50 剣と拳
「ここまでだな」
大陸から海を渡り、連邦にて語られたある一幕。淡々と告げる共和国代表の口から、続く第二報、第三報と徐々に帝国の具合の悪さが露になるにつれ、今やその場の誰もが傍観者としての自分を受け入れ始めていた。
「まだ俺がいる……」
しかしいつまでも諦めの悪いこの男、前勇者パーティーのイグナシオ・コルデーロだけは、その流れに迎合しかねるようで。
「まだことは終わっちゃいない。そうだろ? 共和国代表、ロラン・アキモフ」
「自己紹介をした覚えはないが……まあ、知っていてもおかしくはないか。それともまた別の誰かの入れ知恵かな?」
「そんなことはどうでもいい。俺がいま聞きたいのは乗るのか、乗らないのか。ただそれだけだ」
「何を言っているのかは分からないが……それが泥船でないというのなら、証明してもらいたいものだな? イグナシオ・コルデーロ」
言葉では一蹴するロラン。されどその吊り上げた眉の下で、ぎょろりとある人物を流し見る目の動きは、明らかにイグナシオをけしかけていた。
「ほんとクズね」
それは一瞬の切り返しだった。熱を帯びるかと思われた場に冷静でいることを促す、清々しい物言い。連合国代表ヤナ・エルサのまさかの苦言に、奇しくもその先を引き継いだのは、皇国代表というこれまた予想外な人物だった。
「無益だな、イグナシオ・コルデーロ」
「へぇ……?」
レギーナは珍しいものでも見るように目を丸くする。それもそのはず、本来であれば共に相容れることのない二つの勢力。その場の総意がどうあれ、公然と連合国に同調する皇国の姿は、いくら何でもあり得ない。
ゆえに、レギーナの見せる反応は至極当然ともいえたが……好奇心を隠そうともしないその態度は、面白半分と皇国の代表にあしらわれても仕方のないものだった。
「絡むな、連邦の」
「こっちは感心してるってのに?」
「それはどうもありがとう」
「意外に理性的かと思えば……品性は評判通り人並以下ね」
「亜人を引き入れるような国の人間に言われてもな」
「あなた性格悪いって言われない?」
「どっちがだ」
もはや何が何やら。当事者のロランやイグナシオでさえ予測できなくなる話の行方。ただそれを黙って静観するロランもロランだと、一人不満を募らせるイグナシオはついにと痺れを切らした様子で声を張る。
「いい加減にしろ!」
「いい加減にするのはお前の方だ。イグナシオ・コルデーロ」
「同感ね。乗せられやすいんだから黙ってなさい?」
「なんだ、気が合うじゃないか」
「どうでもいいだろそんなこと!」
「ど、どうでもいいって、ねえクロナ。こいつもしかして人の話を聞かな――」
「俺にとって重要なのは共和国の意思だ。それ以外はどうでもいい。そうだろう? ロラン・アキモフ」
「って……聞くまでもなかったわね」
期待を裏切らないと苦笑するヤナ。同じく苦笑いを浮かべるロランもまた、結局そうするしかないと最後には肩を竦めてみせる。
「やれやれ、そう何度も名前を呼ばれると恥ずかしいじゃないか。ただ一つだけ言えるのは、共和国は常に利益を生み出す側の味方だということだ。つまるところが我々にとっての敵など存在しない。そういう意味でいえば、共和国は意外と連邦に近いのかもしれないな」
一緒にするな――直後に響いたその団結すら感じさせる斉唱は、もはや国の垣根すら超えて一致した、レギーナを含む連邦と皇国の統一見解だった。
「そう口を揃えられると多少なりとも――」
「うるさい、公平と書いてゴミ」
「念ため表明しておきますが……皇国は連邦の今の発言に無関係です」
