表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫日記  作者: 田山歴史
21/24

第弐十壱話 猫と愛の証明者(表)

 この歓喜を分かち合う。

 この愛を確かめ合う。

 もしも独りではないのなら、

 共に歌おう。



 魔法使いから眼鏡をもらった。とびっきりの魔法がかけてあるらしいその眼鏡を僕は半信半疑でかけてみた。かけた時はなんだか違和感があった。

 でも……それだけのことで、僕の世界は元に戻った。

 なにも言えなくなって、数値のない世界を見た。

 どこまでもさわやかな朝日と、清浄な朝の空気。理屈や理論なんて必要のない、ただ『心地いい』という感覚。久しく忘れていた、朝の風景。

 僕はゆっくりと目を閉じて、開いてみた。

 もう数値は見えない。気持ちの悪い地獄はそこにはない。

 自然に、涙が溢れてきた。

 と、その時。

「兄さん?」

 声が聞こえたので、僕は慌てて涙を拭った。妹は面会時間なんておかまいなしにやってくる。『義務教育なんかより、兄さんのお見舞いの方が大事です』ときっぱりと断言した妹は、僕が事故にあってから『兄さん』と呼んでくれるようになった。というか……口調を変えてしまった。今までは『文雄って本当に馬鹿よね』といった砕けた口調だったのだけど、最近は『兄さんは心底馬鹿ですね』といった丁寧な口調に変わりつつある。……慇懃無礼な気もするけど、まぁこれはこれでいいような気もする。少なくとも、悪くはない。

 気合を入れて、いつも通りに僕は笑った。

 見舞ってくれる妹のために、いつも通りに笑った。

「起きてますか? 兄さん」

「ああ、うん。起きてる……よ」

 そして、絶句した。

 髪をざっくりと短く切りそろえた妹が、そこにいた。

 長い髪が好きで、うっとおしいと言いながらも小学一年の頃からコツコツと伸ばし続けていた髪を、ものの見事に、ざっくりと、切っていた。

「と……冬孤? その髪、どうしたの?」

「切りました」

 それだけ言って、冬孤はいつも通りに僕のベッドの脇にある椅子に腰かける。

 それ以上の説明はなく、冬孤はいつも通りにリンゴを剥き始めた。その時の僕は適当に『失恋でもしたのかな』、と失礼極まりない解釈をしたのだけれど、実はただの『願掛け』だったことを後に母さんから聞かされることになる。

 僕の眼がちゃんと治るように、願をかけていた。

 シャリシャリとわりと慣れた手つきでリンゴを剥きながら、冬孤は口を開いた。

「兄さん……。その眼鏡、どうしたんですか?」

「ん、ああこれは……知り合いの人がくれたんだ」

 眼鏡のフレームに触れながら、僕は笑う。

「以前よりはちょっと不便だけど……よく見えるよ」

「……そうですか」

 皿にリンゴを盛り付けて、冬孤は僕を見つめる。


「治って、よかったですね」


 そして、にっこりと笑った。

 とても綺麗で、優しくて、心から喜んでいる微笑み。

 僕の精神防御を簡単に突破してしまう、そんな笑顔だった。

 思わず、目を逸らした。

「……う、うん。治った。後は足の骨折だけだから、まぁ一週間か二週間くらいで退院できると思う。綺麗な看護士さんが見れなくなるのは残念だけど」

「……兄さん」

 つねられた。頬が引き千切られるかと思った。

 っていうかこの前まで包帯してたから看護士さんを見る機会はあまりなかったのだけれど、妹はそこまで気づかなかったらしい。

「とりあえず、退院したら勉強の遅れてるぶんを教えてあげますね。しっかりと、きっちりと、厳しく、スパルタに行きますから覚悟してください」

 冬孤は、いつも通りに邪悪に笑った。

 後のことを想像すると、吐きそうになった。

 それからは普通に取り留めのない話をした。僕は穏やかに笑いながら適当に話した。看護士さんの巡回時間が来て、冬孤は席を立った。

 その背中が見えなくなるまで、僕は緊張しっぱなしだった。

「ふーん。あれが文雄くんの妹さんってわけね?」

 びくっ、と肩が震える。

 まるで細やかな銀糸を束ねたかのような髪。紫の光を宿した宝玉の瞳。華奢なくせにしなやかな肢体はまるで精緻に計算されて作られた人形のようで、貧相な病院服であっても、彼女の美しさを損ねるようなことはなかった。


