34 人魚ヤナ・エルサの非凡
時は遡ること少し前――。
「何がアリアーヌを頼む、よっ! ほんっとにもうっ! しっかりしてよね!」
連邦のとある砂浜。人目を避けるようにしては、岩場の影に倒れこむエルフたち。その横で海水にふやけたクロナはヤナにその首根っこを掴まれ、ずるずると海から引きずり上げられていた。
「まったくなんで森の民のエルフが泳げて、人間のあんたが泳げないのよ!」
「泳げないんじゃなくて頭が水を吸って沈むんだよね」
「なら脱ぎなさいよっ!」
ベチっとヤナの鋭い突っ込みに鈍い音を立てては、ブルブルと揺れる牛頭。
「ったく……それに比べてアリアーヌはドレスでの遠泳も軽くこなして見せるし」
「え? ああ、泳ぎは昔師匠に教えてもらったから」
何のことは無いとドレスの裾を絞るアリアーヌ。師匠という言葉にそれとなく周囲の視線が二人へと向けられる。
「ドレスでの遠泳を? 冗談でしょ?」
「師匠の時は体に重りを巻き付けられたっけ」
ヤナはその場を代表するように叫ぶ。
「それ教えてもらったって言わなくない!?」
「師匠は私に水系統のそれを教えたかったみたいでさ。でも私があんまり好きになれなくって……でもそのお陰で泳ぎはこの通り」
「この通りって……私はもっと普通に堂々と正面から来たかったけどね。それに――」
ヤナはその肌に張り付いた衣服をこれ見よがしにとつまみ上げる。
「どうするのよこれ」
「まずは買い物だね」
クロナは首元から大量の海水を吐き出しては、どうにも締まらない様子でそう言った。
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「何話してんの?」
早々に買い物を終え、店先で待つマスコットの二人。その背後に近づく軽快な足音は、装いを新たに店から顔を出したアリアーヌだ。
「うん? うん。そういえばアリアの剣にひびが入ったけど、大丈夫かなって」
「ああ、あれ? べつに――」
「わんっ! 申し訳ありません。アリアーヌ様」
「って、ちょっとちょっとっ」
頭を下げようとするおまわり。それに慌てた様子で待ったをかけるアリアーヌ。
「べつに継承剣なんてただの身分証みたいなものなんだからっ。だからほんっとに全然おまわりが気にする必要なんてないんだってばっ」
「しかし――」
「ホントに大丈夫なんだってばっ。それに第六位の継承権なんてほとんどあってないようなものだし。投げて渡したのも私で、その持ち主も私なんだから。だからほらっ、全然大丈夫でしょ?」
アリアーヌはあっけらかんと言う。
「それに重要なのはそれが何かじゃなくて、それを持つ私が誰か――でしょ?」
アリアーヌはわざとらしく腰に手を当てては、ふふんっと胸を張る。
「でも第六位なんでしょ?」
それを冗談交じりに背後から茶化すのは、数名のエルフと共にちょうど店から出てきたヤナ。それまでとは別人のような高貴さに身を包みながらも、まるで自然体を崩そうとしないのはあくまでも一行の代表である少女がそうだからなのかもしれない。
「ヤナはすぐそういうこという……」
そんなヤナに対して、アリアーヌはそっと呆れるように目を細めた。
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「――継承剣?」
ヤナは歩きながら初耳だと復唱する。
「うん。王族が生まれたときにもらうっていうか、授かる? 的な。まぁ、自分が王族であることを意識して生きていこうみたいなそういうやつだったと思う」
「あ、あんたね……。もう少し自分の出自とか歴史とか。そういうのに目を向けた方がいいんじゃないの?」
「べつに興味ないし」
「あんたならそういうと思ったわよ。きっと王族もその剣を持たせることであんたみたいなのが増えないようにって、自らを戒めてるのね」
「でもそこが私のいいところだって、師匠は言ってたよ?」
「師匠も師匠なら弟子も弟子ってわけね?」
「鼻が高いでしょ?」
アリアーヌは嘯くように笑う。
「まっ、確かにそうかもね。おまわりが飛び出したときは本当に肝を冷やしたけど……それでも結果として、一撃防いでみせたわけだし。持ち主はともかく、王族の品位とその格式高さは本物よね」
「私がその王族の一人だって忘れてない?」
「あら、これは失礼しましたわ。お嬢さま」
どちらからともなく顔を見合わせる二人。沈黙は数秒と持たずに、すぐに堪えきれなくなったと笑いだす。
