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猫日記  作者: 田山歴史
16/24

第拾六話 猫と看病と迷子の子猫(前編)

 招かれざる客は、いつも最悪のタイミングで現れる。



 頭痛、鼻詰まり、倦怠感に発熱。

 その日、典型的な風邪の諸症状が文雄を襲っていた。

「うー……さすがに、ちょっと無茶しすぎたかなぁ」

 徹夜で原稿を仕上げた後、星野海に付き合ったのが悪かったのかもしれない。それからほぼ不眠不休で学校に行き、家に帰ってから新しい構想を思いついたのでそれをメモにまとめていた。とりとめのない発想ばかりだったが、いくつか小説のネタに使えそうなものもあった。そして、その時には午前の零時を回っていた。

 結果、思いっきり風邪をひいた、というわけだ。

「ん、まぁたまにはいいか。今日はしっかり寝ておこう」

 冬孤は学校、是雄は会社、そしてリンダは近所の奥さんと買い物。

 十時間程度は一人でのんびりできる計算になる。いるのはククロとプーだけ。しかも、プーは発情期も終わって喜び勇んで外に出かけた。

 つまり、今日一日文雄は一人きりでのんびりできるというわけである。

 風邪薬が効いてきたので、少しばかり目蓋が重くなる。文雄はうとうととしながら最近の睡眠不足を一気に解消するかのように惰眠を貪ろうとして、

 ピンポーン。

 インターフォンに、眠気をかき消された。

「……誰だ?」

 体はだるいが、文雄は几帳面にも起き上がって玄関に向かう。

 ピンポンピンポンとその間にもインターフォンは鳴り響いている。これでピンポンダッシュだったら、近年稀に見るくらい激怒した後、犯人を地の果てどころか煉獄あたりまで追いかけるだろうことを覚悟しながら、文雄は扉を開けた。

「突貫、隣のあさごはーん! 今日は山口さんのお宅に」

 扉を閉めた。

(……えーと、ちょっと待て)

 外にいたのは、病人の家まで押しかけて災厄を振りまく災害の一種。学校にはあまり来ないくせに来たら来たで説教と混沌をもたらす恐ろしい存在だった。

 そう、彼女の名前は姫宮藤野。

「ちょっとー、クラスメイトがお見舞いに着たんだからお茶くらい振舞いなさいよーっていうか開けろー、〇〇〇〇フレンドだって近所に言いふらすぞー」

 やたらと文雄にからんでくる、後ろの席の女子である。

 とりあえず、そんなことを言いふらされてはたまったものではないので文雄は即座に玄関の扉を開けた。

 そこには、見慣れた金髪の少女が立っている。中肉中背、冬孤のようにほっそりしてはおらず、極めて平均的な女の子らしい体格。GジャンにGパンというラフな服装をしている彼女は、いつも通りに人を食ったような目をしていた。

「……なんの用だよ、姫宮」

「ん、なにって当然お見舞いよ。はい、これお土産。いやー、今日はかなり出ちゃってさァ。懐があったかいのよねー」

 紙袋の中には煙草だのチュウハイだの焼酎だのビールだのつまみだの……色々入っている。とりあえず、病人に優しい品は一切入ってないらしい。

 そりゃそうだろう、と文雄は納得する。パチンコの景品に病人に優しい品物があったら、そのパチンコ屋はかなり流行っていないだろう。

 とりあえず、出たのは溜息だけだった。

「正直いらないんだけど……」

「山口だって酒くらいは飲むでしょ?」

「いや、ウチの家系の男はなぜか酒に弱いから」

「まぁまぁ、そう固いこと言いなさんなって。どーせ今から学校行くのもたるいしさ、この家でダラダラさせてよ。夕方頃に出て行くからさァ」

「………風邪が移るからやめておいたほうがいいよ」

「馬鹿は風邪引かないのよ」

 そう言って藤野はケラケラと笑う。

 正確には、『風邪を引いたことがないと言い張ることが本当の馬鹿』という意味なんだろうなぁ、と文雄は熱に浮かされてぼんやりしながら思ったりしたが、なんとなく本能的に身の危険を感じたので口には出さなかった。

 どうせ招かれざる客なのだ。なるべく早く帰ってくれればそれでよし、そうじゃなくとも風邪を引いて困るのは姫宮であって自分じゃないや、などと少しばかりひとでなしなことを考えながら、文雄は姫宮藤野を自宅に招き入れた。


 かくて、惨劇は始まる。

 それは当たり前に宣告された予定調和だった。


 

 私は猫である。名前はファリエル=ナムサ=オーレリア。毛並みは青に近い黒を持つ、まごうことなき美雌猫である。



 欠伸をしながら、私はいつもの神社で待ち人を待っていた。いつも通りに二時間遅刻。とりあえず三十分ごとに一発の鉄拳を加算しながら、私はひなたぼっこを堪能していた。いやいや、ここ最近は本当にごたごたしていたのでこんな風にゆっくりする暇もなかった。うむ、これこそが実に有意義な猫ライフである。

 こんな暖かい日はぐっすりと眠るに限るのだが……いや、なんかもう律儀に待つのも飽きたからいっそのこと眠ってしまおうか。よし、そうしよう。まずはそれなりに風の入る居心地のいい寝場所を探して……。

「ファリエルちゃ〜ん」

 と思い立ったところで、待ち人は現れた。

 実に最悪のタイミングである。私はゆっくりじっくりと睡魔を追い払うと、ゆったりとした……いや、『ゆらり』とした足取りでタマに近づいていく。

「あ、あれ? ファリエルちゃん、なんか、目がこわ」

 スパァンッ! ゴスッ! シャザァッ! ドスッ! ヴァッ!