「まあ、それぞれに考え方はあるだろう、しかし同じこと。力を示すものに共和国は応える。そしてこれはあくまでも例え話だが……手を取りたいというのであれば、逆に相手から手を差し出すに値する何かをまず証明してみせるのが一番だと、共和国なら考えるだろうな」
「分かっている。お前はただそこで黙って見ていればいい」
はっきりとした明言を避けつつも、イグナシオを試すと暗に仄めかすロラン。それで十分とするイグナシオは、鞍替えでもするように帝国代表団を一瞥したのち、沈黙を是としては、これまでだと見切りをつけるようにレギーナを見据える。
「まだやる気なの?」
「自信がないのか?」
余裕を気取るイグナシオに、不意にレギーナの薄ら笑いが不敵へと変わる。それはある種の合意であり、揃わなかった両者の足並みが揃った瞬間でもあった。
「いかん!」
叫んでは、ほぼ同時に広間の下へと滑空する犬頭のおまわり。関係ないと歩みを止めないイグナシオを前に、待ち構えるレギーナの手がぴたりとその腰元で動きを止める。
「待った待った」
そして当然のように両者の間へと顔を見せるクロナ。相対するレギーナが構わずと見えない何かに触れては、塞がれた進路を切り開くように、イグナシオの一刀がその無防備な背中に振り下ろされる。
「嘘――!」
斬られた――響くヤナの悲鳴に間一髪と重なるのは、けたたましい金属音。目を焼くような火花の奥に現れたのは、また別の輝きを放つ白銀の籠手だった。
「拳王アレクサンドル・テングストレーム……」
どこからか漏れ聞こえてきた声に、自然と口角が上がるイグナシオ。振りぬかれた刃の勢いに乗って、その場で流れるように回転する。
「見事――!」
機を見るに敏と、無理な体勢で受け止めたつけをすぐさま精算する、イグナシオの回し蹴り。犬頭の側面を叩いては、その体を容赦なく壁際へと運ぶ。
「やる気がないなら引っ込んでろ」
終わってみれば最初から最後まで華麗な前哨戦。しかしこれからという時に蚊帳の外にいたのでは、もちろん誰の目にも留まることはなく。
立ち尽くすイグナシオを脇に、今や広間の全体が注目するのは、その牛頭の首に食い込んでは離れない見えない何かと、それを握るレギーナだった。
「おい……!」
「もうアンタが一番でいいから黙ってなさい? イグナシオ・コルデーロ?」
レギーナは有無を言わせない。絶句するイグナシオを余所に、その間も微動だにしないクロナを薄皮一枚で圧迫しては、中途半端な上目遣いで舐めまわす。
「あんたがどういうつもりかは知らないけどさぁ……」
言いながら回転するレギーナの手首。怯える素振りも見せないクロナに、面白くもないと腕が振りぬかれては、その耳元から黄色いタグだけが切り離される。
「あんたの名前、覚えたから」
背を向けてはさっさと歩き出すレギーナ、その指先に映るクロナの数字。それから見計らったかのように広間の上から声が響いたのは、一呼吸おいてからだった。
「答えは出たな」
「ロラン……俺はまだ――」
「イグナシオ」
名前を呼ばれては、その相手が帝国代表であることに驚くイグナシオ。他の代表団を尻目に我先にと階段を下り始めては、終幕を告げるようにロラン率いる共和国代表団もそのあとに続く。
「お前にはまだ戦場が残っている。そうでなくては割に合わない」
であるならばと、使徒に囲まれては一足先に姿を消す皇国代表団。口惜しそうなイグナシオの肩を帝国が叩いては、共和国共々扉の向こうへ吸い込まれていく。
「レギーナ・スタルチュコフ! 次はないからな!」
イグナシオの捨て台詞が最後に短く木魂しては、広間に落ち着いた空気が戻る。あっ――と、アリアーヌが思い出したように声を上げたのはその直後だった。
「助かりました」
「いやいや」
