に悪い。

「黙れ。お前も少なからず悪い。俺の怪我は全部お前の責任だ」

「う、そうだな。すまなかった」

「ごめんなさい」

 なぜか小柄な女子も隼人と一緒に謝っていた。

 そこで再び保健室のドアが開いた。亜子ともう一人がやってきたようだ。

「あ、今治療中?外にいようか?」

 誰に聞いたのかと思えば、どうやら保険医に聞いた様子。二つ返事で保険医は承諾し、現在保健室には六人いる。若干狭い。

「大丈夫?」

「ああ、うん。平気平気」

 亜子と一緒に来た今時風の女子が隼人に話しかける。

「さっきはありがとう。少しかっこよかったよ」

「マジで?」

 本命を目の前にしながら、まんざらでもない様子で喜んでいる。その本命はどうしているのかというと、

「………」

 現在誠也の隣で、ぼーっと突っ立っていた。こいつは何しに来たのだろうか、と思わなくもないが、特に気にせず、誠也は治療の順番を待っていた。すると、

「ねえ」

 亜子が突然話しかけてきた。

「何だ?」

「あんた、何で乱入してきたの?」

 その言い方だと、誠也が好きこのんでケンカに参戦したみたいだ。この期に及んで、助けに来た、と言わない亜子は相当な頑固者らしい。

「別に好んで乱入したわけじゃないぞ。あの阿呆が後先考えず突っ込んでいったからな。俺は仕方なくだ」

「ふーん。そう」

 全く興味のなさそうな返事。あの状況で、隼人が助けに行かなかったらどうなっていたか、本当に理解しているのだろうか。

「あんた、少しは気をつけろよ。今日の相手はまだ大したことなかったからいいが、本物の不良だったら、殴る蹴るじゃ済まされないぞ。特に女子はな」

「あたしに説教するの?」

 駄目だ。全く反省している様子はない。誠也は諦めた。

「説教じゃない。これは忠告だ。別に強制するつもりもない」

「当然好きにさせてもらうわ」

 一応言うことは言った。これでまた過ちを繰り返すなら、あとは知らない。どうしようと、亜子の勝手だ。何なら一度痛い目見ておくのもいいかもしれない。

 誠也は前にいる隼人を見た。まだ治療は終わらない様子。そろそろここにいるのも苦痛になってきた。何しろ隣にいるやつが不機嫌なのだ。正直帰りたくなった。問題は隼人なのだ。一人で帰れるのだろうか。もし無理なら、誠也が送ってやらなくてはならないのだが。そこで、ふと妙案が浮かんだ。

「あんたたちまだここにいる?」

 隣の亜子には話しかけにくかったため、小柄の女子に話しかけた。

「え?うん、一応治療が終わるまではいると思うけど」

「そうか。じゃああいつのこと頼むわ」

「え?」

 そういうと誠也は立ち上がった。隼人のことは三人に任せてしまおう。これで問題は解決だ。そうと決まれば早いところここから脱出しよう。

「俺は帰るから」

「え?怪我大丈夫なの?」

「俺の怪我は大したことない。じゃああとよろしく」

 小声でしゃべっていたため、隼人は気が付かなかった様子。話しかけた小柄な女子と、隣にいた亜子だけが誠也の退出に気が付いていた。

 廊下に出て、ドアを閉める瞬間、亜子と目が合った。誠也の気のせいでなければ、亜子は少し悲しそうな表情をしていた。



「あれ?誠也は?」

 それから数分後。ようやく治療が終わった体格のいい男子はそこに誠也がいなくなっていることに気が付いた。

「さっき帰ったよ。斉藤君を頼むって」

 最後に誠也と話していた歩美が、その内容を体格のいい男子(どうやら斉藤隼人というらしい)に告げる。

「あの野郎、どういうつもりだ?」

 何となく罪悪感を覚える亜子。自分との会話の直後のことだ。もしかしたら自分が気分を害してしまったのかもしれない。しかも、帰る旨を歩美に伝えたのだ。隣にいる自分ではなく、歩美に。あまりよろしい気分ではなかった。

「ま、いいか。じゃあ俺も帰るよ。皆、つき合わせちゃってごめんね」

「そんなことないよ!元はと言えば私たちのせいだし」

「そうそう。あんたが謝ることないよ」

 ここに来て初めて亜子は隼人と目が合った。

「琴吹さん大丈夫だった?」

「ああ、うん。平気」

 隼人の表情はとても申し訳なさそうだった。本来悪いのはこちら側で、言ったセリフも逆だったと思う。

「ほら、あんたもお礼を言いなさいよ」

 絵里に急かされ、まだ自分が礼を言ってないことに気が付いた。というか、申し訳なかったという気持ちは、今の今までなかったのだ。

「ごめん。助かったよ」

「いいって。悪いのは相手だから」

 隼人は快く返事をくれた。その言葉は社交辞令ではなく、隼人の本心のように感じた。

「あんた、結局笹原にお礼か謝罪したの?」

「………」

 してない。しようとすら思わなかったのだ。そんな自分が急激に情けなくなった亜子は、言葉を発する事ができなかった。しかし、絵里には正確に伝わってしまったようで、

「何やってんのよ。もしかして、あんたのせいで帰っちゃたんじゃないの」

 痛いところをつかれた。絵里の言い分はおそらく正しいだろう。亜子の態度はどんなに言いつくろってもさわやかではなかった。気分を害してもおかしくはない。

「だから、琴吹さんは悪くないよ」

 罪悪感に苛まれている亜子に、隼人が声をかけた。

「誠也を巻き込んだのは百パーセント俺だから。琴吹さんは悪くない」

 隼人の言葉は間違ってない。確かに誠也は自分でもそう言っていた。だが、隼人が動いたのは紛れもなく亜子のせいだ。誠也の行動に、亜子が関わっていないと言えるはずがない。

「あんた優しすぎ」

「そうかな?」

 どこまでも亜子をかばう隼人に、絵里はため息をついた。どうやら呆れたようだ。だが、当の隼人は全く気にしていない様子。

「じゃあ帰ろうか?」

 そう言って立ち上がった隼人に続き、今日は解散となった。



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