 きっちり五発殴りつけて、私は一瞬でぼろ雑巾のようになったタマの頭に前足を乗せた。

「さて、タマ。なぜ遅刻した? とりあえず弁明を聞こうか。弁明時間は一秒。弁解開始、発言を許可する」

「え、ちょ………」

「弁明時間終了。ろくな弁明ができなかったので判決は死刑。若干火あぶった後に百叩きし、『おほしさま、わたしのおねがいをきいてください☆』と百回音読、しかる後に顔に落書きしてから斬首の刑に処する。以上、ファリエル法廷終了、死刑執行」

「ちょ、ファリエルちゃんっ! いきなりの極刑はなんていうか、この世界に生きる存在としてどうかと思うのッ! ちょっと落ち着いてっ!」

「くっくっく、大丈夫だ。私は落ち着いている。エメラルドの鉱脈を見つけた鉱夫、もしくはガンを告知された入院患者くらいには冷静だとも」

「全然落ち着いてないよっ!」

 落ち着いているとも。なぜなら、私は自身の怒りを一番良く理解している。

 とりあえず、涙目になるタマを解放し、最後の弁解の機会を与えることにした。

 もちろん、私を納得させることができなければ死刑である。

「それで、今日は一体どういう用件なんだ? 前回、私が必死こいて戦っている中で湯治に行っていたことはさっきの一発で水に流してやるから、私の忍耐が続くうちに事情説明しておくと、後々身の安全が保障されるかもしれない」

「……一発じゃなくて五発殴られたような……」

「遅刻三十分につき一発。私の怒りで一発、遅刻が二時間で四発。つまり、合計五発になる。ちなみに端数は切り捨てだ。良心的だろ?」

「……それはヤクザ屋さんのいいぶんだと思う」

 ぶつぶつと文句を言いながら、タマは若干言いずらそうに目を逸らした。

「えーと、実はまた子供のことなんだけど……」

「また家出か?」

「うーん、家出とかそういうことじゃなくて、……ちょっとした恋愛っていうか一途に想い続ける恋心っていうか、なんていうか」

「あたし、歯切れ悪いのは嫌いだな♪ 殺しちゃおっかな★」

「……ファリエルちゃん、その口調怖いから即刻やめて」

 怖いと断言されてしまった。

 言葉の意味より口調が怖いらしい。

 むう………。

 私の若干の苦悩は置き去りに、タマはちょっと深刻そうな顔で言う。

「とりあえず置き手紙もあったし、行き先もはっきりしてるから心配するようなことじゃないとは思うんだけど……」

「置き手紙?」

 一応断っておくが、猫の体は筆を持てるようにはできていない。

 となると、人間の言葉を理解し、人化できるような猫が側にいるということになるから、確かに心配することではないのかもしれないが……なんとなく引っかかる。

「タマ、言いにくいのは分かるが、ちゃんと事情を説明してくれないと手伝うこともままならんぞ?」

「んーとね、ウチの四女ちゃんが『もうこの家で学ぶことはありません、お世話になりました。とりあえずもっと強くなるためにおばさんの所に下宿します』っていう置き手紙を残して、『人化』してどっかに行っちゃったの。たぶんファリエルちゃんの飼い主さんの家だと思うんだけど、強くなるためっていうより、文雄君に会いたいからだと私は思うけどね」

「………………?」

 私は、軽く小首をかしげた。

 ふむふむ。なるほど、生後数ヶ月の猫が『人化』して、『人語』で置き手紙を残して私の家に向かっていると……そういうことか。

 ……つまり、また私にとんでもない厄介ごとを押し付けに来たと。

 そういうことなわけだ。

「タマエスト、なんていうか、貴女って時々とんでもないことをするよね?」

「ファ、ファリエルちゃん? な、なんで昔の口調に戻ってるの? あとなんで目が全然笑ってないの? こ、怖すぎるんだけどっ!!」

「いい、タマエスト。十二年前くらいにも説明したと思うけど、尻尾が分かれる前に完全な人化を可能になった子猫は、すぐにでも猫神族の三柱神、もしくはマスターか最寄りの魔法使いに連絡しろって言われたでしょ? なぜかっていうと、その子は紛れもなく天才だから。天才で、能力の扱い方も完璧となれば、あとは心構え次第でいくらでも変わる。今の彼女は素材よ。状況と心構え次第で白くも黒くもなるわ」

「そ、そりゃそうかもしれないけど……」

「じゃあなんでさっさと報告しないんだ? 私としても我慢の限界が……」

「でも……私、子供たちには戦ってほしくない」

 ………………。

 またこいつは、人の琴線に触れる事をさらっと言うのだ。

 それは正論だ。確かに、親の気持ちとしては正しい。

 正しいのだが……同時に間違ってもいる。

 私はゆっくりと溜息をついて、タマを見つめた。

「それでも、子供が心からそれを望んだとすれば、お前にそれを止める権利はない」

「ファリエルちゃん……」

「いつかは、子供も大人になる。一人でやるべきことを見つけなくてはならない日が絶対に来る。いつか……とは『いつ来るか分からない日』のことだ。百年後かもしれんし、明日かもしれん。お前の子供がそれを見つけて、誰よりも必死で、それこそ己の命を賭して、全ての生を費やしてやろうとするならば………お前にそれを止めることはできない」

 正否は関係ない。

 全てを費やしても報われないかもしれない。

 それでも……本当にやらなきゃならないことなら。

 自分を捨ててでも成さなければならないことがあるなら。

 それを止める権利は、誰にもない。

「とりあえず、子供は捜してやれる。しかし……その後はその子に決めさせる。そいつがどうしても猫神として戦いたいと言うのであれば、専用のアパートくらいは紹介してやれる。だが、私は説得しない。お前にもなにも言わせない。『戦う』と決意した時点で、自分の甘さを全て捨てるものと判断する。いいな?」

