61 下ごしらえ
「何もここでやらなくても……」
王国の第三王子クレマン・エスランは澄み切った青空の下、渡された芋と包丁を手に、避難民たちの居住区の中で立ち尽くしていた。
「いいから手を動かせ。ライナス。お前もだ」
エヴァに促されては、書類の束を抱えなおすライナス。クレマンと共に円状に配置された丸太の椅子に腰を下ろしては、それで全ての席が埋まる。
「にゃにゃ、にゃんでにゃあまで……」
とりあえずと食材の下ごしらえに精を出す王族を含めた一団。その一人であるニーナは落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。
「心配ありませんわ」
それに少女のような純真さを示す女性――第四王女サラ・ディ・トマソはにっこりと笑い、その流れで姉のエヴァを見る。
「そうですよね? お姉さまっ」
「その通りだよ、サラ。それからニーナ、今回は情報を共有しておく必要がある。しばらくこいつを借りるからには、尚更な」
「え?」
意表を突かれたように、ふと顔を上げるクロナ。呆気にとられながらも、クレマン、ライナス、サラと順に視線を送る。
「まあ、いつものことですので……」
「心配するな。少しその辺をぶらつくだけさ」
「姉さんの少しが少しだった試しが……って、いまさらですよね」
「クロナさんっ。お姉さまをよろしくお願いしますねっ」
サラの嫌とは言わせない笑み。クロナが当然と頷いては、仕切りなおすようにエヴァがライナスの名を呼ぶ。
「現状を報告しろ」
「はい。まずは連合国ですが……当初の想定に反して、未だ武力衝突には発展せず、落ち着いた睨み合いが続いているようです」
「内と外とをつないでいる奴がいるな?」
「ヤナさんかな?」
「随分と器用なことをする。いや、この場合は根気があるというべきか」
「こちらが思っている以上に、連合国は冷静なのかもしれません。でなければ、ここまでの統制……ここにきて示し合わせたかのような沈黙は、明らかに異常かと」
「もともと種族ごとに細分化されてたのも、大きいのかもね」
「かといって、火花が散れば燃えないとも限らない。そうだろう?」
「王国の中には現体制、議会を支援すべきとの積極的な声もありますが……」
「それぞれに思惑はあると思う。でも繋がりを持った以上、遅かれ早かれ、王国はそれなりの対応を取るだろうね」
「お前にしては、やけに素っ気ないな?」
「また、アリアに背負わせる気かい?」
「いっそのこと全て燃やしてしまおうというのであれば、それも悪くないな」
「その時は、王国も一緒になくなりそうだけど……」
「そうなったらマスコットにでもなるさ」
エヴァは手元に視線を落としたまま、楽しそうに笑う。
「そうならないように頑張らないとね。でも少しだけ、気にかけておくよ」
「例の知り合いとやらか? しかし現場に即しているというのであれば、あえて別の道を選ぶこともないと思うが?」
「連合国も、王国もね。それから君も」
一瞬だけ止まるエヴァの手元。すぐに動き出しては、穏やかな微笑が浮かぶ。
「あ、あの――姉さん」
「何だ?」
「楽しそうにしてるところ悪いんですけど……」
「さっぱり何を言っているのか分からないんですが」
言い淀むクレマンに代わって、ライナスはそう心の声を代弁する。
「何……?」
エヴァは確認でも取るように、その場をざっと見回す。
「にゃ、にゃあにも全然にゃにがにゃんだか……」
「大丈夫ですよっ。私にも全然わかりませんからっ」
そしてニーナは頭を抱え、サラは誇らしげに胸を張る。
「ライナス、お前クレマンに少し思考が似てきたんじゃないか?」
「ちょっ、姉さんっ。それって遠回しに僕のこと――」
「ライナス」
「は、はい」
「山脈の件だが、しばらく様子を見ることにする」
「次の話に行っちゃってるし……」
「にゃあ……」
押し切られては自然と顔を見合わせるクレマンとニーナ。どちらからともなく苦笑に似た笑みを浮かべては、ぼんやりと遠くを見る。
「その……流入はないと?」
「さてな。ただ奴が塞いでいかなかった以上、私が塞いだのでは要らぬ波がたつ。皇国か帝国か、どちらかが自主的にやる分には、いたって問題もないがな」
「奴、ですか……」
「姉さん、本当に道は出来てしまったんですか? 僕にはまだそれが信じられなくて……」
「自分の目で見て確かめるか。それもまたいいだろう。南部の空白地帯と合わせて、この機会に見てくるといい」
「それは……」
どう捉えるべきか、そう言いたげな顔でクレマンはライナスを見る。そしてその横で勢いよく振り上げられる包丁――。
「お姉さまっ。私じゃだめですかっ?」
「あっ、あぶにゃいんだにゃあ……」
「ニーナの言う通りだ。刃物はその熟練度に関わらず、自分自身さえ意図せず傷つけることもある。それは私でも変わらないんだよ、サラ」
「お姉さま……申し訳ございません。それから、ありがとうございます。ニーナさんっ」
包丁をそっと膝においては、真摯に謝罪するサラ。反射的に立ち上がりそうになるニーナを手で押しとどめては、互いの顔に控えめな笑みが浮かぶ。
「山脈に向かうのは、足が帰ってきてからでも、遅くはないからね」
「はいっ」
「ねっ、姉さん!」
「心配するな。今なら誰が行こうとも同じこと」
「だからって……サラに……」
妹の身を案じてか物憂げに目を落とすクレマン。思わずと握った拳をサラが横から両手で包んでは、その真っすぐな優しさに敵わないなと苦笑する。
「共和国はどうだ」
「へ――あ、はい。依然としてといったところでしょうか、しかし……」
「しかし?」
「私たちはいったい、どこで間違えたのでしょうか」
「納得できるだけの理由が欲しいのか?」
「エヴァ」
「ああ……少しゆっくりしすぎたな」
エヴァの声にふと周りに目を向ける一団。気づけば遠目に見ていた人だかりも、作業に従事していた者たちも、数名を残していつの間にやら消え失せている。
「皇国はどうだ?」
「今のところは、何も」
「では帝国はどうだ」
「帝国の首都ですが……どうやら西に若干ずれたようです」
「ほう?」
「確認できた限りではありますが、着地による被害は軽微。周辺では魔力枯れが見られますが、それも時間の問題かと……」
「流石はお姉さまですっ」
「そうでもないさ。本来なら天体の一部にしているところだ」
「素敵……それにとても甘い香りがしますわっ」
「普通に気のせいだと思うけど……」
「だからお兄様は女性におもてにならないんですわっ」
「ええ……」
関係あるかなとクレマンは天を仰ぐ。
「河川のほうは大丈夫かな」
「河川……ですか?」
「山脈の恩恵に預かっているのは、何も帝国だけではないだろう?」
「完全に見落としていました……早急に調査を――」
「サラ」
「はいっ。分かっていますっ」
エヴァに名前を呼ばれ、満面の笑みを浮かべるサラ。それを見たライナスは、そっと目頭を押さえる。
「王国の立場を明確にする必要がありそうですね……」
「書類仕事は得意だろう?」
「山積みなんですよ。これでも」
「それならいい人材を紹介しよう」
エヴァの視線を追っては、自然とその先に集まる注目――。
「にゃっ! にゃんでそこで私を見るんですかにゃっ?」
「この場を選ばれたのはそういうことでしたか……」
「にゃにゃあっ!?」
訳も分からずと飛び上がっては、一目散に駆けて行くニーナ。そうして図らずも遭遇した馬の列に、ある旗印を見つけては息をのむ。
「みんなが……帰ってきた!」




