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猫日記  作者: 田山歴史
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第五話 猫と子猫(後編)

 わたしの名前はファリエル。今はねこをやっているけど、昔々のほんのちょっと、ものごころつく前は人間だったらしい。

 そんなわたしの一番の自慢は、とっても強くて誰よりも優しいお兄ちゃん。いつもいつもわたしのことを想ってくれる、誰よりもつよい正義の味方。だから、わたしはお兄ちゃんのことが大好き。

 でも、お兄ちゃんわたしのことが本当は嫌いなんだと思う。

 それは、わたしがねこだからだ。お兄ちゃんはそりゃもう、いぬとねこが大嫌いで、触るのも嫌だって言っていたから、きっとわたしのことも嫌いなんだ。

 だけど…わたしの頭を優しくなでてくれるのも、お兄ちゃんだけだった。「いつか絶対に元に戻してやるからな」っていう言葉の意味はよくわからないけど、その時のお兄ちゃんはとても優しい。それが嬉しくて、わたしは目を細めてしまう。

 それがとってもとっても嬉しくて、わたしは…………。



 寝覚めはいつも通りだった。倦怠感もなく、気分も悪くない。正常であり、清浄な朝だった。目を開けて体を起こして、私はゆっくりと顔を上げる。

 夢を見た。愚かだった兄と、それ以上に愚かだった自分。

 昔、私はほんの少しだけ間違えた。兄はものすごくたくさん間違えた。私は1つだけ間違えて、兄は99まで間違えた。

 1だけなら取るに足らないことだった。

 99だけなら取り返せることだった。

 しかし、私たちはお互いに間違えた。私がもう少しだけ賢かったら、あるいは馬鹿だったら。兄がもう少しだけ私を思いやらなかったら、あるいは思いやっていたら。

 あんなことには、ならなかった。

 悔いても悔やみ切れないこと。私の過ち。どう足掻いても取り戻せないもの。

 懺悔に意味はない。後悔に意味はない。

 あるとしたら、それは罪を悔いて罰を受け止め、全てを踏み台にして明日へと踏み出したときだけ。

 私がそうなれた自信はない。時々、私はこうやって後悔に沈む。

 時々、私はお兄ちゃんの手のひらと背中と顔を思い出す。

「……痛いな。本当に痛い」

 抱えるのは傷と痛み。胸にぽっかり空いた穴。それは埋めることも、塞ぐこともできはしない。一生抱えて……痛みで発狂するまで生きていく。

 私は、それを選んだ。頬を伝うものを無視して、そう生きることを選んだ。

 それでも……後悔しない日など一日たりとてなかったけれど。

「それでも……これが私の選んだ道なのよ、お兄ちゃん」

 日はまだ昇ったばかり。猫としては今から行動を開始するのが筋なのだろうが、今の私は山口家に居候している身だ。是雄が起きてくるにも少しばかり時間がある。

 一度は起こした体を丸めて、私はもう一度眠りにつく。

 頬を伝うものがあったかもしれないが、気にしないことにした。



 三毛がA001、黒毛がB002、茶色と黒のまだらがC003、白がD004、そしてタマにそっくりな毛色をしているのがE005ということらしい。

 他人事ながら、見事な産み分けだと感心する。

 とりあえず私は、リンダがいない時間(ククロと一緒に散歩に出かけた)を見計らって、子猫たちに話を聞くことにしたのだった。

「私たちとしては、もうあのねぐらに戻るつもりはない」(A001)

「つーかさ、マジでありえねぇだろ。生後一ヶ月で名前がないって」(B002)

「それに、運が良ければ人間に拾ってもらえるでしょうしねぇ」(C003)

「………もう、D004は嫌」(D004)

「それにー、おかーさんに負担かかるしー」(E005)

「馬鹿っ! あんなババアはどうでもいいんだよっ!」(B002)

「B002おにーちゃんだって心配してたじゃないー」(E005)

「口を慎め、E005。母様が体を壊したのは間違いなく私たちの責任なのだ。それは、ねぐらを出るときにみんなで相談したことだろう?」(A001)

「でもー」(E005)

「とにかく、ぼくらはあの母親のところに戻る気はありません。いえ、母さんの重荷になりたくないとかそういうことではありませんよ?」(C003)

「…………みんな、説得力に、欠けるわ」(D004)

 と、子猫は口々に母親への不満をぶちまけなかった。

 あれ? 一体これはどういうことだ。私的には『世の中の酸いも甘いも知らないがきどもには鉄拳制裁しかあるまい!』とか単純に考えてたのに。ていうか、なんでこいつらこんなに母親思いなんだ? かなり理解に苦しむぞ。もしかして全員が全員母親に似て凶悪なまでに頭が悪いんだろうか?

