52 皇太子エヴラールの制約
「これで軍の暴走も収まるでしょう。ああ、もちろん一部のですよ? これをもって我々の総意と捉えてもらっては困りますからね? では」
上機嫌に踵を返しては、足取りの軽い共和国の使者。握った拳に増々と力が入るエヴラールと補佐役は、やっとの思いでその後ろ姿を扉の向こうへと見送る。
「殿下……」
「分かっている」
悔しそうに歯噛みする補佐役を横目に、至って冷静だと拳を開くエヴラールの姿はいかにも秩序だっていた。
いま求められているのは苦悩する王族の姿ではない……ただ一思いにこの頭を抱えられたのなら――。
エヴラールは何をするにも人目を気にする自らの立場に、かつてない不自由さを覚えながら、同時に最後までそうしない自分に王族としての真価を見た気がした。
「対応を考えねばな。すぐに招集をかけてくれ」
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王城のある一室にて。エヴラールは集団の中で孤立を極めていた。
「――税の免除に各種権益の拡大? 共和国はいったい何を考えているんだ」
「いやはや、まさか帝国を退けた我々と、一戦交えようという気ではなかろうな?」
目の前で都合よく改変される現実、帝国が預けた勝負にまんまと酔いしれる立場ある者たち。その肩に乗るのが王国の未来でなければ……エヴラールは聞き流したくなるような戯言に、口を閉ざしては、ただ風向きが変わるのを待つ。
「しかしすでに決まったことでしょう。今は早急に対策を立てるべきです」
エヴラールの考えを知ってか知らずか、頭ごなしに説得を試みるクレマン。ただ返される冷ややかな反応を見るに、場にはまだ逆風が吹いているようで。
「クレマン殿下。無礼を承知で発言しますが、北の勢力は誰の目から見てもただのこけおどし。ここは今からでも使者を追いかけて、もう一度交渉の場を設けるべきでしょう」
「そんな、間に合うはずがありません。それに一度は決められた約束事を反故にしようとすればどうなるか、いま以上の条件をつきつけられる可能性だって……」
「共和国に交戦の意思はない、これはこの場における共通認識のはず。そもそもが見せかけの圧力に屈する理由などないのです」
「それは私の決定に不足があったと、そう言いたいのか」
エヴラールはやり込められる弟を前に、やれやれと泥酔者たちを相手に参戦を決意する。
「い、いえ……しかしここまでの条件となると、今後の対共和国想定にも差し障るかと……」
「何が言いたい」
「共和国は元来、王国にとっての対帝国戦における潜在的な敵国だったはずです。そしていま帝国を退けた我々が、ここにきてその共和国相手に諸手を挙げるというのは、その、民衆にも示しがつかないと言いますか……」
「殿下。民にはいったいどのようにご説明なされるおつもりですか」
「どのように? お前は私に虚偽を申せと、そう言っているのか?」
「めっ――滅相もございません。私はただ、中にはこれを良く思わない者も出てくるのではないかと、そう危惧しているだけでありまして……」
「この帝国戦で流れた血には当然報いる。それでも癒えぬ傷があるというのであれば、それ以上の幸福でもって応える。それが道理というもの。違うか?」
「殿下の仰るとおりでございます」
「であるならば――」
「殿下。共和国は何か、別の物をチラつかせたのではありませんか?」
まとまりかけた話の腰を前のめりに折るのは王国貴族の一人、レオナール・シュナル。それはエヴラールの記憶にも新しい人物だったが、その余りにも見違えた姿に思わずと内心、驚いてしまう。
「何故、そう思う」
「殿下の聡明さは疑う余地もありません。であるならば、現状に足りない何かが殿下をそう決断させたと、そう考えるのが自然ではありませんか?」
「お前は私が強請や賄賂に屈したと、そう言っているのか?」
エヴラールは推し量る。レオナールという男の底、その野心。王国を一度は率いて見せたその背中に、まだ明日を担えるだけの度量が残されているのか否か。
「殿下。私は賄賂ではないと信じております。だからこそその内容、話してはいただけませんか。今更ながらこのレオナール、お力になれるやもしれません」
エヴラールは思わぬ収穫に笑みが零れそうになる。
レオナール・シュナル、その男は一言でいえば尊大。しかし他国と渡り合うには必要な素養と評価することも出来る。
ただ……と、思わず苦々しくもなるその真っすぐな目だけは、酷く見覚えのあるエヴラールからして独断や暴走、制御不能という言葉を想起させるに十分なものだった。
「勘違いだ」
エヴラールは咄嗟に切り捨てる。沈黙は是と取られかねない。それはエヴラールがレオナールという男を不安視する一方で、純粋に評価したからでもあった。
「そうですか……」
レオナールに一瞬だけ浮かぶ沈痛な面持ち。すぐに消えては、また前のめりになる。
「では今回の件、殿下はどうおまとめになるおつもりでしょうか」
レオナールはそこで分かりやすくも周囲の貴族たちをまとめて一瞥する。
「中途半端な対応では民衆はもちろんのこと、各地の貴族からも少なくない反感を買うことになるでしょう。特に未だ返還の目途が立っていない西の砦とその近辺に関しましては、反旗を翻す者も出てくるやもしれません」
「まさか」
「バカな」
一笑に付しては、数で押し潰す貴族たち。エヴラールは呑気なものだなと、正に話し合うべき議題を狂言にされては、呆れてものも言えなくなる。
どうしたものか……このまま結論を急いだところで余計な軋轢を生んだのでは意味がない。逡巡するエヴラールに答えを出したのは、やはりと民を裏切るわけにはいかないという真摯な姿勢だった。
「この件の責任は私にある。民への説明も、貴族の説得も、当然私の務めだ。しかし――」
エヴラールは何度も確かめるように端から端まで出席者を見回し、要するにと二人の王族を一人ずつ見やる。
「クレマン。サラ」
「は、はい!」
「何でしょうか、お兄さまっ」
「アリアーヌはどこだ?」
優しい兄の問いかけに、弟の短い悲鳴だけがその場に響いた。




