【アップ】男山教会2022年11月13日礼拝説教〜下のほうに讃美歌もあります
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do
【男山教会ホームページ】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【YouTube】(不思議のパルプンテ)
https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos
【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【カクヨム】
https://kakuyomu.jp/my/works
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7sCbTTQmGVQ&feature=youtu.be
【ブログ】
https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12775044709.html
(ブログを見てくださると聖書と歌詞も閲覧できます)
前奏
招詞 イザヤ書63章15,16節
詩 編 歌 130番(2節)
開 会 祈祷
主 の 祈り
十戒・祈祷
子ども説教
子どもと親のカテキズム問9
「ただおひとりの神さま」
こどもさんびか
すべてのひとよ[改32(全1節)]
牧 会 祈祷
讃 美 歌 525番(1,2節)
聖書
使徒言行録14章21~28節(新P242)
詩編30編7~13節(旧P860)
説教
「送り出された所で
~神が共におられた恵みの報告」
宮武輝彦
祈 祷
讃 美 歌 525番(3,4節)
みことばの交読文
イザヤ書60章19~22節
感謝のささげもの・祈祷
頌 栄 539番
祝 祷
執り成しの祈祷
報 告
讃美歌~♪
讃美歌525番(歌詞付)54年版「恵み深き主のほか」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=suRVOx3dC6o
1
めぐみふかき 主のほか、
たれかわれを なぐさめん。
わが主、わが神、恵みたまえ、
ただ頼りゆく 我が身を。
2
わが主ともに いまさば、
あくまわれを いかにせん
わが主、わが神、恵みたまえ、
ただ頼りゆく 我が身を。
3
きよきみむね おしえて、
はたしたまえ みちかい。
わが主、わが神、恵みたまえ、
ただ頼りゆく 我が身を。
4
とうとき主よ、われをば
きみのものと したまえ
わが主、わが神、恵みたまえ、
ただ頼りゆく 我が身を。
讃美歌第85番】主の真理は
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=qXIu6g7AYMg
主の真理は 荒磯の岩、
さかまく波にも などか動かん。
[*]くすしきかな あまつみ神、
げに尊きかな とこしえの主。
主のめぐみは 浜のまさご、
その数いかでか 計りうべき。
[*]
うつりゆく世、さだめなき身、
ただ主に頼りて 安きをぞえん。
[*]
つもれるつみ、ふかきけがれ、
ただ主を仰ぎて 救いをぞえん。
[*]
光とやみとの
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=GtPuOKH6bTo
2022年11月13日 礼拝説教 中心聖句
到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
使徒言行録14章27節
平穏なときには、申しました。「わたしはとこしえに揺らぐことはない」と。・・・しかし、御顔を隠されると わたしはたちまち恐怖に陥りました。
詩編30編7,8節
はじめに
キリストにある恵みの中に、旅の終わりに、祈りの仲間に報告する平安。
1
「それから、二人(彼ら)はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ペルゲで御言葉を語った後」とは、元来た道をたどる帰りの道で、なおも御言葉を伝え続けたことを物語る。リストラからの帰りの道には、ユダヤ人の反対や、悪意、扇動された異邦人といっしょになって、石を投げつけられた町を含む。バルナバとパウロたちは、決して、逃げるようにして、次の伝道地に向かったのではなく、帰りの道では、「弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」ほどに、教会の健全な訓練と成長を求めつつ、謙虚な祈りの中で、主にゆだねつつ、出発の地、シリア州のアンティオキアへ向かう。「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」との目的は、使徒たちの目指すところは、人々の辱めの中で十字架の死を負われた、復活の主イエス・キリスト(御子)が御父の右の座に着いておられる天国であることを明らかにする。「彼らは更にまさって故郷」「天の故郷を熱望していた」「神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていた」(ヘブライ11章16節)
2
「アタリヤに下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人(彼ら)が[今]成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された(元の言葉は「引き出された」(一つの動詞))所である」。そこでは、聖霊によって、選任された者たちに託された働きであることが、主への礼拝において証しされた(13章2節)。彼らは、「聖霊によって送り出された」(13章4節)。彼らは、何を成し遂げたのでしょうか。第一に、それは、当初計画されていた、一巡の宣教旅行を終えたこと。それは、重要で危険な働きであり、特別な召しと従順を求められた。そして、宣教のみならず、教会建設を求めたことも重要。福音は伝え放しで終わるものではなく、聞く者と同時に、キリストを告白する者たちが与えられるとき、一つの群れを形成していく。彼らは、主の群れを養う牧者(長老、監督者)の必要を求めた。このように、世界各地の教会は、はじめから、福音宣教の中心的役割をいずれの地においても担っていることを覚えたい。それは、いずれの地においても、「神の国に入る」唯一の「門」でいます、主キリストを指し示すものであるから。
3