「えっと……話を総合すると、お前たちは家に帰るつもりはないと?」

「当たり前だ。あんな、やることなすこと全て常識外れだったが、病気をしても私たちに女神のような笑顔を振りまいてた母親のところになど、戻るつもりはない」(A001)

 ……なんか、隠せない本音が透けて見えるんだが。

「えっと、つまり、お前たちはあのアバズレのもとに帰るつもりはないと、そういうことなわけだな?」

「あのババァをアバズレなんて言うんじゃねぇよ、おばさん。あの母親は単純にやること成すことがことごとく裏目に出るだけだ」(B002)

「そーだよーおばさんひどーいっ! いくら母親失格だったとしても、おかーさんはおかーさんなんだからね!」(E005)

 お前らが言ってることも何気にひどいと思うのは、私の気のせいか。

 あと、いくらなんでもおばさんはないだろう。

 確かに猫神になってから年齢には意味がなくなったから、百超えたあたりで面倒になって数えるのはやめたが……。それでも私はまだまだ現役のつもりだ。

 おばさんなどと言われる筋合いはない。

「しかしだな、現実的に考えてお前らがこのまま生きていくというのは、かなり無理があるだろ? タマに心配をかけたくないのは分かるが、このまま放置しても他の動物の餌食になって終わりだ」

「いえ、ですから、あんな母親はどうでもいいです」(C003)

「お母さんなんているだけ……邪魔、なの?」(D004)

「D004。そこで疑問形にすると信憑性が下がります」(C003)

 どうやら本当にタマのやつは子供には好かれていたらしい。羨ましくもなんともない話だが、ただの猫だった時に子育てに失敗した身としては少しだけ思うところもある。

 私は目を細めて、口許を緩めた。

「ならば、問おう。貴様らは一体何様のつもりだ?」

「どういうことだ?」(B002)

「お前らには名前がない。同時に、力もない。親の庇護を受けていなければ生きていけない身なんだ。その弱い力と弱い姿で、一体なにができる?」

 私の言葉に、全員が押し黙った。

「昨日、ククロがいなかったらお前たちは全員死んでいた。それで一番悲しみ、一番罪に思い、一番罰を背負うのはお前たちの母親だ。それを、お前たちは許せるのか?」

「し、しかし…私たちは母様の負担になって」

「なっているだろうな。しかし、それがなんだというのだ? それは、あいつが選んだ道だ。『お前たちを死んでも産む』という選択をしたときからとっくに覚悟していたことだ。あいつはなにもかも全てを覚悟して、お前たちを出産したんだ。それはお前たちが口を出すことじゃない。同時に、お前たちがタマの体を必要以上に思いやることもない。それは母親が背負う責務だ。病気のときに他者に助けを求められなかった、タマの自己管理能力の欠如が悪い」

 私は、全員を見回して、きっぱりと言った。

「いいか? お前たちが母親を想う気持ちはよく分かる。だがな、家出というのは最悪の選択だと思え。タマはお前たちを負担になど思っていないし、一番大切に思っている。そりゃ名付けを忘れたのは阿呆だと思うが、『子供』としてそれを許すくらいの甲斐性は見せてやれ」

 説教に混じって滅茶苦茶なことを言っているが、まぁいいだろう。

 反面教師を見て賢く育った連中だ。この程度の理屈は、分かるだろう。

「とりあえず、後はねぐらに帰ってから、タマと全員で相談しろ。もしも納得がいかないんだったら、私に言え。人間の家に住み着く術くらいは教えてやるさ」

「全てはねぐらに帰ってからにしろ、と?」(C003)

