62 止まり木
王城の足元に広がる色彩豊かな庭園にて。その一角で顔を突き合わせるアリアーヌ、おまわり、クレマン、クロナ、そして椅子に腰かけるエヴァとサラは、淡々と資料をめくるライナスの声に耳を傾けていた。
「移送の手筈は整えてあります。ただ避難民の中にはすでに王都、あるいは王都周辺域での暮らしを確立している者も多く、帰還は難航するものと予想されます」
「なんていうか……」
「思ってたのと違うかい?」
横から言い当てられては、うるさいと目を細めるアリアーヌ。ちらと蝶のとまった牛頭を見ては、嘘のように落ち着きを取り戻す。
「加えて再建、復興に伴う財源の確保に関しましても、未だその目途が立っておらず――近い将来、帰還を拒む避難民と領主貴族との間での対立も予想されます」
「貴族ってなんでこう、いつもいい意味で予想を裏切らないかなぁ……」
「そうかな」
「そうでしょ」
自ら肯定しては、余計なため息をつく羽目になるアリアーヌ。説明を続けるライナスを横目に、邪魔するつもりはないと、口元に手を当てる。
「言いたいことがあるならいいなさいよ」
「正にそれかな。皆、アリアのおかげでこれまで言えなかったことが、言えるようになった」
「何よ……それ」
アリアーヌは分からないと目を逸らす。
「と――ここまでが現在の王国を取り巻く大まかな状況になりますが……ここからはクロナさんの口から直接話して頂いたほうがいいでしょう」
「そうですね」
ライナスの声にそっと牛頭から羽ばたいていく蝶。アリアーヌはその行先を目だけで追いかけていく。
「まず結果から言いますと――エレーナ山脈は完全に二つに分かれていました。何故そうなったのか、いつそうなったのか、その正確なところは不明ですが、現場の状況から推察するに、アリアが王都を出立してから少なくとも数日以内のことでしょう。そして傷の状態ですが……」
クロナはそこで次へと繋ぐようにエヴァを見る。
「新たな道として地図に記載されたとしても、何らおかしくはないだろうな。現に往復した馬車にも問題は見られなかった。ただ通れるというだけであって、整備もされていなければ危険なことにも変わりはない。今回は特に、ネクロマンサーとレギーナが同行していたということも、頭に入れておくといいだろう」
「レギーナ……」
アリアーヌは噛みしめるようにその名を繰り返す。
「師匠、レギーナって……」
「ああ、そのレギーナで間違いない。ただ思い返せば不憫な奴だ。周到に手順を踏みながら、意気揚々と現れた途端に、退場を余儀なくされたのだからな」
「意味は分かるのにうまく飲み込めないのって、それって結局、意味が分からないってことなのかな」
アリアーヌは分かりやすく遠くを見る。そして声には出さないものの、似たような反応を示すクレマン。ただ同じ弟妹でも、サラだけは違うようで。
「お姉さまっ。レギーナ様はご無事なのですか?」
「うん。勝手に動かれても面倒だからね。少しの間、寝てもらっているだけだよ」
「相変わらずお優しいのですね。お姉さまっ」
「そう言ってくれるのはサラだけさ」
満面の笑みに優しく微笑み返すエヴァ。誰もが見とれてしまうような光景を余所に、黙って見守るクロナをアリアーヌが肘でつつく。
「話、続けなさいよ」
「あ、うん。山脈は自然にそうなったわけではありません。残された痕跡からして、公国側から何らかの力が加えられたのでしょう。そしてそれは山脈を最後に途絶え、また、地平線から伸びていました」
「とりあえず私でもアンタでもないことだけは分かったけど……で? 結局、誰がやったの?」
「それがよく分からないんだよね」
「アンタねぇ……」
アリアーヌは呆れたと苦笑する。ただ何となく予想はついていたのか、立ち直るまでにそう時間はかからなかった。
「それでも大体の見当はついてるんでしょ?」
「それらしい少女には会えたかな」
「ふぅん……? で?」
「可能性としては否定しきれないね。それに外見上は人と大差ないように見えたけど、出会った場所が場所なだけに、たぶん魔族だろうね」
「もったいぶってないで、始めからそう言いなさいよ」
