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猫日記  作者: 田山歴史
15/24

第拾五話 猫と正義の証明者

今回は、根性魂必中熱血(別名、努力友情勝利)形式となっております。暑苦しいのが苦手な方は『正義は勝つ』というフレーズを胸に、読むのをお控えください。

 やらねばならぬ、ことがある。



 終末の少女を見送って、少年は一人屋上で夜空を見上げていた。

 ぼーっと、一人で夜空を見上げていた。

「僕が本当に好きな人……か」

 親愛とか、友情とか、そういう意味ではない。

 男として山口文雄が愛している女性は誰なのか、という意味だ。

「……甘ったるいね、星野。みつやのスイートポテトより甘いよ」

 文雄は苦笑しながら、ポケットから煙草を取り出した。

 慣れた手つきで火を点けて、口にくわえる。

「例えば、だ。心の底から他人をぶち壊したい女の子と、心の底から他人を愛すことができない男の子が出会ったとしよう。女の子はつまり終末で、男の子はつまり疑心だ。女の子はその破壊衝動を理解せずに、男の子はその疑心をあらゆる意味で理解していた。それでも……全く逆だったけれど、受けた傷と、背負ったハンデは同じだった」

 誰に語るでもなく、文雄は空を見上げ続ける。

「男の子は女の子を完璧に理解する。そして、世界にも『面白いこと』があることを確信させた。女の子は男の子を絶対に理解できない。そして、世界にも『壊すことができないもの』があることを確信させた。そして……男の子は優しくなって、女の子は終末にまっしぐらになった」

 紫煙を吐き出し、コツコツと眼鏡のフレームを叩いて、文雄は欠伸をした。

「本当に、君は難儀な性格してるよな……星野」

 だからこそ、やらなければならないことがある。

 この世界にいるうちに、絶対にやらなくてはならないことがある。

 それはきっとつまらないこと。やってもやらなくてもきっと同じこと。

 それでも……文雄にとっては大事なこと。

「やれやれ……面倒だなぁ」

 煙草を携帯灰皿に突っ込んで、文雄は口許を緩めていた。



 宇宙船の外に出ると、そこは星々が輝く夜空のようだった。

 雲などあるわけもなく、大気が星の光を歪めることもない。

 私はゆっくりと息を吐いて、目を閉じた。

「やれやれ、太陽光線は肌の大敵だというのに」

「………おばさんくさっ」

 ツッコミをありがとうとばかりに、私はコリスの顔面に裏拳を打ち込む。

「ふごぉっ!?」

「うわ……鼻先にモロかよ。きっつぅ」

 シロウが呆れ顔でこちらを見ているが、無視しておく。

 目を開けて、ゆっくりと息を吸って、目の前の敵を見据えた。

「しかしまぁ……増えたな。ちょっと数が多すぎる気がしないでもない」

 まるで虫のようなフォルム。音が聞こえていたら『ギチギチ』とか『ザザザザ』みたいな音が聞こえているだろう。それぞれ微妙に形状は異なるが、それらは全て例外なく漆黒であった。

 その黒い絶望が増殖を続けていた。すでに星を埋め尽くしたそいつらは、増殖を続ける己自身を踏み台にし、星を抜けて、宇宙に出ていた。あと少し放っておけば、そいつらはまるで塔のようになった己自身の躯を踏み越えて、他の星々へと飛び立っていっただろう。

 星を埋め尽くす絶望の軍勢が、星を越えようとしていた。

 それらの敵を見据え、青のペンギンはにやりと笑う。

「なに、大したことはない。あんなもの、ようは『でっかいゴキブリ』だろう」

「………マスター、それはぶっちゃけ戦意が萎えます」

「ゴキはね……森にも出るけどね。黒光りするものは苦手」

「細菌の温床だからなァ。苦手だ」

 ククロの意見に、全員が賛同の意志を見せた。

 当然、私も例外なく。

「マスター。次にアレの名前を出したら、私は帰る」

「……まぁ、あれだ。今の発言はなかった方向で」

 敵よりなにより味方が怖いペンギンは、あっさりと前言を撤回した。

 ちなみに、一番怖いのは娘の小言である。

 親ばかペンギンは、その翼に伝説のハンマーを持ち、高らかに宣言した。

「ではこれより、作戦を開始するっ! 勝利条件は敵の殲滅っ! 敗北条件は敵の不殲滅っ! 全ての敵の抹消を持って、作戦の終了とするっ! いいなっ!?」

「無論だ」

「了解」

「はいはーい♪」

「へいへい、頑張りますよっと」

 後になるにつれ、返事が軽いものになっていく。

 ……これだから最近の若者は信用ならんというのだ。

 そんなことはおかまいなしに、ペンギンは叫ぶ。

「では……我に続けぇっ! 全てを守る事を決意した馬鹿者たちよっ!」

『応っ!』

 そして、我らは五つの流星となり、黒い星となった火星へと、

 突入を開始した。



「せやあああああああああああああああっ!」

 ペンギンの振るうハンマーが、敵の先陣を打ち砕く。瀑布のごとく押し寄せる敵の半数が消失するが、無論、そんなもので止まってくれるような敵ではない。

 だが、ほんの少し敵を押し留めるには、十分。

「行けっ、ファリエルっ! コリスっ! さっさと行って親玉をぶちのめしてこいっ!」

「お前も気をつけろよ、親ばかっ!」

「ぎっくり腰には注意してねーっ!」

「………………」

 励ます気があるのかないのか(たぶんない)、ファリエルとコリスは敵の隙間をかいくぐり、あっという間に見えなくなった。

 そして、一瞬だけ止まった敵は再び数を増し、残った三人へと襲い掛かる。

 ペンギンは再びハンマーを振るって、敵を吹き飛ばす。

 しかし、敵の数は無尽蔵。億の敵を吹き飛ばそうとも、兆吹き飛ばしきれるわけもなく、絶望の蟲はペンギンの攻撃をかいくぐり、彼に殺到する。

 が、

「マスター、前衛がそんなに突出しちゃ駄目だって」

 全ての蟲が、シロウの指の一振りでその動きを止めた。

「相手は津波のごとき敵だぜ? 一振りでいくら砕いても飛沫は止まらない。俺達の背後に敵を通しちゃいけないんだからよ、もっとやり方を変えなきゃな」

 蟲達の動きを止めていたのは、無数の光輝く茨だった。

 そして、音もなく茨は蟲を締めつけ、八つ裂きにした。

 古来より、爪と牙を持たぬ生き物は、兎だけであった。彼らはその聴力と俊敏さを武器に他の生物と渡り合ってきたが、何年進化しても爪と牙をもたぬ彼らを見かねた植物たちは、彼らを助けることにした。

