第三話 猫と兄妹
私は猫である。名前はファリエル=ナムサ=オーレリア。毛並みは青に近い黒を持つ、まごうことなき美雌猫である。
山口冬狐。私の同居人の一人。高校生らしくない大人びた外見。胸は致命的。冷酷な性格。人を虫けらのように扱う。兄を奴隷のように扱う。苦手なものはマダラカマドウマ(別名、便所コウロギ)と母親(別名、山口リンダ)。好きなものは枝豆とビールと日本酒と鯵のタタキ。そして、山口文雄(兄)。
禁忌的恋愛中の彼女は、いつも唐突である。
「兄さん。今から買い物に行きますからちょっと付き合ってください」
「冬狐。色々と言いたいことはあるけど、とりあえずドアを閉めて」
「あら、なぜですか? ■■行為でも始めるつもりですか?」
「冬孤。……頼むから、とても文章に載せることができなくなるような言葉を平気で使うのはやめてくれ。あまつさえその言葉を教え込んだのは僕だって学校中に吹聴するのは本気でやめてくれ。女子の目線が日に日に冷たくなってくるから!」
「あらあら」
必死の嘆願を、四文字でねじ伏せるこの女の心は地獄製だと思う。
だが、慣れとは恐ろしいもので、普通の人間なら泣き出してしまいそうなこの状況においても、文雄は冷静だった。
諦観の境地に達していると言い換えてもいいかもしれないが。
「とりあえず着替えるから、ドアを閉めてくれないか?」
「大丈夫です。私は貧弱な体には興味がありませんから」
「僕が大丈夫じゃない。いいから閉めてくれ」
「買い物に一緒に行くと約束してくれれば、このドアはきっと快く閉まってくれると思いますよ?」
「分かったよ。一緒に買い物に行く」
バタン。
ドアは快く閉まった。
呆れているような表情を浮かべて、文雄は学生服を脱ぐ。
「まったく、冬狐のやつはいつもああなんだよなぁ。どこでどう間違ってあんな性格になっちまったんだか………」
ちなみに、私は当然のことながら文雄の部屋で丸くなっている。小僧の着替えなど見ても面白くもなんともないが、冬狐が言うほど文雄の体は貧弱ではない。細身だから気づかれないだけで、実はそれなりの体格をしているのだ。
まぁ、見ていて面白いものではないが、見ていても飽きないものではある。
「もうすぐ〆切だってのに……」
プロの作家である文雄は、いつも〆切に追われている。それは物づくりを志す者が絶対に突破しなければならない『修羅場』であるが、前回、うっかり〆切をぶっちぎってしまった文雄はちょっとばかりそのことを気にしているのであった。几帳面なやつである。
しかし、ただの几帳面な青少年が地獄の悪鬼にかなうはずもない。
ため息まじりに着替えをすませ、文雄は財布と携帯電話を手に部屋を出て行った。背中に哀愁が感じられたのは、私の気のせいではないだろう。
…さて、私はもう一眠りするとしようか。
と、思ったのだが、私はちょっとばかり気まぐれを起こした。
言い換えると、暇を持て余したと言うべきか。とにかく私は二人をストーキングすることにしたのだ。
まあ、たまにはこんなのもよかろう。
「だからね、毎回言ってるけど下品な言葉を使うのはやめようよ」
「分かりました。では、下品な言葉は差し控えることにして、代わりに『兄さん』を『ご主人様』と呼ぶことにしましょう」
「いや、あの、わけが分からないよ? 確かに下品じゃなくなったかもしれないけど、それは僕の人間性とか道徳観とかを思いっきり否定してるよね? っていうか、そもそも指摘するべきことでもないかもしれないけど、僕の話聞いてた?」
「ご主人様、今日はどんなプレイにしましょうか?」
「やめて。お願いだからやめて。君の声はとても透き通ってて、遠くまでよく届くっていうか、ここは店内だし人前だからっ!」
「先ほどからうるさいですよ、兄さん。童貞のくせに」
「……はい」
もはや突っ込む気力も失せたのか、文雄はうなだれた。
本物の悪魔か、あの女。猫族でもあそこまで人をもてあそぶやつはいなかった。狐族には一匹いたような気がする。
と、私が全然関係ないことを考えていると、冬孤は即決で選んだ服を試着して文雄に見せているところだった。
……若干顔が赤らんでいるのは、照れているのかなんなのか。
「あの…兄さん。この服、似合うでしょうか?」
「うん、よく似合ってる。可愛いよ」
「っ!」
一瞬で真っ赤になる冬狐。
あの程度の言葉で真っ赤になってしまうあたりは、まだまだ子供だった。
「ど、どうせお世辞でしょう?」
「兄妹に世辞言っても意味ないでしょ。それより、その服買うんだったらついでに精算してくるけど」
「え?」
「だから、買ってやるって。印税入ったから懐はあったかいし」
「で、でも…そんな、悪いです」
「いいからいいから。兄妹だし、遠慮することはないよ」
微笑みながら、文雄は冬狐から服を受け取って、止める間もなくれじに向かう。文雄はおっとりしてるように見えて行動はやたら早い。
ただ、その行動が常に人のためになるとは限らない。