アリアーヌは満足げにそっぽを向く。ただその斜め後方で佇むおまわりには、まだ聞きたいことが残されているようで。
「わんっ! できれば個を認識する上で、その特徴や印象を共有しておきたいのですが、どうでしょうか。クロナ殿」
「そうですね。最も覚えやすく、かつ特徴的なのは桃色の髪でしょうか。印象としては……出会ったころの――ギルドホールでのアリアを思い浮かべてみてください」
「ちょっと!」
急に引き合いに出されては肘鉄を飛ばすアリアーヌ。しっかりとクロナの脇腹に直撃しては、手加減を感じさせる軽い音が鳴る。
「い、今ので街一つが吹き飛ぶ感じでしょうか」
「なるほど」
「どこが!?」
アリアーヌは思わずと目を見開いては、一人声を張る。
「クロナ殿、もう一つだけよろしいですか?」
「なんか私の扱いが日に日に雑になってる気がする……」
「公国からの流入を危惧しているのか?」
「仰る通りです。エヴァ殿下」
「公国、公国か」
そうだなと、エヴァは涼しい顔で続ける。
「今の公国は言ってしまえば、夜逃げしたも同然だ。少なくともあちら側で立ち寄った街はすべて無人だった。仮に別の場所で機能しているとしても、少女という新たな脅威を得たことに変わりはない。そうでなければ、それ以前の問題だろう」
「公国は公国で忙しいと、そういうわけですね。しかし個人ではどうでしょう」
「そういった者たちを突き動かすのは外的要因ではない。だからこそ以前と以後で劇的に変わることもないだろう。だがこの際はっきり言っておく。山脈には手を出すな。十中八九、帝国か皇国が近いうちに蓋をする。さて、大体は出揃ったか?」
静かに礼を述べるおまわりに、エヴァは目だけでその場を見回す。そこに恐る恐ると歩み出たのは、ライナスだった。
「エヴァ殿下。これは聞いてよいものか――いえ、話される気がないことは重々承知しております。もしくは時期ではないとそう判断されてのことでしょうが……」
「くどい」
「その、奴というのは……」
「また別だな」
「率直に申しまして、頭がどうにかなりそうです」
もはやと諦めたように笑うライナスに、クレマンが奇遇ですねと合わせて力なく笑う。そして何を思ってか、アリアーヌがクロナの耳元へとそっと近づいていく。
「ねぇ」
「うん?」
「奴って?」
「そこ、聞こえてるぞ」
言葉だけでなく、しっかりとその視線でも釘をさすエヴァ。気を見るに敏と、妹をかばうように横から飛び出したクレマンは、その場で注意を引くように両手を広げる。
「まあまあ姉さん、アリアーヌも別に悪気があって――」
「盗み聞きか? 随分といい趣味を持ったものだな? ライナスの影響か?」
とばっちりを受けては凍り付くライナス。悲鳴すら上げられないクレマンの後ろで、クロナが友達かなと簡単に答えては、そうなんだとアリアーヌの声が続く。
「まあ私は親友だがな」
勝ち誇ったように微笑むエヴァ。その上機嫌な姿に、ライナスとクレマンはほっと胸をなでおろす。
「は、はすかった……?」
「みたいですね……」
「やれやれ、仲が良いというのも考えものだな。クロナ」
「うん。本題ですが、砦から帝国兵が引き上げた以上――帝国との国境線も近く元通りになると思います。そして今後問題になってくるのが、正に西部国境線です」
「え……?」
「簡単に言えば、今の王国には大森林を無視して国境を保てるだけの余力がありません。寄せ集めようにも、元より北の国境線は南部からの補強が入るほど逼迫していますし――南部は南部で連合国の内情を見るに、やはりいつ呼び戻そうかと考えていても……おかしくはない状況……アリア?」
「やっぱり……言いたいこと、あったんじゃない……」
「勘違いするな。お前は何も間違ってはいない」
「でも師匠――!」
「アリアーヌ。大丈夫だから、大丈夫だから、ね?」
感情に飲まれては、肩を震わせるアリアーヌ。すかさずとサラが駆け寄っては、強引にその体を抱き寄せる。
「姉さま……」
「共和国はしたたかで、帝国は強欲で、連合国は稚拙だ。なら王国は? お前はただ、成すべきことを成した。それを誇るならまだしも、怯える必要がどこにある」
「でも、こんな――」
