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僕を愛することは無いだろう 〜無自覚な旦那様に花束を

掲載日:2026/07/28


「僕を愛することは無いだろう」



きたきた、来たわよ。


「存じておりますわ。私は貴方にとって政略結婚の相手でしかなく……ってボク?」


 初夜を迎えるための夫婦の寝室で旦那様は私に言い放った。いや、言い放ったというほど威勢の良いものでもなく、ぼそぼそっとつぶやいた。格差婚の下方側である私は、ほらおいでなすったわ!と身構えて拍子抜けする。


「今日の参列者の少なさを見ただろう?」


 本日、アルデバラン家嫡男トメオンと、アステロープ家次女マイア、つまりは私の婚姻の儀が執り行われた。たしかにちょっと少なかった、四大公爵家が一つ、アルデバランのお式にしては。


「あれが貴族の人生の評価だよ。僕は社交に失敗しているんだ。申し訳無いね。花嫁にとっては一生の晴れの日なのに」


 私もそれほど社交は得意では無い。というかデビュタント位しか経験がない。参列者の数も言われてみればそうだなと今ごろ気づいた程度なので「そのようなことはお構いなく」と言葉をつなごうとしたが、


「貴方にとって僕は政略結婚の相手でしかない。言われなくても理解している。じゃあ、そういうことで。僕は別の部屋を用意してもらっているから」


などと言って、そそくさ出て行こうとする。私は慌てて彼を呼び止めた。


「旦那様」


 声をかけるとビクッと体を震わせて、怪訝な顔でこちらを見てきた。


「子を作らないのですか」

「子を?」


 何を言っているんだ?とでも言うように、旦那様は首を横に振る。


「戦争もない今の平和な王都では、社交がすべての要(かなめ)だ。僕のような社交下手が後見では、いくら爵位があろうとこの先、出世も縁組も見込めない。我が子が苦労するのが目に見えている。僕の子としてこの世に生まれるのは可哀想だ」


 ずいぶん将来に悲観的である。ただ、今の王都が異常とも言える社交至上主義なのは事実だった。


「1年もしたら妹が嫁ぐ。王家に輿入れする手前、僕が未婚という訳にも行かなくてね。けれどその後は自由だよ。これは白い結婚だ。それに3年を待たずに君の条件で婚姻解消できるから。こちらの家の勝手ですまないね」


 そう言って旦那様は今度こそ夫婦の寝室を後にする。


 旦那様は高位貴族のわりに婚約者がなかなか決まらず、子爵家次女である私のところまで話が降りてきた。妹君が見初められ、相当急いでいたのだろう、我が家が了承すると、婚約期間などほぼ無いまま即座に式の日取りが決まった。当主同士は面会しているが、私は初対面で式当日を迎えている。貴族の結婚では珍しいことではないものの、一体どんな事故物件なのかと戦々恐々としていたが、覇気がないだけで悪い人では無さそうだった。


 私に至るまでのご令嬢方はなぜ、旦那様をお断りしたのだろう。私は旦那様の顔を思い浮かべる……が浮かばない。何なんだろう、この印象の薄さは。頭を捻っていたら、鼻がむずむずし始めた。


「くしょん」


 私は立て続けにくしゃみを3回した。くしゃみ3回は誰かに惚れられた証拠、などという俗言がある。私は曖昧な記憶で旦那様の顔を思い出す。まさかね。


 そう思ったらもう1回くしゃみが出た。くしゃみ4回はただの風邪。それが俗言のオチである。私は自分の体に視線を落とす。脱がせてもらうために生まれてきました、と言わんばかりの薄く華やかな夜着である。こんなものを着ているからくしゃみが出るのだわ。私は飾り椅子にかけておいた厚手のガウンを羽織った。



 ◇◇



 次の日の朝、軽やかなノックの音で目が覚める。


「奥様、朝食のご用意が整いましたので、お召し替えのお手伝いに伺いました」


 私は乱れのないベッドから上体を起こす。初夜のお務めを果たしていないのは丸わかりだ。侍女を部屋に通すか迷ったが、旦那様が言っていた白い結婚のためには、第三者の確認があったほうが良いだろう。


 許可をすると入ってきたのは侍女長で、顔色ひとつ変えず私のお世話を始めた。さすが公爵家に仕えているだけはある。彼女は着替えを複数用意していたが、素早い目測で大きめのものをひとつ選んで私の肩に当てた。