 爪と牙を持たぬ生き物だけが、茨の恩恵を受けられる。爪と牙を持つ生き物は茨に止められ、決して前に進むことはできなくなるという。

 シロウはにやりと不敵に笑った。

「津波だったら止まらない。なら、固めちまえばいい。水を砕くのは容易じゃないが、氷を砕くなら容易だろう?」

「……確かにな。若造のくせに説得力があるじゃないか?」

「この若さで兎神族の二十柱内に入るのにも、なかなか苦労があってね。それに………あちこちに女がいるんでね。俺が死ぬとそいつらが泣いちまうよ」

「そういうことに……しておこうっ!!」

 茨に絡め取られた蟲を、マスターの一撃が粉砕する。先ほどのような闇雲な振るい方ではなく、的確に相手の戦力を削いでいく。

 死地の中でペンギンは笑う。

「しかしまだまだ甘いな、白い兎よっ! 惚れた女を守るのならば、きっちり口に出して、宣言して戦うがよいっ! その方が気合が入るぞっ!」

「けっ、ロートルが。考え方が古いんだよ。それに、ンな女いるかよ……」

「ほう? この前、イナバ姫にお前のことを惚気られたのだがその辺りはどう説明してくれるのかな!?」

「ぶっ!?」

 あっさりと、若者特有の落ち着きのなさで、シロウは動揺する。

 当然のことながら、その一瞬の間隙をついて、蟲たちがシロウの茨の網をかいくぐって突破を図る。

「あ、やべ……」

 千にも届く蟲の群れ。全体としては一%に見たぬそれらは、マスターとシロウを突破する。

 が、そこで最後の守り手に打ち砕かれた。

 黒き影は蟲たちの中に殺到し、その牙と爪で全てを打ち砕く。

「二人とも油断しすぎだ。ここで俺たちが抜かれれば、後ろには誰もいないのを忘れるな。ここは最前線ではないかもしれぬが、それでも死守しなくてはならん」

 その影……黒犬ククロは、二人を見据えてきっぱりと断言した。

「惚れた女に約束したのだ。絶対に生きて帰ると」

「………ほう?」

「………ふぅん?」

 マスターとシロウは、同時ににやりと笑う。

「まぁ……頑張れ。確かにあの女はいい女だ。仕事も覚えるのが早いし、なにより優秀だ。少々素直じゃない所と、古風な趣味なのが欠点だが」

「やたら詳しいですね、マスター」

「ファリエルは昔、夫婦そろって『断界号』で働いていた。付き合いは長いさ」

「………ほう」

 ククロとしてはかなり気になる話だったのだが、今は戦闘中である。さすがに聞くのはやめておいた。

 と、不意にシロウに頭を叩かれる。もちろん顔は半笑いだ。

「ククロがねぇ。あのククロがねぇ? ……もしかして、フェロモンにやられた?」

「誰がそんなものにやられるかっ!」

「ほほう、じゃあなににやられたんですか? 犬神族の……十二神柱でも最も鼻の利く犬神族のククロ君? あ、でもファリエルは俺も狙ってるからナ。もしも奪い合いになるんだったら全力戦闘になるぞ?」

「やかましいっ! 今はそれどころじゃないだろうがっ!」

 二人を抜いた蟲を食いちぎりながら、ククロは吼える。

 その咆哮に応えるかのように、蟲の一群が吹き飛び、四散する。

 頼もしい援護に、二人はにやりと楽しそうに笑った。

「ならば背中は任せたぞ、犬神ククロッ!」

「前衛は俺たちに任せときな」

 再び展開する茨の網に捕らわれていく蟲の群れ。その網は先程より範囲が広く、数が少ない。当然、網のない場所を抜けてくる蟲が多くなる。

 ククロはそれらを確実に仕留めていく。

 最悪であるはずの戦況。

 絶望的であるはずの数。

 本来なら誰もが震え上がる戦場において、犬と兎とペンギンの三神は、億を越える敵を退けながら、戦況をひっくり返すチャンスを待ち続けていた。



 本来、狐は猫に近い動物である。

 イヌ科ではあるが、基本的には群れず一人で狩りを行う。群れるのは子を育てる時のみで、夫婦共同で巣穴を作り、そこで子育てを行う。巣穴の位置は決して一定せず、時々引越しを行うことによって敵の目を欺いた。

 だからこそ、狐は狡猾とされる。その知恵と狩りにおける俊敏さ。そして『子供を両親で育てる』というシステムの効率さを、狐は理解しているのだ。

「本当に面倒だったらありゃしないっ! あとでなんか奢ってよね、おばさんっ!」

 敵が猫と狐を取り囲む包囲網を縮めていくが、狐は一瞬で包囲の一番ゆるい所を突破する。蟲の残骸が飛び散り、その体液が体についた狐は顔をしかめる。

「うわ、あとで毛の手入れが大変そう……」

「ごちゃごちゃうるさいぞ、コリス」

「愚痴の一つも言いたくなるわよ。ちょっと惚れた男の所に遊びに行ったらいきなりこんなことになるんだもん。あーあ、こんなことなら今日は一日ダラダラしてればよかったなー、人間に化けてショッピングしたりね」

 などと言いながら、コリスは最も効率的なルートで、最も警戒が薄い場所を突破していく。狐特有の危険感知というべきか、『敵の突破』ということにかけてはコリス=アセンストに敵う存在はそういない。