 一瞬、その姿に見惚れた。


「……どしたの? そんな馬鹿みたいな顔して」

「………なんでもない」

「ふーん。それより、文雄くんってあと少しで退院なんだ?」

「君みたいに医者の弱みを握って退院期間延ばしてるわけじゃないからね」

「あら、人聞きの悪い。私は単に『先生、この前〇〇さんとトイレであーんなことやってたでしょ?』って言っただけよ?」

 それを強請っていると人は言うのではないだろーか。

 なんか……僕はこういう『強い女の子』によくよく縁があるらしい。なんか、将来が心配になるくらいに、『綺麗だけどアクの強い子』と知り合う確立が高い。

 ……大丈夫か、未来の僕。

 と、星野は不意にメモの切れ端を取り出して、僕に手渡した。

「……なにこれ?」

「住所と電話番号。暇だったら電話して」

「……あ、うん。分かった」

「ま、文雄くんだったらいつでも大歓迎だけどね」

 にっこりと、海は綺麗でありながら挑発的に笑った。

 その笑顔に一瞬だけドキリとした。

 だから顔を逸らして、なにも見なかったことにした。



 そして僕は、誠実さだけを肯定して、不実さを否定した。



 ゆっくりと目を開ける。なにか夢を見たような気がするが思い出せない。きっとたいした夢ではなかったのだろうと思って、文雄は体を起こした。

 手足が痺れて、頭が熱い。ついでに体が思ったように動かなかった。

「……ここ、どこだ?」

 ぎこちなく周囲を見回すと、なんだか見知ったようなそうでもないような部屋。

 本棚には各種専門書に、ジャンルを選ばない小説の数々。ついでに漫画本が山のようにきっちりと整理されて収められている。服にはさほどのこだわりはないのか、壁にかかっているのはセーラー服だけで、あとは上に羽織るコートが一着。一番目立つのがパソコンで、必要なのか不必要なのか、なぜか超がつくほど高スペックなマシンが三台も置かれていた。ディスプレイはでっかい液晶で、プリンター、マウスに至るまで最新式のものである。

 無論のことながら、純日本家屋には不釣合いなマシンである。

「……純日本家屋?」

 自分が眠っているのはベッドではなく布団で、枕はそば殻。布団は干したばかりのいい匂いがするのだが……この際それは問題ではなく。

 もしかしてここは、今一番会いたくない人間の部屋では………。

 と、不意に襖が開いた。

「あら、もう起きても大丈夫なんですか?」

 予感は的中した。文雄が今一番会いたくない女の子は、にっこりと笑っている。

 ほっそりとした体つきに猫のような大きな瞳。今はセーラー服ではなく、動きやすそうなパジャマに身を包んでいた。ちなみに、サイズは大きめのウサギ柄である。

 寝巻き姿の、東野日向だった。

「気分はどうですか? とりあえずお腹が空いてるかと思ってお粥を作ってきました。お口に合うかまでは保障しませんけど」

「えっと……先輩。人前に出るのにパジャマはどうかと思うのですが……」

「黙りなさい」

「……えっと、はい」

 問答無用の命令に、文雄は大人しく従った。

 ちらりと日向を見ると、彼女はにっこりと笑っていた。

 目はまるで笑っていない。

「……あの、先輩。もしかして怒ってますか?」

「そりゃ怒ってますよ。夕方頃貴方がここに担ぎこまれて、それから朝の二時までずーっと処置に追われてたんですから。あ、ちなみに今は朝の四時です」

「えっと……処置ってどういうことでしょーか?」

「頬骨の骨折、両拳の単純骨折が五箇所、肋骨の単純骨折が十本ほど、それから足の剥離骨折が数箇所に、首の骨の骨折、他多数の骨の治癒、脳の過剰回転、神経系のダメージの回復、置換したたんぱく質の復元、無理に傷を塞いだ箇所の完全治癒、他にも色々ですけど?」

 それは軽く死ねるくらいの重傷じゃないだろうか、と文雄は思ったが口には出せなかった。『質問は一切許しません』と笑ってない瞳が雄弁に語っていたからだ。

「……えっと、ありがとうございます」

「礼はいりません。私が勝手にやったことです」

 目を細めて、日向は冷酷に文雄を見つめる。

 いや、心底不機嫌そうに睨みつけていた。

「文雄くん。以前、燈琥は言いましたよね? 『君の魔眼はちょっと性質が悪いからよほどのことがなきゃ封印解いちゃ駄目だよ』って。燈琥があそこまで真剣な表情になって物事を話す時は、本気で洒落にならない時なんです。分かりますよね?」

「……あ、いや、分かっちゃいるんですけど」

「分かっていたのに、どうして封印を解除したんですか?」

「その……色々、ありまして……」

「色々、ですか。便利な言葉ですよね、『色々』って。ちなみにさっき私が面倒になってぼかした色々を詳しく説明しますと、記憶部位における多少の記憶の損失を復元、内臓の破損箇所のチェックの後復元再生、ナノマシンを注入して毛細血管の検査および内出血が起こっている場所の再生、それからカプセル状にしたヴィータキアスを使用してラルクアタラル状になった神経の復元置換作業とそれに関わる」

