56 跳ねる白
なにも収めない箱を一体なんと呼称するべきか。形こそ神殿を模しながらも、そこには神官もおらず、あまつさえまつられる神もいない。
ただ周囲に溶け込む入れ物としては、そのありふれた外観は必要不可欠なものだった。
「陰気なところだな」
暗がりに浮かぶ蝋燭の火。ぼんやりと輪郭を得る無人の円卓に、不意に外側から手が伸びては、しわがれた男の声が反応する。
「その椅子に座るでない」
「俺の力が必要なんだろう?」
煽るように椅子を掴んでは、しかしと返される沈黙。しばし根競べのような時間が続いては、盛大なため息が漏れる。
「やれやれ、お前らもまた俺を試すのか?」
「その必要はない。選ぶのも私ではない。ただ課された役目によってのみ、人はあるべき場所に振り分けられる」
「俺には随分と席が余ってるように見えるんだがな……その無謀な延命に付き合わされるのは、いつだって無垢な赤子ばかりだ」
「無駄な悪あがきと笑うがいい。だが現に椅子は限られている。他者を押しのけてでもそこに在りたいと願うのであれば――自らを天秤にかけろ」
「立場が違えばまた違う言葉が聞けるかと思ったが……変わらなかったな。悪いが俺は行かせてもらうぞ。競争相手を求めてるわけでもないんでね」
蝋燭の火を揺らしては、静かに足音が遠のいていく。
「剣では開けぬ道もある。時には目を閉じ、己の――」
「己の足に耳を傾けろだろ? 生憎と俺にはそれ以外の道もあるんでね」
鼻で笑う男の声は、すぐに暗闇へと溶けていった。
♦
アリアーヌが王都を出立してから早数日。その手に一通の書簡を携えるクロナは、一人の女性と共に、避難民たちの居住区を歩いていた。
「レギーナ・スタルチュコフ……」
クロナは差出人の名前を読み上げては、頭をかく。
「ええと……エカテリーナさん?」
「はい」
「エカテリーナさんは、その……いいんですか?」
「いいんですか? とは」
「その、ここにはしばらく預けると、そう書いてありますが……」
「はい。上からは余った人材の育成と、そう聞かされております」
「あ――余っただなんて、は、はは……」
クロナは思わずといった様子で天を仰ぐ。そこにははっきりとしない一日の長さを視覚化するように、未だ頂点を目指す陽の光があった。
「何か?」
「い、いえ……」
あくまでも賓客でありながら、個人からの紹介というややこしい立場を持つエカテリーナ。当惑の果てに沈黙するクロナは、やがてそれしかないと手を鳴らす。
「そうだ! 王都! 王都ですよ、エカテリーナさん! 折角の機会ですし、案内しますよ!」
「その、言いにくいのですが、観光に来たわけではないので……」
「そ、そうですよね……」
派手に空回りしては砕け散るクロナ。ただそれでも意味はあったのか、見かねたように苦笑するエカテリーナは、それまでの堅苦しい空気を人知れず一変させる。
「食事の――よければ食事の支度でも手伝いましょうか」
「へ? あ、本当ですか? それは――あ、でも、その、刃物とか……手、怪我したりするかもしれませんし……」
「それならご心配なく。刃物の扱いには多少、心得がありますので」
任せてくださいと、胸を張るエカテリーナ。そのどこか茶目っ気のある微笑に、クロナもまた自然と乗り気になる。
「そうですか? それならお願いしようかな……って、何かあったのかな」
不意に人混みをかき分けては、近づいてくる小さなどよめき。見つけたと手を上げる潜水服にクロナが駆け出しては、すぐにエカテリーナもその後を追う。
「どうしたの? 何かあった?」
「く」
エカテリーナをちらと見ては、短く答えるネクロマンサー。エカテリーナが簡単に名乗っては、クロナがネクロマンサーを紹介する。
「貴女が……」
「ナ」
「ああ、うん。ええと、帝国かな?」
「し」
「西?」
「く」
「く? く、く……ああ、エレーナ山脈」
「随分と特殊な……いえ、ネクロマンサーさんは王国の出身ではないのですか?」
「うーん、どうなんでしょう。僕は気にした事ないから……」
当然とネクロマンサーも答えない。そういうことなら仕方ないと、エカテリーナはネクロマンサーを横から注視しては、特にそのうさ耳を興味深そうに眺める。
「た」
「た? 割れた? なんでまた……」
「ナ」
「うん?」
「く?」
「ええと、うん。あ――」
「行くと、そう言われたのですか?」
言いながら何を思ったのか、ネクロマンサーのうさ耳へとそっと手を伸ばすエカテリーナ。寸前で避けられては、あっと、少しだけ間の抜けた声を上げる。
「……私も同行すれば問題ない。そうでしょう?」