「それにねー、なーんか気が進まないのよね、今回の任務」

「……どういうことだ?」

「助けるのはさ、神族に関わる人間だけでいいんじゃないの?」

 それは、『見知らぬ他人は見捨てろ』、という考えだった。

 ファリエルは目を細めて、コリスを睨みつける。

「お前……」

「そんな目で見ないでよね、おばさん。あたしだってこれがものすごく性悪だってことは分かってるわよ。でもさ、自分の目に映らない遠くの誰かが死んだって、少しだけ心が痛む程度で済んじゃうでしょ? それと同じよ。あたしは人間が死んだってなんとも思わないし、どうってことない」

 少しだけふて腐れた表情を浮かべて、コリスはポツリと言った。

「それに、あたし人間嫌いだから。小さい頃、巣穴にダイナマイト放り込まれたし」

「………………」

 かつて、人間と犬は執拗に狐やコヨーテ、狼を追い詰めた。

 家畜に害を及ぼす。そんな単純な理由だった。人は犬を狩って狐を追い詰めて、見つけ次第皆殺しにした。それは双方にとって生き残りをかけた戦いではあったのだが、勝つのは大抵人間だった。銃を手に、犬の鼻で追跡する人間をかわす手段はほとんどなく、彼らは肉や毛皮に姿を変えることになった。

 これを残酷なことだとは、人間には言えない。言ってはならない。

 古来より、人間はそうやって生きてきたのだから。

 コリスは、怨みがましい表情を浮かべて、きっぱりと言った。

「だから、人間が絶望に殺されたって別にかまわない。あたしは、あたしが好きな誰かを守れるだけで十分。それ以上は求めない」

「……なら、ここでやめるか?」

 ファリエルの言葉に、コリスは苦笑した。

「……って、そうもいかないのが悲しい所よね。ここでこいつらが地球に行っちゃうと、あたしの好きな誰かが殺されちゃうし。………ま、正直今のはただの愚痴。こんなきっつい包囲網の中でおばさんを無傷で火星まで届けろって無茶を言われた可愛い狐さんの、可愛らしい愚痴よ。できるだけ、ちゃっちゃと忘れてね?」

「無茶を言うな……。あとおばさんはやめろ。私はまだ若い」

「………それが大問題なんだけどね」

「なにか言ったか?」

「なんでもない。それじゃあ……飛ばすよ、ファリエルさんっ!」

 狐は、赤い閃光となって敵陣を次々と突破していく。

 しかし……いくら隙を突こうとも、いくら的確に包囲を突破しようとも、絶対的な数までは覆らない。次第に囲まれ、押し包まれて、二人は窮地に立たされる。

 だが、そんな中でも赤い狐は笑っていた。

「はは、流石にちょっとしんどくなってきたわ」

「………そろそろ限界か?」

「まだまだ行ける…と言いたいところだけで、ぶっちゃけ限界」

 体力も限界で体は血塗れ。コリスの言葉に強がりや余裕は一切感じられない。

「やれやれ……それじゃあ、この辺でいいか」

 ファリエルは口許を緩めて、狐の赤い光から離脱する。

 そして、

「一の舞、『音遠』(ねおん)」

 光が、舞った。

 ファリエルの体が光り輝く。瞬きの刹那で彼女たちを包囲していた蟲たちが一瞬で千切れ飛び、容赦なき破壊と理不尽な死が撒き散らされた。

 コリスは、あまりのことに唖然とする。

「ちょ……ちょっと、なによ。今の……」

「十二の舞で最速の『音遠』だ。一時的に体を光霊化してな、光速を越えて相手を切り刻む。視認できるのは舞を踊っている本人か魔法使いだけという、なんというか『舞』としては存在する価値のなさそうな舞踏で……」

「そういうことができるんだったら最初からやっときなさいよっ!!」

「と、言われてもな……この技には致命的な欠陥があって、やたらと疲れるんだ」

 いくら舞踏神といえど、この数を相手にまともには立ち向かえない。

 全てを滅ぼすことはできるが、それをすると親玉を倒すことができなくなる。そうなれば……あとはこちらが倒れるのみ。

 だが、コリスは腑に落ちないものを感じていた。

「戦略的には正解だと思うんだけど……なんかむかつくわ」

「意味が分からないが?」

「女として敗北を認めそうで嫌だってのよ。ったく……」

 コリスは「はぁ」とあからさまなため息をついて、ファリエルに背を向けた。

「じゃ、後は自力でやってね。あたしはククロの援護に向かうから」

「ああ。とりあえず、あの男が死なないように見張ってやってくれ。どうも……男というのは見栄を張ろうとして無茶をする傾向があるのでな」

「……りょーかい」

 コリスは背を向けたまま返事を返し、一歩を踏み出す。

 と、不意に彼女は一瞬だけ足を止めた。

「……あのさ」

「む?」

「あんたのことを悪く言ったのは謝罪しないけど、あんたの旦那さんのことを悪く行ったのは謝罪する。ごめん」

「………どういう心境の変化だ?」

「別に、なんとなく。……じゃ、また後で」

 コリスはそれだけを言い残し、行きとは倍の速さで戦場から離脱していった。

 その背中を見送って、ファリエルは口許を緩める。

「ああ。……また後でな。戦友」

 言葉はそれだけでいい。

 ファリエルはゆっくりと息を吸って、眼下にある星を見つめる。

 その星の名は、太陽系第四惑星、火星。

 真紅の星に向かって、ファリエルは真っ直ぐに落ちていった。



 ふわりと着地すると、紅い砂塵が舞った。乾いた風が頬を撫でる感触は、少しながら戦いの昂ぶりを抑えてくれるようだった。

 ただ、この火星という星に来る度に思う。

 服が汚れる。

 風が乾いているので肌に悪い。

 おぞん層がないので肌に悪い。

 正直……絶対に来たくない星であった。

「やれやれ……ここに来るのも久しぶり、か。それにしても誘いにしてはいささか露骨すぎるような気がしないでもない。まぁ、それはそれで一興か」

 黒一色の星の中の、小さな赤点。

 あからさまに『ここに親玉』がいますよと主張していた。

 そして、私は今や火星で唯一の赤い点に、立っていた。

「蟲どももここまでは寄って来ないみたいだし……ゆっくり話がしたいということでいいのかな? ………終末の舞姫よ」

「あら、こちらの思惑は伝わっていたみたいですね。原初の舞姫」

 そいつは、私の前に立っていた。

 紫の瞳に、銀の髪。ほっそりとした顔立ちは一見して超絶美少女。これから成長するであろう肢体を黒い衣で包んでいる。その衣の名は『鬼装』。私の『舞装』が始まりの舞踏装束ならば、奴の『鬼装』は終わりの舞踏装束だ。