「それが一番建設的だ。今のままじゃお前らのわがままに過ぎん」

 さてと、これで一通りの説教は終わった。

 あとは野となれ山となれ、というわけでもないが私の役目はこれで終わり。

 と、思った次の瞬間――――。

「きゃあっ!」

 黒い風が通り抜け、タマにそっくりな子猫が姿を消した。

「おばさんっ! カ、カラスがっ!」

「分かってる」

 唖然とする子猫を尻目に、私は遠ざかって行く烏を見据える。

 その烏は所々傷だらけで、どうやら昨日ククロにやられた烏のようだった。

 基本的に動物は近くに手ごろな餌があると分かればそれを諦めるようなことはしないが、動物らしくない行動でもある。特に烏は執念深いが狡猾でもある。一匹で孤立している時ならまだしも、大人の猫が近くにいるときに子猫を攫うことはほとんどやらない。

 親が目を離した隙にさらうことはあるかもしれないが、私は目を離していない。

「……ということは、誰かの命令を受けていると思ったほうが妥当か」

 私に恨みのある烏に心当たりはある。

 兄の友で三にして一。今では祟神(たたりがみ)と化してしまったあいつ。

「やれやれだ。……まだ続けているのか、お前は」

 私はゆっくりと息を吸う。

 そして、四肢に力を込めて跳んだ。



 地面が破裂したような、そんな音が響いた。

 子猫を抱えた烏は、振り向いて信じられないものを見た。

 そこには、黒に近い蒼の毛並みを持つ猫がいた。

 十メートル以上飛び上がって、猫は烏を追いかけてきたのだ。

 猫は拳を振り上げる。

「返せ。それは、貴様が自由にしていいものじゃない」

 衝撃とともに、烏は気を失った。



 私は空中で子猫をくわえ、華麗に着地する。烏の方は近くにある茂みに気を失ったまま突っ込んだ。運が悪ければ死ぬが、そこまでは私の知ったことではない。

「おばちゃぁん……」

「安心するな。まだ来る」

 タマの面影を持った子猫の首筋を離し、私は言った。

「絶対にククロの小屋から離れるな。お前たちは、私が守る」

「………………うん」

 五匹の猫がククロの小屋に入ったことを確認して、私は背筋が震えるのを感じる。

 大きく羽ばたきながら、そいつは地面に降り立った。

 そこにいたのは、三の首を持つ烏。羽も毛並みも嫌悪を催すほどにボロボロで、見るだけで怖気が走るような異形の鳥。しかし……その瞳だけは、美しい真紅だった。

 鳥神族の五柱にして、過去の戦で犬猫怨神に助力し、もっとも多く猫を殺した鳥。

 名を、哭鳥ヴリトラ=エグン=アルグルラ。いつか、私が倒すべき相手の一人。

「やはり貴様らか。……祟神!」

「久しぶりだな、猫の舞踏神」

「呪われし忌み子。我らの同類」

「怨念が生み出せし伽藍の猫よ」

「相変わらず口数が多いな、貴様らは。いっそのこと3つほど首を切除してみたらどうだ? きっとすっきりするはずだ。なんなら手伝ってやろうか?」

「猫のくせに口が減らない」

「堕落しても口が減らない」

「忌々しいほどに口が減らない」

「ほざけ。貴様ら、一体何故ここにいる?」

「なぜここに?」

「そんなことは決まっている」

「そう、最初から決まりきっている」

 にやり、と烏は笑った。


『殺す準備ができたから殺しに来た。それだけのことだ、妹様よ』


 ドンッ! という音が響いた。

 神格級の力を持つ鳥が得意とする衝撃波の一種。

 かわすこともできた。だが、私は全力でその攻撃を防ぐしかなかった。

「ぐっ………!」

 殺す準備と奴等は言った。

 私が子猫を見捨てられないことを知っていて、あえてここで戦いを挑む。

 それはつまり……子猫を盾にして、私を殺そうと画策すること。

「貴様ら……祟神に堕ちたとはいえ、それが誇り高き鳥神の戦いかぁっ!」

『誇りなど犬にでも食わせてしまえ。我等はお前を侮らない』

 再び放たれた衝撃波が、私の体を吹き飛ばす。

 衝撃に意識を持っていかれそうになりながらも、私は空中で姿勢を整えて着地する。

 まずい……このままじゃ、いつかは殺される。

『舞踏神。我等はお前を侮らない。同時に数多の戦を潜り抜けてきた最強に近い神の一人でもある。十二神柱の長ですら、お前には畏怖と尊敬を抱いている。……それほどまでにお前は強い。強すぎるほどに』

