憎まれ皇女アンネリーゼのやんごとなき護衛〜敵国王子を拾って育てたら最強の魔法使いになりました。
石畳の上に赤い雨が降る。
長い黒髪のその子供は、血に汚れた顔で周囲を睨んだ。
怜悧な蒼い瞳に、殺意が陽炎のように揺らめく。
「……寄るな」
アンネリーゼはその言葉に構うことなく一歩踏み出す。
「!」
無数の風の刃がその子供を中心に生み出され、アンネリーゼの頬や手足を切り付けた。
アンネリーゼは少し驚いたが気にせず、また一歩、子供の方に足を踏み出した。
「寄るなと言っている……!」
アンネリーゼの腕に、肩に、先程より深い切り傷ができる。血が流れ出す。
「わたしはあなたをきずつけない」
黒髪の隙間から覗く蒼い瞳が、戸惑ったようにアンネリーゼを見ていた。
「あなた、なまえは?」
アンネリーゼの声に、子供は小さく答えた。
「エミール……」
「エミール。あなたをほごします」
アンネリーゼは、傷だらけの顔で微笑んだ。
「わたしはアンネリーゼ。ノーヴァていこくのだいはちおうじょ」
「皇女……?」
アンネリーゼは、自分より少し背の高いその子供を抱きしめる。
「あなたをわたしのじじょにするわ」
エミールと名乗った子供は、“意味がわからない”と言いたげな表情をした後、堪えきれないようにふらりと揺れ、倒れた。
☆☆☆
10年後、アンネリーゼ姫はノーヴァ帝国魔法学校の寮の一室でぼやいていた。
「顔がタイプだったのよ」
ピンクがかった金色の長い髪が揺れた。
「とっっっっても可愛い子を見つけたと思ったの」
(思わず抱きしめたくなるような。そばに置いておきたくなるような)
「そうですか、それは残念でしたね」
興味無さげに呟くのは、黒髪の少年である。
「まさか男で、しかも王子だったなんて」
「姫様」
少年は眼差しを鋭くする。
「私の出自は口にしてはならないはずです」
「いいじゃないの、ここは私の部屋よ?」
「どこで誰の耳に入るか分かりません」
アンネリーゼが10年前、父に連れられて行った戦争で可愛い女の子だと思って拾ってきた子は、男だった。
しかも、父が攻め込んだ王国の王子だった。
(だって道端に居たんだもの。王子だなんて思わないわよ)
ノーヴァ帝国から攻められ、王宮から密かに脱出して逃げていたところで、お付きの者たちと散り散りになり、あの状況になっていたらしい。
「服だって女の子みたいだったわ。詐欺にあった気分」
「姫様が万一の時にきらびやかなドレスでお逃げになったら?」
「自分が的だと宣伝して回るようなものね。分かったわよ、もう」
アンネリーゼが唇を尖らせると、少年はクスっと笑った。
「姫様の御身は私がお護りします。このエミール、姫様の影武者として楚々とした完璧な姫を演じてみせましょう」
「貴方、それ嫌味ね」
「完全に嫌味です」
アンネリーゼはじろりとエミールを睨んだ。
「ああ、暑いわ。冷たい飲み物を持ってきてくれないかしら? 氷入りでお願いね」
「承知いたしました」
「エミール」
アンネリーゼはエミールの左手を掴んだ。
「私は貴方を手放さないわ。貴方がどんなに私を憎んでも」
エミールの左手首。そこを一周、蔦が絡んだような黒い紋様がある。
この世界に伝わる古い魔法の一つである『従属の魔法』がかけられた印だ。
この魔法をかけられた者は、かけた者の言葉に逆らえない。10年前、アンネリーゼは父である皇帝の前で、エミールにこの『従属の魔法』をかけた。侍女にこそできなかったが、アンネリーゼはこれでエミールを従者にできたのだ。
アンネリーゼに『手放さない』と言われたエミールは、苦笑を浮かべる。
「何を今更。姫様が昔から私を好きなのは、存じ上げております」
「ならいいわ。ふふ、大好きよエミール」
アンネリーゼはにっこり笑ってエミールの手首を放した。
☆☆☆
エミールは10年前にノーヴァ帝国に滅ぼされた小国の王子であると同時に、ノーヴァ帝国魔法学校の首席である。その魔力は並の生徒を凌ぎ、同じ魔法学校に同じ年数通うアンネリーゼも全く敵わない。
攻撃魔法、防御魔法、薬の知識から箒に乗っての飛行まで、エミールは器用に何でもこなし、何でも吸収した。
