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猫日記  作者: 田山歴史
11/24

第拾壱話 猫と釣りと少女の悩み(前編)

 私は猫である。名前はファリエル=ナムサ=オーレリア。毛並みは青に近い黒を持つ、まごうことなき美雌猫である。



 私が夕飯を食べ終わる頃に、山口家の連中は食事に入るのがいつものパターンだ。夕食といっても栄養のバランスのみに特化したきゃっとふーどで、毎日食べても飽きはしないが、味も素っ気もないのが現実である。毎日同じものを食わされる猫の気分など、人間には分かるまい。マグロ一匹を食べ尽くす伝説に挑んだあの連中ならば少しばかりは分かると思う。

 まぁ、私としてはきゃっとふーどの味は嫌いではない。猫の味覚が理解できない人間が作ったにしては上出来だろうと思っておくことにする。

 と、私がいつもの寝床に横になったところで、山口家主こと山口リンダは、不意ににやりと笑った。

「ところでみなさん、最近物置を掃除したくなったりしませんかい?」

 いつものように、冬孤と是雄は即座に目を逸らし、文雄はマイペースに味噌汁をすすっていた。

 リンダの目がきらりと光る。

「文雄ちゃん、ちょっと暇そうですね? どう? 物置の掃除でも」

「あ、僕は来週後輩と一緒に釣りに行くから」

 ぴくり。

 釣り、という言葉に異常反応する男が一人。

 それは、普段は目立たない山口家の父親であった。

「今の時期は渓流釣りでニジマス、ヤマメあたりが釣れるな」

「あれ? 父さんって釣りするの?」

「ふふふ、こう見えても昔は『釣りキチ』としてならしたもんだ。ほら、あそこに飾ってある黒鯛の魚拓も父さんが釣り上げたものでな……」

 普段いるのかいないのかよく分からない父親の、数少ない自慢話が始まるようだ。まぁ、こんなのもたまにはいいのではなかろうか。世間のお父さんとて、己の武勇伝を語る権利くらいはあるだろう。

 と、その時。

「こーれおちゃん?」

 無邪気な子供のような、妙に優しい声が響いた。

 是雄の頬が思い切り引きつる。

「リ、リンダ……」

「あのね、是雄ちゃん。結婚前にちゃーんと約束したよね? 『もう二度と釣りはしないし関わらない』って」

「いや、でも……あれからもう十五年以上経ってるし……」

「結婚日の直前に鮎の友釣りに出かけて、落雷にあって入院したのはどこのどちら様でしょうかね? その時に駄目にした釣竿は、確か五万円だったっけ?」

「うう………」

「じゃ、日曜に物置の掃除よろしくね?」

「……はい」

 どうやら、是雄がリンダに逆らえないのは、このあたりが理由らしい。

 ちなみにアユという魚は香魚とも書く。川、つまり淡水に住む綺麗な魚で釣ったばかりの頃はスイカの匂いがすることで有名。ちなみに、食料は岩などに生えている藻だけを食べている。身が柔らかく、焼いて食べると美味である。

 付け加えると、鮎の友釣りというのは、生きた鮎を糸でつなぎ、別の鮎を引き寄せて釣り針に引っ掛けて釣り上げる手法である。人間で言うと美人局つつもたせといったところだろう。まぁ、この場合に釣れるのはそいつの財布の中身か預金残高くらいだろうが。

 余程嫌な思い出なのか、リンダは頬を膨らませていた。

「文雄ちゃんも、釣りなんてしちゃいけません。馬鹿になります」

 全国の釣り人を敵に回しそうな発言であるが、文雄は釣り人ではないので、全く気にした様子も無く返答する。

「大丈夫だよ。管理釣り場だから」

「あ、そーなの? ならいいや」

 いいのかそれは。

「でも、天然物を狙っちゃ駄目よ? 本格的な渓流なんて、馬鹿しか行かないんだから。人の手の入ってない所は、もう人間の世界じゃないんだからね? 人間に限っちゃ天然物の方が落としやすいのは確かだけど。是雄ちゃんも若い頃はそうやって」