「……あんまり、納得はしたくないよ」

「気持ちは分かる。私も親だったからな。……なに、安心しろ。私が紹介するアパートには、世界で一番猫に精通した魔法使いがいる。そいつに任せれば安心だよ」

 私は、優しい言葉でタマに語りかける。

 しかし……タマは全く別のことを言った。

「ファリエルちゃん。もしかして、ブライオンさんに会った?」

「………………」

 私は、一瞬だけ言葉を失った。

 それから、少しだけ呆れた。

「……ばればれか?」

「うん、ばればれ。ファリエルちゃんって、本当に辛い時には空元気で誤魔化そうとするから。これでも一応、長い付き合いだからね」

「そっか……ばればれか」

 本当に、タマには敵わない。

 こいつは本当にいい奴で……いつでも私の友達だ。

 タマがいたから、私は今でもこうして生きられる。

 苦笑して、私は内心を吐露した。

「一緒に戦って分かった。あいつね、もうすぐ死ぬ」

「………うん」

「元々、無茶だったんだよ。世界に侵入する絶望を食い止められるのは、絶対的な力を持つ『龍』だけだ。どんな天才だろうが、どんな最強だろうが、私たちは猫だ。絶望を『龍』不在のまま食い止め続けることなんてできないんだ。できないことをやろうとすればどこかに無理が出る。……だから、あいつは死ぬ」

 限界の向こうは無限大ではない。限界の向こうはただの崩壊だ。

 限界を越え、制御を越えた力はただの暴走に過ぎず、暴走が過ぎれば後は壊れるだけ。『修練』とはつまり、限界の容量を増やしていくことに他ならない。

 私たち神族は、『精霊』の力を借りることによって擬似的に限界を突破しているけれど、世界の境界にいるあいつには『精霊』の加護も届かない。あいつは独力で、たった独りきりで、世界の崩壊を食い止めているのだ。

 そんなあいつは死ぬ。無茶をしたから死ぬ。

 自明のままに、なんら矛盾が生じない当たり前に。

 死ぬ。

「死んじゃうんだ、あいつ」

「………………」

「あいつは……どこまでも軽くてお人よしで、絶対に弱音なんて吐かなくて、甘ったれで意地っ張りで……それでも、優しかった」

 優しいだけで十分だった。

 甘いだけで十分だった。

 それだけでも、私は十分に救われた。

 孤独を癒してくれる優しさで、私は幸せを知った。

 本当の意味で私だけを愛してくれたのは兄だけだったけど、

 あいつは、色々なものを背負ったまま、私も背負うと言った。

「未練かな。うん、未練だ。私はあいつが死んでしまうのがものすごく悲しい。死んでほしくないと思ってる。でも……最後は笑顔で送らなくちゃいけない。あいつが守りきったものが、胸を張っていいものだと証明しなくちゃいけない」

「……今なら、間に合うんじゃない?」

「ん?」

「今なら、ブライオンさんは、死なずに済むんじゃない?」

 タマの言葉は、事実だった。

 確かに今なら間に合う。あいつの無茶を今なら止められる。止めてしまえば、あいつは元に戻れるかもしれない。もう戦うことはできなくなるかもしれないけれど、それでも日常生活を送る程度には回復するかもしれない。

 ……だが、それは。

「無理だ。世界を守るのは、あいつ自身が決めたことだから」

 それを止める権利は、誰にもない。

 決意の大小は関係ない。タマの四女が『戦う』と決めたことも、あいつが『世界を守る』と決めたことも、全ては同じ『決意』だ。

「だから私は……あいつを見送ることくらいしかできなかった」

 泣きついてしまえば、あいつはきっと折れるだろう。友人との約束よりも、世界なんかよりも、あいつは私を大切に想っているから。私が一言『やめてくれ』と言えばあいつはあっさりとやめるだろう。

 でも、そんなことはできない。それだけは、絶対にできない。

 そんなことをすれば、あいつはあいつでなくなってしまうから。

 だから私は苦笑する。どんなに胸が痛くても、笑って隠し通す。

 それくらいしかできないから。

 私の心中などお見通しなのか、タマは穏やかに微笑んでいた。

「……馬鹿だね、ファリエルちゃん」

「ああ。馬鹿だ。馬鹿は馬鹿に惚れるのさ」

「そうかもね」

 タマは嬉しそうに笑って、ゆっくりと頭を下げた。

「それじゃ、ファリエルちゃん。娘のこと、よろしくお願いします」

「ああ。話が一段落したら連絡する。安心しろ、少なくとも悪いようにはしないさ」

「うん、頼りにしてるよ」

 いつも通りに、タマはにっこりと笑った。

 つられて私も口許を緩める。

 悲しみは消えないけれど、ほんの少しだけ薄らいだのを感じた。



 客間に通して緑茶と手作りのクッキーとぶぶ漬けを出した。

「……山口ぃ。あんたって見舞いにきたお客にそういうことをすんの?」

「味噌汁の方がよかった? っていうかさ、ぶっちゃけちょっとどころじゃなくかなり眠いから帰ってほしいってのが本音なんだけど。風邪が移っても困るし」

「まぁまぁ、固いこと言いなさんなって。お部屋の拝見くらいはいいじゃん?」

 よくねぇよ、と言おうとしたが、なんとなく無駄という感じがした。

 というか、姫宮藤野という少女にはなにを言っても無駄という感じがした。

「分かった。見たらさっさと帰ってよ?」

「んー、考えておく」

 藤野はにやにやしながら緑茶を飲み干し、クッキーとぶぶ漬けを平らげた。

 とんでもない食欲だなぁと、文雄は思ったがなにも言わない。多分、朝早くパチンコ屋に並んでいい席を取った後、席を立つまでなにも食べていなかったのだろう。

(冬孤が作っていったおざんぱんでも食べるのかなぁ……)