「では何もしないことこそが正解だったのか? それともお前はただ同情したかっただけなのか? どこの誰とも分からぬ相手を哀れだと決めつけて、あいつは可哀そうなやつだと見下げたかったのか?」
「ち、違います! それは、そんなこと! 私は……」
アリアーヌは沈黙する。そして顔を俯かせようとしたところで、サラの手が無理やりその額を押し上げる。
「前を向きなさい、アリアーヌ。そして今のあなたが、いかに傲慢かを思い知りなさい」
「へ……?」
「弱音を吐くのは構いません。理想を描くのも構いません。それでもあなたに共感し、手を貸してくれた方たちがいる。そのことを忘れてはだめ。そしてあなたに救われた方たちも……泣きたいのなら一人で泣きなさい。苦しくても彼らの前では笑顔を見せなさい。でなければ、誰も心から喜べない。誰も自らの行いを誇れない。今のあなたがしていることは、そんな彼らを頭から否定し、一生、負い目を感じて生きて行けと、そう言っているのと何も変わらない」
「その中に負い目を感じるような、まともな奴がいればの話だがな」
「お姉さま!」
「はい……」
エヴァはしゅんとして、静かになる。
「でもね、アリアーヌ。私はそれでいいと思う。だって、あなたには大切なものが多過ぎるもの。だから捨てる必要もないし、諦める必要もない。それにね、アリアーヌ。そんなあなただからこそ、あなたがそうしてきたからこそ、あなたのまわりにはこんなにも素敵な人たちで溢れているんでしょう?」
「分かんない……よくわかんないよ、姉さま……」
「傲慢でいなさい。あなたのそれは、きっと、あなたを……導いてくれる」
ふとした瞬間にサラの頬を伝っていく雫。二つ、三つと後を追うように流れては、自然とアリアーヌとの立場も逆転する。
「ね、姉さまっ」
「大丈夫、大丈夫だから……ねっ?」
サラは泣きながら笑う。どうしていいか分からない、アリアーヌは促されるがままに笑顔を浮かべた。ああ、そういうことか――。アリアーヌの中で、それまで腑に落ちなかった何かがすとんと落ちたような音がした。
「牛頭……私の依頼、まだ覚えてる?」
アリアーヌの控えめな声。小鳥が牛頭めがけておりてきたのは、その時だった。
「エヴァ」
「やれやれ」
呆れたように、しかし同時に少しだけ嬉しそうに椅子から立ち上がるエヴァ。おもむろにアリアーヌの下へと歩み寄っては、その目を真っすぐに見据える。
「師匠……?」
「アリア。王族でなくなる覚悟はあるか?」
「へ――」
「えっ、ちょ――!」
「殿下! それは――!」
「お前が決めることだ」
決して優しいだけではないエヴァの眼差し。それでも身じろぎ一つしないアリアーヌに、エヴァは不敵な笑みを浮かべる。
「すべてを望むのなら、その椅子は窮屈だろう。それでもお前がそうありたいと願うのなら――マスコットにでも相談するんだな」
エヴァはそれまでの不穏な空気をかなぐり捨てては、一転して肩の力を抜く。そしてアリアーヌはその存在を確かめるように、ほんの少しだけ視線を上げる。
「ねぇ、牛頭……冒険者って、どんな気分?」
「たとえ相手が王様でも、自分の気持ちに正直でいられるぐらいには、自由かな」
「ばか……」
「立て直すには人がいる。しかし避難民は帰らない。さて、どうする?」
「帰りたいと思う場所を作ればいい、そうですよね? 姉さん」
「街づくりかぁ……人が集まれば治安の問題もでてくるだろうね?」
「わんっ! それならお任せを。ついでに同志サラブレッドが食料事情も改善してみせましょう」
「皆さん落ち着いてください。適度な娯楽も必要です」
「治安が良くて、食べ物にも困らなくて、楽しいことがいっぱい! 正に夢の国ですねっ?」
「うん……うんっ!」
アリアーヌは声を弾ませ、自然と走り出す。
「作るわよ、夢の国! ううん! 作ってみせるわ! 夢の国! だから待ってなさいよ! 夢の国ーっ!」
庭園に響き渡る少女の声。ニーナから始まった『夢の国』は今、アリアーヌによって明確な形を持ち始める。
少女の願った未来――みんなが笑い合えるそんな場所。牛頭にとまった小鳥がいま、勢いよく大空へと羽ばたいた。