「リンダ、流石に子供の前で若気の至りを発表しないでくれ」

「はいはい」

 肩をすくめて、リンダが更なる忠告を文雄に言おうとした時、

「ごちそうさま」

 と、いつもなら存在感満点の少女が大人しく食卓を立った。

「あれ? 冬孤、もういいの?」

「ええ。宿題があるので、部屋に戻りますね」

 微笑しながらそれだけ言って部屋に戻る冬孤を目で追う。

 ………ふむ。

 曖昧に笑いながら部屋に入る冬孤の、一瞬の寂寥を私は見逃さなかった。

 だが、この場でそれに気がついたのは私だけらしい。いや……気がついていてもあえて口を出さなかったと言うべきか。

 その口を出さなかった女はなにごともなかったかのように話を進める。

「移動手段とかどうするの? ここからだと電車でも結構かかると思うけど」

「まぁ、それは仕方ないかなって思ってる」

「うーん……それじゃあ、ここは親友に頼むとしましょうか」

 ……なぬ?

「母さんの親友って、えっと、霞耶猫子かすみやねここさんだっけ?」

「うん。家の車貸してあげるから、それで行ってくるといいよ」

 簡単に言ってくれるが、その猫子は私なのだが?

 おい、こら。勝手に決めるな。

 私の視線を感じ取ったのか、リンダはにっこりと笑った。

「日がな一日ごろごろして、暇を持て余してるような子だから、きっと簡単にOKしてくれるよ。あたしが頼めばなお確実。電車賃も浮くし、どう?」

 リンダの言葉に、文雄は少し考えて頷いた。

「うん、霞耶さんの了承が取れれば、僕も異存はないよ」

「じゃあそういうことで」

 ……どうやら、私の意見は黙殺されるらしい。

 まぁ、いいか。

 たまには釣りもいい。

 久しぶりにニジマスが食べられそうだし。



 さてさて、今夜の寝床はどうするべきか。

 いつもなら文雄の所で眠るのだが、あいつは今〆切りド修羅場の真っ最中。半泣きになりながら原稿を仕上げている。そんなところに「にゃーん」とか言われても癒されるどころかむかつくだけだろう。人間、本当に追い詰められている時はなにをやっても苛立つものである。

 と、いうことで冬孤のところで眠ることにした。

 あの小娘は私が綺麗な場所で眠らないとやたら怒る。去年の夏にあまりの暑さに我慢できずに、玄関のコンクリートのところで寝たら、やはり、やたら怒られた。自分の部屋や文雄の部屋で眠ると怒らないくせに。

 理由は……なんとなくどころかはっきりと分かっているが。

 冬孤の部屋をカリカリと引っ掻くと、三秒待たずにドアが開いた。

「どうしたの? プー」

 文雄が修羅場ってるから眠る場所がないのだ。

「そっか。兄さん、明日〆切りだもんね」

 優しげな笑顔を浮かべて、私の頭を撫でる冬孤は、やはりどこか寂しげだ。

 冬孤の部屋はよく片付けられている。文雄の部屋とは対照的に、物があるにも関わらず、しっかりと整理整頓されているのだ。本棚には教科書や冬孤の好きな少年漫画や少女漫画。CDこんぽやMDぷれいやーには、冬孤が好みのあーてぃすとの曲が常に常備されている。

 そして、本棚の上には所狭しと並べられたぬいぐるみ。猫に犬、兎に蛇。イルカにクジラにインコに羊、その他諸々が整然と並べられていた。全て手作りで、それらは全て冬孤の手によって作られたことを示していた。

「爪研いだり、粗相したり、嘔吐しちゃ駄目よ?」

 ……失礼な女だ。そんじょそこらの猫じゃあるまいし、そんなことを私がするはずないだろうが。実際この家に来てからもしたことがないしな。

「……プーなら、大丈夫だと思うけどね」

 くすっ、と微笑みながら冬孤は作りかけのぬいぐるみの作成に戻る。

 ああいう笑顔を普段も出せていれば、もっと男にもてるだろうに。勿体無い。

 ………まぁ、私が言えたことではないが、な。

 と、その時。

 ドコドコドコドコドコドコ。セイヤッセイヤッセイヤッセイヤッ!