 ぼんやりとした頭でものすごくひどいことを考えながら、文雄は自室に戻ることにした。席を立って、そこで体が一瞬ふらつく。

「ちょっと、あんた本当に大丈夫? なんかフラフラしてるけど」

「ん、まぁ前よりはマシかな。前は立てなかったから」

「普通は立てなくなるほど無茶しないもんよ。ほら、肩貸しなさい」

「……風邪、移るよ?」

「そんなこと、病人が気にすることじゃないわよ」

 抗議の言葉も聞かず、藤野は文雄の肩を支える。

 と、藤野はちょっとだけ意外そうな顔をした。

「ふーん、意外と鍛えてんのね?」

「一人目の師匠が世界最強だったもんでね、修練を欠かすと怒られるんだ」

「どこの漫画の話よ、それは」

 全部事実だよ、と言おうとしたが、面倒なので文雄はなにも言わなかった。

 とりあえず、柔らかい感触といい匂いをなるべく感じないように感情を制御し、ついでにいつもよりはるかに近い藤野の顔を見ないようにする。

 その様子を敏感に感じ取ったのか、藤野はにやりと笑った。

「欲情する?」

「しねーよ」

「ほう、つまりあんたはホ…むにゃむにゃかロリ…もしょもしょだと?」

「言っておくけど今の僕は極めて調子が悪い。冗談に付き合う余裕はないぞ。あと、語尾を誤魔化しても全然意味ないから」

「へいへい、まぁ、アンタの性癖は部屋を見れば一発なんだけどね」

 にやにやと笑いながら、藤野は案内された文雄の部屋のドアを開ける。

 そして、唖然とした。

「うっわ、なにこれ? つまんねー」

「……ほっとけ」

 部屋の中には本棚と机とパソコンのみ。本棚には様々な本が整然と並べられており、パソコンはいたって普通のデスクトップ型のパソコン。机には教科書類が綺麗に片付けられており、机の上にはノートと参考書。

 藤野は文雄をベッドに寝かせて、不機嫌そうに目を細めた。

「つーかさ、ホントになにこれ? 冗談抜きであんた男?」

「男だっつの。失礼なことを言うな」

「失礼じゃないわよ。だって、エロ本の一冊もない男の部屋って異常にも程度ってもんがあるくらいには異常だもん。やらしい話じゃなくて、性質的な問題として、男の部屋にエロいものが一つもないのはおかしい。おかしすぎる」

 なにやら、藤野は少し怒っているらしい。

 ぼーっとしながら、文雄はなんとなく笑っていた。

「ま、そういう男子もいるってことで」

「いーや、納得いかない。男ってのは子供の頃から女に興味持ってる生き物なのよ? 生まれながらに狼なのよ? それなのにアンタ、この部屋にエロいものが存在しないってのはそりゃおかしいわよ。と、いうわけで探索シーク開始」

「……探索はサーチだ。シークじゃない」

「う、うっさいっ! わざとよ、わざとっ!」

「………………」

 赤面しながらもガサゴソと部屋の中を探り始めた藤野にかなり気合の入った軽蔑の視線を向けたが、全てが無駄だと悟って、文雄は体を休めることにした。

 数分後、藤野はなにかを見つけたらしい。ニヤニヤと笑っていた。

「じゃーん、ベッドの下から見慣れない金庫発見っ! 大きさからして秘蔵シリーズでしょう? 裏モノ? 裏モノですか!? というわけでオープンッ!」

 鍵をかけておいたはずの金庫は、藤野のピッキング(鍵開け技術)によってあっさりと開いてしまった。どこでそんな技術を習得したのかなーなどと益体もないことを考えて、文雄はさらに頭痛が増してきたのを感じた。

 中から出てきたのは、ノートが数冊。

「……なにこれ?」

「美味しい甘味所チェックノート」

「甘党みたいなことしてんじゃねーっ! 紛らわしいっ!」

「や……甘党なんだけどね」

「くっそ、本棚ね? 本棚なんでしょう!? 国語辞書のカバーの中にビデオが2本入ってるんでしょ? 兄貴の手口だけどっ!!」

「……本棚には入れてないなぁ」

「ほう?」

 ギラリ、と藤野の目が輝く。

「には、ねぇ? ってことは、エロいものが『在る』ってことよね?」

「そりゃあるよ。っていうか、男の部屋にない方がおかしいって言ったのは姫宮だろ」

「なるほど……山口は動画派かぁ。ってことはこいつねっ!?」

 藤野が指差したのは、文雄が使っているパソコンだった。

「なーんだ、こいつにエロいのがいっぱい入ってるのね? そりゃそうか、パソコンなんて少年に持たせたらエロスに染まるのは目に見えてるもんね。さーてそれじゃあどんなお宝が入ってるのかとくと拝ませてもらおうかっ!」

 プチ、と電源を入れて、世界でいちばん有名なOSオペレーティングシステムが起動する。

 席に座ってカチカチとマウスを操作して、藤野は目を細めた。

「あのさぁ、なんか、なーんにも入ってないんだけど……」

「ゲストでログインしてれば当然だろ」

「なにそれ?」

「パソコンには権限ってもんがつけられるんだよ。同じパソコンに入ってるフォルダとかを、他のユーザに使われたくない時にそういう設定が……」

「わけ分かんないことゆーなっ!」

「ええっ!? なんでいきなりキレるのっ!?」

「あんたアレでしょ、あたしがパソコン苦手だからってそういう嫌がらせをするのねっ!? それとも、そんなにお宝画像を見せたくないと、そういうことなんでしょう!?」

「……普通に考えれば、見せたくはないよな」

「ええいっ! 四の五の言わないでさっさと操作方法を教えなさいっ! さもなくば『山口はホモサピエンス』って噂を流すわよっ!」

 ホモサピエンスじゃなかったらなんなんだろうか、と文雄は思ったがここでもなにも言わない。呆れたように肩をすくめただけだった。

「……とりあえず、僕のユーザ名とパスワードを入力して、ログインを……」

 仕方なくユーザ名とパスワードを教えると、藤野は鬼気迫る表情でパソコンの中身を漁り始めた。それを横目で見ながら、文雄はあくびをする。

(あーきつい。ちょっと寝るか)