「すみません本気ですみません。ちゃんと説明するんで勘弁してください」

 絶対に医療用語じゃない専門用語が混じりだしたので、文雄は素直に頭を下げた。

 しかし、日向はにっこりと笑ったままだった。

「それはそうと文雄くん。ちょっと万歳してもらえませんか?」

「………はい?」

 わけも分からぬまま、文雄は両手を上げて万歳する。

 日向は満足そうににこにこ笑いながら、なぜかピースをした。

「これ、何本に見えますか?」

「えっと……立ってる指は2本、立ってない指は3本です」

「文雄くん」

「なんでしょう?」

「馬鹿だと言われたことはありませんか?」

「……………え?」


 さくっ。


 そして、五分後。

 文雄は両目を押さえながら、ゆっくりと口を開いた。

「……先輩。なんか『バルスッ!』って言われた後のムスカみたいな気分を味わったんですけど。っていうか冗談抜きで失明するんで目潰しはやめてください」

「あらあら、立派なラピュタ王になれるといいですね」

「嫌です。……頼むから、会話をしてください」

 涙が溢れる両目を瞬かせて、文雄は慎重に目を開いた。

 大きめのパジャマに身を包んだ日向は、呆れたように苦笑していた。

「……事情は、大体聞いています。恋人さんが色々と若者っぽい青臭い悩みを文雄くんにぶつけてきて大変だったらしいですね?」

「大変でしたよ。……ちなみに、恋人じゃありませんけど」

「でも、好きなんでしょ?」

「………友達として、ですよ。他意はありません」

 文雄は当然の如くきっぱりと断言する。

 目を閉じて、日向はゆっくりと溜息をついた。

「ねぇ、文雄くん」

「なんでしょう?」

「以前も聞きましたね、『貴方には好きな女性はいませんか?』と。その時貴方は『好きな人なんていないよ』と言いました。それは間違いなく、貴方の本心ですか?」

「はい」

 なんの迷いもなく、躊躇なく返答する。今まで腐るほど聞かれてきたことだ。今さら迷う必要なんてどこにもなかった。

 日向は、猫のような目を細めて、文雄を見つめた。

「それじゃあ、質問を変えます」

 日向はゆっくりと、文雄に近づいてきた。

 上から順番に、パジャマのボタンを外しながら。

「ちょ、先輩……?」

 文雄の言葉に答えることはなく、日向は顔を赤く染め、俯いた。


「私を……抱いてくれませんか?」


 一瞬、なにを言われたのか分からなくなった。

 言葉が理解できなくなってしまった。

 日向は妖艶に微笑みながら、ゆっくりと文雄にしなだれかかってくる。すでにパジャマのボタンは半分ほど外れ、少しだけ下着が見えていた。

「あ、ちょっと、せんぱ……いや、えぇっ!?」

「わたしでは……だめですか?」

 耳元で囁かれて、文雄は真っ赤になった。

 真っ赤な唇が、この上なく扇情的だった。

「ねぇ、文雄くん。……私では、駄目ですか?」

「いや、駄目とかではなくて、ちょっと待って欲しいっていうか!」

「………わたしのこと、きらい、ですか?」

「嫌いでもないんですけど……だから、その……」

 頭の中がオーバーヒート寸前だった。以前ならきっぱりと指摘できた卑怯な言葉すらも『女の子が潤んだ瞳で見つめてくる』となるとその破壊力は段違いである。

 ゆっくりと、ひんやりとした手の平が文雄の頬を撫でる。

「だめ、ですか?」

「……いや、その……」

 東野日向は女性らしい部分がちょっと少ない少女である。

 しかし、女性らしい凹凸があまりないにも関わらず、いい匂いとか、ちらちら見える下着とか、細いにも関わらず意外と柔らかい肌の感触とか、そういったものが文雄の判断能力を根こそぎ奪っていく。

 頭がぼんやりとして、なにを考えてるのか曖昧になっていく。

 と、その時。


「なるほど、そういうことですか」


 日向は、にんまりと邪悪に笑った。

「……え?」

「どうやら、女性に興味がないってわけでもなさそうですねー」

 いつも通りににっこりと笑いながら、日向は文雄からあっさりと離れた。いつの間にかパジャマのボタンは全て元通りになっている。

 文雄は、唖然としてなにも言えなかった。ただ、猛烈な脱力感があった。

「えっと……つまり、どゆことなんですか?」

「つまり、確認ですよ」

 にこにこと笑いながら、日向は真っ直ぐに文雄を見つめてくる。

「思考が全部観測できるとしても、文雄くんは人間です。健康的な男の子です。言うなれば『狼』です。そんな狼さんが自分を好いてくる女の子二人に対して手も足も出さないってのは、はっきり言っておかしいことですから」