「ハ、買い被りもそこまで行くと愉快ですらあるな。私はいつだって弱かった」

『ああ、知っているさ。お前は……弱かったから裏切ったのだからな!』

 三匹の烏は、全く同じことを言った。

 そいつらは、容赦なく私の傷口を抉った。

『なぜあの方を裏切った? あの方にとってはお前こそが全てだったはずだ。なのになぜ裏切った? なぜあの方を殺したのだ?』

 目に見えない衝撃波が、私の体を打ち抜いていく。それを必死で防ぎながら、防ぎきれない衝撃が私の体を揺さぶっていく。

 殺される。今はまだ防御障壁も持っているが、このままじゃ間違いなく殺される。

 まるで嬲り殺しのように……じわじわと、削り殺される。

 それ以上に、言葉が、私の心を打ち砕く。

『なぜ、あの方の想いに応えてやらなかった? お前はあの方を救えたというのに!』

 言葉が、誇りと意地を打ち砕いていく。

 神とは領域を越えた者の呼称。猫を越えれば猫神となり、人を越えれば人神となる。鉄を超えればそこ残るのは真剣。伝説は語られて受け継がれる。

 我らは、己の種族と絶対正義を守るために生み出された、世界の守り手。

 だが、その力は想いそのものだ。心の強さを、力に変えたものが神なのだ。

 連中には間違いなく心の強さがある。

 正しいかそうでないかは関係ない。ただ、やつらは強い。

 それは、殉教という強さだ。

『オーレリア、お前は弱い。弱かったからあの方の想いに応えられず、弱かったから弱者を守ろうとしてあの方に牙を剥いた! 自分が傷つくよりも、あの方が傷つくよりも、他の誰かが傷つくことの方が怖かったから、あの方を殺したのだ!』

 その通りだ、烏。私は弱かったから兄を殺した。

 兄が誰かを殺すのが嫌で、それを許容できなかった。

 誰かの悲痛な叫び声と、兄の笑顔が怖かった。なにもできない自分が嫌だった。

 愛されていることは十二分に分かっていたのに……私は、お兄ちゃんを殺した。

「ぐっ……あ」

 血を吐き出しながら、私は四肢に力が入らないことを感じた。

 敵わない。

 私は、あの烏には敵わない。

 当たり前だ。こっちは数百年で、あっちは数千年だ。経験値に差がありすぎる。

 なにより、あいつらはあの人を裏切らなかった。心の底から心酔し、崇拝し、どこまでも従順に従っていた。最後まで、あいつらはあの人の味方だった。

 わたしは、あのひとをうらぎってしまったのだ。

 うらぎって、のうのうと生きているのだ。

 罰、なのだろうか。こいつらに殺される、それが、わたしの。



「おばちゃんっ!」

 幼子の声が、聞こえた。

「まけないでっ! おばちゃんっ!」

 奴らの言葉以上に、私の心を揺さぶる声が届いた。



 負けられない。

 四肢で大地を踏みしめる。傷だらけの体で、私は立ち上がった。

 死ぬのはいい。私はそれだけのことをしてきた。……私は、死ぬべき猫だ。

 それでも敗北は許されない。私の背には、子猫の命がかかっている。

 それだけは……死んでも譲れない。

「私は決めたのだ。守ると。我が親友に誓い、この子らに誓った!」

 私は猫だ。誇り高き、猫神の一柱。

 人にして猫の舞踏神、ファリエル=ナムサ=オーレリア。

 その私が、なぜ子猫を見捨てることができようか?

「ヴリトラ。エグン。アルグルラ。お前たちには悪いが、私は負けない」

「ヴリトラと呼ぶな」

「エグンと呼ぶな」

「アルグルラと呼ぶな」

 三匹でありながら一匹で在る烏は、今にも泣きそうな声で言った。

『我らは、子猫を盾に取り、卑劣にお前を殺すのだ。お前はそれを誅殺するだけでいいのだ、妹様……いや、舞踏神よ』

「………………そうか」

 私はゆっくりと息を吸って、世界を感じ取る。

「我が名は人にして猫、舞踏神ファリエル=ナムサ=オーレリア。あらゆる全てを守護するために、古の精霊と、猫の神々の封印の解除を要請する」

 さぁ、行こう。

 憎しみと悲しみと誇りと正義に満ちた戦場に。

 猫を捨てて、誇りを捨てて、恥辱に満ちて勝利をつかもう。

 負けられないのだから、最後まで必死に戦おう。

 まるで人のように、死に物狂いで戦い……子猫たちのために、勝利しよう。

「転化転生の秘儀、ここに成したまえ!」

 我が声に応え、封印は解除される。

 ここに奇蹟は成った。



 陽光に照らされて、女の髪がきらきらと蒼く光っている。

 服装は動きやすい舞装。舞踏のために作られた薄手の白い羽衣。そして、首と両手足につけられた五つの戦鈴(せんりん)