「こちらをご用意させていただきますね」


 急な婚姻だったから、クローゼットも間に合っていない。侍女長はいくつかの服を脇に避けた。おそらく衣装係が式のドレスサイズを参考に用意したのだろうけれど、あれは短期間で限界ギリギリまで絶食した結果である。あんなもの、式後の夕食ですぐ元に戻った。


 私は世の令嬢たちのようにほっそりしていない。華奢な上腕もくびれた腰も持ち合わせていない。社交至上主義の貴族社会では見た目もとても重要だから、私はけっこう肩身が狭かった。

 食事を完食すると「あらあらお嬢様はまだ成長期のおつもりですか」などと嫌味を言う人は公爵邸にはいなくて良かった。ちなみにこれを言うのは実家の侍女だ。だから私は公爵邸に誰も連れてこなかった。


 用意されたのは、胸元にリボンがついたストンとしたガウンドレスだった。これは楽だ。朝食もいっぱい食べられそう。セージの若緑色もさわやかで元気が出る。初夜もしない昨日のあの感じだと朝食は私ひとりだろう。けれど、急拵(ごしら)えのところ気の利いた装いを準備いただけただけで十分だ。


 朝食は何かな?と期待して朝食用のサロンに入る。東向きの部屋で窓から柔らかな光が注いでいる。その窓際の、部屋の一等地に設(しつら)えた小テーブルがあった。卓上に用意されていたのは2人分の朝食。しかも、すでに1人が座っている。


「旦那様?」

「ああ」


 ああ、じゃないでしょう。そこはおはようでしょう。


「おはようございます、旦那様」

「おはよう」


 もそもそと旦那様が返事を返す。旦那様はすでに朝のお茶を飲んでいた。私が席につくと、侍女がポットを新しいものに取り替える。ということは、ずいぶん前から旦那様はここにいるわけだ。


「お待たせしましたか」

「いや?」

「いっしょに朝食をなさるとは思わず、遅くなりました」

「あっ」


 旦那様はしまったというふうに声を出す。今気がついたようだ。朝食をいっしょに食べるかどうか、私に未確認だったことを。


「1人のほうが良かったろうか」


 1人のほうが気楽だなと正直思った。だって気を遣うもの。でも、私たちは寝室も別だし、この後も1日別行動だろう。今後も朝食くらいはいっしょにいただいて、各々(おのおの)業務連絡、情報交換をしたほうが良いだろう。


「いいえ、ぜひご一緒に」


 私がそういうと、旦那様はほっとしたご様子だった。そして私の若緑色のワンピースを見ている。


「お洋服ありがとうございました」

「ミモザが選んだものだ」


「ミモザは旦那様から、奥様が寛(くつろ)げるものを、と賜りましたのですよ」


 給仕を手伝いながら、ミモザと呼ばれた侍女長が口を挟む。旦那様と距離感が近い。乳母かしら。そして彼女はどうやら旦那様の好感度を上げにきている。実際、ちょっと上がったけど。


 ミモザのバラシに当の旦那様は目を丸くしている。私は何か会話をと思って話しかける。


「昨夜の」

「あれはミモザではない。貴方のご実家が用意されたものだと聞いた」


 まだ何も言っていないのに話は進む。旦那様が言っているのは初夜の夜着のことかな。


「あれは良くない。身体が冷えそうだ。僕が新しい夜着を用意しよう」

「旦那様が夜着を」

「あ」


 夫が夜着を選ぶというシチュエーションの意味に旦那様は気がついた。それはつまり私たちの場合、初夜をしましょうというお誘いと同義である。旦那様は自分の発言に目を回している。ふと気がつくと、パンと飲み物を用意し終えたミモザは部屋を下がっていた。できる侍女長だ。