 冬孤の携帯電話が、やかましく鳴った。

 ……何故、和太鼓?

「はい、もしもし山口ですけど」

『ああ、冬孤。久しぶりだ』

「……えっと、もしかして唯?」

『その通り。桂木唯かつらぎゆいだ。元気だったか?』

「体は健康そのものよ。それにしても唯、一体今までどこでなにしてたのよ? 体の具合が悪くないのに一ヶ月も学校休んだりして」

『ちょっと、自分を探しに』

 ……やはり、類は友を呼ぶらしい。

「で、自分とやらは見つかったの?」

『いいや、自分というものは己で作り出すものだと分かった』

「……そのくらい、最初から理解しておきなさいよ」

 同感である。

『それでだな、ちょっと頼みがあるんだが』

「なに? 言っておくけどお金なら出ないわよ」

『いいや、金なら旅行中に世の中舐めてるガキをぶちのめしついでに財布の中身を拝借したから今は必要ない』

「……相変わらずね、唯」

『うむ。世間とは厳しいものなのだ』

 世間の厳しさというのは拳で解決するような厳しさとは違うと私は思う。

「で、頼みってなんなの?」

『遊びに行こう。ぶっちゃけ、暇なんだ』

「……悪いけど、気分が乗らない」

『なにかあったか?』

「そういうのじゃないの。ただ、ちょっとね…」

『……分かった。それじゃあ、来週の日曜に駅に集合だ』

「唯。それは全然分かってないと思うわ。人の話はちゃんと聞いて」

『気分転換もいいものだぞ? 部屋にこもって一人で悶々としていても同じところをぐるぐる回るだけだ。お前の悩みがどういう類のものかは知らないが、お前がそれだけ悩むんだとしたら相当なものだろうさ』

「………………」

『とりあえず、返事は明日。じゃな』

 プツ、プー、プー、プー。

 電話はあっさりと切れて、冬孤はゆっくりと溜息をついた。

「全くその通りなのが、ちょっと悔しいわよね……」

 苦笑しながら、冬孤は針を持ってぬいぐるみを作り始める。

 その横顔は、少しだけ嬉しそうだった。



 そして、来週の日曜日。つまり翌々日。

 人化した私は、山口家の最速移動手段である自家用車を走らせていた。バイパスを通って、山のある方面に向かう。

 猫が車を運転してもいいのか? という意見に対しては深く突っ込まないほうがいい。免許は私の力があれば簡単に偽造できるし、なにより私が警察ごときに捕まる道理がない。とりあえず、挙動不審な車を気をつけている車に気をつけてればいい。

「それにしてもすみませんね、霞耶さん。母がまた無茶を言ったみたいで」

 助手席の文雄が頭を下げるが、私は別に気にしていない。

 猫の大部分の例に漏れず、私も魚が大好きなのだ。

「なに。私もたまに釣りをしたいと思っていた頃合だ。気にするな」

「管理釣り場ですけど、本当にいいんですか?」

「初心者がいきなり天然物を狙うのはちょっと難しいだろうさ。選択としては妥当なところだと思うが」

「そーですよ、山口先輩。私は養殖もので十分ですから」

「俺としてはむしろ、こっちの天然物のオネーサンが気になってるしな。うんうん、前々から思ってたけど、文雄先輩の周りの女の人は美女ばっかりだ。眼福眼福」

 後部座席に乗っているのは、ちょっと頭の足りない中学生が二人。

 一人は、ついんてーると呼ばれる髪形にへあばんどをしており、名前は獅子馬麻衣ししままい。大きな瞳に、中学三年生にしてはちょっと幼い体格の少女で、そっちの趣味がある人間にはものすごい人気が出そうな少女である。