クロナに手を引かれては歳かなと腰をさする犬頭。そこに両側を固められたアリアーヌがゆっくりと時間をかけて合流してきては、隅で縮こまっていたエルフたちもすぐに集まってくる。
「だっ、大丈夫? おまわりっ」
「ワンッ! 大丈夫です。アリアーヌ様」
「本当に? 無理してない?」
「ワンッ!」
「心配ないわよ、アリア」
ヤナは言いながらもっともらしい鳴き声を上げる犬頭に、一考の価値なしと白い目を向ける。
「こいつがこの程度でどうにかなるほど、ひ弱じゃないってことは、私がよーく知ってるから」
「え? ヤナっておまわりと知り合いだったの?」
「中のやつとはそれなりにね。ただこんないい趣味の持ち主だったなんて、私も今の今まで知らなかったけど。ていうかアンタ、こんなところにいていいわけ? 今頃連合国は――」
「不在というのは、中々にいい理由だろう?」
「あ、あんたね……」
「え? 何? 何なの? どういうこと?」
「あとでゲンコツってこと」
「へ?」
口をぽかんと開けるアリアーヌ。それを見ていたヤナがいよいよ堪えきれないと吹き出しては、傷はと、遠巻きに声が投げかけられる。
「見てのとおりです! ワンッ!」
「そういう言い回しは好きじゃない」
レギーナは元々ついでだと言わんばかりに、すぐに横へと視線を移す。しかし顔を見合わせたまま何も言わないレギーナに、クロナのほうから自ずと声が上がる。
「何か?」
「いいえ? ただ人の評価は当てにならないと思って。少なくともアレは期待外れもいいとこね」
「うーん……お互いしばらく会うこともないでしょうし、一つだけ。彼があくまでもパーティーであることをお忘れずに」
「はいはい」
おざなりな返事と共に、レギーナは広間の奥を目指して階段を上り始め――そこでふと、思い出したように振り返る。
「ああ、それから第六王女だっけ? エヴァによろしく伝えといて。あんまり引きこもってるとその内あなたの妹が白髪になるってね」
「へ? あ、はい――え?」
また口があいたままになるアリアーヌ。目だけで遠ざかるレギーナの背中を追っては、その横を残された王国代表団が慌ただしくも下りてくる。
「アリアーヌ。私は急ぎ王国に帰らなければならない。だからお前がなぜ今ここに居るのかも私は聞かない。ただお前がそれでも王族でありたいと願うのであれば――その務め、立派に果たして見せろ」
立ち去ろうとするエヴラールの目に迷いはない。それを殿下と短い一言で引き留めたのは、その両腕に籠手を光らせる犬頭だった。
「今後の対帝国戦略について話し合う機会を頂きたい」
「そうしたいのは山々だが――」
一度言葉を区切るエヴラールは、そこで意味深にアリアーヌを一瞥する。
「な、何でしょうか?」
「いや――現状を把握しえない内から重ねる協議に意味はない。いま最も避けるべきは、両陣営に要らぬ混乱をもたらすことだ」
「この先の局面、たとえ対処療法では不可能だとしても、歩み寄ることで減らせる犠牲がそこにあるとしたら。そう考えることは出来ませんか」
「私はただ目の前の速度と確実性に重きをおいているというだけのこと。必要であれば、連合国との連携も然るべき時に行うと約束しよう」
「然るべき時、それが今なのです。連合国の代表がいて、殿下がおられる。この機を逃せば二か国間の連携は、幻と消えてしまうやもしれません」
「何から何まで憶測だな。私は効力を発揮するかどうかも怪しい薬に頼るくらいなら、それが例え近道だとしてもより安全な道を探す。それが民のため、導く者として博打は最後まで打たない」
「しかし――!」
「立場も違えば視点も違う。このまま平行線を辿ることで民の心に安息が訪れるというのであれば、それもよし。だがそうではないと分かった以上――私は私の守るべきもののために行かせてもらうぞ」