「………人間は理性の生き物だと思うのですが」

「ほほう、理性? 今しがた私の誘惑に屈しそうになった、えろっちぃ狼さんはどこのどちらさまでしょうかねー?」

「ぐっ…………」

 それを言われると、もう何も言えない。押し黙る文雄を楽しそうに見つめながら、日向は続ける。

「まぁ、そういうわけで君のことを『ホモなんじゃねーか?』と疑っていたわけですけど、これで疑いは晴れました。よかったですね」

「……いや、なんかそういう疑いを持たれる時点でよくないんですけど。っていうか海はともかく冬孤は実の妹なんですけどね……」

「戸籍上は、ですけどね」

 沈黙が落ちる。文雄は一瞬日向の言葉を理解できなかった。

 いや、理解はしていたのだろう。ただ受け入れられなかっただけ。

「なんで……それを?」

 唖然としながら疑問をぶつける。

 日向はにっこりと笑いながら、それに答える。

「最初は違和感です。兄妹にしては文雄くんは冬孤さんと距離を置いているような気がしましたから。……人には分からないくらいの、それでいて決定的な距離をね」

 自分がそれを知ったのは『魔眼』を覚醒させた時。あらゆる数値がその事実を教えてくれた。家族は誰も教えてくれなかったので、あえて口には出さなかったし、そんなことはどうでもいいことだと思っていたから。

 冬孤は紛れもなく……『家族』だから。

 そんな文雄の思いを見透かすように、日向は真剣な表情で言った。

「不謹慎だとは思いましたけど、少し調べさせてもらいました。確かに文雄くんと冬孤さんは『戸籍上』では血が繋がっている兄妹になっています。血液型も両親から生まれうる型です。でも……DNA単位で調べると、あなたたちは血が繋がっていない。同じ血族の人間ではないんですよ」

「………あの、DNA単位って?」

「調べた方法については完全無欠に秘密です」

 きっぱりと質問を却下しながら、日向は苦笑した。

「私は部外者なので詳しくは知りません。知る権利もないと思います。文雄くんにとって冬孤さんは間違いなく『家族』なんでしょうし、誰よりも大切な存在なんでしょう。『妹』を守るのは……『兄』として当然のことですからね」

「………………」

「でも……血が繋がっていようがいまいが、そんなことは関係なく、文雄くんは冬孤さんの想いに応える気はなくて、海さんの想いに応える気もない。……それはやっぱり、不自然なことだと思うんです。あなたが二人を嫌っているのならまだ分かりますけど……文雄くんは、冬孤さんも海さんも大切に想っている」

 しっかりと文雄を見据え、目を逸らさず、日向は言った。

「だから、私なりに文雄くんが隠している『本音』を推測させてもらいました」

「…………推測?」

「つまるところ君は……二人とも好きなんですよね?」

 びくっ、と文雄の肩が震える。

 冷汗が頬を流れ、背中を伝い、ついでに口許が引きつっていた。

 日向は犯人を追い詰める探偵のように、口許を緩めて語り続ける。

「鳥の擦り込みってわけじゃありませんけど、文雄くんは最初に眼鏡をかけて最初に見た二人の女の子に『惚れて』しまった。『光り輝く世界』に戻って来て、自分が普段接してきたものがとても『綺麗』なものだと気がついてしまった。……だから文雄くんは勝手に決断した」


「二人が困った時は絶対に助ける、と」


「そして同時に一つの誓約を打ち立てました。それは『二人の女の子には絶対に手を出さない』ということです。好きだけど、愛しているけど、君は二人の女の子に告白したり、キスをしたり、抱いたりすることを禁じました。なぜなら……絆を壊したくなかったから。『妹』と『友達』。二人との距離が心地いいものだったから、その関係を壊したくなかったから、手を出すことを禁じました」


「愛していたから大切に見守ろうと思った」


 そう締めくくって、日向は苦笑した。

 的外れなことを言ったかもしれない自分を、苦笑していた。

「全部推測です。気分を害したのなら謝ります」

「………………」

 文雄は黙っていた。口を閉ざして、じっと日向を見つめていた。

 目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。

 小さな諦めと共に、小さく呟いた。

「……先輩。僕はどうすりゃいいんでしょうか?」

「………………」

「僕は、今までサボって、嘘ばっかりついてきました」 

 自分の気持ちを全部偽って、

 他人の想いを全部偽って、

 好きだという気持ちを拒絶し続けて、

 嫌いだという感情を拒否し続けて、

 山口文雄という少年は生きてきた。

「そのツケが回ってきたんだと思います。テキトーに笑ってりゃそのうち何事もなかったかのように、なんにもなかったかのように時間が過ぎていくと思っていた報いが来たんだろうと思います。助けられるものを見捨てて、見て見ぬふりをしながら生きてきたから……僕はこうなった」

「………そうでしょうか?」

「ええ、そうですよ。きっと、そうなんです」

 文雄は、口許を緩めようとして、笑顔を作ろうとして、

 苦笑すらできない自分に気がついた。

 だから文雄は……観念して、気持ちを吐き出した。

「星野のことは、好きです」

「はい」

「冬孤のことも、好きです」

「はい」

「でも、そういうのは、駄目なんです。不誠実です。卑怯です。最低です」

 もう一度、最低です、と繰り返しながら文雄は顔を伏せる。

「だから全部否定することにしました。自分が抱く想いを全部否定することにしたんです。誰も好きじゃないし、誰も愛してない。そうやって自分に暗示をかけました。多少のことで揺らいでしまうような小さな鎖を、自分自身にかけました。それでも、逃げて逃げて逃げ続けても……結局追い詰められてるんです」