 文雄曰く、『ちょっと趣味がアレですけど、いい子ですよ』だそうだ。

 もう一人はツンツン頭のくせっ毛が特徴的な少年で、名前は倉敷始くらしきはじめ。容姿はそれなりに整っていて、一見まともそうに見えるし、年下と同年代には至極真っ当な反応をしてくれる少年なのだが、唯一年上には理性をなくすとのこと。

 文雄曰く、『普段はものすごくいい奴なんですけど、年上がからむとちょっとアレになるんです。あ、でもいい奴ですから、嫌わないでやってください』だそうだ。

 ………どっちにしても『アレ』らしい。

「あー、ノリで『次回は釣りの話』、とかやんなきゃよかったなー」

 麻衣がぼやくと同時に、始がつっこんだ。

「仕方ねぇだろ。お前がそういう風に“引き”(漫画的用語の一つ。要するに『次回に続く』的なもの)を作ったのが悪い。そうは思いませんか? 運転する姿も麗しい、美人のオネーサマ?」

 私に同意を求められても激しく困る。

 私の言葉を代弁するかのように、麻衣が始を嘲笑した。

「うわー。うっざーい☆」

「はン、年上のお姉さまには世界を動かす権利がある。お前も悔しかったら年上になってみやがれ」

「そんなもん漫画的永久ループを繰り返してるちび〇子ちゃんやら、栄螺さんやら、私の愛するドラ〇もん様じゃないと無理ですよーだ」

「ほとんど伏せ文字になってねぇぞ、それは。あと、ドラ〇もんに様をつけるなよ。なんかいきなりパチもんくさくなるから」

「あー、四次元ポケットいらないからドラ様が欲しいな〜」

「ンなこと思ってるの三次元じゃ、お前かちょっと寂しがり屋のお子様だけだから。二次元だとの〇太君一行も含めるけど」

「ああ、愛しのの〇太様。ぜひ結婚して欲しいな〜」

「真正の阿呆か、お前」

「もー、ハゲはうっさいなぁー」

「ハゲてねぇっつってんだろうが!!」

 なぜか、ハゲという言葉に激しく反応する始少年。

 先祖か祖父、あるいは父親あたりに頭の薄い人間でもいるのだろうか?

 まぁ……心底どーでもいいことだが。

 私の心の疲労を察したか、文雄がすまなそうに口を開いた。

「すみません。なんか、もう……本当にすんません」

「……いや、まぁ、静かにはならんだろうとは思っていたが」

「ツッコミが増えるんで、僕としてはラクなんですけど、霞耶さんの負担が増大するんなら、今から引き返しても……」

「いや、それはやめておこう。なんとなく後が怖いし」

「どういうことですか?」

「子供は知らなくてもいいことだが、青少年は知っていてもいいだろう。たまには夫婦水入らずというのも悪くはないということだ」

「ああ、なるほど……」

 リンダのやつ、ああ見えて是雄にベタ惚れだからな。いじめるのも愛情表現の一環というやつだ。たまには二人きりにしてやるのもよかろう。

「それで文雄の兄妹が増えたとしても、私の知ったことではないし」

「霞耶さん、それ、洒落になりません」

 若干青ざめた顔で突っ込みを入れる文雄。冬孤のような性悪が増えたら困るとでも思っているのだろうが、冬孤の性悪さの一端は文雄に責任があるのを、本人は気づいていない。

 なんとも……始末に困る事態だ。

 と、どうやらそろそろ釣堀に到着したらしい。私は駐車場に車を停止させ、車から降りる。

「さて、着いたぞ」

「なんか、土産物屋って感じですね」

「まぁ、そんなものだろう。釣堀は管理所の向こうだ」

 風情の無いことを言いながら、釣堀の管理所に行き、釣具のセットの貸し出しをしてもらい、ニジマスを二十匹ほど放流してもらうことにする。

 ここの釣堀は、川の一角に養殖したニジマスを放し、それを釣り上げるものらしい。持ち帰りは自由で、土産にするのも自由というわけだ。握り飯と各種のおかず、ついでに七輪と炭は持ってきてあるので、ここで焼き魚をするのも一興だろう。