 どうせないものは見つかりはしないのだ。

 目を閉じる。

 緩々と、文雄は深い眠りに引き込まれていった。



「ンとにマイペースね、あの男は……」

 適当なフォルダをクリックしながら、藤野は完全に寝入った文雄を横目に見る。

 その寝顔は、そこそこ可愛いと言えなくもない。

 が、可愛い系の男子は藤野の趣味ではないのであった。

「くっくっく、そのクールを装ってる化けの皮、今日こそ引っ剥がしてくれるわ。あいつとて普通の青少年、人並みの性欲くらいはあるでしょうよ。ゲッゲッゲッゲ」

 悪魔のように笑いながら、藤野は目的のものを探し回る。

 ……そして、三時間後。

「ふざけんなーっ!!」

 藤野は爆発した。

 椅子から降りて、完全に熟睡している文雄の胸倉を掴み上げる。

 その衝撃で、文雄は目を覚ました。

「……えーと、なんかあったの?」

「あの数々のトラップはどういうわけっ!? シ〇ィハンターに西〇記に蒼穹のファフ〇ーとかあったらそりゃ見るっちゅーねんっ! おまけにハ〇ーポッターに〇〇ルの動く城だとぅっ!? 三時間ほど見入ってしまったせいでエロ探しが全くはかどらなかったわっ!」

「まぁ、そんなこったろーと思ってたけど……」

 と、文雄がかなり呆れ、あからさまな動作で「ふぅ」と溜息をついた。

「それに、パソコンにはそういうの、入れてないしね」

「うわ、殺したい。殺していい?」

「はっはっは。それはこっちのセリフだぁ。それより、そろそろ昼飯時なのでさっさと出て行けコノ野郎。僕は今から昼食にするんだから」

「……山口の弁当って結構美味しいわよね?」

「……お粥しかないよ」

 なんかもう、ここまで来るとあきらめの境地である。

 文雄は溜息混じりに立ち上がり、下の階の台所に向かった。正直言って食欲などないに等しいのだが、男にはやらなければならないことがあるのだ。

 粥の入った手鍋を火にかけて、待つこと数分。暖まった梅粥をお椀に入れて、二人ぶんのスプーンを手に、テーブルへ。

「はい、お待ちどうさま。熱いから気をつけてね」

「ありがと。ん〜、梅がいい匂いよね。時々はこういう病人食もオツなもんねぇ」

「………そうだね」

「そんじゃ、いただきま〜す」

 藤野は気軽に、文雄は悲痛なる覚悟と共に、スプーンを口に運んだ。


 そして、二人の顔色は真っ青になった。


 藤野は無言でスプーンを置き、文雄は黙々と口に運ぶ。

「……ねぇ、山口。『ガリッ』ってしたんだけど、なんで?」

「梅干の種の欠片だろ。梅肉を使おうとして、使い方を間違ったんだ」

 器用に大きな梅干の種の欠片を取り除いて、文雄はさらに一口お粥を口に運ぶ。

「あとさ、なんか塩がめっちゃくちゃきついんだけど」

「加減を間違えたんだろ。珍しいことじゃない」

 小さな欠片は取り出すのを諦めて、そのまま口に運ぶ。

「なんか生臭いし」

「母さんが捨てるつもりだった『煮干の腹』で出汁を取ったんだよ。本人は多分工夫かなんかのつもりだったみたいだけど、かなり逆効果だね」

「実はものすげえ辛いし」

「鷹の爪だよ」

「……あのさ、一つ聞いていい?」

「ダメ」

 なにを聞かれるのかは分からなかったのだが、質問をされたら即座に返答できる自信があったが、そんな当たり前のことを聞かれても困る。

 文雄はまるで当たり前のように、ボリボリボリボリとお粥をしっかりと咀嚼して、最後の一口までしっかりと食べきった。

 藤野は、思い切り口許を引きつらせていた。

「あのさ、あんた梅粥に恨みでもあるの?」

「恨みはないよ。感謝はしてるけど」

「……あんたの母さんって確か、料理は得意なはずでしょ?」

「妹が最悪究極超絶に料理下手なんだよ。でも、作ってくれたからにはちゃんと食べないといけないだろ?」

「いや、こんな産業廃棄物は食べなくてもいいような気がするんだけど……」

「男には不可能だと分かっててもやらなきゃならない時がある」

「……そのセリフ、使いどころ間違ってる」

 それは文雄も重々承知しているが、この前のバレンタインの時、冬孤が手作りしたチョコレートを酷評したら『そうですか……』と言ったきり三日ほど塞ぎこんでしまったことを思い出すと、あまり迂闊なことはできない。

 他のことはそうでもないのだが、冬孤は料理のことに関しては打たれ弱い。それでも最近は多少はマシになってきているため、なんとか『飲み込むことは出来る』ようになった。

 まぁ、小さいながらも進歩と言えるのではないだろうか。

「そう、前よりはましになってるんだ。だから……その……食べた後にボディブローのように効いてくるのもご愛嬌ってやつで……けぷっ」

「そんなに無理して口に運ばなきゃいけないものは食品じゃないわよ。あーもう、ほら、さっきよりずっと顔色悪くなってるじゃないっ!」

「うげふっ……そ、そうかな? それはなんていうか、風邪を引いてるのにも関わらず、さっきから三時間程度しか寝れてないせいだとも言えなくもないような気がするんだけど?」

「そりゃあんたのせいよ。不眠不休もいい加減にしときなさい」

「いや、絶対に君のせいだから」

「ま、それはそれとして、ちょっと待ってなさい。今、風邪に効くもの作ってやるから」

 そう言って、藤野は止める間もなく台所に突貫していく。冷蔵庫だの、キッチンの下や調味料入れの箱など、あちこちを漁り始め、「ふむ、これは使えそうね」、「をを、なかなかいいもん使ってんじゃない」、「よしよし、材料は揃った。いいものが作れそうね」などと独り言を呟いている。