「………馬鹿ですねぇ」

「はい。馬鹿です。馬鹿だから……今度は『竜の里』に逃げようとしてるんです」

「そういう意味じゃ、ありませんよ」

 日向は、優しく笑った。

「……好きなら好きで、いいじゃないですか?」

「よくないです。それは、よくありません。『みんなが幸せに』なんて漫画みたいなご都合主義のハッピーエンド。そんなもんがあるわけないです」

「……まぁ、それもそうですけど……ね」

 震える手に、日向は自分の手を重ねる。

 少年の手は熱く、少女の手には心地良かった。

「それでも、君は逃げてなんていません」

 きっぱりと、はっきりと、日向は震える少年に告げる。

「冬孤さんが苦しんでた時、貴方は笑顔で救った。星野さんが助けを求めた時、貴方は立ち向かっていった。そして、『竜の里』で困っている子がいるって聞いた時に、文雄くんは悩みながら決断したじゃないですか。……なによりも効率を優先する眼を持ちながら、あっさりとそれを否定して、逃げずに真正面からぶつかっていったじゃないですか」

 そして、日向は『想い』を告げた。


「私は、そんな不器用で優しいあなただから、好きなんです」


 文雄はゆっくりと顔を上げる。

 そこには、日向が当たり前のように笑っていた。

「もっと器用にできたはずなのに、もっと簡単にできたはずなのに、あなたはそうしませんでした。みんなと同じように向かい合って、みんなと真剣に向かい合って、どこまでも真っ直ぐに、優しく向かい合った。甘えず、脅えず、屈さず、怯まず、誤魔化さず、心の底からの本音で、多少の優しい嘘を混ぜながら、前を向いて好きな人と向かい合った。あなたはずっとそうやって生きてきた」

