43 猫耳メイドニーナの不屈
それまでの日常とは一線を画す現実、戦争という悪夢。抗おうと振り回した王国の手が空を切るのと同時、帝国から逃れようとした人々が、それでもと安息を求めて集った先は、他でもない王都だった。
しかし王都がいくら王国最大の都市だとしても、その許容量には限度がある。
ことそれが一国の全域からともなれば――たとえ目の前で門を閉ざされようとも――早々に受け入れを制限した王の決断を一体だれが責められるだろうか。
内から見上げては庇護の象徴たる防壁も、隔たれては物理的な開き以上に王国民同士での溝を深めつつあった。
お姉ちゃん――。
ニーナは見知った声に呼ばれた気がしてふと顔を上げるも、そこに人影はない。まだ夜明け前だというのに、一足先に朝を迎えてしまったがゆえの弊害だろうか。
王都の外からは遠く眺めるだけの壁を背に、お玉を手にしたニーナはまたそっと湯気の立ち昇る鍋へと視線を落とした。
「王は何を考えているんだ……」
「知るかよ……」
声を潜めているのなら聞こえてこなければいいのに――そう思えてならない会話も、この新たに築かれた居住区の中ではそう珍しくもなかった。
ただ彼らは知らないだけなのだ。
彼女たちの一件を……どこに居ようと王国という舞台から降りられるわけではないことを。
思えばここ王都でクロにゃあの後押しがあったとはいえ、エヴァ殿下の後ろ盾を得られたことからして私は幸運だった。
情報部のライナスさんが忙しい中、手を貸してくれたこともそうだ。
彼が大まかな道筋を立ててくれなければ、この場の私を含めた大多数にとっての今日はより辛いものに変わっていたかもしれない。
ミス・マウスさんもそうだ。
遡れば予想される帝国の進軍ルート上からの早期避難誘導に始まり――その過程で止むを得ず引き払わせることになってしまった村や町での物資の買い付けはもちろん、並行して王都への輸送とその貯蔵までも……。
慣れとは正にエヴァ殿下らしい言い回しだが、二人がいなければ計画以前にいつまでも理想は妄想のままに、現実に一蹴されていたことだろう。
それ以外にも……。
「――ちゃん……? ニーナお姉ちゃん……?」
優しく肩を叩かれては、思わずと開いた瞼の重さに困惑する。止まった手。鼻腔をくすぐる甘い匂い。鍋を挟んでは一人の男の子を先頭にして、そこには長蛇の列ができていた。
「あ……」
どうやら自分で思っていたよりも、体は疲労に正直だったらしい。
自然と左右を見回しては交わされる視線。ニーナと肩を並べる女性たちの顔には、同じく疲労しているであろうに心配の二文字が見え隠れしている。
やってしまった。ニーナがそう思ったのも一瞬のこと。不安そうな面持ちを見せた男の子を前に、ニーナは自分が何者で何のためにいるのかを思い出す。
「にゃにゃっ。みんなには内緒にゃ。その代わりスープは大盛りにゃ?」
「やったあ!」
お盆を胸に、その場で目を輝かせては飛び跳ねる男の子。思わずと貰った元気に、ニーナは胸がすくのと同時、その肩に乗る重圧がずしりと重くなったのも感じた。
まったく、慣れないな、ほんと……。
需要に対しての供給する側としての責任。自ら望んで握った手綱。いつしかのクロにゃあが言った管理するということ。
剣を振るうことはできなくても、ここなら私も戦える。抑制のための介入、これが私なりの答え――。
「熱いから気をつけるんだにゃあ?」
「うんっ!」
お椀になみなみと注いだスープに、腑抜けたパン。それがいつもと変わらないとしても、待ちきれないと早くなる歩調。危ないよと後続の女性が声をかけては、誰もが一日の始まりを実感する。
それがここでの日常。異変が起きたのはそれからほんの数秒後のことだった。
「スープが!」
不意に揺れ始めては途端に騒がしくなる居住区。耐え切れず尻もちをついた男の子を視界に収めては、ニーナは反射的に手にしたお玉を放り出していた。
「伏せるにゃあ!」
叫んでは踏み出した途端に失うそれまでの平衡感覚。鼓膜に届いては直接肌で感じる空気の鳴動。目に映るなにもかもが横倒しを強制される中で、最後は飛び込むようにしてニーナはその小さな体を抱き寄せる。
「っ――えちゃん!?」
一際強い揺れと共に、すべてを攫うような突風が吹いたのはその直後だった。
うそでしょ……?
ニーナの意思に反しては、浮き上がろうとする二人のからだ。へばりついては、何かにつかまりたい一心で大地を抉る。
絶え間ない衝撃。夢ではないと告げる指先の痛み。もはやニーナにできるのは祈ることだけだった。
それから一体どれほどの時間が経過しただろう……。実際にはほんの数秒のことだったのかもしれない。
やがて揺れも収まった世界で、穏やかな微風だけがそこに残った。
男の子は無事だろうか……。ニーナは異常を唱えてはキリがない体を無視して、進んで自らの四肢に鞭を打つ。
意識、顔色、怪我の有無――そして見渡せば白紙に戻ったかのような大地。漏れかけた安堵の溜息は、すぐに感じたことのない落胆へと変わった。
「そんな……」
ぼうっと眺めては目を閉じずとも浮かぶ居住区の幻影。ありえないと振り返ったところで、他人事のように佇む王都の壁はあまりにも容赦がない。
ああ……やっぱり守ってはくれないんだ……。
滲んだ視界の中でニーナはただひたすらに疲れていた。
倒れ込みたい……倒れたい。それでも自ら背負った責任が、胸元で震える拳の熱が――ふらつく心を支えては、それ以上の弱気を許さなかった。
「ぼくのスープが!」
「へ――」
だから驚いたのだろう、そのあまりにもな間の抜けた声に。そしてほどなくして気付いてしまう、その声が自分の口から漏れ出ていたことに。
「お姉ちゃん!」
「う、うん?」
「ぼくのスープが!」
「にゃ、にゃあ?」
ニーナはそれまでの張りつめていた空気が一転して何故か可笑しくなってしまう。そうだ。帝国も王国も、たとえ大地が揺れようとも風が強かろうとも、彼には関係ない、関係ないのだ。
まったく……かなわないなと、ニーナは苦笑に似た笑みを浮かべては、そっと男の子の頭についた土を落として立ち上がる。
「大丈夫」
「ホント?」
ニーナは笑う。どこか自分にも言い聞かせるように。何もかもが無くなってしまったこの場所で、それでも前へと進んでいくために。
「もちろんにゃあ!」
ニーナが手を差し出しては男の子が手を取り、歩き出す。
まずはけが人の救助からだ。
――そうだよね、クロにゃあ?