 軽やかに舞う足に合わせるように、鈴が涼やかな音を鳴らす。

 ただそこにいるだけで風を起こし、ただ舞うだけで心に火を点す。

 それは、ただの努力が作り上げた奇跡の一つであった。

 女の金色の瞳が、あらゆる全てを見据えている。

 そして……いつも通りに、誇りと共に己の名を名乗り上げた。

「私は人神族第八柱、人にして猫、舞踏神ファリエル=ナムサ=オーレリア」

 青色の女は、口元を緩めて一歩を踏み出す。

「猫でありながら人でもある、ただのばかな女だ」

『ほざけっ!』

 衝撃波が放たれる。

 彼女は、拳を振り上げて、ただ一発だけ、打ち込んだ。

 それだけで、衝撃波は完璧に粉砕された。

『なん、だと……?』

「言い忘れたが、元々私は人間だ。物心つく前に秘儀によって猫にされた。だが、それは生物の元々の在り方を歪めるものだった」

 ゆっくりと歩みを進めながら、青い猫は口元を緩める。

「歪んでいるくらいでちょうど良かったんだよ。我々『兄妹』は、人としても猫としても過ぎた力を持ちすぎた。兄様は不運にも人として育った。力を自覚し、同時に己が呪われた身であることを知っていた。私は不運にも猫として育った。力を自覚できず、同時に迫害されて育った」

 痛みを知らぬ兄様と、痛みを知っていた私。

 なんのことはない。私が兄様を殺したのは、兄様を殺した他者に対する罪悪感と、兄様自身に対する恐怖心が理由だ。

 私は……痛みを知っていたから、痛みを知らない兄様を理解できなかった。

 それだけの、ことだ。

「さて……では行くぞ、我が友。譲れないものを賭けて、いつも通りに殺し合おう」

『ああ、そうだな。ならば人として死ね、ファリエル』

「そうはいかない。私は、猫としての自分が気に入っているのでな。死ぬ時は猫のまま、笑って死んでやるさ」

『ハ、甘ったれが。そんな死に様は、お前にはちっとも似合わん』

 人になった猫は不敵に笑い、烏は呆れたように口元を緩める。

 ファリエルは拳を構え、猫の祝詞を唱える。

「己のために戦い、

 誇りのために戦い、

 子供のために戦い、

 ぬくもりのために死のう。

 それはただ、私が願う明日のためにっ!」

 そして、女は子供を守るために、拳を振り上げた。



 気がつくと、夜だった。月が綺麗な夜だった。

 顔を上げると、隣では黒の犬が不機嫌そうな顔をしていた。

「起きたか?」

「………………ああ」

「お前は二日眠っていた。治療はしておいたが、体の調子はどうだ?」

「……痛いな。滅茶苦茶痛い」

 体は猫に戻っていたが、とにかく体中が痛い。洒落にならないほど痛い。擦り傷、切傷、打撲はもちろん、火傷や凍傷、果ては骨折、筋肉の断裂など、怪我をしてない場所がないほどだ。

 死に物狂いで戦って、結局は痛み分けだった。奴等を退散させたところまでは覚えているが、どうもそこで力尽きたらしくそこからの記憶が全く無い。

 とりあえず、一番気になることを聞いてみた。

「ククロ。子猫は、どうなった?」

「昨日、親と一緒に帰った。心配そうにしていたから、後で顔を見せてやれ」

 返事は簡潔。その答えに私は満足した。

「そうか……帰ったか。それはよかった」

「よくない」

「え?」

「毎回毎回、お前は無茶をしすぎる。十二支にも名を連ねている種族の、しかもあの犬猫怨神の隣に立っていた烏と争って退散させるなど、常識外れにもほどがある。勝利したからよかったものの、もしも敗北したらどうするつもりだった? 少しは考えろ、ばか」