「………遠慮、しますよ」
寂しそうに、少しだけ辛そうに、悲しそうに呟いて、
それでも、文雄にそういう表情を見られたくなくて、
冬狐は、次の瞬間には微笑んでいた。
少しだけ、昔の話をしよう。
山口家の双子は昔からそれはそれは仲の悪い兄妹だった。妹は自分こそが姉だと主張し、兄は兄の立場を譲ろうとしない。両親が「本当は二人とも一緒に生まれたんだから兄とか妹とか別に意味はないんだよ」と諭しても「いいや、一緒などということはありえない。これは人間としてのレベルの話だ」、と全く同じことを言った。考えることは一緒なのに、一緒だからこそお互いを否定した。同属嫌悪だった。
この時点では冬孤も文雄も同じようなレベルで生きていて、成績優秀スポーツ万能の、それはそれは良く出来たお子様たちだったらしい。
小学校五年生の五月のことだ。双子は遠足に一緒に行くことになった。双子なのだから当然のように同じ学年で、その年は運悪く同じクラスになってしまった。二人は当然のようにいがみ合う。正確には、妹がひたすら兄に突っかかるという形である。この頃から兄は小説家を志していて、妹をかまっている暇がなくなっていたのだ。
悲しいことに、妹は人よりも少しだけ聡い子で、兄に相手にされてないと分かっていた。分かっていたが悔しくてさらに突っかかった。自分がなにに対して憤っているのか理解できるほど大人ではなく、その怒りを兄にぶつけることしか知らなかった。
物語と文章と言葉に、兄を取られてしまったことに、嫉妬していた。
帰り道。あまりにも怒りすぎた妹は、「文雄なんて本に食べられちゃえっ!」と怒鳴って走り出した。『あかはとまれ』なのに走ってしまった。
そして、次の瞬間に突き飛ばされた。
嫌な轟音が響いた。
兄はまっかになった。
妹は唖然としていた。
皮肉なことに兄を轢いたのは本の運搬車だった。
その後のことを私はよく覚えている。なにを隠そう瀕死の文雄を助けたのが私だからだ。本当は助けられて山口家に居座った三十宿六十飯の恩義を返してさっさと去るつもりだったのだが、今も私はこの家に居座ったままだ。
まぁ、この家の人間に迷惑をかけているわけでもなし。たまには骨休めも悪くない。
と、自分をごまかしている。
「やれやれ……よね」
多分、それは冬狐も同じなのだろう。どんな生き物だって適当にだましだましごまかしながら生きている。そうでなければ生きていけない。
「本当に…なんであんな朴念仁好きになったのかしら。我ながら異常ね」
自分の部屋のべっどに、買ってもらった洋服を広げて冬狐は苦笑する。
嬉しさと悔しさをかみ殺したような表情だった。
自分の異常性を理解しながら、それでもその気持ちは本物で、止めることなどできはしないと……本人が一番良く知っていた。
「本当にいつもいつもお人よしなんだから………。あの時も『冬狐が無事で本当によかった』、なんて言っちゃうし。優しすぎるのも人を傷つけるって分かってないのかしらね、兄さんは」
多分、その頃からなのだろう。
報われぬ恋であると、本人も分かっている。
それでも、ごまかせない気持ちだってある。
「でも、そろそろ……他に、いい男見つけないと駄目かな。やっぱり」
その苦笑を笑顔に変えて、冬狐は洋服をたんすにしまった。それから何気なく部屋に侵入していた私の頭を撫でて、ぽつりと呟く。
「ねぇ、プー。優しくて、そこそこお金持ってて、単一色がよく似合ってて、突込みがきっちりしてて、それでいて芸術家みたいな人、他に知らない?」
知らん。むしろ私が教えて欲しい。それ以前にその歪んだ愛情表現をなんとかしろ。
言葉は伝わらないはずだが、なぜか耳を噛まれた。
ちょっとだけ痛かった。
追記。
今日の夕食はチゲ鍋。相変わらずリンダの立てる献立には節操というものが感じられない。もらえるものもないので、私は一家団欒を横目にてれびに見入っていたが、ふと顔をあげると冬狐の手には豆板醤の入れ物が。
嫌な絶叫が響いた。
兄はまっかになった。
妹はVサインをしていた。
どうやら、妹は彼氏ができるまで兄で遊ぶつもりらしい。
ちょっとだけ弱シリアス導入。あーんど主役チェンジ。次の話ではもとに(猫に)戻します(笑)
では、また。
2008/06/18 改定
読んでもらえれば分かるように、山口冬孤嬢は禁忌的な女の子である。
これ以上はネタバレを大いに含むので自重するが、彼女はあることから心底兄貴に惚れ込んでおり、なんかもう女の子としてっていうか人間として非常にまずい位置に立っている。自分で書いておいてなんだが、はっきり言えば女の子に嫌われ、男の子からは疎まれる。そんな少女だと思う。
………………。
なんでこんなめんどくせーキャラを書いた、昔の俺(泣)
いや、まぁ書いてて楽しいから書いたんだろうね。今も書いてて楽しかった。
とりあえず、タイムマシンがあったら昔の自分をぶん殴ろうと思う今日この頃。