 不安どころか、死の恐怖が文雄の脳裏を横切る。今の内に救急車でも呼んでおこうかと思ったが、考えているうちに『調理』は終わったらしい。

「よっしゃ、完成。さぁ、私に感謝しながら食すがいい」

 テーブルに並べられたのは、でろでろになったお粥のような物体と、味噌汁のような物体と、酒の匂いのするマグカップだった。

 歪曲した表現を使わなければ、普通のお粥と味噌汁と甘ったるい匂いの酒である。

「……ちょっと予想外だったかもしれない」

「あによ? まさか生物兵器でも作ると思ってたの?」

「いや、普通に美味しそうな病人食だから」

「ま、これくらいは普通よ。なんたって、ウチの母さんって風邪引いてる子供のこと放っておいて競馬しに行く人だから、これくらいできないと生き残れなかったわよ。あっはっは」

 なにげに、へヴィな話を笑い飛ばされてしまった。

 文雄は口許を引きつらせながら、とりあえず手を合わせた。

「じゃ、いただきます」

「……あ、うん。どうぞどうぞ。あははっ!」

「?」

 なぜか藤野の挙動が少しおかしくなったが、頭が朦朧としかけていた文雄はそんなことに関わっている余裕はなくなっていた。スプーンを手に取って、お粥を口に運ぶ。お粥というより、ミルク煮といった感じではあった。材料はおそらく、マギーブイオン、塩、コショウ、そして残っていたご飯と牛乳。薄味ではあったが、先ほどの梅粥よりは食べやすかったし、お腹にもよさそうではあった。

 続いて、味噌汁らしきものを口に含む。口に含んだ瞬間に広がる葱の風味。どうやらシンプルなネギミソ湯らしい。作り方は至って簡単、大さじ一杯の葱のみじん切りとおろし生姜少々に熱湯を注ぐだけという簡単料理の代名詞のようなものである。味噌汁とは違って出汁の類を入れないので、全てが素材の味に頼りまくっているのだが、葱と生姜は、風邪の時にはかなりいいのである。

 そして、最後に文雄はマグカップに口をつけた。

「……玉子酒だね」

「まぁね。風邪の時にはやっぱそれっしょ」

「うん。美味しい。ありがとうな」

 素直に礼を言うと、藤野は少し顔を引きつらせた。

「……ねぇ、あんた本当に大丈夫?」

「ん……なんで?」

「いや、なんつーかさ、山口に礼を言われるなんて思ってもみなかったっていうか……そもそも、あんた私のこと嫌いでしょ?」

「嫌いだよ」

 文雄は、玉子酒をすすりながら、きっぱりと言った。

「そういう卑怯な言い方をするやつが、僕は一番嫌いだ」

「……なに、それ?」

「分からない? 『あんた私のこと嫌いでしょ?』なんて言われて、『うん、大嫌いだよ』なんて言える人間はそんなに多くないんだ。そういうことを逆手に取って『嫌いでしょ?』なんて聞くのは卑怯だ」

「悪かったわね、卑怯で」

「ああ、でも……僕よりは、ましかな」

「は?」

「まぁ、なんていうかね、僕は思ったよりひどい人間なんだこれが」

 断言しながら、文雄はぼそぼそと言った。

「わりと人の事を理解できて、理解して、八面六臂とまではいかないけど、八方美人程度の活躍なら地味にしてきたと思うよ。だから思うんだ。いつも思ってるんだ。僕は『頑張ってる』人間は好きだけど、『卑怯』な人間は嫌いなんだ。本当はもっとしっかりやれるくせに、本当はもっとちゃんとやれるくせに、さぼって愚痴吐いてるような人間が嫌いなんだ。本当は自分が一番さぼってるくせに、人になんかなにも言えないくせに、他人を平気で、簡単に、嫌えてしまうんだよ、僕は。そういう奴なんだ。人を愛することなんて知らない、そんな感覚なんて理解できない。僕は、そういう……」

「ちょ……山口?」

 呂律が回っていない。文雄の目は、どこか遠くを見ていた。

「知るかよ、ちくしょう……あのばか、なんでいっつも、ぼく…に」

 

 ガツッ!。


 マグカップが椅子から落ちて、奇跡的に割れることはなかった。

 が、そんなことはどうでもよかった。

「山口っ!?」

 床に突っ伏してぐったりとする文雄を抱き起こして、藤野は文雄の額に手を当てる。女性の体温は基本的に男よりも高いとされているが、それでも、普通では考えられないほどの熱だった。