「なにそれっ」
「殿下のほうがよかったかしら?」
「わたしっ、お嬢さまなんてっ、初めていわれたかもっ」
「そうなの? アリアーヌはずっとこれまでもアリアーヌだったのね」
「ヤナは会った時からずっとヤナっぽいけどね」
「それって褒めてる?」
「分かんない」
今度は吹き出すように笑い合う二人。
「そういえば――」
一行を先導するクロナがそこで思い出したように声を上げる。
「剣の話で思い出したんだけど」
「どうせろくでもない話でしょ?」
「そうそう」
クロナの背中へと返される、どこまでも仲睦まじいアリアーヌとヤナの息の合ったやり取り。
「でも暇だし聞いてあげても?」
「いいけど?」
そしてまた顔を見合わせる二人。当然のようにまたどちらからともなく笑いだす。
「二人を見てるとヤナが人魚だってことを時々忘れそうになるよ」
「あら、私の声の影響が出てるんじゃない?」
「どうだろう。でも仲のいい姉妹にも見えなくもないかなって」
「アリアーヌにはたくさんいるんでしょ?」
「その内の一人がその剣の作り手かもしれないと言ったら?」
「ちょっとだけ興味が湧いてきたかも」
ヤナは期待するようにアリアーヌへと目を向けた。
♦
「わっ、ほんとだ」
アリアーヌは鞘から引き抜いた刃を持ち手から外しては、そこに刻まれた名前を見て驚きを口にする。
「でもなんで?」
「昔の話だけど、僕がまだ勇者パーティーだったころに変わった石ころをもらってね」
「変わった石ころ?」
「うん。当時は硬すぎて加工のしようがないから無価値だったんだけど」
「ふーん?」
「それをたまたま話したらエヴァが面白がってね」
「それで?」
「さぁ?」
クロナは会話の途中でわざとらしく肩をすくめてみせる。
「えっ、何それ」
「いや、僕もエヴァに渡したところまでは覚えてるんだけどね」
「ホントに何それよ。ちゃんと落ちはあるんでしょうね?」
「落ちっていうか、推測だけどね。それからしばらくして、その無価値な石が加工できるようになったって噂が王都に流れてね」
「スケールが完全に師匠のそれなんだけど……」
「それからまた紆余曲折あって、勇者パーティーの武器をその石で作ることになってね」
「なんだか話が読めてきたんだけど」
「うん。案の定エヴァが面倒くさがってね。お前があんな石を私にプレゼントするからだって」
「それで技術を流出させたんでしょ?」
「そう。それでその時こうも言ってたんだ」
「なんて?」
「もう剣は打ったからって」
「それがこれってこと?」
「さぁ、どうだろう。でも姉が妹のためにそうしていたとしてもおかしくはないかなって」
「うーん……。師匠って、昔から変なところでお姉さん面したがるところあるから……」
「でもそれが今回僕たちの命を救ったんだけどね」
「わんっ!」
「なーんか。エヴァ・クラーリって、思ってたイメージと全然違うのね」
「そう?」
「いいお姉さんじゃない」
「そうかなぁ……?」
「そうよ。もし私が妹だったらきっと逃げ出してるだろうけど」
「華麗な手の平返しが秒で決まってるんだけど……」
「言っておくけどあんたが姉でもよ?」
ヤナの言葉に口を噤んでは遠い目をするアリアーヌ。
「ふふっ。姉妹なんだから似て当然よ」
「なんかすごく複雑な気持ち」
「いいのよそれで。ここからはそういう姉譲りの豪快さがものをいうんだからっ」
不意に足を止めるクロナ。その横を通り過ぎる形でアリアーヌの手を引き、おもむろに駆けだすのはヤナだ。
「そう……?」
「そうよ!」
そして厳かな外観。白を基調とした巨大な建物を前にして、その入口へと伸びる最初の一段目へとヤナは見せつけるように片足をかける。
「アリアーヌ。信じるわよ。あんたのこと」
アリアーヌへと決意の眼差しを向けるヤナ。それを受けるアリアーヌもまた無言で目の前の段差へと一歩を踏み出しては、その顔に不敵な笑みを浮かべる。
「急に不安になってきたんだけど……」
「やっぱり師匠じゃなきゃダメ?」
眉を少しだけ上げるヤナ。
「そういうところは真似しなくていいの」
言いながらヤナの形だけの手刀がアリアーヌの頭頂部に振り下ろされる。
「あいたっ」
そしてまたどちらからともなく軽快に笑いだす二人。
「さぁっ行きましょ!」
ヤナは声を張り上げる。
「私たちが何者か――この世界に思い知らせてやるんだからっ!」