 優しく、朗らかに、嬉しそうに、笑っていた。


「そういうのが、『愛』って呼ばれるものじゃないんでしょうか?」


 その言葉に、計算はない。

 ただの思いやりの言葉。文雄が海に言ったのと同じような、ただの『本音』。

 だからこそ……何よりも心を打つ言葉だった。

「………先輩」

「まぁ、メインヒロインってやつを選び損なって、全員に優しくすることを余儀なくされた間抜けな『臆病鳥(チキン野郎)』と言えなくもないですけどねー」

「………………」

 いい話にオチをつける女の子がここにいた。

 というか、台無しだった。

 日向は、にんまりと邪悪な笑顔を浮かべていた。

「と、いうわけで私からの説教はこれで終了。なにか質問はありますか?」

「………えーと、じゃあ、とりあえず………」

 少しだけ悩んで、文雄は口を開いた。

「星野はどうしましたか?」

「隣の部屋で休んでもらっています。……文雄くんよりは軽傷ですけど。顔と内臓には傷一つありませんし、骨も肋骨くらいしか折れてませんしね」

 呆れたように肩をすくめる日向は無視して、文雄は続ける。

「………冬孤は?」

「隣の部屋で休んでます。文雄くんの看病をしたかったみたいですけど、きっちりとお断りしておきました。少々駄々をこねたので、腕力で黙らせましたけど」

「………………」

 日向の細腕でどうやって冬孤を黙らせたのかものすごく気になる所ではあったが、後のことを考えると怖いので、文雄はあえて口を閉ざした。

 それで聞きたいことは全て聞いた。電撃を食らわせたあの男の安否など考えるまでもないだろう。

 しかし、日向は未だににこにこと悪意満点に笑っていた。

「それで……他に、何か、言いたいことは、ありませんか?」

「えーっと……」

 少し考えようとして、考えるまでもないことに気づく。

 文雄は、素直に頭を下げた。

「ごめんなさい。もうしませんから許してください」

「……そんな簡単に、頭下げた程度で許されるとでも思ってるんですか?」

 日向の猫のような目がスゥ、と細まる。

 蛇に睨まれた蛙状態と言うべきか。文雄はそれだけで身動きが取れなくなった。

「う……いや、えっと。じゃ、じゃあどうすれば許してくれますか?」

「……自分で考えて下さい。ヒントは回っていないお寿司ですけど」

 ヒントどころか、もろに回答だった。

 ゆっくりと息を吐く。……そして、覚悟を決めた。

「………分かりました。奢ります。奢ればいいんでしょ」

「そんな言い方では納得しかねます」

「奢らせてください」

「はい、それじゃあ許してあげます」

 そこでようやく日向は悪意を消し、普通に笑った。

 穏やかで優しげな、普通の笑顔。


 そんな当たり前のものが、少年にとっては救いだった。


 だからゆっくりと息を吐く。頭を掻いて、冷めてしまったお粥を温め直すために台所に向かおうとしている優しい少女の背中を見つめて、少年は覚悟を決めた。

 下らない覚悟だが、最低な覚悟だが、少年はそれでも心に決めた。

「先輩」

「なんですか?」

「僕は、先輩のことも好きです」

「……冬孤さんや海さんと同じように?」

「はい」

「……馬鹿ですね、あなたは」

 呆れたように笑って、日向は言った。


「そんなの……最初に会った時から、とっくに知ってましたよ」


 そう言い残して、パタンと襖を閉めた。

 後に残されたのは文雄だけ。彼はゆっくりと息を吸って、吐き出した。

「かなわねぇよな……」

 いつだってそうだった。

 最初に会った時から、彼女はいつもあんな感じだった。

 優しく、厳しく、全てを見透かしながら、全てを受け入れて。

 それがたまらなく……羨ましくて、憧れた。

 目に映るもので一喜一憂してる自分が馬鹿らしくなるほどに。

 自然に、笑っていた。

 そんな彼女みたいになりたくて、ここまで頑張ってきた。

 多分、これからも。

「………さて、と」

 心に秘めるのは一つの決意。やるべきことが終わっても、あと二年……この世界で踏ん張らなければならない。努力を続けて、せめて自分を誇れるようにしなければならない。

「それじゃあ……頑張りますか。先生になるために」


 そして少年は、まだ見ぬ誰かのために、頑張ることにした。



 それからお粥を食べて一局だけ将棋を打って、文雄は眠った。

 目を覚ますと体の違和感は消えて、普通に動けるようになっていた。

 時刻は朝の七時。いつもよりは少し早いが、学校に行くのにはちょうどいい時間。

 シャワーを借りて体と髪を洗い、制服に着替えて、いつも通りに出かけることにした。制服はボロボロになっていたはずなのに傷一つなかった。多分、日向が直してくれたのだろう。ありがたいサービスに口許を緩めながら、玄関に向かう。

「冬孤さんには、なにも言わないんですか?」

 几帳面に玄関まで出迎えてくれた日向は、文雄に鞄を渡しながら聞いてきた。

 文雄は苦笑して、肩をすくめる。

「全部、家に帰ってからにします。とりあえず今は……冬孤よりも謝らなきゃいけない奴が一人いるんで」

「そうですか。……じゃあ、また」

「はい。色々とご迷惑おかけしました」

 挨拶もそこそこに、文雄は日向の家を出て、玄関先に停車してあった原付に跨る。

 細い二本の金属棒を取り出して鍵穴に差し込み、ガチャガチャと三回揺らして蹴り上げる。

 エンジンは一発でかかった。

「お、窃盗少年発見。原付はアシがつくからさっさと乗り捨てた方がいいぜ?」

「勝手に借りてきた物ですからね。乗り捨てると殺されます」

「乗り捨ててたじゃねーか」

「時と場合と状況によります」

 顔を上げて、文雄は声をかけてきた人物を見つめる。

 ロングコートによれよれのスーツ。にやけた頬は赤く腫れていた。

「……それ、叩かれたんですか?」

「殴られたんだよ。許しちゃもらえたんだが、セクハラは禁止だそうだ」

「……当たり前でしょ」

 呆れたように顔をしかめる文雄に対して、透は肩をすくめるだけだった。

「それで、少年。お前はこれからどうするんだ?」

「いつも通りです」

「ま、そりゃそうだな。オレたちはしばらくこっちに滞在するから、用があるんだったらトーコの姉御に言ってくれ。デートのアドバイスくらいはできる」

「………自分で考えますよ、それくらい」

「是非ともそうしてくれ。あ、それとガソリンが空だったから補充しといてやったぞ」

「いくらですか?」

「をいをい、ここまで迷惑かけたんだ。ガソリン代くらい奢ってやるよ」

「……ありがとうございます」

「素直だな。まァ、お前はそれくらい素直なほうがいい」

 肩をすくめたまま、透はゆっくりと背を向ける。

 その背中に、文雄は声をかけた。

「透さん」

「ん?」

「今、幸せですか?」

 少し前に海に聞かれたこと。文雄はその時『幸せだよ』、とほんの少しだけ嘘をついた。本当は断言できるほど幸せじゃなかったが、嘘を吐いた。

 男は振り向いて、ほんの少しだけ口許をつり上げた。

「ンなもん、歳くってから考えろよ。少年」

 男はそれだけ言って、立ち去った。

 文雄は口許を緩めた。

 たったそれだけの単純な言葉。単純な答え。それでも……。

「……きっと、それが正しい答えなんでしょうね、相川さん」

 口許を緩めたまま、少年は原付を発進させた。

 頬を撫でる風が心地良く、どこまでも行けるような気さえ起こる。

 思ったよりも、悪くない。

「んー……それじゃあ」


 努力の一歩目として、まずは原付の免許を取りに行こう。





 『猫と愛の証明者(表)』……END





 おまけ 



 ある日の山口冬孤の日記、四ページ目。


 今日は学校を休んだ。皆勤賞を狙っているわけではないから別にいくら休んだって構わないのだけれど……私としては学校を休むというのはあまりいいことであるとは思えない。でも……今日は仕方ない。混乱しているから。

 その混乱の大半の原因が兄さんで、色々なことが一度に分かってしまったから混乱している。で、その色々なことを詳しく説明してもらうはずだったのだけれど……。

 なんでこんなことになっているんだろう?