 文明の利器に頼らない食事が一番美味いのだ。

 と、川が珍しいのか、目を輝かせる都会っ子たち。

「わぁ〜。けっこー綺麗ですねー」

「そうだね。ここの川の上流だと、天然のヤマメやイワナも釣れるみたいだし」

「高い金払って養殖物釣り上げるより、天然物の方がいいんじゃねぇか?」

「うーん……それはやめておいたほうがいいかもね。麻衣と始が一緒にいたら絶対に釣れないだろうし」

「なんでですかー?」

 苦笑しながら、私は会話に混ざる。

「天然の魚は警戒心が強い。ちょっとした物音でもすぐに察知して逃げてしまうからな。お主らのように騒がしくしていたのでは釣れんさ」

「なるほど。さすが美人のお姉さんは言うことが違う」

 私の言葉を聞いて、こくこくと頷く始。

「ほら、麻衣。『なんでですかー?』とか身の程知らずなことを言うなよ。いらん恥かいたじゃねぇか」

「……最初に天然物の方がいいって言ったのは、始くんだけどねー(KILL)」

「はっはっは、綺麗なお姉さんの前では、俺の意見など塵同然だ。ちなみに、お前はそれ以下!」

「……うわぁ、うっざぁ。こいつ、なんで死なないのかなー。ものすごく苦しんで死ねばいいのに。えーい、暗黒臨床殺人光線ー★」

「ってさりげなく岩場に向かって背中を押すなっ! 殺す気かっ!?」

「……殺人光線って、言ったのに……」

「なんで『こいつ空気読めねぇな……』ってがっかりした顔してんだよっ! 思っクソ殺人未遂じゃねぇかっ! むしろこっちがびっくりだわっ!」

 なかなかに激しいぼけとつっこみの応酬である。

 が、私はニジマスを食べに来たんであって、漫才を見に来たわけではない。

「……をい。そろそろ説明を始めていいか?」

「あ、すみません、お姉さん。今すぐこの馬鹿黙らせますんで」

「誰が馬鹿だー。はーーーーーーーげ」

「うるせぇ。ちょっと黙ってろ。あと、ハゲてねぇ」

 始が麻衣の口を押さえて、ようやく静かになる。

 それを確認してから、私は説明を始める。

「とりあえず、各自勝手に釣ってくれればいい。釣具は基本的にそろってるし、あとは釣り餌くらいだな。これは私が手本を見せる」

 私はにやりと笑って、口がふさがってる少女の手に、釣り餌を乗せる。

 うねうね。

「もがーっ!!!?」

「これがブドウ虫。川魚を釣る時によく使われる餌でな、こういう生きている餌のことを一般的には生き餌と言う。まぁ、ぶっちゃけてしまえばハエの幼虫なんだが、他にもサシやラビットといった種類がある。ハエの幼虫じゃないものにはゴカイという虫がいてな、ムカデみたいな外見なんだが、なぜかぷにぷにしてるんだ。それをいくつかに切って使うわけだな。ちなみに、海釣りで使われたりする」