 なんだか、本当に不機嫌そうだった。

 私がなにも言えずにいると、ククロは私を睨みつけてきた。

「お前を心配する身にもなれ。今頃、主人たちは心配しているぞ?」

「あー……そうだな」

 馬鹿だけど、優しい同居人たち。

 私の家族。是雄、リンダ、文雄、冬孤、あと、ククロ。

 山口家の面々とは、何年も会っていないような気がする。

 ゆっくりと息を吐いて、私は夜空を見上げる。いつも通りに星と月は綺麗で……あんまりにも綺麗だったものだから、柄になく心が痛んだ。

「なぁ、ククロ。……ちょっとだけ弱音を吐いていいか?」

「なんだ?」

 懐かしくなって、今まで黙っていたことを、誰かに言いたくなった。

「私には、兄がいたんだ」

「………………」

「優しい兄だったけど、私は兄を殺した」

「……それで?」

「殺したけど、好きだったんだ。たぶん、誰よりも」

「そうか」

 ククロは一つ頷いただけで、深くは突っ込んでこなかった。

 その心遣いは、今はありがたかった。

 そう……わたしは、お兄ちゃんのことが好きだった。

 それだけは、たぶん死んでも曲げられないことだと思っている。

「それじゃあ、私はもう寝る。明後日くらいまでには怪我を治すさ」

「ああ、寝ろ。さっさと治して、俺の小屋から出て行け」

「分かってる」

 ククロのにおいの染み付いた毛布を下に敷いて、私は目を閉じた。

「ファリエル」

「………ん?」

「俺は、お前が傷付くのは嫌だ」

 夢うつつだったから、そんな言葉を聞いたんだと、私は思った。

 だから私も、夢の中で言葉を返す。

「……ありがとう、ククロ」

 精一杯の想いを込めて、私は黒い犬に感謝した。



 犬は小屋で眠っている猫を見つめる。そして、口許を緩めた。

 ファリエルがなにを背負っているのか、ククロには分からない。

 だが、彼女は命を賭して子猫を守りきった。

 そんな一生懸命な彼女だから、好きになったのだろう。

 守らなければならないと、自分に誓ったのだろう。

 ククロはファリエルの寝顔を見つめていた。

 ずっとずっと、見つめ続けていた。



 追記。


 ククロの小屋で二日ほど世話になり、眠っていた時間も含めて四日ぶりに家に戻ると、いきなり体を洗われる羽目になった。まぁ、それだけならまだいい。それは許そう。

 問題は、文雄の部屋に、連中がいたということだ。

「母さんが温泉で養生すると言うので」

「まぁ、ここなら安心だしな」

「ファリエルさんは強いですからね」

「………うん」

「ついでに、名前を付けてもらいに来ましたー」

 朗らかに笑っている子猫を叱ることはできない。

 大人として叱ってはいけない。この子らは私を頼ってきたのだ。

 いくら病みあがりで調子が出なくても、理不尽な怒りを子供にぶつけてはいけない。

 ぶつけるなら、親にぶつけよう。

『だーりんと温泉に行ってきますその間子供たちをよろしくお願いしますありがとうお土産はまたたびまんじゅうと小魚の干物にしておきますでは』

 句読点がない手紙を八つ裂きにしながら、、

 私はタマをどうやってぶちのめそうか考えていた。


 安請け合いは己の首を締める。という話。


と、いうわけで後編です。かなりシリアス入ってます。伏線らしきものもちらほら張っていますが、次回では全部ぶっちぎって、コメディに戻します(笑)

次回、「猫と草野球」

果たして、猫にカーブは打てるのか!?


 2008/06/18 修正


 ひでぇ急展開である。コメディから一気にバトルものという展開は、自分が連載していたコッコがつく作品でもやったのだが、その時は反省していたのかなんなのかとりあえず伏線は張っていたような気がする。成長しているのかいないのかよく分からないが、コメディを求めている人は下手をするとこの話で読むのをやめることは言うまでもない。

 たぶん、猫の過去を少しだけ暴露したかったんだろうなと思いつつ、今後出番がなさすぎる烏に同情する今日この頃。……つーか、この猫冗談抜きでチートなのではないだろうかってくらいに強い。強い上に使い勝手が最高ってどーゆーことよとツッコミを入れたいところだが、見ての通り心はガラスだったりするあたり、バランスを取れているのやらいないのやら。

 最強だけど心は最弱。

 そういうものを描きたかったらしい。

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