63 二人と二人
パブロ・ファルネーゼは王国の侯爵として、その西の端からやや南の大森林、その一部までを領地に治める大貴族だった。
そして対帝国戦において、もっとも長く前線に立ち続け、同時にもっとも損害を被った貴族のひとりでもあった。
つまるところがパブロは疲弊していたのだ。だからこそ聞き入れてしまったのであろう。同じ貴族であり、西を治めるジェルヴェ・ナット、その人の甘言を――。
「皮肉なものだな」
そう険しくもない森の中。住居としては少し物足りないが、小屋としては十分過ぎる箱の前で、脇に繋がれた四頭の馬を横目に、パブロはどこか儚げに苦笑する。
「これから引き渡そうというときに、まさか所有権が戻ってくるとはな」
「そうでもないでしょう。おかげでこうして人目を憚らずに、西を闊歩できるわけですから」
ジェルヴェ・ナットはそう緊張した面持ちで冗談めかす。
「それに、どうせ売るなら価値は高いほうがいい。そうでしょう?」
パブロは愛想笑いを浮かべる。そしておもむろに小屋の扉へと手をかけるジェルヴェ・ナット。躊躇なく踏み込んでは、たったの一歩で凍りついたように動かなくなる。
「エヴァ・クラーリ……」
「奇遇だな? パブロ・ファルネーゼ」
パブロはまるで動じない。ただじりじりと後ずさりするジェルヴェ・ナットの背に手を当てては、半ば押し込むようにして入室する。
そうして促されるがまま、抵抗するジェルヴェ・ナットを無理やり席につかせては、隣に腰を下ろすパブロ。椅子にふんぞり返るエヴァとその背後に控えるクロナを前に、負けじと堂々たる姿をみせつける。
「エヴァ・クラーリ、なぜこのような場所にいる」
「帝国には丁重にお帰り頂いた」
「その件については、私としても非常に感謝している。いずれ第六王女の下には、私から直接足を運ぶつもりだ」
「なるほど、白を切るつもりか。だが隣はどうかな? パブロ・ファルネーゼ」
エヴァの視線が横に滑っては、小さく悲鳴が上がる。だがそれが何だと、パブロもパブロで表情をぴくりとも変えない。
「可愛げのない奴だな」
「誰かほどではないさ」
互いに鼻で笑い合うエヴァとパブロ。終わりだと、パブロが一方的に席を立とうとしては、直後にクロナから分厚い紙の束を受け取ったエヴァが冷ややかに笑う。
「これがなんだか分かるか?」
「興味ないな。それが何であれ、私には関わりのないこと」
「お前の隣に座る……名前は何だったか。ジェルヴェ・ナットとかいう奴は、やけに素直だったぞ?」
一瞬、パブロの表情が思わずと強張る。それでも横を見るような自棄まではおこさない。ただパブロが侯爵としての余裕を保てたのも、そこまでだった。
「お前には二つの選択肢がある」
エヴァは固まるパブロに、淡々と告げる。
「このまま何もかも捨てて帝国に行くか、それとも今の地位にしがみつくか」
「何を言い出すかと思えば……」
「どうせ持て余しているのだろう?」
「何を根拠に……いや、何を言っているんだ。エヴァ・クラーリ」
「大森林、帝国、領民。ここまでお前を踏みとどまらせてきたのは、侯爵であるという安い自負と、得たものを失いたくないという臆病ゆえの執着心、違うか?」
「私は貴族だ。地位や肩書に伴う責任には納得しているし、当然そこから生まれる誇りもある。王族として半端なお前にだけは、執着がどうのと言われたくはない」
「ではなぜ今回、手放そうとした? お前は常日頃から感じていたのだ。それらが重荷であると。そして帝国と直に剣を交えて確信した。王国に未来はないとな」
エヴァはあっけらかんと言う。それも仕方のないことだと。
「誰よりも前線に居続けた、お前にしか分からないこともある。そしてそこには確かに勇ましい自分もいたことだろう。だが今のお前はここにいる。それが真実だ」
「重荷に感じたことなど無い。それは本当だ。私は貴族として、侯爵として、少なくともお前のように投げ出したりはしていない!」
「たかが引き継いだだけの役回り、分不相応な地位に振り回されているだけの男かと思っていたが……自尊心を保つ上での拠り所にまで昇華させていたか」
エヴァはそこでジェルヴェ・ナットをちらと見る。
「比べるまでもないな。確かにお前は貴族だよ、パブロ・ファルネーゼ侯爵」
「分かったのならそれでいい……」
パブロはもはや取り繕う必要もないと、横のジェルヴェ・ナットを一瞥しては、その予想を裏切らない姿にため息をつく。
「こんなのとは一緒にしないでもらいたい」
そうして改めてと椅子に深く腰掛けるパブロ。その場で流れるように足を組んでは、どこか開き直るようにエヴァを見据える。
「それで、何をしろというのだ」
「よこせ」
「金か? それとも他の貴族でも売ればいいのか?」
「領地だ」
「は?」
何だって――パブロは思わずと聞き返す。ただエヴァの顔を見れば、それが言い間違いでないことだけは、確かだった。
「こと王国において……領地に関しては、王にしか権限がないはずだ。それも領主貴族と王、双方の同意あってのこと……お前、まさか――」
「これは私の独断だ。元より、お前の顔に泥を塗る気はないし、その意味もない」
「だが、どうやって? 不可能だ。いくらお前がまだ王族であるとしても、お前にだけは絶対に王は譲らない。それだけは断言できる」
「何故、こいつがここにいると思う?」
エヴァは不敵に笑う。
「クロナ……」
「ああ、そういえばこいつに送る褒美がまだだったなあ? 領地なんてどうだろう? お前から進言すれば事は簡単に――」
「わか、わかった! 分かったから、よせ……」
パブロは頭を抱える。
「何、ただでとは言わん。お前もそれに見合っただけの金を受け取るといい。民を呼び戻し、兵士を募り、帝国に負けない領地づくりに足ると思うだけの代価をな」
「お前……殿下」
パブロは自然と席を立ち、床に片膝をつく。
「王国も断れんだろうさ。必要なら後押しもしよう」
「いえ、殿下にそこまでご迷惑はおかけできません。それに何より――復興となれば、これは私の手で成し遂げなければならないことです」
「好きにしろ。具体的な場所やその広さについては後日、ライナスという男から聞くといい。ただ市街地でないということだけは教えておく」
「そ、それではまさか、南の大森林を――?」
「さてな。それと土地の所有者だが――」
エヴァが口を開く度に上がる、パブロの驚きの声。聞きたくもないジェルヴェ・ナットは、そっと耳を塞いで目を閉じた。これ以上の面倒ごとはご免だ……。