エヴラールは行動で示す。扉へと向かって先陣を切っては、誰もがその後ろ姿を見送るしかないと理解する。だが――。
「殿下。最後にお聞かせ願えますか」
「引き留める声に耳を傾け、すでに一考した。これ以上、私に何を求めるというのだ」
「殿下、私は王国と連合国は敵を同じくし、共闘関係にあると考えています。殿下は――」
「私はそのつもりだ」
「それではさじ加減一つではないですか……」
「勘違いするな。私は王ではないのだぞ?」
「殿下の心の内を私は知りたかったのです」
「同じことだ。それ以上に根拠のない言葉を並べ立てる気はない。行くぞ」
もう引き留めてくれるなと駆けだす王国代表団。拒絶に等しい決別ゆえに、残された空気は、酷く重苦しい。それでもと控えめに手を上げるのは、やはりというべきか、アリアーヌだった。
「あの、さ。私じゃ……だめ、だよね?」
「アリア……」
「アリアーヌ様……」
時に表情は言葉よりも多くを語ってしまう。アリアーヌはそっと優しい笑みを浮かべては、せめて暗くはしまいと努めて明るい声を上げた。
「ううん、いいの。何となくわかってたことだし。聞いてみただけ。うん、聞くまでもなかったけどね」
「そうかな。ここには連合国の代表がいて、アリアがいる。他に何か必要かい?」
しかしクロナだけは、他とは別の光景を見ているようで。
「ちょ、クロナ。あなたも止めなさいよ。また無理してアリアが倒れたらどうすんのよっ」
「忘れたのかい? 僕が何者かを」
「え――?」
「ねぇ、牛頭……」
「うん?」
クロナが聞き返しては図ったように降りる沈黙。アリアーヌは的でも絞るかのように両の目を細める。
「あなたなら出来るの?」
「さあ? でも意外と上手くいくかも」
「はぁ……。あーあ、なんていうかさ。ホント、バカみたい」
「アリア……?」
口ではうなだれながらも、顔にはそうじゃないと書いてあるアリアーヌ。横からのぞき込むヤナはその初めて見る一面に思わずとドギマギする。
「どうかした?」
「え、いえ……なんでもないのよ、うん。本当に」
「大丈夫だよ、ヤナ。私には先なんて分からないけどさ。でもなんとなくあるんだ。こうなったらいいなっていう、ぼんやりとした絵がさ」
「う、うん?」
「そこではさ、最後に立ってた人だけが笑うんじゃなくて、それまで関わってきた人たちと、みんなが関わってきたみんなが、みーんなまとめて、楽しく笑い合えたらいいなって、そう思うんだ」
嬉しそうに語るアリアーヌは、そうしてクロナへと今一度、挑戦するように目を向ける。
「ねぇ、牛頭。私はちょっと休むけど、寝て起きたらそんな未来があるって、少しは期待してもいいの?」
「難しいってことは、まだ現実からは程遠いってことなのかもしれないね。でもアリアが一人じゃないように、そう思っているのもアリア一人だけじゃない。時間はかかると思う。でもきっと今よりは近づける」
「そういうときは嘘でもうんって言ったらいいのに……でも――」
あ、と。言い淀むアリアーヌは自分でも気づかぬうちに耳を赤くする。
「でも?」
「ふふっ、ううん。あんまり遅いと私が自分でやっちゃうかもね。知らなかった? 私って、待つのが嫌いなの」
「奇遇だね? 僕も最近はそうなんだ」
「はいはい」
クロナが先陣を切っては、すぐに追い越していく緩やかな足取り。広間を後に、一行が空を見上げるころにはそのやり取りもまた、本来の賑やかさを取り戻しつつあった。
「ところでどうやって帰るつもりなの?」
「さぁ?」
「お、お兄さまーっ!」
連邦に響く軽快な足音。アリアーヌは再び走り出していた。