 話には聞いていた。『鬼装』を受け継いだ人間の天才がいると。そして……その人間は才能だけでロクな努力もせずにのし上がった大馬鹿だと。

 ……私とは逆なのだと。

 どんなものにでもある裏と表。私と奴は、そういう関係だった。

 私は溜息をつきながらその女に問いただす。

「それで、なんでこんなことをやらかした? 今なら拳骨と両親に知らせるくらいで済ませてやるから、さっさと白状するといい。さぁ、吐け」

「万引きでとっ捕まった中学生ですか、私は」

 その少女は、少しばかり呆れているようだった。

「うーん……どうも舞姫さんは状況が分かっていないようですね。私の指先一つで、この星を覆っている蟲さんたちが貴女に襲いかかるんですよ?」

「言っておくが、その全てを切り伏せる自負はあるつもりだ。ここにいる蟲全てを斬り捨てて、お前に負けぬ自信もな」

「あらら、脅しは無効ですか。んーと……それじゃあ、自己紹介から」

 黒の少女は、にっこりと笑って、うやうやしく礼をした。

「私の名前は星野海。見ての通り、絶望と混沌を引き連れてここまでやってきた終末の舞姫です。文雄君とは親友です」

「………またあいつか」

 文雄のやつ……女運の悪さは天下一品だな。

 無論、私は除くが。

「それで、なんでこんなことをしでかした? 終末の本来の使い方は、既に終わっていることを延々と継続している馬鹿を『諦めさせる』のが仕事だろう? はっきり言って、こんな直接的な危機は終末ではない。ただの絶望だ」

「まぁ、たまにはいいじゃありませんか」

「よくない。私の豊かな縁側ライフが邪魔されるのは非常によろしくない」

「ふふ、流石は文雄君の見込んだ女性です。実に面白いですね」

 くすくすと、少女は愉快そうに笑う。

 私は……不愉快だった。

「それで、なんでこんなことをやらかしたんだ? ちなみに、これが最後通牒ってことになるからな」

「もしも白状しなかったらどうなります?」

「お前の大好きな文雄君とやらが傷物になるかもしれんなぁ……」

「…………鬼ですか、あなた」

 さすがの終末の女も口許を思い切り引きつらせた。

 そして、肩をすくめて面倒そうに言う。

「正義の証明、ですね」

「は?」

「だから、正義の証明をしてみようと思ったんです。理由なんてそれだけですよ」

 そーか。正義か。正義の証明か。

 そんな下らないことで、こんな大軍を呼び寄せて、みんなに迷惑をかけまくったというわけだ。

 はっはっはっは……。

「よーし、そこを動くなよ小娘。今すぐその済ました顔に夜神さん宅の息子が馬鹿女にぶちかましたかった必殺の大ぱんち(ですのーと参照)をお見舞いしてやる」

「あらあら、そんなに尖った拳で顔を殴られたら原型も残りませんよ?」

「はっはっは、それが狙いに決まっているだろう」

「あらあら」


 刹那。


「もっとも、当てることなんてできないでしょうけど」

 背後に気配。頭で考える間もなく、私は地面を転がる。砂が体を擦って洒落にならないほど痛かったが、ぎりぎりで回避することができたらしい。さっきまで私がいた空間を、剣の切っ先が通過していくのが転がりながら視認できた。

 慌てて身を起こし、天輪剣を抜き放つ。

「なるほど、舐めてかかれる相手ではなさそうだな」

「そうですね。お互い、手を抜いてかかれる相手ではないことは明白です」

 少女の手には、黒い刀身の突剣レイピアが握られている。

 それは………見覚えのある剣。見たことがある剣。

 あいつの持っていた剣でもある。

 少女は剣を突き出したまま、楽しそうに語る。

「懐かしいですか? この『鬼装』がまだ鎧だった頃……前任者の猫に着用されていた時にも、武器の『地昇剣』は突剣だったらしいですね?」

 私たちが身につけている武装は、舞踏者によってその姿を変える。私の『舞装』は白い舞服で、『天輪剣』は双剣。あいつ『鬼装』は黒いドレスに似た服で、『地昇剣』は突剣となっている。私の場合はこれに自分なりのアレンジを加えて、五つの『武鈴』を装着している。

「まぁ、これは本来の私の武器じゃありませんけどね。前任者の使用履歴から、武器のデータを引っ張り出して、無理矢理武器の姿を変えているだけのことです」

「………………」

 確かに、私たちの武装に元々定まった形はない。武装が私たちに合わせてくれるのだから、変える必要もない。

 私にとって、この武装は誇りそのものなのだ。

 多分、あいつにとってもそうだっただろう。

 少女は……相変わらず楽しそうに笑っていた。

「たぶん、貴女が思い描いている男性よりも私の方が上手に使えますよ。もちろん、私本来の武器なら言うに及ばず、です」

「………なにが言いたい?」

 そして、少女は、


「手加減してやるから、全力でも何でもさっさと出しなさい」


 そこで初めて、嫌悪を表に出した。

「はっきり言って、貴女がここに来たこと自体が不愉快です。予定では魔法使いさんがここに来てくれるはずだったのに、なんで貴女のような弱っちい『猫』ごときの相手をしなくてはならないんですか? 強くなきゃ正義なんて名乗っちゃいけないのに、名乗ることすらおこがましいのに、なんで貴女はここに来たんですか? さっきの衝突で理解しているはずでしょう? 私には勝てないし、絶対に届かないということが。それなのに……どうして負けが確定しているのに戦おうとするんですか?」