 うねうねうね。

「うごーっ!!!!」

「で、これをちょいと釣り針に引っ掛けてやればいいんだ。簡単だろ?」

 うねうねうざく。

「ふごーっ!!!!?」

「これで準備完了。あとは糸を垂らしておけば勝手に釣れる。ちなみに生き餌が嫌だというやつは、そこにイクラがあるからそれを二個ほど針に引っ掛ければいい」

「もぐふがもふがほふはーっ!!!」

 多分、「それでいいじゃねーか、殺すぞっ!」って感じのことを言ってるんだろうが、口を塞がれているためなにを言っているのか分からない。

 女、特に潔癖な人間の少女というものはこれだから困る。釣り餌(生きているウジムシ)程度でこの騒ぎだ。

 まぁ……昔は私も似たようなものだったから人のことは言えんのだが。

 と、ようやく解放された麻衣は、私に食ってかかってきた。

「なんで人の手でやるんですかっ!?」

「その方が面白いからだ」

「サド!? サディスティック星からやってきた皇女様ですか、あんた!?」

「ああ、ちなみにほとんどないだろうが、餌がなくなったらこういう岩場の下にいるカワムシを使え。魚が普段天然で食ってる虫だから」

「どっちにしても虫じゃないですか!」

「はっはっは、世界にはミミズを食べる国もあるんだぞ?」

「ここは日本国ですっ!」

 ほほう、始だけじゃなく、麻衣にも突っ込み属性があるらしい。

 こういう感覚はなんとなく懐かしい。まるで、あの時に戻ったみたいな…。

 ……っと。ちょっと昔のことを思い出しそうになってしまった。

「それじゃあ、釣っててくれ。私はちょっと席を外す。リンダに面白おかしい土産を買っていくと約束してしまったのでな」

 とりあえず、こんなものでいいだろう。文雄に任せておけば万事なんとかなる。戻って来た頃には魚がいい感じに釣れていれば私は満足だ。

 さて、まずは腹ごなしだ。人間に成っているのだから、たまには人間らしい食事も悪くない。土産を選ぶのはその後でも遅くないしな。

「む、あれでいいな」

 なぜか管理所の近くにラーメン屋台が出ているのを目ざとく発見していた私は、早速そこに向かう。豚骨のいい匂いが実に食欲をそそる。猫の時はあんまりいい匂いではないのだが、それは猫の感覚が人間のそれを凌駕しているからに他ならない。

 私は軽やかに席につき、メニューをざっとみて注文した。

「とんこつちゃーしゅー大盛り。卵つきで」

「はい、豚骨チャーシュー大盛り。たまご……」

 黒髪を結い上げた店員は笑顔でこちらを振り向いて、硬直した。

 ついでに、私も絶句する。店員の顔は、知った顔だった。

「………霞耶、猫子?」

 店員は、冬孤だった。

 思いっきり気まずい空気があたりを支配した。

 お互いに沈黙し、言葉探す。先に口を開いたのは私だった。

「えーと……アルバイトか?」

「そ、そんなものです。貴女はなんでここに?」

「文雄らの保護者兼運転手といったところだが……」

「……そう、ですか」

 なにやら暗い表情のまま、冬孤はうつむいてしまった。

 あまりに切なそうな顔だったので私はなにも言えなくなった。

 むぅ……参った。

 こういう空気は苦手だ。

「悩みでもあるのか? 山口の娘」

「………貴女には関係ありません」

「そーか。なら、今すぐその陰気な顔をやめてくれ」

「………………」

「とりあえず、とんこつちゃーしゅー大盛り。卵つきで」

「………分かりました」

 製作時間、おおよそ三分。スピードが勝負のラーメンとはいえ、冬孤は明らかに手慣れていた。たぶん度々手伝わされているのだろう。

「お待ちどうさま」

「早いな」

「これくらいなら誰でもできます」

「で、悩み事は男か?」

 ガタン、ガシャッ!!

 おー、一瞬でどんぶりが三つも使い物にならなくなった。

 どんぶりを落とした姿勢のまま、冬孤は憮然と言い放った。

「……貴女には関係ありません」

「関係ないと言うのは簡単だ。しかし、気心の知れない人間同士だからこそ、関係ないからこそ話せることもあると私は思うが?」

「……かと言って、貴女に話すこともありません」

「どーせ文雄のことだろう?」

 グシャッ!

 おー、ゆで卵の殻剥きに失敗したぞ。白身と黄身が全損だ。

 冬孤は一瞬で顔を真っ赤に染めた。

「な、ななななななななななななっ!!?」

「安心しろ。文雄は知らん」

 私の言葉は気休め程度だったが、冬孤はそれでも少し安心したようだった。

 顔を曇らせて、ぽつりと呟く。

「……軽蔑、しますか?」

「は?」

「だって、兄妹で……しかも双子なのに」

「別に軽蔑はせんさ。その感情を分からないとも思わん」

「……貴女、変わってるわ」

「変わっていていいこともあるさ」

 そう、軽蔑などできるはずもない。

 愛というものは、恋の延長線上にあるものではない。愛というものは、親愛の向こう側にあるものだ。突き詰めてしまえば、そういうことになる。

 そして、愛というものには様々な形がある。自分の世界で『間違い』だとされている愛も、他の世界に行けば『正しい』とされていることだってある。ようは、どうすれば愛しい人に想いを伝えられるかということでしかない。