「あれ?ミモザは」


 旦那様はおろおろする。


「未婚の女性と二人きりだなんて」

「あの、私、既婚者です」


 しかも配偶者は貴方ですよ。旦那様はそわそわして聞いちゃいない。私は会話を繰り返す。


「旦那様が夜着を?」

「そうだ、夜着のことだった。僕が選ぶわけにはいかない。公爵家の名義で買い物は好きにしてくれて構わない。申し訳ないがご自分で選んでくれないか」

「ありがとうございます、旦那様」


 公爵家のお金を使うのだから、一応は聞いておこうと思った。


「厚手の生地でしたら同じような意匠でよろしいでしょうか」

「ああ。透けないものなら。デザイン自体は良くて、とても可愛かったから……あ」


 旦那様、固まる。


「今のは、あの夜着が好みということではなく、貴方が可愛かったという意味で……あああ……本当にすまない」


 頬を染めて両手で顔を覆う旦那様。


「あの夜着は好みでは無かったですか」


「……好みだ」


 好みなんだ。


 旦那様は顔を覆った手のひらを少し広げて、指の間からこちらを見る。


「僕に幻滅しただろう。いや再認識したというべきか」


 はじめ、旦那様は欲がないのか、私に興味がないのだと思っていた。けれど、どうやらそうではないらしい。私は思い切って提案してみた。


「旦那様、しましょうか初夜を」


 旦那様は目を見開く。


「愛がなくてもできるのか君は」

「旦那様はロマンチストなんですね」


 私がそう言うと、彼は悲壮感漂う顔をした。


 その後のお食事中、旦那様はわかり易く落ち込んでいた。食器の音だけが響く静かな朝食が終わる。旦那様が布ナフキンで口を拭ってテーブルの上に置いたので、合わせて私も食事を終わろうとしたら「君はゆっくりすると良い」と制された。


 執務に戻るため、席を立った旦那様にお声をかける。


「夜、お待ちしていますね」


 旦那様はそれには返事をせず、困ったような顔をして「よい一日を」とだけ言った。



 ◇



 外出の身支度をしながら私はミモザに問う。


「旦那様は、他の方からどのような理由でお断りされたのですか」


 奥様ですから正直に申し上げますが、と前置きしてミモザは口を開く。


「これと言って取り柄がない。リードしてくれない。あたりが多かったですね。あとはアルデバラン公爵家はなぜ土地収入が小さいのですか、という確信に迫ったものもございます。ご令嬢はともかくお家(いえ)の判断は三つ目でしょうね」


「旦那様は買い物は好きにしてくれとおっしゃっていました。もしかして浪費で火の車ですか」

「まさかまさか」


 ミモザは大袈裟に驚く。


「アルデバランは健全経営でございますよ。旦那様は昔から社交が苦手でございまして、跡継ぎの可能性がないことを前々から悲観しておりまして。国へ領地没収になっても領民が困らなくて良いように、今のうちから公共事業や設備投資に資金を回しているのでございます。国の預かりになりますと、新興王領は支援を後回しにされやすいですから」


 なるほど、超還元経営が故に内部留保が少ないのだ。婚姻による融資の工面を期待していたお家は、避けるかもしれない。


「そうとしても公爵家からの婚姻の打診を断れるものなのですか」

「今は断れますよ。ただセフィーナお嬢様が王室に入られた後は難しいでしょうね。王家の姻戚を断ることになりますので」


 セフィーナ様は旦那様の妹君である。


「ですから旦那様はことに最近、お相手探しを急いでいたのです。相手方が断れなくなりますから。旦那様はお相手の意思を尊重したい方なのです」


 ミモザはまた旦那様の好感度を上げにくる。まあ、うちはお父様が勝手にお決めになりましたけどね。

 私は目を閉じて、旦那様を思い浮かべた。思い出すのは、動揺したり、恥ずかしさに呻(うめ)いたり、頬を染めて何かを言い訳する姿だ。洗練された紳士とは言い難い。けれど昨日とは違って、今日の私は、旦那様のダークブロンドの髪も、アーモンドのような瞳も自然と思い出すことができた。

 印象に残りづらいというだけで、お顔立ちだって別に悪くない。高位貴族にありがちな、女性への尊大さもない。なんたって公爵家だ。しかも健全経営の。みんな理想が高すぎないか?


 これまでのご令嬢方が断ってくれて良かった、私はそう思った。



 ◇



 夜、夫婦の寝室で待っていると、旦那様がやってきた。


「閨(ねや)に来たのではない。貴方と話をしようと……え」


 旦那様は口元を押さえて、立ち尽くす。


「昼に買い物に行ったのではないのか」


 行った。行ったのだけれど、旦那様はこの夜着が好みだと言っていた。お好みならば別に新しいものを買い足す必要はないのでは?と思ったのだ。それに実家からは新妻セットとして色違いがたくさん送られていた。


「なぜ昨日の夜着を」

「正確にはこれは色違いで」

「色違い?」

「7色あります。1週間分とのことで」


「な、7晩!?」


 そういうことになりますね。意味としては。旦那様はよろよろと長椅子に倒れ込む。


「1日ずれてしまいましたが」

「ずれてない。しないよ」


 旦那様が即座に答える。私はこめかみを指で押し込んでいる旦那様を心配して、長椅子に近づく。


「ああ、こっちに来るな!」


 強めに拒否されてしまい、さすがに足を止めた。私は棒立ちになる。


「すまない、違うんだ。僕が悪い。こちらの事情だ。上に何か羽織ってくれないか」


 私は近くにあったガウンを羽織る。私が前のボタンをしっかり締めたのを確認すると、旦那様はようやく私の顔を見てくれた。


「君は誰とでもこういうことをするの?」


 旦那様、どういう思考回路ですか。異国の恋愛小説の読み過ぎではないですか?