 私は応えない。応える気もない。

 そう、私は分かっていた。実力なら目の前の少女の方が格段に上。最初の激突で少女の動きを追えなかった時に、私は速さでは少女に勝てないことを確信した。

「全く、全然まったくさっぱり足りないわ。貴女のような貧弱な猫が最後の相手だなんて、本当に不愉快よ。こんなんじゃ正義の証明にはとてもとても……」

 そう、お前の言うとおりだ。星野海。

 本当に不愉快だよ、お前は。

「やかましい、男に抱かれたこともないジャリガキが」

 沈黙が、火星を支配した。

 少女は呆気にとられて私を見つめ、私は顔を上げて少女を直視する。

「正義の証明? は、どこまでもふざけたことを抜かす。甘ったれたガキのくせに生意気言ってるんじゃない。正義とは自分の胸に宿すものだ。証明だのなんだの、数学やら定理やら公式で解決できる問題じゃないんだよ」

 埃を払いながら、私は天輪剣を両手に握る。

「ほら、さっさと来い。手加減してやるから全力でも何でもさっさと出せ」

「言わせて………おけばっ!」

 海は激高し、最大の速力を持って私の背後に回りこむ。

 キィンッ!

 繰り出された突剣を、私は剣の腹で受けていた。

「初撃でいきなり背後なんて、今時見え透いた手は誰も使わん」

「………ふん、さすがに一撃見せれば見切ってしまうわけね」

 間合いを離して、少女は剣を構える。

 そして、視界から一瞬で消えた。

 ギィンッ!

 見えない剣を、私は打ち払う。突剣はクルクルと弧を描いて、火星独特の赤い地面に突き刺さった。

 当然のことながら、私は無傷。

「確かに、速さはお前の方が上だ。しかし、私にはお前にないものがある」

 天才は一足飛びだ。瞬時に理解し、即座に技術を物にする。

 対して、普通は一足飛びなどできない。時間をかけて理解をし、その倍の時間をかけてじっくりと技術を習得していく。

 確かに星野海という少女はとんでもない。人間でありながらここまでの速さを極め、舞を完璧に習得した人間を私は知らない。しかし、それでも私には届かない。

 私には、彼女にはない『戦闘経験』がある。

「一つ、教えてやる。突剣という武器はその性質上『突き』という一撃しか必殺が存在しない。ゆえに……太刀筋が一つきりで読みやすい。移動する速さでは敵わなくとも、攻撃する瞬間はどうしても動きが止まる。あとは刺突を止めるだけだ。もっとも……初撃で私を殺しておけば、こんなことにはならなかっただろうがな」

 私は一方的に言い放ち、切っ先を喉元に突きつけるわけでもなく、少女から間合いを離した。

「それで全力か? 終末を語るにはいささか役不足だぞ、小娘」

「………なるほど、確かに貴女は強いです。でも……私ほどじゃないかしら」

 黒の突剣を地面から引き抜き、少女は朗らかに笑う。

 おそらく、虚勢ではない。事実だろう。

 戦闘経験を持ってしても、覆せない現実というものがある。

「起きなさい……『黒桜こくおう』」

 突剣の形状が一瞬で変化する。次の瞬間に海の手に握られていたのは、真に黒き日本刀だった。それを両手で握り、少女は笑う。

「本気で行きます。………手加減は、無用」

「ならば、こちらも本気でいかせてもらう」

 おそらく、あの剣には生半可なものは通用しない。それが分かっていたからこそ、私は本当の全力を出すことにした。

 私と少女の視線が交錯する。

 双剣を構え、私は祝詞を口ずさんだ。

「我は猫にして人、世界原初の猫舞踏神。

 精霊よ、我は古の契約の履行をここに要請する」

 私の体を、暖かな光が包んでいく。

 私を包むその光が、あの少女にはきっと見えない。

「聖なるかな、

 聖なるかな、

 この手に生まれしは最強の伝説。

 蒼穹にしてあらゆる正義が集まった、世界最強にして最初の剣」

 この暖かな光が、あの黒い少女には見えていない。

「我はただ、守るべきもののために、その剣を振るおうっ!」

 それは世界で最も強い力。魔法使いすらも恐れる、世界でただ一つの力。

「腕に咆哮っ!

 心に魂っ!

 胸に秘めるは絶対正義っ!」

 そして……その剣は、想いを体現するために具現化する。

「この手に出でよ、『精霊剣』!!」



 激突は一瞬。刹那の間に行われた。

 互いの斬撃は互角。いや、明らかに速度と舞の技量で劣る私が不利。戦闘経験で補えるぶんを差し引いたとしても、純粋に激突すれば、私は負けている。

 しかし……結末は語るまでもない。

「……なぜ、この結果になったんでしょうか?」

 パキン、と軽い音が響く。

 黒い刀は刀身が半ばから折れて、地面に突き刺さった。

 振り返る私の手には、傷一つない『天輪剣』。その双剣は、まるで蒼穹のように、晴れ渡った空のように、水色に染まっていた。

「……単純なことだ」

 当たり前で自明なこと。古今東西、あらゆる場所、あらゆる時空での常識を、私は軽い口調で、しかしきっぱりと断言した。

「正義の味方は、独りで戦うのではないのさ」

 私に味方をしてくれるのは、仲間と大切な人。

 そして、生まれてからこれまでに、当たり前のように生きて死んでいった、猫の同胞はらからたち。

「この剣は『精霊剣』という。死んで精霊となった者たちの、ただ一つの想いの剣。誰かのために振るわれる、明日を切り開くための剣だ。最強でもなく、ただ当たり前に死んでいったものたちの想いが形になったものだ」

 そう、この勝負は最初から明白だった。

 独りで戦う少女と、全猫種族と共に戦う私。

 どっちが勝つなど、考えるまでもない。

 少女は折れた剣を見つめて、それから呆れたように肩をすくめた。

「……前言を撤回します。貴女は、紛れもなく正義の味方ですね」

「ああ。独りではなにもできんが、私は正義の味方だよ」

 私のはっきりとした言葉に呆れたのか、それとも感心したのか。よく分からない複雑そうな表情を浮かべて、少女はポツリと言った。

「一回戦は……私の負けですね」

「は? まだやる気なのか?」

「いえいえ、こっちの話です。正直……貴女とはもう喧嘩したくありません」

 パタパタと手を振って、降参の意を表明する少女。

 うーむ……もっと悪どく「違う、私は負けてなんていません。くそー火星大爆発だー」とか言い出すかと思ったのに。そうなればあとはやり放題、これ以上ないくらいにボッコボコにしてやろうかと思っていたのに……。