「ちょ、馬鹿っ! なんでこんなになってるのよっ!」

「そんなにひどくないって。いつもこんなもんだよ……」

「ねぇ、山口。あんたちゃんと熱計った?」

「昨日の時点で………えっと、三十九度二分だった」

「私なんか無視してさっさと寝てなさいよっ! この馬鹿っ!」

 理不尽なことを怒鳴りながら、藤野は文雄の肩を担ぎ上げる。

「今からあんたの部屋まで運ぶわ。立てる? 歩ける?」

「一応、歩ける……かな」

 先ほどと同じような状態で、先ほどよりも多く藤野にもたれかかりながら、文雄は朦朧とする頭を抱えて歩いていた。

 女性らしいいい匂いと、柔らかな感覚。ちらりと横目で藤野を見ると、必死な形相で文雄の肩を抱え上げて歩いていた。

 自然な疑問が、口をついた。

「なぁ、姫宮」

「なによ?」

「お前、人を好きになったことってあるか?」

「当たり前でしょ。あたしは、いっつも誰かに惚れてるっつうのっ! 少なくともあんたじゃないけどねっ! あたしも、あんたのこと嫌いだからっ!」

「……ああ、そりゃ、知ってるよ」

 口許が緩み、文雄はゆっくりと目を閉じる。

「……姫宮って、優等生っぽい人間が嫌いだもんな」

「そういうあんたは卑怯な人間が嫌いなんでしょ? あたしなんてその代表格だっつうの。卑怯も卑怯、バイト先でカップ割ったの後輩のせいにしたりするしねっ!」

 そこでようやく階段を登りきって、藤野は文雄の部屋のドアを開ける。

 そして、叩きつけるように文雄をベッドに寝かせた。

「あー、しんどかった。男ってなんでこんなに重いのかしらね」

「……えっとね、女の子と子供を守るためだってさ」

「どこのヒーローよ、それは。とりあえず水枕持ってくるからしばらく待ってなさい。薬はどこ? 水も一緒に持ってくるから」

「……冷蔵庫の中」

 ぼんやりとした頭でなんとか薬の場所を口に出すと、藤野は疾風怒涛の勢いで部屋を飛び出した。数分経たずに部屋に戻って来た。

「はい、水枕。あと水。さっさと薬飲んで寝なさい」

「………ありがと」

「……礼なんていいわよ。当たり前のことだし」

 顔を少し赤らめる藤野を横目に見ながら、文雄は体を起こして薬を飲んだ。

 それから、枕を水枕と取り替えて、大人しくベッドに横になる。

「いろいろ、悪いね」

「だからいいってば。悪いのはどっちかっていうとあんたの具合が本気で悪い時に来た私の方なんだから」

「……一番最初に風邪って言ってなかったっけ?」

「悪いけど、信じてなかったのよ。あんたって馬鹿みたいに演技上手いし、てっきり私を追い返すためかと思った。それに、あんただって仮病使って学校サボるくらいよくやってるじゃない?」

「や、あれは原稿が本気でヤバい時限定でね……」

「おしゃべりはここまで。もういいからさっさと寝なさい」

「うい」

 適当に頷きながら、文雄は目を閉じる。

 緩々と、意識が闇に沈んでいくのを感じながら、文雄は言った。

「姫宮。とりあえず寝るけど、一つだけ訂正しておく」

「なによ?」

「僕は君のことが嫌いだけど、それは単純に君のことが羨ましいからだ。自然体で、構えることなく人と接することができる、『姫宮藤野』っていう女の子が羨ましくてたまらないからだ。それだけは、言っておく」

「へ?」

「ついでに言っておくと、僕は酒に極端に弱い。別に熱で倒れたわけじゃないから、そんなに心配しなくてもいいよ。じゃ、お休み」

 一方的に言い放って、文雄は布団を被った。

 もう声は聞こえない。急速に文雄は意識を失っていった。



 幕間。

  

 迷子になってしまったので、道案内を頼んだ。

 その黒いおにいさんは親切な人で、私の好きな人にちょっと似ていた。

 ただ、ちょっと軽薄だなぁとも、思った。

「こっから真っ直ぐ歩けば、お嬢ちゃんの目指す家だ」

「ありがとう……」

「礼なんかいい。当たり前のことをしただけだしな」

 おにいさんは退屈そうに欠伸をして、私を見つめた。

「なんつーかさ、やめといたほうがいいぜ?」

「………?」

「ああいう手合いはよ、本格的に人より欠落してる部分が多すぎる人間なんだよ。恋愛小説の類には絶対に出て来れないような、人を好きになれない人間なんだ」

「……好きに、なれない?」

「ま、性質の問題だろうがな。そういう奴もいるってこった」

 おにいさんは、そう言ってなんだか寂しそうに笑った。

 私にはよく分からない話だったと思う。

「……おにいさんは、好きな人、いないの?」

「昔はいた。今はいない。寄って来る女もつまんねーのばっかりでな、俺が昔に好きになった女ほど面白かった奴は、今ンとこいねぇな。愛してる女はたくさんいるけどな、好きな女はいない」

 なんか、最低なことばを、聞いた気がした。

「おにーさん、サイテイ?」

「最低も最低。世界で二番目くらいの女垂らしだからなー」

 ケラケラと笑って、おにいさんは私の頭を撫でた。

「お嬢ちゃんもあと十年くらいしたらオレの所に来い。歓迎するぜ? 合言葉はヒダリテハソエルダケだ。それを地球のへそに住んでるフクロウに」

「……や」

「よーし、それでいい。お嬢ちゃんはいい女になるぞ」

 私が即決で首を振ると、満足そうに笑っておにいさんは背を向けた。

 でも、ちょっとだけ、寂しそうだった。

「じゃーな、お嬢ちゃん。勝ち目は薄いが負けずに頑張れ。一発逆転はどの瞬間にも残されてる。最前線で戦えば、いずれ勝ち目も見えてくるさ」

「………うん、がんばる」

 私がそう言うと、おにいさんは、少しだけ振り向いた。

 わらってるみたいだった。

「少なくとも、オレみたいな奴には『ナレハテ』るんじゃねーぞ」

 返事をすることはできなかった。

 少しだけ風が吹いて、私は目を閉じてしまったから。

 目を開けたとき、そこには、おにいさんはいなかった。

  


 男は遠くから、目の前の人物がいきなり消えて困惑する少女を見つめていた。

 満足そうに、嬉しそうに、それでいて羨ましそうに。

「しっかし、我が愛しの彼女の頼みとはいえ、半人前を叩きのめして絶望だか憎悪の黒幕を聞きだせってさ、なーんか気が進まねぇよなー。面倒くさいっつーかさ、とにかくつまんねぇつーのか、ぶっちゃけ退屈。そう思わんか? 半分少女」