元々彼は王族の人間として、身を守る魔法は幼いうちに習得していたらしい。
そうではなかったアンネリーゼは、入学してからずっと、エミールの守護魔法に守られ学校生活を送っている。
守護魔法は時間経過で弱くなるのでかけ直しが必要だが、エミールが少し離れてもアンネリーゼに危険が及ぶことはない。
とはいえ、やれ『扇で仰げ』だの、やれ『退屈だから何か面白い魔法を見せろ』だのと、アンネリーゼのわがままは際限が無いので、エミールは大体アンネリーゼのそばにいた。
(この前覚えたのは鳩を帽子から出す魔法、その前は花びらを降らせる魔法、その前は早口で喋れるようになる魔法……)
アンネリーゼのおかげで最近のエミールは宴会の一発芸のような魔法ばかり覚えている。
「エミール・シュトライト」
ある日エミールが魔法学校の廊下を一人歩いていると、呪文学の教師に話しかけられた。
「従属の魔法の解き方を、知りたくはないか?」
エミールは立ち尽くした。
それを考えた事がないと言ったら嘘になる。
☆☆☆
従属の魔法。
強力ゆえに手間がかかる魔法で、使用者にしか解除できない。
エミールがアンネリーゼに従属の魔法をかけられているのは帝国魔法学校では有名だった。
皇女アンネリーゼの最強にして唯一の盾、エミール・シュトライト。
「これを解けるのは、恐らく……」
呪文学の教師は、エミールに告げた。
従属の魔法は使用者が死ねば効力を失う。だがアンネリーゼは、他でもないエミールがかけた守護魔法に守られている。
アンネリーゼを殺せるのは、守護魔法をかけたエミール自身。
エミールは教師を見上げて歪んだ笑顔を見せた。左手首の紋様を見せる。
「正直、もううんざりしていたんです。何故この僕がこのような鎖をつけられて、あんなわがまま放題の姫に犬のように従わなければならないのか。先生、協力していただけますか?」
呪文学の教師はニヤリと笑う。
「勿論。あの高飛車な姫を快く思わない者は、この学校には沢山いてね。まぁ身から出た錆だと思うが」
「彼女を殺めるのは僕にしかできない……それに異論はありません。ですが、僕一人では彼女を取り逃すかもしれない。できるだけ人手が欲しいです。確実に彼女を仕留めるために」
エミールの瞳に暗い影が差す。
「この計画を決して口外しない、彼女を本気で殺したいほど憎む人間を集めてください。それが僕の条件です」
☆☆☆
数日後、魔法学校の廊下にて。
「アンネリーゼ様」
エミールの声に、アンネリーゼは振り返る。
「少しお話が」
エミールに誘われるまま、アンネリーゼは呪文学の教室に入った。
自分の後ろで、バタンと教室の扉が閉まる。
そして、封印の結界が張られる音がした。
「……エミール?」
☆☆☆
呪文学の教室の中には、数人の生徒と呪文学の教師が居た。
その教師と生徒を背にして、エミールはアンネリーゼと対峙した。
「従属の魔法を、解除していただきたく存じます」
エミールがそう言うと、その背後の人間達が、うっすらと笑みを浮かべる。
「嫌だと言ったら?」
アンネリーゼの声に、エミールは淡々と答える。
「力尽くでも解いていただく」
エミールがローブから取り出したのは杖だった。
「従属の魔法は、かけた者が死ねば効力を失くす。アンネリーゼ姫、お覚悟を」
自分に杖を向けてそう告げるエミールを見て、その背後の人間達を見て、アンネリーゼは全てを理解したような表情を浮かべた。
「いいわ。従属の魔法は解かない。私を殺しなさい、エミール」
キィィン、と、どこかから微かな音がした。
アンネリーゼは凛と顔を上げる。
「貴方に首を取られるのなら、本望よ」
「……姫」
エミールは苦しげに顔を歪めた。
「言い残したことがあるのなら……今お聞きしますが」
「……そうね」
エミールの声に、アンネリーゼは静かな表情で彼を見つめた。その紫色の瞳に揺れる、深い悔恨の色。
エミールが息を呑む。
「嫌いな私に縛り付けて、ごめんなさい。貴方にとって私は親の仇も同然。殺したいほど憎まれていても、当たり前だわ。私を殺して楽になれるのなら、そうして」
アンネリーゼの胸に向けられたエミールの杖の先がぶるぶると震える。エミールの息がだんだん浅くなる。