 ……この小娘、ちょっとやりにくいかもしれない。

「それで、この後はどうするんですか? 私は負けましたけど、まだまだ絶望の蟲さんたちは腐るほどいるんですけど」

「ほほう、お約束だな。当然、それはお前を完膚なきまでにボッコボコにすれば消滅するのだろう? よーし、そこを動くなよ。今すぐ大ぱんちを……」

「核はあそこです。ほら、あの塔みたいになってる場所ですよ」

 確かに、少女が指した先には塔みたいになっている場所があった。

 いや……まぁ、アレだ。

 その塔が『真っ黒な蟲が積みあがったもの』じゃなきゃよかったんだが。

「名付けて、『油虫の尖塔』って感じですね」

「……本当に全力で殴りたくなってきた」

 ちなみに、油虫というのは古語でゴキブリを指す。

 やれやれ……本当に、後のことを考えない馬鹿者は手に負えない。

 その馬鹿者は、なぜか楽しそうな笑顔を浮かべていた。

「それで、どうするんですか? 全力を使い果たした貴女が、どうやってあの塔を破壊するのか、ものすごく興味が湧くところですね」

「………一つ、いいことを教えてやる」

「いいこと?」

「いい女の条件その一。切り札は常に隠し持て。見せるならさらに奥の手を」

「……それ、どっかの漫画で読んだことありますよ?」

「ならば、いい女の条件その二。優しい旦那には冷たくしておけ」

 私は、口許を緩めて、ゆっくりと息を吸った。

 こんな野暮用で呼ぶことになるとは思わなかったが……まぁ、仕方ない。

 双剣を地面に突き立て、私は祝詞を唱え上げる。

「其れは混沌にして混乱、あらゆる騒乱の破壊者

 幾戦の戦を全て勝利し、同時に敗北した最終の姿。

 我は願う……汝の御霊に安らぎを、そして、そなたの心に祝福を。

 祈りは心に、力は正義に、我は貴方の力をここに召喚せんっ!」

 そして、私は、


「来い、アルマブライオンッ!!」


 夫の名前を、高らかに叫んだ。



 かつて、一匹の黒猫がいた。彼は最強だった。

 彼には妻がいた。彼女は正義を胸に秘めていたが、まだ未熟だった。

 彼らには子供がいた。それは、二人にとって絶対に守らなければならない存在だった。なにを賭してでも、絶対に、守りたかった存在だった。

 だから……大切なものを失った時に、二人の道は決定してしまった。

 妻は大切なものを守ることが正義だと考えて、己を極限まで鍛え上げた。彼女は後に世界で唯一の猫にして人の舞踏神となって、最も強き戦神の一人として名を連ねることになる。

 そして、夫は子供を殺した存在と戦い続けた。それはただ子供を殺されたことが悔しかったからだけではなく、彼の親友である『龍』が彼を守って死んだ時に、全ての絶望と戦い続けると誓った約束であった。そして黒猫は戦い続けて……最後には戦うだけの存在へと……アルマと呼ばれる存在へと『ナレハテ』た。



 そんな不器用で優しいあいつが夫だったから、私は幸せだった。 



 夢を見た。それは覚めれば消える、夢。

 たくさん、幸せだった頃の夢。

「ねぇ、ファリエル。僕がここまで頼み込んでるのに、どーしてもダメ?」

「そういうわけじゃないけれど、理由がよく分からないし。ぶっちゃけ、貴方のせいで他の雌猫の風当たりがかなりきつくなってるんだけど?」

「あはは……どうも結果をよく考えずに行動するタイプらしいから……」

「笑って誤魔化しても無駄よ。まったく……」

「じゃあ、真剣に。結婚してください」

「イヤ」

「即答はちょっと傷つくなぁ……」

「お互いのことをよく知りもしないのに、いきなり結婚なんてできるわけないでしょ? 貴方は勢いで言ってるのかもしれないけど、こっちはそれなりに考えてるんですからね」

「……考えてくれてたの?」

「……考えてないとでも思ってたの?」

「いや、だって……いつも素っ気無いし、なんか僕が来るとうざそうにするし、それから妙に冷たいし、ついでにプレゼントも全然嬉しくなさそうだったし……」

「素っ気無いのはいつも通り。貴方が来るのは一向にかまわないけど、すぐに『結婚しよう』って言われれば、そりゃうざったくもなるわよ。妙に冷たい態度や、嬉しくなさそうに振舞うのは……ただの、そう、アレよ。えーと……つまり嬉しいんだけどそれを隠そうと必死というか……表に出すのが恥かしいというか」

「……つまり、どゆこと?」

「察しろ馬鹿ぁっ!!」

 青い猫は照れ隠しに、黒猫に大ぱんちを食らわせた。

 それはいつも通りの光景。

 幸せだったあの頃の、いつも通りの日常だった。



 だから、それが失われた時……、私は決意したんだ。

 もう二度と、こんなことはさせないと。

 子供を守るために、剣を取り、舞を舞うことを誓った。

「そう、不器用で臆病な、ただの『正義の味方』になることを決断した」

 ゆっくりと、私はそれを見上げる。

 黒い鋭角的なシルエット。全長はよく分からないが、私の数十倍はあるだろう。人型をしたそれには、真っ赤な瞳が一つと、奇妙に尖ったパーツが二つ頭部にくっついているのが印象的である。ぶっちゃけて言ってしまえば、『巨大ろぼっと』だった。

 アニマブライオン。

 この世界の果てで、神族すらも届かぬ領域でたった一人で戦い続けている黒猫。

 ただひたすらに……誰かを守ろうとした男の、それが末路だった。

「我が名はファリエル=ナムサ=オーレリア。ここに汝を召喚した女だ。正義を成すために、その力を我に貸せ」

 黒き威容に呼びかけた瞬間、いきなり景色が入れ替わる。

 呼び声に応えて、ブライオンは私を己の中に入れたのだ。

 そこはコックピットと呼ばれる場所。真っ黒な空間に、血で法陣が描かれている。それは精霊を鼓舞し、力を高めるために彼が作り出した場所。『誰かの力』を借りるために作った場所だった。