「到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たち(彼ら)と共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」とは、すべてのことについて、「神が彼らと共にいて行われた」と言い、単に、人から見て、神が一緒におられたからと、言わず、むしろ、絶えず、宣教を任じされた、主なる神が、彼らのただ中におられて、働いておられた、と言う。「異邦人に信仰の門を開かれた」のも、唯一真の生ける神御自身。讃美歌518番「いのちのきずな」とは、原歌詞は灯火を吊るす「銀の紐」(コヘレト12章6節)。それが切れるとは、本来「暗黒の死」。しかし、御子の贖いのゆえに、天国は輝かしい所。死の克服はただ、御子の贖いの命においてのみ成し遂げられた。信仰の門は、このキリストの命に至る道。
おわりに
御国に入る日の報告は如何に。キリストの御顔を仰ぐ日を今日待ちつつ。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
https://www.rcj.gr.jp/
Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」
https://www.youtube.com/watch?v=q0lc_w0zV-I&t=1s
「わたしはよみがえりです。いのちです。」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7bqAl-LCXzQ
イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)
https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA
不思議のパルプンテ
https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
Q242信仰のスランプから立ち直る方法はありますか。
【3分でわかる聖書】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=fKCdDy_IUXM&t=186s
中川健一牧師の書斎より。誰にでも信仰のスランプと言うものが在ると言う。
「ここ半年近く、教会に行かず、殆ど祈らず、聖書も読まなくなりました。バプテスマを受けて三年目まではそこそこ熱心だったのですが、今は聖書を開いても、空虚な言葉としか思えない時があります。信仰のスランプとも言うべき状況ですが、こんな時、クリスチャンはどうすれば良いのでしょうか?」と言う質問が視聴者から寄せられた。これについて中川先生は先ず一つ目に「自分が救われて居る事を確認しましょう」と言う。このスランプはクリスチャンなら多かれ少なかれ、誰にでもあるものだと言う。そしてこんなスランプの時こそ、自分が本物のクリスチャンに成って居るかどうかを吟味するチャンスでもある。『ローマ人への手紙』(第八章一六節)に「私達が神の子供である事は、御霊ご自身が、私達の霊と共に、証して下さいます」と在る。
『ローマ人への手紙』(第八章一六節)
自分が神様の子供であるかどうかは、イエスキリストの福音が真実である事を信じる事で決まる。イエスキリストの福音を信じて救われて居るかどうかを確認する事。そしてその確認が神様から与えられたら、神様に感謝しましょう。もしその点が不安ならば、もう一度原点に立ち戻り、求道生活から始め、キリストの福音の内容を理解して、それを受け入れる努力と決心が必要である。二つ目に「生活の棚卸しを実行しましょう」と言う。これは先ず、信仰のスランプの原因が何処に在るかを探る作業である。スランプの原因と成る代表的なものを二つ挙げる。最初が罪である。罪はクリスチャンを神様から遠ざける。自らの生活を顧みる過程で、様々な罪が見えて来る筈である。思い付く罪を全て神様の前で告白しましょう。神様は赦して下さいます。その赦しを確信すると、再び心に喜びが戻って来る。詰りこの罪の告白が必要であり、大事と成る。二つ目の大きな問題は、律法主義の問題である。律法主義とは、キリストへの愛が無くても、行動を起こす事により熱心な信仰生活をしてるかの様に、自分で思い込む事に在る(この傾向が在ると言う事)。しかしこの律法主義的な生活は、必ず疲れが蓄積する。そしていつか必ず破綻する。先ず人は罪人である為、内側からの本当の改心が無くては、罪から離れる事が容易ではないからだ。更に律法主義的生活と言うのは、神様への愛が無く、自発的な思いが無いのに行いだけ実行する生活・その人を指す。だからこの律法主義(的生活)から離れ、聖霊に導かれる信仰生活を始める必要がある。キリストとの愛の関係が在れば、それが色褪せる事は絶対に無い。そして三つ目は「恵みによって生きる事を学びましょう」。恵みによって生きると言うのは、必要な時に必要な力を下さる神様にのみ信頼して生きる、と言う事である。神様は私を愛して居られます。全ての人の事を愛して居られる。神様は私を見捨てない。この点にしっかり土着する姿勢で立つ事で、内側から超自然的な力が湧いて来る。この体験をする為には、日々のディボーションと祈りが大切である。ディボーションとは「忠誠・献身・傾倒」を意味する。詰り聖書の言葉を読み、それに基づいて静かに考える事。これにより信仰にもう一度立ち返る事が大事になる。中川先生はこの体験を、何度も体験したと言う。ずっとクリスチャン生活を続けて居れば、この体験を誰でも体験して居る筈である。もし「まだして居ない」と言うなら、忘れて居る事、又は再び罪・欲望により「もっと」を期待する余り、自分の理想が先走って、その理想・夢が神様の御心から離れて居る場合が多い。
思記〜『湖畔の記』より〜
うちに居たあのシロベエは、この家が生誕地である。押し入れの中で生まれたのだ。気付くといきなりにゃーにゃーと泣き始め、何事かと思って一階の畳の部屋の襖を開けたら、その押し入れの中に四匹の猫が居た訳だ。親猫、キジ猫、黒猫、そしてシロベエ。とにかくみんな可愛らし過ぎた。四匹まとめて飼うのは無理だからと、その内の二匹を他の家に貰ってもらい、親猫は仕方なく山に返してあげた。返したのは父と母の判断である。それからシロベエは家で育った。まだ目の開く前からこの家で育てられ、少年期、青年期、そして成人を迎えたのである。ビデオアルバムも在る。だからシロベエは一度も野良を経験して居ない。初めから家猫で、箱入り猫として育って来た訳だ。本当に可愛らしかった。俺に言わせれば、シロちゃんが世界で一番可愛い猫である。それは今でもこれからもずっと変わらない。あの子が一番可愛い。親バカである。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬




