67 ラブレター
陽気に導かれるように顔を出した船の甲板、腰を下ろしては後を追う正直な瞼。体をなでる気持ちのいい海風にごろりと寝転がれば、図らずも存在感を増すその硬い質感に、結局いやな疲労感だけを残して、正面の青を見上げることになる。
「海上のゆりかごか……」
そこは助け合いの果てに出来上がった大小様々な船の集合体、地上を追われた人々にとっては最後の楽園であり、同時に終の棲家でもあった。
「あ、やっぱりここにいた……」
聞きなれた波の音に交じる、同じくらい聞きなれた呆れ声。短髪というには伸びきった茶髪を風の赴くままにさせる成沢仁は、甲板を鳴らす決して軽快とは言えない足音に、その先に続くであろう用件を予見する。
「採掘か?」
「え……あ、うん……。やっぱり、知ってたんだ」
俯いては、沈黙に揺れるその肩につくほどの金髪に近い茶髪。ばつが悪そうに口を閉ざす戸高夕日に、成沢はふと笑顔を見せる。
「戸高」
「うん?」
「話してみそ」
成沢は努めて軽薄な声を上げる。しかし完全には拭いきることが出来ない、言いようのない重苦しさ。それでも一応の頑張りは認めるように戸高が頷いては、そっと成沢の隣へと腰を下ろす。
「次の採掘がいつかは知ってる?」
「俺が船団長なら明日にでも」
「それ、本気で言ってる?」
「まあ規則があるからな。俺が潜るのはまだ先になるだろうよ」
「その規則が変わったとしたら……? 例えば指定採掘ポイントへの先導役を練習生が受け持つなら……」
まさか――と、成沢は乾いた笑いを静かにこぼす。
「船団長もいよいよもって後がないってことか。任期はまだ残ってるんだろう?」
「そんなの残ってても、潜水士も機体もドリルも――」
「分かったわかった」
「資源だって、もう……」
戸高はそっと目を伏せては、抱えた膝の上で力なく笑う。
「船上自給率が今いくらだか知ってる?」
「さあな、いくらなんだ?」
「九十一パーセント」
「実際には?」
「そんなの――! って……もう、ホント。あーあって、感じ……」
初めに怒り、そして呆れ。諦めからくる無力感が見せる戸高の姿は、船上で暮らす人々の心の軌跡を端的に表していた。
公称九十一パーセント。その数値を疑う声はあれど、そこに楽観視はない。何よりも日々解体されていく船を前に、悲観するなというほうが無理のある話だった。
「船団長が代われば自給率も変わる、か。幻想でしかなかったな」
それもそのはず、船上での自給とは、分かりやすく言い換えれば釣りそのもの。時には釣果に恵まれることもあれば、そうでないこともある。実際にいい流れに当てはまれば、改善しているように見えることもあった。
ただそこに問題や誤算があるとすれば、狙ったところで必ず目当てのものが釣れるとは限らない――その宿命ともいうべき気まぐれだった。
そして循環型の自給では、それが時に致命傷になることもある。それは船上で暮らす誰もが身をもって知る常識であり、同時に歩んできた歴史でもあった。
「採掘至上主義の限界も近いか」
「足りない自給率を海の底に求めるなんて……そりゃ初めは期待したけどさ」
「地上には何もない。しかし海の底にはロマンがある、か」
「そのロマンのために……っ」
急に言葉を詰まらせる戸高。ほとんど反射的に成沢が隣へと目を向ければ、そこには両手で顔を覆い、静かに肩を震わせる戸高の姿があった。
「悪いな……」
「何でアンタが謝るのよ!」
「俺がもっと潜れてれば……だから、ごめん」
「うるさい……謝るな……」
戸高は目元を真っ赤にしながら、それでもと顔を見せては、成沢を睨みつける。
「そうしてられるのもあと三日だけなんだから……次も生きて帰れる保証なんてないんだから……! だから、だから腑抜けてる暇なんてないんだからね!」
成沢は何も言わずにただ微笑む。戸高はそれを伝えるためにわざわざ足を運んでくれたのだろう。しかし先導役に練習生か……。
成沢は隣の戸高をちらと見ては、また正面の青へと目を戻す。
「空には何があるんだろうな」
「え?」
「地上は食い荒らされ、俺たちに残されたのはこの海だけ。その底もいずれ……気にならないか? あの上には何があるんだろうって」
「それは……星、とか?」
「星かあ……今すぐ腹の足しにはならなそうだな」
「でも土があれば作物だって育てられるし」
「水はいいのか?」
「そんなこと言い出したら空気があるのかも――」
「あるといいな」
「へ?」
「土も空気も」
「う、うん……」
それとなく空を見上げる戸高の目に、涙はもうない。成沢はそっと上半身を起こしては、その懐からおもむろに一枚の写真を取り出す。
「どう思う?」
「これ……」
差し出されては、成沢から写真を受け取る戸高。そこに切り取られていたのは軽装に身を包む男装の麗人に、つばの広い麦わら帽子にドレスに似た涼し気なワンピース姿の女性――そして妙に愛嬌のある白黒頭を加えた三人組が、何かしらの残骸の前で仲睦まじげに話し込んでいる様子だった。
「今朝届いた」
「え? 今朝?」
戸高は不思議に思う。この頃の郵便はお昼を過ぎても届かないなんてこともざらなのに。
「心配しなくてもその内に届くさ」
「え、うん……」
戸高は困惑気味に頷く。その内に届くと言われても、どこの誰とも分からぬ相手の写真では……あ。そこで戸高は、ある事実にようやくと気付く。
「地面がある」
「ああ」
微かに口角を上げては、当たりだと立ち上がる成沢。そのどこか期待するような横顔に、戸高は座ったまま不意にどぎまぎする。
「どうかした?」
「いや?」
成沢は笑う。
「ただ、ラブレターみたいだと思ってな」
「へっ?」
「空から届いたんだよ」
「空……?」
「ああ、それは空の向こうから届けられたんだ」




