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婚約破棄されたので身を引いたら、王弟殿下に最初から囲われていました

作者: 絹ごし春雨
掲載日:2026/04/23

夜会の中央で、婚約破棄が告げられた。

予定調和みたいに。


音楽が止まる。

ざわめきが遅れて広がる。


視線が、集まる。


――逃げ場がない。


「俺は、お前との婚約を解消する」


エドガーの声は、よく通った。

迷いがない。


隣の令嬢の手を取る仕草が、わずかに遅れる。


笑っているのに、目が泳いでいる。


(……噛み合っていない)


違和感が、残る。


「この人を、愛している」


その言葉が、軽い。


借り物みたいに。


喉の奥に、引っかかる。


それでも。


エリシアは、息を整える。


「……承知いたしました」


それだけを返す。


ざわめきが揺れる。


期待された“何か”が起きなかったみたいに。


「随分と、あっさりしているな」


エドガーの声。


遠い。


意識が、別の場所に引かれている。


――視線。


背に、落ちる。


ぞくり、と。


皮膚が粟立つ。


ゆっくりと、振り向く。


柱の影。


光の外に、ひとり。


レオンハルト。


動かない。


ただ、見ている。


最初から、ずっと。


視線が、絡む。


外れない。


(……見られている)


違う。


(……なんで)


息が、浅くなる。


逸らしたいのに。


できない。


そのまま。


一歩、踏み出していた。


引き寄せられるように。


「……ご覧になっていたのですね」


声が、わずかに掠れる。


「ええ」


短く。


「最初から」


その一言が、落ちる。


逃げ場のない音で。


そして。


「ようやく、手放したな」


意味が、追いつかない。


でも。


その言い方は、


まるで。


最初から、そうなると知っていたみたいで。




廊下に出た瞬間、

足元が、わずかに揺れた。


息が、続かない。


整えていたはずの呼吸が、ほどけていく。


(……立って)


思うのに。


力が、入らない。


そのまま。


崩れる。


――前に。


腕が、支える。


落ちるより先に。


当然みたいに。


引き戻される。


「壊さない」


低く。


すぐそばで。


その声に。


張り詰めていたものが、ほどける。


内側から。


静かに。


「……っ」


息が、揺れる。


触れられているのは、ほんの一部なのに。


そこから、広がっていく。


崩れかけていたものが。


ゆっくり、形を取り戻す。


外からじゃない。


内側を、なぞられるみたいに。


「そのままでいい」


耳元で、落ちる声。


逃がさないのに。


締めつけない。


ただ、留める。


それだけで。


力が、抜ける。


(……楽、)


思ってしまう。


その瞬間。


境界が、滲む。


自分と。


彼の。


区別が、曖昧になる。


「崩さない」


短く。


それだけで、十分だった。


呼吸が、整う。


心臓が、落ち着く。


気づけば。


立っている。


自分の足で。


けれど。


支えられていた温度が、残る。


離れたあとも。


消えない。





数日後。


王宮は、静かに歪み始めていた。


決裁が遅れる。

人が動かない。

小さな綻びが、広がる。


「どうして、こんな……」


エドガーの声。


その隣で、令嬢が目を伏せる。


「王弟殿下の……」


その一言で。


すぐに、理解したわけじゃない。


ただ。


引っかかる。


夜会の光景が、浮かぶ。


あの視線。

あの言葉。

整いすぎた流れ。


(……違う)


偶然じゃない。


そう思った瞬間。


ひとつ、繋がる。


さらに、ひとつ。


言葉の端。

仕草の遅れ。

視線の向き。


すべてが。


少しずつ、噛み合う。


(……最初から)


息が、止まる。


指先が、冷える。


でも。


否定できない。


むしろ。


納得してしまう。


「理解したか」


背後から、声。


振り向く。


レオンハルト。


逃げない視線。


「……あなたが」


問いながら。


もう、わかっている。


「どう思う」


試す声。


逃げ道を残したまま。


でも。


外には出さない。


「……そうとしか」


言葉にする。


その瞬間。


すべてが、確定する。


「正解だ」


あっさりと。


軽く。


でも、外さない。


「欲しかったから」


同じ言葉。


でも。


今は、重い。


全部、含んでいる。


「逃げるか」


静かに。


選ばせる声。


エリシアは、目を閉じる。


一瞬。


開く。


「……いいえ」


答える。


その瞬間。


引き寄せられる。


迷いなく。


でも、乱暴じゃない。


逃げ場を残したまま、奪う。


呼吸が、近い。


混ざる。


「そうか」


低く。


満ちる声。


それだけで。


抗う理由が、ほどける。


崩れるのは、遅れて。


でも、確実に。


「エリシア!」


振り向く。


エドガー。


「お前が必要だ」


届かない言葉。


「……遅かったですね」


静かに、切る。


余白なく。


「……あの男か」


理解している顔。


「……ええ。でも、今は、私が」


……選びましたから。


言葉にならない言葉。


それで、終わる。


完全に。


一歩、引く。


距離を断つ。


その瞬間。


背に、触れる。


引き寄せられる。


抗わない。


知っている温度。


「綺麗に切ったな」


わずかに、笑う気配。


「全部、思い通り?」


「いいや」


短く。


「最後に選んだのは、お前だ」


その言葉が、落ちる。


深く。


逃げ場なく。


「後悔は」


問われる。


エリシアは、目を伏せる。


残る熱を、辿る。


「……いいえ」


短く。


はっきりと。


抱き寄せられる。


静かに。


深く。


「なら、いい」


夜が、落ちる。


触れている場所だけが、熱を持つ。


離れない。


離さない。


でも。


選ばせたまま。


――もう、戻れない。

戻りたいとも、思わなかった。

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