 どんな愛の形だって間違ってはいないと思う。ただ、それを十数年しか生きていない小娘に言って納得させることは難しいだろうと思うのだ。私が小娘だった頃、同じように言われても納得などできなかったように。

 愛が全てだと思い込んでいた、あの頃のように

 ……やれやれ。全く、手間のかかる。

「山口の娘。バイトが終わるのはいつ頃だ?」

「あと一時間くらいで交代です。元々、友達に騙されてここまでつれて来られたようなものですからね。友人たちは釣りをするってはりきってましたけど、私は別に釣りには興味がありませんしね」

「なら、ちょっと話がある。多分、お前にとって有益な話だ」

「……どういうことですか?」

「なに、たいしたことじゃないさ……」

 私は苦笑しながら、目を細めて久しぶりに決意を固めた。

「経験者は語る、というやつだ」

 過去と向き合う決意を、固めた。



 後編に続く。




 小劇場。


 注、ここからの展開は時系列、作品の本編の展開、その他諸々とは一切関係ないかもしれない小劇場でございます。それでは、はりきってどうぞ。


 〜開幕〜


「はい、というわけで始まりました小劇場。進行はクールビューティメイドの私こと山口コッコと、さえない顔が特徴の似非眼鏡の坊ちゃんでお送りしたいと思います」

「…………へえ」

「坊ちゃん。あんまり素っ気無い対応だと、私にも考えがありますよ?」

「……食あたりで滅茶苦茶腹が痛いんです。頼むから放っておいてください」

「腹痛がなんですか。女の子は月に一度絶対に腹痛でダウンせざるを得ない日があるというのに。坊ちゃんは殿方ですから、そういうことは分からないと思いますけど」

「……腹痛の原因、昨日コッコさんが作ってくれた料理なんですけど?」

「まぁ、それはともかく」

「いい加減に露骨に話を逸らすのはやめて下さい」

「まぁ、それはともかく」

「今回は譲りませんよ。ちゃんと謝ってください」

「まぁ、それはともかく」

「……今月のお給料」

「すみませんでした、坊ちゃん。給金と有給休暇の削減以外ならなんなりと罰を」

「……なんでお金の話が出ると即座に謝れるんだろう?」

「それが大人というものです。私だって、お給金があと三万円高くなれば、十時まで活動することも夢ではないでしょう」

「それじゃあ、あと十二万円払いますから夜の十二時まで仕事してください」

「……もう、坊ちゃまってば。それは……主従の領分を越えますよ?」

「いや、なんで頬を赤く染めてるのかいまいちよく分からないんだけど……。あ、そういえばコッコさんのお給料の使い道ってどんな感じなんですか?」

「え?」

「だって、平日は庭の世話で手一杯だし、休日は僕と一緒に遊んでるじゃないですか。あんまりお金を使ってるようには見えないんですけど、もしかして貯金でもしてるのかなーと思いまして……あ、それとも仕送りとか?」

「……えーと、それは、ですね……」

「それは?」

「次回、猫日記『猫と釣り』後編。青い猫の語る己の過去。そして、冬孤ちゃんの決意とは? こうご期待っ!」

「………えーと、お楽しみに」

「坊ちゃん、なんか今日はノリがいまいちです」

「だから、お腹が痛いんだってば。それはそうとコッコさん。この領収書に書いてある『雨獄うごく』と『鎖紋さもん』のローン支払いって一体なんの……」

「ぼでぃ」

「ごぷっ!?」


 少年の腹にいい感じの拳が突き刺さり、閉幕。



 小劇場『コッコさんとお金の使い道』。次回、舞台裏に続く。

 と、いうわけで後編に続きます。シリアスではありませんが、恋愛でもありません。ただの少女の決意の物語になると思います。お楽しみに。

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