30 私はその日、初めて人を本気で殴り飛ばした
連合国の北東。連邦との中間地点に位置する岩礁地帯。王国の真意をその目で確かめるべく連合国を出立した私は、その予告通りに海上を漂っていた小さな船をあいさつ代わりに占拠した。
もちろん国からは接触に関して慎重を期すよう言われていたが、そういった回りくどい真似をせずとも、相手の本質を見極めるのならそれが一番だと経験則で理解していたからだった。
人の本質は虚をつかれたときにこそ垣間見える――。それが私の持論だった。ただそれはどうやら私たちにも当てはまるようで……。
――少女は目を見張りながら私に言った。
「すごい」と。
――少女は目をキラキラさせながら言った。
「どうやってるの」と。
――少女は驚いた顔でまた言った。
「すごい」と。
私は聞いた――。
「怖くないのか」と。
――少女はよく分かっていない様子で言った。
「なんで?」と。
――少女は続けてこうも言った。
「怖がってちゃ相手を知ることも出来ない」と。
私は言った――。
「あのエルフもそうなのか」と。
――少女は照れくさそうに笑った。
「うん」と。
――するとエルフも釣られるように笑った。
「アリアーヌ様は放っておけない」と。
――少女は冗談めかした表情で口を尖らせた。
「それはお互いさま」と。
私は言った――。
「人魚は人に毒よ」と。
――少女は私に顔を近づけてひそひそと言った。
「なら牛頭に毒見させるから大丈夫」と。
私は困惑しながら"勇者パーティー"のクロナに目を向けた――。
クロナは口を開く代わりにそっと頭上を指さすと、そこには一羽の猛禽が居座っていた。
――少女は引き締まった表情で言った。
「師匠が見てる」と。
私は聞いた――。
「師匠?」と。
――少女は一瞬言い淀んだのちに告げた。
「エヴァ・クラーリ」と。
私は畏敬の念を込めて呟いた――。
「魔女……」と。
――少女は表情を硬くして言った。
「その呼び方定着してるの」と。
私は素直に謝った――。
「不快にさせてしまったのならならごめんなさい」と。
――少女はわずかに顔をほころばせながら言った。
「ううん」と。
――少女は続けてこうも言った。
「いい意味ならいいの」と。
そして少女は言い、私はそれを黙って聞いた。
少女は言う。私は聞く。
私は――。少女は――。少女は、私は――。少女は――。少女は――。少女は――……。
「少しは遠慮というものを知りなさいっ!?」
「ごっ、ごめんなさいいっ!」
まったく……。甲板のエルフと共に逃げるように船内へと消えていく少女の背中。やれやれと種類の違う徒労感に苛まれては、人目も憚らずに船べりへと背中を預けて特大のため息をつく。
「あの子はいつもああなの?」
別に示し合わせたわけではないが、たまたま目が合ったのでそれとなくクロナ相手に聞いてみる。
「うーん。どうだろう? ヤナさんが特別喋りやすい相手だったこともあるのかな。あ、今更だけどヤナさんでいいよね?」
「別に。呼び方なんて好きにすれば? エルサは略称だし。こっちも勇者パーティーのクロナでいいわよね?」
「元、だけどね。それから――」
促されるようにクロナの顔が向けられた先へと視線を向ける。そこにはクロナと同類の、いわゆるマスコットと呼ばれる犬頭がいた。
「私はおまわりといいます。わん」
「おまわり? まぁ、なんでもいいけどさ。ていうか何なのよ、その取ってつけたような語尾はさ」
「私のポリシーです、わん」
「ふーん。ま、なんでもいいけどね」
それほど興味があるわけでもない。ふと思い出したように空を見上げては、それからまた大きく息を吐いた後、再びなんとなくでクロナに視線を戻す。
「まぁ、アンタらのことはよくわからないけどさ。あの子が悪い子じゃないってことだけはよく分かったから。国の方には私の方からいいように――」
「ああ、それなんだけどね」
おもむろに片手を上げては、途中で言葉を遮ってくるクロナ。
「それって私の決心を鈍らせてまで今言わなきゃならないことなの?」
「そうだね。うん。そうだと思う」
「ならその話とやらをさっさと聞かせてもらえるかしら?」
「うん。連合国から連邦の方には貴女が。ヤナさんが代表として来てほしい」
「は……? 冗談でしょ?」
思わず船べりから離れて正面からクロナを見返すも、どうやらからかっているわけではないらしく……。クロナの提案に対して横のおまわりとかいうのも平然としている。
となるとその上であろうか。二人からしてそれは元々決められていたことなのかもしれない。
「それってもしかして、エヴァ・クラーリ?」
「うーん。エヴァ、というよりかは、どちらかといえば、それは僕になるのかな」
どことなく判然としない様子のクロナ。それはこの場に存在するのがエヴァ・クラーリの思惑だけではないことを暗に示唆しているのかもしれない。私にはそう思えた。しかし――。
「なんでまた私なの?」
「その方がいいと思ったから、かな」
クロナはあっけらかんと言い放つ。
「何それ……」
微妙に身構えていた体から一気に力が抜けていく感覚。一瞬でも言葉の裏に何かあるのではないかと無駄に勘ぐった自分がバカに思えてくる。
むしろ今の今までアリアーヌの陰に隠れて見失っていたが、そもそも元勇者パーティーという肩書だけで立っていられるほどこの局面は軽いものなのだろうか。少なくとも私はそうは思わない。それもマスコットなどという存在であればなおのこと。
考えられるのはクロナがそれを可能にする何かを持っているか、何者かが故意に紛れ込ませているという可能性――。後者であれば簡単だ。エヴァ・クラーリ。それですべてに説明が付く。
しかし前者であった場合……。そこで思い出される先ほどクロナが見せた曖昧な態度。もしかすると元々現状はクロナを許容しておらず、クロナが現状に許容させているのではないだろうか。
エヴァ・クラーリ……クロナ……盤上の駒であればそこには必ず意味があるはずだ。私のように役回りがあるはずなのだ。だが……。
気が付くとまた勝手にあれこれと考えている自分。それもこれも何もかもクロナが異質すぎるからに他ならない。
「一つ、聞いてもいい?」
「どうぞ」
「あんたは一体……何を見ているの?」
クロナは私の問いかけにすぐには答えない。例えそれが意図したものだとしてももう構わなかった。
ただ一つだけ。叶わぬならその片鱗だけでもいい。その牛頭の下で何を見据えているのか。私はそれが知りたかった。
「すべて」
クロナは言い切る。粛々と断言する。それは傍から見れば馬鹿馬鹿しい。向かい合っても大言壮語。しかし過程を経た今、私にはそれがどうしようもなく真実に聞こえて仕方がなかった。
熱い――。体の芯から火照ってくる感覚。肌の至る所から汗がじわりと滲みだしてくる。
私はいま世界の中心にいる。かつてない興奮の最中、私はそこまで錯覚した。
「まぁ、エヴァの受け売りだけどね」
「このクソボケカスゥ!」
私はその日、初めて人を本気で殴り飛ばした。




