48 ミスター・マウスの恒例
連合国の越境を発端とし、帝国南部にて不意に開かれた戦端――互いに忌避しながらも独走する前線を前に、両者の明暗を分けたのは、偏に国としての総意か否か。
戦場にて邂逅した両雄、帝国審問官ヴェルナーと連合国の剣王デーゲンハルトからして、それは始めから分かり切っていたことだった。
「まったく、国境に圧力をかける程度で満足しておけばいいものを……」
一度ことが起きてしまえば火遊びでは済まないのが軍同士の衝突。連戦続きで厚さを失った隊列を背に控える黒装束の男、ヴェルナーは一人だけ疲弊を感じさせない面持ちで遠くデーゲンハルトと相対していた。
「休暇が遠のいたことに関しましては、個人的に思うところもありますが……あなた方の自棄に突き合わされた結果がこれでは、しばらくは休暇も望めそうにないですね」
ヴェルナーは公然と肩を竦めては、自嘲的な笑みを浮かべる。それはヴェルナー流の称賛であり、ある意味でデーゲンハルトへの手向け、また餞別でもあった。
しかし当のデーゲンハルトがそれをどう受け取るかまでは、ヴェルナー自身、あまり気にしていなかったようで。
「自棄ねェ……」
「気に障りましたか?」
「いいや? ただ……な」
顔を背けては分かりやすくヴェルナーの視線を誘導するデーゲンハルト。そうしておいて奥歯を鳴らすのは、その身を内から外からと苛む痛みからか、はたまた周囲に広がる悲惨さからか。見方はどうあれ、そこには枯れた大地に一時の潤いを与える、言うなれば海岸に打ち上げられた残骸――勇ましくも振り上げた拳ごと完膚なきまでに破砕された、連合国軍の姿があった。
「敗者に同情はしませんが……まさか勝てると、そんな淡い期待を抱いていたわけでもないでしょうに」
「さぁな……ただ大義の前に勝敗を語るお前の姿が、帝国の今なら――いずれ歴史に笑われるのはお前の方かもな」
「視野が広いのやら狭いのやら……目的のためなら破滅すら厭わないやり方をまさか民衆が受け入れるとでも? あなたにとっては自己犠牲のつもりかもしれませんが、私に言わせればそれはただの自己満足、似て非なるものですよ?」
「お前にはさぞかし俺が愚かに見えるんだろうな。だがすっとしたぞ。それもこれ以上ないくらいにな」
「個を優先するあまりその立場を忘れ、あまつさえ率いる者としての責務すら当に放棄していましたか。しかし選択の余地すら与えられないまま、巻き込まれることになる大多数にとっては、それは悪夢も同然でしょうね。何よりも今の連合国がこれほどまでに進行した事態に収拾をつけられるとでも?」
「損得に縛られていては到底、理解に及ばないこともある」
「根底では理解は得られないと知りながら大層な大義だけは尽きない。なるほど、随分と独創的な思想をお持ちのようですね?」
「帝国が、それを――!」
ヴェルナーの皮肉に瞳孔が開き切るデーゲンハルト。過度な反応を見せながらも、その内から湧き上がる感情に待ったをかけたのは、他でもないデーゲンハルト自身が見せた明らかな異変だった。
「調子はよさそうですね?」
「チッ……お陰様でな」
軽口の応酬、しかし舌の根も乾かぬうちからデーゲンハルトの口元に滲む、苦悶の赤。堪え切れずにと顎から滴り落ちては、ヴェルナーに砂時計を想起させる。
上から下へ、いくら反転させたところでその流れを断ち切ることは出来ない。見苦しくも突き立てた大剣が暗示するのは余裕のなさ、だというのに――。
「いつまでも気に入らないですね。その目は」
「獲物からは目を離すな。母ちゃんに教わらなかったか?」
「かあ……?」
自分の耳を疑うヴェルナー。直後に吹き出しては、デーゲンハルトのあまりの不遜さに、確かに王だと、妙な親近感さえ持ってしまう。
だからだろうか。ヴェルナー自身、それ以上はないと分かっているのに、つい本心で語りたくなってしまったのは。
「せめて連合国が帝国のように良き指導者にさえ恵まれていれば、あるいは……そう思えてなりませんね」
「どう考えるかは個人の自由だが……連合国の構造そのものに異を唱えるのは見当違いだ。所詮、寄り合い所帯。それを欠陥と呼ぶのなら、集団としての限界は国を名乗った時点で超えていた。今回の一件でそれが浮き彫りになったというのなら――いや、面白くもない話だったな」
忘れてくれ、そう投げやりに鼻で笑うデーゲンハルトの姿は、やけに印象的で。どこか相反するように漂う哀愁に似た寂しさは、不意に降りた沈黙と共に、その時が近いことをヴェルナーに言葉以上に意識させた。