 声が、頭の中に響いてくる。

『やっほー、ファリエル。久しぶりだね。元気してた?』

 ……それはとても懐かしい声なのだが、なんというかこの軽さはなんとかならないものだろうかといつも思う。

 それでも、私の口許は綻んでいた。

「久しぶりだな、馬鹿猫。息災か?」

『一応息災だよ。でも、最近はちょっと『絶望』の連中の侵攻がきつくてね。やっぱり『龍』くらいに強くないと、世界を守るのはきついよね』

「……そうかもな」

『もっとも、負ける気はこれっぽっちもないけどね』

 声はただ、力強い。

 私は口許を緩めたまま、双剣を抜き放つ。

「ならば、いつも通りに戦おう。我らが存在意義のために」

『了解。大切な誰かの未来のためにね』

 私は法陣の中心に立ち、舞を舞う準備を整える。

 と、不意に頭の中に、


『ファリエル。僕のことは、忘れてもいいんだよ?』


 そんな言葉が響いた。

 ちくり、と胸を刺す言葉は……とても痛い。

 優しい言葉は、もっと痛い。

『君はまだ生きているんだからさ、いくらでも幸せになっていいんだ。そりゃ、君が正義の味方をやることは反対しない。でも……僕は』

「お前のことは生涯忘れない」

 弱気な男に、私はきっぱりと告げた。

「お前と一緒にいた事を私は忘れない。お前がくれた幸せを私は忘れない。お前の妻であれたことを……私は生涯誇りに思うだろう」

『……ファリエル』

「勘違いするな、ブライオン。私はこれ以上なく幸せだ」

 大切な人がいる。

 好いてくれる犬がいる。

 友達の猫がいる。

 先達のペンギンがいる。

 みんながそこにいる。

「だから私は正義になれる。独りじゃないから正義の味方をやっていける。お前と同じように……お前がそれを誇りに思っていたのと同じように」

『………うん』

「私は絶対に忘れないよ、ブライオン。みんなが忘れてしまおうとも、お前は世界を……私を守り続けてくれている。それだけは、忘れろと言われても絶対に忘れない」

『うんっ!』

 嬉しそうな声が、響き渡った。

 やれやれ……本当に、ばかだよお前は。寂しがりやのくせに、いつもいつも要らない意地を張ろうとする。

 フォローするこっちの気恥ずかしさを考えろというのだ。

「さて、では気を取り直して楽勝しようではないか、元夫」

『う、やっぱり元なんだね。ちょっとがっかり』

「人一人が生まれて死ぬくらいの年月ほったらかしておいて今さらなにを抜かす」

『うーん、でもでもそれは男の付き合いというか約束というか……』

「言い訳無用だ、馬鹿猫。それにな……婚姻なぞただの契約だ。今さら私たちにそんなものが必要か?」

『………………』

「なんだ、その沈黙は?」

『いや、なんていうか君って、時々こっちの思惑をぶっちぎることを言うよね。なんつーか、不意打ちっていうか……』

「お前のやる気が出るならいくらでも不意打ってやろうさ」

『いやー、それはちょっと遠慮しておくよ。なんか心臓に悪そうだ』

 なにげに失礼な元夫だった。

 ただ……その声はやっぱり嬉しそうではあった。

『それじゃあ、元奥さん。軽く楽勝しましょうか?』

「手は抜くなよ、元旦那。世界の平和はともかく、世界の運命はお前の双肩にかかっているといっても過言じゃないのだからな」

『はいはい。それじゃあ……いっちょやりますか』

「ああ、正義をやってやろうさ」

 シャン、と鈴の音が鳴り響く。

 翻るは白い衣。双剣を抜き放ち、私は十二の舞踏を踏みしめる。

 一の舞、音遠ねおん。 

 二の舞、祈念きねん。 

 三の舞、踏剣とうけん

 四の舞、法舞ほうめ。 

 五の舞、小神子こみこ

 六の舞、地踏ちとう。 

 七の舞、雷華らいか。 

 八の舞、劉燗りゅうかん

 九の舞、五方鬼神ごほう

 十の舞、玖刀くとう

 十一の舞、咲夜姫さくや

 十二の舞、花乱歌からんか

 それはただの舞ではない。猫に伝わる十二の神舞。

 誰かを守るために作られた、正義の舞である。

 体は光を追い抜いて。

 祈りは世界を越えていく。

 幾千の剣を踏み砕き。

 法則すらも凌駕する。

 先人の魂は世界の蒼穹となり。

 我は彼が切り開く道を踏みしめる。

 雷を切り裂き。

 火を砕き。

 悪鬼羅刹を切り裂く。

 その手には正義の剣。

 その魂には真に大切な人。

 百花繚乱、戦陣挽歌。

 我らは戦おう。其の未来のために。

「オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォッ!!!」

 黒の戦士が咆哮を上げる。たった一つの真紅の目を開いて、敵を見据える。

 こちらは二匹。敵はその数億、あるいは数兆倍。

 だが……敵は負ける。我らは必ず勝利する。

 剣を掲げ、我らは叫んだ。



『ゆくぞ、絶望。……我らの足掻きを止めてみろっ!』



 具現化した巨大な蒼穹の双剣を握り締め、黒の猫は戦闘を開始した。



 その先を語る必要はない。

 かくていつも通りに、セオリー通りに、事は終わる。

 それは当たり前のこと。有史よりこれまでに語られ続けてきたことだから。


 正義は勝つ。



 追記。

 

 ペンギンに別れを告げて、思ったよりも重傷だった狐を里に連れて行って救護が得意な猫に連絡を入れて、兎の執拗な誘いを正拳突きで断り、さりげなくかなりの戦果を上げた犬をねぎらいつつ……と事後処理を終えて、私は家に帰って来ていた。