「どうしたの? 今が絶好のチャンスでしょう、エミール?」
「……く……っ、こ……の……」
「この?」
「この、大バカ姫!! 人を試すのもいい加減にしろぉぉ!!」
綺麗な顔のエミールから吐き出される品のない言葉に、アンネリーゼは心から満足そうな笑みを浮かべた。
「———撤回するわ」
アンネリーゼがそう言った途端、エミールの左手首から、パリン、とガラスが割れるような音がする。
従属の魔法の“縛り”が解ける音だった。
エミールは素早く身を翻すと、アンネリーゼに向けていた杖を自分の背後の者達の方へ向けた。
アンネリーゼを庇うように立つエミールはまだ苦しげに肩で息をしている。
「敵を炙り出すための陽動だと昨日申し上げたでしょう! それっぽく乗らないでください、従属の魔法に抗うのは大変なんです!」
「ふふふふ。お芝居は楽しいわね」
アンネリーゼはコロコロ笑い、エミールの隣に立って杖を構えた。
「どういうことだ、エミール・シュトライト……!」
憎々しげに声を上げた呪文学の教師とその側にいる生徒達が、一斉に杖を取り出して二人に向けた。
「エミール。一緒に戦って頂戴」
「……仰せのままに」
どこか不服そうに、エミールは答えた。
直後、呪文学の教室に爆発音が数度響いた。
この事件はアンネリーゼによって皇帝に報告された。皇女暗殺未遂の罪で、呪文学の教師および、アンネリーゼの死を願った生徒達は厳しい裁きを受けることになった。
☆☆☆
アンネリーゼは嘘をついている。
エミールは知っている。
10年前、アンネリーゼがエミールにかけた従属の魔法。
それを解かない理由を、アンネリーゼは『エミールのことを気に入ってるから、手放したくないの』と公言して憚らない。だがそれは違う。
アンネリーゼがエミールを従属の魔法で縛っているのは、“アンネリーゼが従属の魔法でエミールを縛っておくこと”が、この帝国でエミールを生かす唯一の方法だからだ。
滅ぼした国の王子など、存在するだけ戦の火種になる。すぐに消すのが最善だ。
『おとうさま、アンネリーゼのおねがいをきいてくださらないの? アンネリーゼは、あのこがほしい!』
10年前の祖国における戦争で、エミールが魔力を使い尽くして倒れた後、目を覚ました時に聞こえてきた幼いアンネリーゼの声。
『もしあのこをころしたら、アンネリーゼはおとうさまをきらいになりますわ!』
“アンネリーゼ姫”は、ワガママであればある程良い。アンネリーゼに甘い皇帝は、いつもの娘のワガママだと聞き入れてくれる。そうやってアンネリーゼはわざとワガママな姫を演じて、エミールの命を守っている。
(だから、嘘だ)
『貴方のことが好き』と、アンネリーゼはいつも何でもないことのように言う。
軽々しく、深い意味などないように。
エミールはその言葉を聞くたびに苦々しい気持ちになる。
魔法植物の授業を終えて寮の自室に帰ってきたアンネリーゼは、ベッドにパタリと横になった。
「疲れたわ、エミール。足を揉んでもらえるかしら?」
アンネリーゼのわがままぶりが演技であることの証拠に、彼女は二人きりの時にエミールに“お願い”することはあっても“命令”をすることはない。
『私を殺しなさい』
あの“命令”は衝撃的だった。
できればもう二度と聞きたくない。
「姫様」
「何?」
「命令してください。いくらでも従いますよ」
アンネリーゼはエミールを見た。
紫水晶のような不思議な色合いの瞳がエミールを映した。
「それは嫌」
エミールはベッドにうつ伏せになっていたアンネリーゼを乱暴に仰向けると、組み敷くような体勢で彼女を見下ろした。
「……エミール?」
アンネリーゼが戸惑った声を出す。
エミールは無表情で尋ねた。
「私のことが『好き』なんですよね?」
(やめるように命じればいい)
興味の無い男に組み敷かれて、愉快なはずがない。
アンネリーゼは、滅ぼされた王家の生き残りを哀れに思っているだけだ。
そばに置くのはエミールでなくてもいいのだ。
(義理で愛を囁いていると、白状してしまえ)
だがアンネリーゼはエミールを見つめてはっきりと言った。
「好きよ」
(まだ言うのか)