「ねぇ、なんで貴女たちがここにいるのかしら? 確か、客間で待っててくださいと言っておいたはずですけど?」

「あ、おかまいなく。この兎のぬいぐるみもらっていいですか?」

「妹さん、私はこの犬のぬいぐるみで」

「あげませんっ!!」

 私のお気に入り十決集から選りすぐりの二品を選び取った二人の眼力にちょっと感心しながらも、私は二人の手からぬいぐるみを奪い取った。

 二人。そう……二人だ。

 一人は東野日向先輩。彼女は事情を説明してもらうために来てもらった。

 そしてもう一人……銀髪紫眼の変な女。兄さんを厄介ごとに巻き込んだ当事者で名前を星野海というらしい。舞ノ海にちょっと響きが似ている。

 ……兄さんの知り合いの女性らしく、文句なしの美女だ。

 胸もちょっと負けている……。ほんの、ちょっとだけど。

「……星野さん、私は貴女を呼んだ覚えはありません」

「んー、確かにそうなんですけどお詫びもかねて来ちゃいました」

「お詫びなんていりません。あと、私のぬいぐるみをさりげなく鞄の中に入れないでください! ちょッ……それ作るのすごい苦労したんですよっ!」

「いいじゃない。こんなにたくさんあるんだから」

「なんでいきなりタメ口になってるんですかっ!」

 なんだか、頭が痛くなってきた。兄さんはなんでこんな子と笑顔で付き合えるんだろうか。ものすごく謎だ。

 星野海は、不意に、にっこりと邪悪に笑った。

「でも、なんていうかものすごくファンシーな部屋。義姉さんってもしかして意外でもなんでもなくロマンチスト?」

「放っておいてください。あと、義姉さんって言うの断固として禁止です」

「文雄くんの部屋ってあっち?」

「………………」

 私も相当なものだけど、この子……マイペースすぎる。

 偏見だけど絶対に『B型(マイペース気質)』だと確信しながら、私は言った。

「確かに兄さんの部屋はあっちですけど、面白いものはなんにもありませんよ。私がネットを使う時に使わせてもらうくらいですから」

「ふーん……そういう動画くらいあってもおかしくなさそうだけど。単に、義姉さんが見落としたんじゃないんですか?」

「見落としてません。あと義姉さんって言わないで」

 まさかこのまま定着させるつもりだろうか、などと嫌な予感が横切る。

 と、その時。

「まァ、普通に探したんじゃ見つかりませんよ」

「え?」

「文雄くんなら外付けのHDくらい持ってるでしょうし」

 兎のぬいぐるみをいじりながらにこにこしてる先輩が、不穏なことを呟いた。

 っていうか……外付けのはーどでぃすくって、なに?

 私たちが疑問符を浮かべていると、日向先輩は丁寧に解説してくれた。

「つまり、大容量の記憶媒体ですよ。パソコンの中に内蔵されているものほとんど同じですね。普通のHDが持ち運びできないのに対して、外付けのHDは持ち運び可能なんですよ。持ち運びならDVDやCD、フラッシュメモリでもいいんですけど、そういうものじゃ運びづらい大量のデータを運べるのが利点です」

 ……えっと、この先輩はナニを仰ってるんだろう?

 ますます疑問が深まったのを敏感に感じ取ったのか、先輩は少し考えてから、私たちにも分かりやすく噛み砕いて教えてくれた。

「フロッピーディスクがヤ〇チャだとすると、外付けHDはセ〇みたいなもんです」

 ……分かりやすくはなったけど、なんか馬鹿にされてる気がした。

 いや、実際に馬鹿にされている。悪意はないけど見下されている。

 日向先輩はにこにこと信用ならない笑みを浮かべながら、言った。

「文雄くんだって健康的な男の子ですからね。女性の裸体が惜しげもなくさらけ出された本や画像や動画があったって、私は気にしませんけど」

「そ、そういうものなんですか?」

「そういうものです。男の子のほぼ99%がそういうものを所有していると思って間違いありません。……文雄くんも例外なく、です」

 ねー、アンドラウグヌキアス、と兎のぬいぐるみに語りかける日向先輩。

 ……どーでもいいけど、人のぬいぐるみにそんなアグレッシブな名前をつけないでほしい。

 まぁ、兄さんがそういうものを所持していたとしても、私は驚きません。ええ、驚きませんとも。昔はそうでもなかったけど、最近じゃ兄さんも普通の男の子だってことが分かってきましたからね。ええ……ちょっとしか、驚きませんよ。