「帝国審問官、ヴェルナー・パブロ・ローデ。それが私のすべてです」
「すべてか、剣王相手に随分とふっかけたものだな?」
「まさか、帝国にいったいどれだけの剣があるとお思いで?」
「ガハハハ! よくぞ言った! ならば同じ剣士として名乗った以上、心して聞いて行け!」
守るヴェルナーに攻めるデーゲンハルト。王と呼ばれた獣はヴェルナーに、果ては帝国を相手に剣を取る。
「我が名は剣王――! デーゲンハルト・アルベリヒ・ネッツァー! 意思あるものは立ち上がれ! 動けるものは剣を持て! 倒れ行く真の英傑たちに、今一度わずかばかりの勇猛を!」
死地に響くデーゲンハルトの号令。そしてその頭上へと掲げられるは覚悟の大剣。英雄は今、自らの意思で断頭台へと上った。
されどヴェルナーからして無情とも思える静寂は、時に言葉よりも雄弁で――。
「審問官は前へ、残りは後方に――」
「まだだ!」
デーゲンハルトは挫けない。二度三度と吐いた唾に固執しては、あまりのしつこさにヴェルナーも自然と顔をしかめてしまう。
「そうだ! フィンレイ! お前このままで終わる気か! いいわけないよなあ!」
まるで駄々っ子のようだとヴェルナーは思った。ただそれにしてもと一体どれだけのクギをヌカに打ち付ければ気が済むのだろうか。ヴェルナーは見ていられないとついには否定を返そうとして――それは突然、誰からともなく始まった。
「皇国も真っ青だな……」
「行ったことないくせに」
どこからともなく流れてきた声にヴェルナーは苦笑した。同時に開きかけた口をまた横に結びなおしては、場に満ちていく熱気に観客の一人として耳を傾けた。
「よくぞ応えた! よく立った! フィンレイ――!」
ヴェルナーは演劇にしては見ごたえがあると感じた。ただそのないものをあると錯覚させるような亜人たちの底力には、日常からは得られない、本物の説得力があった。
「な……ハル、ト……」
「ガハハハ! 死に損なったな! フィンレイ!」
「るさい……聞こえ……」
「ガハハハ! 何だ、何だ! 聞こえないぞ! フィンレイ!」
「う、うああああああああああ!」
「ガハハハハ! いいぞいいぞ! その調子で皇国まで突っ走れッ!」
ヴェルナーはそれが白昼夢だと分かっていながら、浸りつくしていた。そこはつい先ほどまでデーゲンハルト一人を残すのみだった戦場。ふとヴェルナーの脳裏にあり得ないという言葉が浮かんでは、途端に波のような現実に押し流されていく。
もはや、連合国は剣王のみにあらず――。奇しくもそれを証明したことで満足したのか、世の理に準ずる彼らの目には、今や、何かを写し取るだけの余力は残されてはいなかった。
「惜しむべくは人か入れ物か……」
崩れ落ちて尚、明日を語る兵士たちの亡骸に、人知れず同情するヴェルナー。横から痺れを切らしたように名を呼ばれては、感慨にふける暇もなしかと、迫るデーゲンハルト相手についにと帝国兵の指揮を執る。
「デーゲンハルト。デーゲンハルトです」
ヴェルナーがそうして優先すべきを定めては、並走するフィンレイを取るに足らないものとして頭の片隅へと追いやったその瞬間――弧を描くように浮かび上がったその小さな体は、戦場でただ一人背を向けるデーゲンハルトの手によって、高く後方へと投げ飛ばされていた。
「お前っ――なんでっ!」
「受け取れェ!」
ヴェルナーはそれでようやくと理解する。つまるところがすべてまやかし、幾度となく会話に応じたのも、くさい芝居に興じてみせたのも。始めからデーゲンハルトはこうなるであろうことを予見し、この状況を作り出すためだけに、一度は倒れた兵がおめおめと戻ってくるのをただひたすらに信じて待っていたのだ。
「火は消させない……!」
再びヴェルナーへと向き直ったデーゲンハルトが見せた表情は、もはやそこに勝敗などないことを物語っていた。
ヴェルナーの中で何かがちぎれたのはその直後だった。
「図々しいんだよ! この死にたがりがァ!」
「大したことねえなあ! 帝国審問官!」
煽るデーゲンハルトにヴェルナーが躊躇なく踏み込む。そして両者の間合いを跨ぐように降ってきたそれは、フィンレイを片手に、ハハッと甲高い声で笑った。
「でっ、デーゲンハルト! 空からネズミが!」
「バカ!」
連合国はその日、二度と叶わぬと思えた再会の知らせに、遂にと重い腰を上げた。