「確かに思いますね。特に、弱い存在を完膚なきまでにぶちのめす時には」

 男の背中には、黒刀が当てられていた。

 黒刀の持ち主は、銀色の髪と紫炎の瞳を持つ少女。

「それで、私に何の用ですか? 昨日からずっと、私のことを追跡していたみたいですけど? 新手のストーカーですか?」

「はっはっは、ばれてたか。まぁ、ばらしてたんだから当然だけどな」

 少女が少し力を込めれば男は死ぬ。しかし、その状況にあっても、男は軽薄に笑うだけだった。

「こういう熱烈な歓迎は嫌いじゃないけど、オレがの好みはどっちかって言うと白い方でね。黒も嫌いじゃないんだが、白の方が好きだな、やっぱ」

「へぇ、年上好みなんですか?」

「いやいや、可愛ければ年上年下関係ないさ。ただ、ちっと色気は足らんな」

「……なら、単純に顔の問題ですか?」

「んにゃ、下着の問題」

「……最低ですね」

「はは、そりゃそうだ」

 にやりと男の口許が緩む。

 その手にはいつの間にか、黒塗りの短刀が握られていた。

「やれやれ、しっかし……最近の若者は一年戦争時代のガンダ〇でストライクフリーダ〇に挑もうってんだから、無謀もいいところだよなぁ。剣呑剣呑」

「意味が分かりませんけど?」

「はっはっは、そりゃ勉強不足だよ、お嬢さん。つまり、君がガンダ〇で俺がストライクフリーダ〇だ。分かりにくければアレだ、大奥で例えると正室であっても後継ぎを産んだ側室には勝てないってことだよ。分かるな?」

「さっぱり分かりません。貴方、阿呆ですか?」

「ちっ、これだから処女はいかんな。ちゃんとテレビも見ないと頭悪くするぞ? あ、もう手遅れか。悪い悪い」

「……死になさい。セクハラ男」

 黒衣の少女は、男に向かって躊躇なく刀を突き出した。

 男は、それをあっさりとかわした。

 一歩横にずれるくらいの、軽い動作。背中を貫くはずだった刀は、男の脇を通り過ぎた。

「おうおう速いねェ、おじょーさん。ひょっとして人類最速?」

 男は、笑っていた。常人よりもほんの少し早いだけの動作で振り向き、拳を握り締める。

 しかし、黒衣の少女にとってはそれは簡単に覆せる速度差。男が振り向く間に背中に回りこむことなど容易だった。

 が、

「悪いね。背中に回りこむことくらい、おにーさんはお見通しだよ」

 刀が、少女の手から落ちる。

 男の後ろ回し蹴りが、少女の腹に食い込んでいた。

 いや、正確には、男の後ろ回し蹴りに、少女が突っ込んでいった形になる。

「車は急に止まれないってことさ。急加速に急旋回に急停止。速度が速ければ速いほど不利になる。慣性の法則に等速直線運動、高校や車学で習うだろ? あ、高校一年生は車学には行けないか」

「………ぐっ」

 少女は、腹を押さえながら男を見据える。立ち上がろうと手足に力を込める。

 が、

「やめときな。速度と剣舞だけじゃオレには勝てねぇよ」

 男は、笑ったままだった。

「警告。これ以上つまんねぇことやらかしたら、容赦なく攻撃すんぞ。はっきり言ってセクハラじゃすまなくなるからやめておけ。それと、バストアップブラはちゃんと着用しないと肌に悪いぞ、気をつけよう。おにーさんからの忠告だ」

「……えっと。そこまで胸ないってわけじゃないんですけど」

「おっと、こりゃ失礼。おにーさんの早とちりだったみてーだな」

 ケラケラと笑って、男は黒塗りの短刀を鞘に収めた。

 その動作はとても自然で、いかにも『慣れて』いた。

「でも、初手で背中に回りこむなんて、今時単純すぎて誰もやらねーぞ?」

「……もうやりませんよ」

 憮然としながら、少女は立ち上がる。

 すでにその言葉を誰かから聞いたかのような不機嫌さだった。

 男は、相変わらずニヤニヤと笑っていた。

「しっかしなんつーか不審人物をいきなり殺そうだなんて肝が据わってるねぇ。オレみたいな色男を殺しちゃうと、後々大変だぜ?」

「貴方みたいなストーカー兼ロクデナシを抹殺したところで、私の心は痛みません」

「ストーカーはともかく、ロクデナシはあの少年も一緒だと思うがね」

「……文雄君はロクデナシじゃありません」

「ロクデナシだろ、ありゃ」

 退屈そうに欠伸をしながら、男は苦笑する。

「あいつには、『好きになれる人間』なんて誰一人存在しねーよ。俺と同じだ」

「そんなことはありません。文雄君にだって、きっと好きな人はいますっ!」

「そうかねぇ……オレには、あいつが大事なものを大事にしすぎて、周りが見えてないように見える。今のままならまだいいが、このままだとあいつ自滅するぜ。……となると、やり口は少々えげつないが、あざとくやるしかないな。本音を出さなきゃならなくなるくらいに追い詰めなきゃならん」

 それは、断言だった。

 まるで少女が知っている彼のような、そんな達観した態度。

 赤の他人なのに、まるで少女が知っている彼を知り尽くした態度。

 思わず、終末の黒姫は問いかけていた。

「……貴方、なんなの?」

「ただの男さ。馬鹿で阿呆でどうしようもない、そんな男だ」

 男はにやにやと笑いながら、きっぱりと断言した。

「よし、協力してやるよ。おじょーちゃん」

「はぁ?」

「そうだな、試練ってのは困難な方がいい。楽しく辛く、残虐にやろうぜ?」

 少女は、そこでようやく気づいた。

 黒塗りの短刀。

 シニカルな笑い。

 拭い取れない血の匂い。

 其れは、決して名の知られた存在ではない。

 なぜなら、彼を戦場で見たモノは有形無形問わず必ず死ぬからだ。

 それは普通に生まれて、どうしようもないほど壊された存在。

 大切なモノを守るために、どうしようもないほど自分を壊した存在。

 だからこそ、世界でも類を見ないほど、彼はそれだけに特化した。

 ゆえに……彼を知る数少ないモノは彼をこう呼ぶ。

 

 夢幻惨殺。 

と、いうわけで愛の試練直前のインターミッションです。お次も多分ギャグパートだと思うので、適度な期待をしておいてください。

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