 と、私が内心の動揺を押さえ込んでいると、

「じゃ、探してみよう」

「へ?」

「文雄くんがそーゆーの持ってるんだったら、ちょっと拝見させてもらおうよ」 

 銀髪の少女は、まるでそれが名案であるかのように、言った。

 当然、私は慌てた。

「ちょっ……いくらなんでもそれはっ!」

「なーに? もしかして義姉さん、怖いの?」

「こ、怖いとか怖くないとかじゃなくて、そういうのを探すっていう行為に抵抗がっていうか、それ以前に人としてなにかちょっとっ!! あと義姉さん言うなっ!」

「大丈夫じゃない? こっちにはプロフェッショナルっぽい人もいるし」

 星野さんが指したのは、日向先輩だった。

「ね、東野さんだったらできるでしょ?」

「んー、確かにできますし、興味もあるんですけど……それはまた次回に」

「なんで?」

「なんでかと言いますと……」


 ガチャ、ただいまー。


「と、いうわけです」

 ………………。

 ………………。

 えっと、つまり、今ちょうど兄さんが帰って来た、と。

 確かに時間的にはちょうどいいけど、いくらなんでもタイミングが良すぎやしないだろうか。……この人、もしかしてエスパーなんだろうか?

 まぁ、どっちでもいいか。兄さんや私に害があるわけじゃないし、仲良くしておいて損はない。……間違いなく敵に回したくない人には違いないわけだし。

 とりあえず、兄さんを出迎えることにして、部屋を出た。

「お帰りなさい、にいさ……ん」

 語尾が途切れて絶句する。

 兄さんは、なんかもうボロ雑巾のようだった。

 埃まみれの制服、内出血で真っ黒に染まった頬、黒板消しでも叩きつけられたのか髪の毛はくすんで汚れていて、眼鏡も外していた。

「ん、ただいま」

 なのに兄さんは、いつも通りに笑った。

「えっと……それ、昨日の怪我なんですか?」

「半分はね。学校に行ったらちょっと増えた。悪いことはできないもんだね」

 明らかに痛そうなのに、兄さんはいつものように笑っていた。

 本当に………この人は。

 私はゆっくりと溜息をついて、兄さんの手を強く引いた。

「ちょ、冬孤?」

「放っておいたらばい菌が入ります。消毒しますから下で待ってて下さい」

「大丈夫だよ。これくらいだったら放っておいても治るから」

 私は、ゆっくりと目を細めて、兄さんを睨みつけた。

「治療しながら、昨日のことをとっくりと聞かせてもらいます。いいですね?」

「…………はい」

 どうやら、観念したようだった。

 まったく、本当に手間のかかる兄さんだ。これは本当に、ずっと側にいてあげないと危なっかしくてしょうがない。の〇太君と結婚を決意したし〇かちゃんもこんな気分だっただろう、と私は確信した。

 まぁ、それはそれとして、私は胸の動悸を押さえつける。

 兄さんと手を繋いだのは久しぶりだな、というのはあまり考えないようにして、私は消毒液を探し始めた。



 兄さんから聞いた説明は、有耶無耶で誤魔化そうとしているのが見え見えだった。

 けれど、私は騙されることにした。

 兄さんは兄さんの考えがある。私が首を突っ込んじゃいけないこともある。

 だから、私は、なにも言わないことにした。

 でも……いつかきっと、ちゃんとした『いい女』になって、見返してやる。

 それまでは、努力と精進あるのみ。

 と、気合を入れながら部屋に戻ると、星野海はいなくなっていた。

 窓が全開になっていて、ぬいぐるみが三つ消えていた。

 しかも、そのうちの二つはお気に入り。

「………先輩、あの銀色、どこに行きましたか?」

「海さんならぬいぐるみ抱えてそこの窓から脱出してましたけど。まぁ、昨日派手に喧嘩した手前、文雄くんと顔を合わせるのが恥かしいんでしょうねー」

「……そんな可愛いものじゃないでしょう。行きがけの駄賃にぬいぐるみ強奪していくくらいですから。……まぁ、いいですけどね」

「あら、怒らないんですか?」

「自業自得ですからね……怒ってはいませんよ」

 私は、にやりと笑う。


 なにこれっ!? いたっ、痛いっていうかなんかびりびりするっ! っていうかちょっうひあっひあああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!


 悲痛な叫び声が響いたのを確認してから、私は紅茶と兄さんの手作りクッキーを先輩に振舞うことにした。一応人数分持ってきたのだけれど、いないものは仕方ない。

「んー、レーズンとシナモンですか。けっこういけますね」

「紅茶は友人のおすすめですよ」

 私たちは美味しい紅茶とクッキーを味わいながら、優雅な午後を楽しんだ。 

と、いうわけで愛の試練の終了です。かなりの長丁場になりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。なお、裏でうごめいていた事情が知りたい方は、愛の証明者(裏)をごらんください。

さてさて、いよいよ佳境に入りました猫日記。最近はシリアス色が強かったのでここいらでインターミッション。次回、猫とナンパする少年たち。完全コメディでお送りいたしますので、ご期待を。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