 ……まぁ当然のことなのだが、事件は終わっても問題は解決しないわけで。

「………あーくそ。なんとかならんもんか」

 猫の発情期は始まったらことが済むまでなかなか終わらない。

 それもまた当たり前のことなのだが、私はいつも通りの縁側に座りながらイライラしていた。普通の猫だったら鳴き叫ぶなりなんなりして発散もできるだろうが、私とて誇りはある。そんなみっともない真似ができるはずもない。

「お帰り〜、プーちゃん」

 肌色がやたらツヤツヤしたリンダが、機嫌よさげに声をかけてくる。

 ………うわ、ものすごく殴りたい。

「プー言うな」

「まぁまぁ、いいじゃありませんか。くっふっふ」

 やたらにこにこしてるリンダは、はっきり言ってものすごく不気味だった。

 あまりの不気味さに私が思いっきり引いていると、

「ただいま」

 山口家の長女、山口冬孤が帰って来た。

「なにしてんの、母さん。あんまりにこにこしてると、マツモトキヨ〇じゃ絶対に扱わない白い粉末に手を出した、みたいに誤解されるわよ?」

「小麦粉? 確かに私の友人に小麦粉にハマって毎日性懲りもなくこねまくってる子もいるにはいるけど、あれはもうパン作りジャンキーっていうか、毎日パンをこねてないと発狂するっていうか、そんな感じだったなぁ」

「……母さん、そんな変人とはさっさと縁を切って下さい。」

 冬孤の痛烈な言葉の刃に、リンダは思い切り顔を引きつらせた。

 まあ……確かに薬品の量販店じゃ小麦粉は扱わんわな。

 ちらりと見ると冬孤の顔も若干引きつっていたりする。どうやら、冬孤はリンダの若かりし頃の話題は避けているようだった。

「で、母さんはこんな所でなにやってるの?」

「んーとね、プーちゃんが発情期だから、暖かく見守ってるの」

 リンダの言葉が意外だったのか、冬孤はきょとんとしていた。

「発情期? なんか物静かで行儀がよくて粗相なんて一切しない変な猫だからてっきり……去勢してるんだと思ってた」

「んー、それも考えたんだけど、お金がないしね」

 考えるな馬鹿者。

 心の中で突っ込みを入れて、私はリンダを睨みつける。

 と、冬孤が名案を思いついたように、ポン、と手を打った。

「そういえば、今日友人に聞いて知ったんだけど……」

 そして、とんでもないことを言った。



「猫って挿入られると、二、三日で発情期終わるんだって」



 背中の毛が逆立つ。

 恐怖の言葉は、珍しく悪気のない少女の口から語られる。

「猫って一回すると絶対に妊娠するようになってるんだって。だから、ことが終わるとすぐに子供を産めるように色々と環境を整えるらしいわ。安心して産める場所を探したり、栄養をなるべく多く摂ったりね」

 確かに、それは習性だ。猫にとっては当たり前のことだ。

 だが……ちょっと、ちょっと待ってほしい。

「ふーん。綿棒でいいのかな?」

「いいと思うわ。探してくる」

 それは人としてどうかと思うのだ。ほら、自分の身に置き換えた時にそういうことをされたら嫌な気分になるだろう? 人にされて嫌なことは人にしてはいけない、とそう言われてきたではないか。だから……そう、人として理性的な話し合いをっ!

「あ、あった。こんなもんでいいかな?」

「いいと思うよ〜。うん、いいんじゃないかな」

 にやり、とリンダが魔王の笑みを浮かべている。

 全ての事情を知った上で、面白がっている凶悪な笑顔。

 その瞬間に、私は脱兎の如く逃げ出した。

 そして、しばらくの外出禁止と篭城を覚悟するのだった。





 おまけ 


 ある日の山口冬孤の日記、二ページ目。



 一日目から書くことが多い。そろそろ難儀になってきたけど、筆が乗るのでもう少し書き連ねようと思う。

 結局、プーは発情期が終わるまで兄さんの部屋に篭城することにしたらしい。兄さんの呼びかけか、父さんの『ご飯だよ』という声にしか反応しない。兄さんの部屋に引きこもるなんて、なんてうらやましい。プーの気持ちも分からないじゃないけど、ああいうのはとても卑怯だと思う。

 というか、兄さんも羨ましい。プーと一緒に寝るなんて、あのふわふわもこもこと一緒に寝るだなんて……そんな、考えただけでも幸福なっ!

 部屋で寝る時もプーはなぜか私の布団に入って来たりしない。クッションに丸まって眠るのが普通だ。なのに、兄さんと一緒の時は布団で眠るらしい。

 くそう、一体どっちを羨ましがればいいのかしらっ!?

 そういえば、ククロは霞耶猫子と一緒に散歩にでかけたらしい。あの女、こんな平日に一体なにをやっているのだろうか? 仕事をしている雰囲気はなかったからやっぱりニートだったんだと確信する。というか、あんな性格で仕事ができるはずがない。やっぱり私の予想は正しかった。今度問い詰めてやろうと思う。

 母さんはやたら機嫌が良くて正直気持ち悪かったのだが、多分父さんが早く帰って来たのが原因だろう。弟か妹が生まれるのもそう遠い未来ではないのかもしれない。……よし、もしも弟だったら兄さんのような女たらしにならないように、0から、きっちりと、教育してやろう。

 ちなみに、私が考える名前は、山口幸太やまぐちこうた。〇〇雄という悪しき慣習はこの辺りで絶っておくべきだろうと私は思う。幸せが太く。うん、結構いい名前なんじゃないだろうか。女の子だったら山口鈴璃やまぐちすずり。母さんの名前ともかかっていて、なかなかいい名前だと思う。

 とりあえず、最近ドラク〇5にハマっている母さんが提案する『山口雷雄やまぐちらいお』と『山口空鈴やまぐちそらりん』だけは絶対に阻止しよう。

 本気で弟や妹をそんな名前にしたら、


 真っ赤な釘バットを用意しなきゃならなくなる。

 

 次のページに続く。

と、いうわけで正義の試練が終わります。次回、猫日記第拾六話、『猫と看病と迷子の子猫』。完全無欠にコメディ仕様となっていますので、ご期待ください(^^)

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