「一応これでも貴族の箱入りなので、乙女です」

「そういうことじゃない。政略結婚の相手なら誰とでも初夜をするのか、ということだ」

「そうですね。家が決めたことであれば」


 旦那様は眉を寄せて、唇を噛み締めている。


「会ったばかりの初対面の男と、そういうことを?」

「だってそういう制度じゃないですか」

「そんなのおかしいじゃないか。会ったばかりの男が君と初夜をするなんて。その相手が僕だったとしても嫌だ」

「一体何を言ってるんですか」


 私は距離を縮めて、旦那様の隣に座った。今度は邪険にされなかった。旦那様は空中を見ている。私は先ほどからの心当たりを旦那様に聞いてみる。


「旦那様は私のことが好きなのですか」

「……好きだ」

「会ったばかりなのに?それこそおかしいですよね?」

「な」


「夜着をまとった女性なら、誰でも好きになっちゃうんじゃないんですか」

「そんな訳があるか」

「信用できませんね」


 旦那様は逡巡(しゅんじゅん)した後、切り出した。


「何回もある」

「はい?」

「夜着の女性を見たことは何回もある」


 まさかこの旦那様がそんなにご経験豊富とは。


「恋人がいらしたんですか」

「違う。夜会で、いろんな女に何回も襲われたんだ」


 ああ、なるほど、それでこの仕上がり。この拗らせは女難が過ぎた結果なのですね。


「君はデビュタントだけ?」

「はい」

「賢明な判断だ」

「そんなに夜会は乱れているんですか」

「あれを社交と呼ぶのなら、僕は独り身で結構」

「旦那様はもう既婚者ですよ?」

「いいんだ、じきに独身に戻る」


 そうやってすぐ旦那様は閉じてしまう。私は即座にこじ開けに行く。


「ともあれ、旦那様は夜着に見慣れていると」

「ちょっとまとめ方に悪意が無いか?」


「夜着をなんとも思わないのでしたらあんなに怒らなくても」

「好きな女の夜着は別だ」


 そう言って旦那様が私をじいっと見る。アーモンド色の瞳に私が映り込んでいる。色素の薄い上品な顔立ちだ。けれど頬は少し蒸気している。いつも頭の中でごちゃごちゃと考えているだろう旦那様の、知性が少し下がっている。そのことに、なんだかどきどきする。


「マイア」

「旦那様」


 旦那様が私のガウンのボタンをひとつ外す。さっきは締めろと言ったのに。しかし旦那様はすぐに我に返った。


「ああっ、だめだ、白い結婚が無くなったらどうする」

「旦那様、それずっと言ってますけど、別に白い結婚じゃなくて良いですよ?」


 ああ、残念ながら旦那様は手を引っ込めてしまった。そして私が白い結婚は不要だと伝えても無反応を決め込んでいる。私は少し話題を変える。


「旦那様は私の名前を知っていたんですね」

「そりゃあだって」

「なんですか」

「ええと、君のほうこそ僕の名前を覚えているのか」

「トメオン様ですよね?」

「もう一度」

「はい、トメオン様」


 旦那様は私がその名を呼ぶのを味わいながら、ガウンの二つ目のボタンを外す。その流れで胸元に指を滑り込まそうとして、また「だめだ、あぶなかった」と言ってその手を引っ込めた。


「もう夫婦なんですから、大丈夫ですよ」

「夫婦だからという理由でしたくない」

「あの、それより適切な理由って存在しますか」


 旦那様は苦笑いをする。


「そうじゃないんだ。役割の前に、貴方の心が欲しいんだ」

「心……」


「逃げ腰で悪かった。初夜のこともちゃんと考える。だからその前に、今より少しだけでいいから、僕のことを好きになってほしい。君に好きになってもらえるよう、男として努力するから」


 旦那様が切実な目で私を見てくる。けれど、それは無理だと思った。今より好きになるのは無理。だってもうだいぶ好きだったから。


 明日、旦那様に告白をしようか。旦那様はそういうの好きそうだから。信じないかもしれないから、今日のお昼に選んだお揃いのプレゼントとブーケを添えて。




(完)

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