エミールは苛立った。
アンネリーゼがそう言うたび、どれほどエミールが心を痛めているのか彼女は知らない。
「なら……」
アンネリーゼの艶やかな唇にエミールが自分の唇を近づける。
鼓動が痛いほど高鳴る。
しかしそこでエミールは、アンネリーゼが覆い被さっているエミールの胸を押して、弱々しく抵抗していることに気付いた。
「嫌なら、命令を」
(命令されて、人ではなく物のように扱われて、この人を心底嫌いになりたい。憎んでしまいたい)
アンネリーゼの父親はエミールの国を攻め滅ぼした。
エミールの親兄弟は全員、アンネリーゼの父親に殺された。
アンネリーゼもろともこの帝国を憎むことができたら、どんなに楽だろうか。
(奴隷にそうするように、命令しろ)
そのエミールの願いを、アンネリーゼは聞き届けない。
「エミール」
アンネリーゼは震える声で“命令”した。
「好きになさい。私を殺したければ殺しなさい。自由になって、どこへでも行けばいい。今の貴方なら、もう一人でも生きていけるでしょう」
従属の魔法が発動し、エミールの手首を締め上げる。
「……姫様。二言はありませんね?」
エミールは手首を締め上げられる苦痛に耐えながらアンネリーゼを見下ろした。
☆☆☆
エミールの蒼い瞳に刃のような鋭い光が宿る。
出会った頃の彼が自分に向けていた眼差しだ。
その瞳が彼の瞼の裏に隠れたと思うや否や、アンネリーゼは自分の唇に触れるものに気付いた。
「エミ」
言葉を奪うように二度目の口付けをされる。
胸が締め付けられて痛い。
頭の芯が痺れるようだ。
長い口付けの後、エミールはアンネリーゼから離れた。
(……今、何が起きたの)
アンネリーゼは突然のことに頭が真っ白になった。
整わない息のまま、エミールから隠れるように枕にうつ伏せる。
心臓がバクバクと暴れている。
「好きにしろ、と仰ったので」
左手首の締め付けが無くなったのか、エミールは安堵するような息を吐く。
『殺したければ殺しなさい』
アンネリーゼも何の覚悟も無く口にした訳ではない。
父帝が彼の家族や祖国を奪ったことへの贖罪。
命を守るためとはいえ、彼の人生を自分に縛りつけた、大きな罪悪感。
自分がエミールと10年の時をかけて繋いで、結んできたつもりの絆と呼べるかも分からない関係が、彼の大きな憎しみに負けるのなら、悲しいけれど、受け入れよう。
エミールの手で、彼への気持ちごと自分を葬ってくれればいい。
そう思っていたのに。
エミールの左手首の従属の魔法の紋様が落ち着いたということは。
(エミールは……)
「アンネリーゼ様」
エミールは枕に顔を沈めているアンネリーゼの髪に触れた。
「今後は好きでもない男に、好きだなどと仰いませんよう。軽い気持ちでついた嘘でも、こんな目に遭いますよ」
アンネリーゼはチクリと胸の痛みを感じた。
「……嘘じゃないわ」
枕にぼそりと呟いた言葉は、きっとエミールにははっきりとした言葉として届かなかったのだろう。エミールは何も言わずアンネリーゼのそばを離れ、部屋を出て行った。
☆☆☆
アンネリーゼの部屋の扉を閉めた後、エミールはそのまま扉に寄りかかった。
「はぁぁぁ………」
顔を手で覆って、深すぎるため息を吐く。
(嘘じゃないとか)
身が持たない。
エミールは少し外の風に当たって、顔の熱さを冷ますことにした。
☆☆☆
ノーヴァ帝国魔法学校には、帝国の第八皇女アンネリーゼが通っている。
彼女の隣には常に、優秀な魔法使いの護衛が控えている。
皇帝から可愛がられる“わがまま皇女アンネリーゼ”は、何かと疎まれ憎まれ、暗殺や嫌がらせの標的になるのだが、彼女の護衛がその度に強力な魔法で返り討ちにするらしい。
☆☆☆
魔術師エミール・シュトライト。
後世、ノーヴァ帝国魔法史に名を遺した出自不明の偉大な魔法使いは、その生涯をアンネリーゼ姫に捧げたと言う。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
心ときめく物語をお届けできたでしょうか。
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