40 第三王子クレマン・エスランの友情
王都を遥か後方に、日暮れと共に深さを増した暗闇にも目が慣れたころ。王国の情報統括部長ライナスは王国の第三王子クレマンの背中を追ってある人里離れた茂みの中にいた。
「殿下?」
「しっ」
不意に足を止めたクレマンからすかさずライナスへとかざされる手のひら。流れるように形を変えては、下手なやり取りよりも多くを語るクレマンの指先に、ライナスはその場で思わず息を呑む。
あれは……。
一見してただの黒だが、注視すると浮かんでくる掴みどころのない境界線。夜更けを侵す幻想のような昼。ライナスはそっと確かめるようにして目を閉じた。
考えるまでもないか……。瞼の裏に響いたクレマンの微かな歯噛みを耳に、そこには存在しない色と温もりからすぐに答えは出た。
「殿下。ここは私に――」
そこまで言ったところでクレマンは首を横に振る。
「ここで貴方を失うわけにはいかない」
「しかし――」
それを言うなら逆だろう。ライナスは浮かんだ言葉を噛み殺しては、半ば食ってかかるような態度に自制をかける。
障害を前にいちいち落ち着きをなくしていては進むものも進まない。ライナスは大きく息を吐き、今一度自分に冷静かと問いかける。
「殿下。やはりここは私が」
「いけない。きっと姉さんもそう言うはずです」
気付けばライナスの肩へと優しく触れているクレマンの手。その口元にはせめて最善は尽くそうと、決して虚飾ではない笑みが浮かんでいた。
まったく……敵わないな、殿下には。ライナスは釣られて微笑した。
「殿下、何かいい手でも?」
「前向きなのが僕の良いところです」
「そうでした……そうでしたね」
ライナスは苦笑とともに目を閉じた。無茶が無謀とは限らない。必要なのは絶えず思考を続けること――。そう……見るべきは今。音だけを残してライナスは集中する。
踏むべきは過程。積むべきは事実。場所、時刻、そして人……。
目的の補給路まではまだ距離がある。ではこの道は? 新たな補給路? まさか。警戒していないにしても掌握されていない街から近すぎる。それに夜間の補給を強行しなければいけないような戦況でもなし、わざわざ狙ってくれと言わんばかりに目印を残しておく必要性は……? いや、目印……?
「後詰め……?」
そこでライナスは辿り着く。道が運ぶもの。可能性としての用途に。筋書きは悪くない。そこには利があり、帝国的な驕った思考にも合致する。ただ仮にそうだとすると――。
「まずい……」
ライナスはほとんど反射的に王都の方角へと振り返る。そうして見える筈のない王都を探して目でもがく。
「くそっ……」
ライナスの声が感情的に大きさを増す。それがどれほど危険な行為かも頭では分かっていた。
ただそれも自身の考えが正しければ杞憂でしかないと知っているからこそ、ライナスは余計に自分が抑えきれなかった。
自分はいったいなんのために……。勝手に想像しては目的さえ見失いそうになる。
「ライナスさん落ち着いて」
案じては取り乱すことしかできない――。暗闇の中で孤独な無力感に終止符を打ったのは、両肩に感じる確かな感触だった。
「何か分かったんですね」
正面からライナスを捉えるクレマンの瞳。映っているのはどれほど情けない自分だろうか。見たくもない現実は決して目を逸らすことを許さず、ただじっとこちらを見据え続けていた。
落ち着かなければ……冷静さを取り戻そうとしてライナスはその唇をかみしめる。次第に口内へと広がる鉄の味――。
行き過ぎた思考は一度切り離し、それまでの破綻した自分を再び理性という鎖で繋ぎとめる。
「殿下……帝国は……帝国は補給など考えておりません。私の考えが正しければ……ここは無人。一足先に嵐は過ぎ去り、残されたのはその痕跡だけ。殿下。王都にはすでに帝国の駐留部隊が……」
「ライナスさん」
「殿下……」
クレマンはどこまでも落ち着き払っている。そしてライナスの内側に渦巻く泥のような感情は、下手に落ち着きを取り戻したせいで沸々と再燃し始めていた。
「私たちは私たちのやるべきことをやるだけです」
しかしクレマンは揺れない。その瞳は微動だにしない。それはライナスから見ても努めてそうしているのであろうことはすぐに分かったが、例えそうだとしてもどこかほんの少しだけ救われた気持ちになったのは確かだった。
「王都を離れると決めた時、私は何があろうともやり抜いて見せるとそう誓いました。ライナスさん。私はあの時、私についてきてくれると、そう言ってくれた貴方のことがとても心強く思えた」
「はい……」
「今度は私の番です。王都の状況は最悪で、すぐに王国全体がそうなるかもしれない。それでも私たちは今ここにいる。その理由はきっとあるはずです。そして私に貴方がついてきてくれたように、貴方にも私がついている。王都のことは王都に任せましょう。今は私たちにしか出来ないことをやるべきだ」
どこまでもひたむきに前だけを見据え続けるクレマン。彼の醸し出す独特な雰囲気に飲まれては、ライナスは不思議と青年時代にでも戻ったかのような気分になった。
「ぶっ――」
「ちょ、ら、ライナスさん?」
人目もはばからず吹き出しては、当然のように目の前であたふたと困惑をあらわにするクレマン。全身から余分な熱が急速に引いていく感覚をどこかライナスは心地いいとさえ思った。
「す、すみません、殿下。少し自分の若いころを思い出しまして」
ライナスが冗談交じりに笑えば、クレマンはそれ以上の笑みを浮かべてみせる。
「まったく、ライナスさんは酷いなぁ、ほんと」
「その、なんといいますか。告白されてるみたいで」
「えぇっ!?」
「でっ、殿下っ!」
二人して思わずと大きな声を上げてしまう。同時にしばらく口を閉ざしては――恐らくいないであろう相手を探して――茂みの中から周囲に聞き耳を立てる。
それからゆっくりと顔を見合わせては、安堵のため息を漏らしたのもまた図らずも二人同時だった。
「クレマン殿下」
「ええ。作戦は決行します。今なら意外と簡単にことが済みそうだ」
「殿下。楽観視は危険ですよ。しかしながら私もその意見には同感です」
「では――」
「はい」
「健闘を祈ります。わが友、ライナス」
クレマンはライナスを正面から見据えては、その肩に信頼を乗せる。
「光栄ですよ、殿下。そっちこそ死なないでくださいね? 実際にことをなすのは殿下のほうなんですから」
「私はともかく、私の仲間なら安心です。必ず成し遂げて見せますよ」
「ではその優秀な殿下のお仲間に期待するとしましょう。殿下、もし座る椅子が無くなったとしてもあなたは永遠に私の殿下だ。次の地点でお待ちしております。いつまでも」
「なんだか告白でも受けてるみたいですね」
「立場の逆転は戦場ではよくあることです。では、お気をつけて」
「はい。お互いに」
軽く微笑み合うことで同時に背を向けるクレマンとライナス。遠ざかっていくお互いの微かな足音の中で、願わくばもう一度再開できるようにと、二人は背中越しに相手の無事を祈った。




