29 その時私は初めて怒りという感情に目覚めた
肩の少し下まで伸ばされた赤い髪。少女のあどけなさを残す端整な顔つき。凛とした鋭い眼差しに宿る隠し切れない高貴さは、正に彼女の相反した印象そのものだった。
「エクスプロージョン!」
その日。第六王女アリアーヌ・デュムーリエが王国の港にて放った小さな爆炎は、ある一隻の船の門出を華やかに飾り立てた。
「行くわよ連邦! 待ってなさい帝国! あんたらの思い通りにはならないってことを思い知らせてやるんだから!」
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王都の空で一羽の鳥が啼いた――。
「アリアーヌが行ったか」
王城の外。エヴァは王都の昼の街並みを散策しながら一人呟く。
自慢ではないが、私は目立つ方だ。それも自身が王族に名を連ねている王国ならなおのこと。加えて外見に特別自信があるわけではないが――妹のサラにアリアーヌと王族は美形揃いときている。
もちろん私もその例に漏れていない――はずであり、まだ何も知らなかった幼少のころには、可愛い可愛いとよくもてはやされたものだ。
「ふっ……」
それも買い手がその価値を見出されなければ、例えそれがどれほど優れた原石であろうとも、何の意味も持たない路傍の石と変わりないというのに。
被り物か……。どれだけ努力し、己を研磨したところで美しい石ころは石ころの域を出ない。
エヴァは目深にかぶった頭巾の下で、男なら誰しもが跪いてしまうようなその美貌を微かに歪ませる。
"愛ゆえに――"
裏通りに入った途端、そうでかでかと書かれた淫靡な看板が目に入った。外から少しだけ中を覗いてみると、すぐに酷い客層がジロジロと見返してくる。
揉め事はご免だ。先を急ぐようにその場を後にする。それにしてもと身なりを含め、王都にあるまじき醜悪さだったが、あれが俗にいう冒険者なのだろう。
知り合いとはずいぶん異なる風体をしているが……それはむしろ逆なのだろう。
「さて……」
徐々に狭くなる路地を気が向くままに進み、飽きたところで適当に折れ曲がる。聞こえてくる喧噪の具合からして大通りの一本裏手辺りであろうか。仮に裏通りとするなら微妙に怪しすぎる店の横を突っ切り、また路地から大通りへと抜けていく。
"ギルド通り――"
入口の門にはそう書かれていた。通りの脇に設置された親切な案内板へと目を凝らせば、通りに面するギルドが一覧でその名を連ねている。
青褐、青丹、浅縹――。
各ギルドのギルドホールの位置を示す手がかかりは、どうやらその外観の色に準拠しているらしい。
突っ立ったまましばらく人混みに揉まれては、特にそれ以上そこに用があるわけでもなかったので再び元来た道を引き返す。
ちなみに何となくで探した王国の現勇者パーティーが所属するギルドの色は、赤朽葉だった。
ほどなくしてまた見えてくるのは妙に胡散臭い裏通り。二度目でもその印象はまるで変わらないが、今度は面白半分で踏み入れてみる。
「飲めば一発! 飲めば一発!」
何が一発なのだろうか。店先で色の定まらない奇怪な瓶を両手に掲げるやけに露出度の高い老婆は、まばらな人波を相手に片っ端から声をかけ続けている。
「飲めば一発! 飲めば一発!」
「何が一発なんだ?」
店の前を通り過ぎる際、また面白半分で声をかけられたところを聞き返してみる。
「お客さんは人魚の声を信じるかい?」
すぐさま商売人としての顔を見せる老婆。その怪しさ全開の野暮ったい笑みは、むしろ見ていて清々しいと思えるほどだった。
「なるほど。それが事実なら確かに飲めば一発だ」
人魚の声は魅惑の音色。相手の意思を容易に捻じ曲げる。特に人間相手となればその効果は絶大だ。
「今なら安くしとくよお嬢さん」
お嬢さん――恐らく声で検討をつけたのであろうが、不意にそう呼ばれては思わず変な笑いを零してしまう。
「面白い奴だ。私の顔を見ろ」
「ヒッ――」
頭巾をわずかにずらしては、その場で瓶を放り投げ、店の奥へと一目散に駆けていく老婆。地面に落ちてもおかしくないところを両手に収めては、そっと耳元へと近づける。
さすがにな……。栓を開けては、ゆっくりと鼻を近づける。無臭……。粘膜への刺激もない。瓶を傾けては、地面へと数滴垂らす。消える――。正確には腰の高さを過ぎたところで、その水滴は視覚では捉えられなくなった。
それで瓶の中身が判明する。強烈な幻覚剤の一種。それもかなり高濃度のものを無理に薄めているせいでその色を保てなくなっている。
人魚の声ね……。それはとても飛躍した発想であり、同時にロマンチックな連想だった。
「使えるな」
「す――すすすすすすみません。わ、わわわ私がわわわわ悪いんですすすす」
自然と漏れた感想に、その額を地面にこすり付けながら再び店先へと飛び出してくる老婆。本来であれば周囲の目を引く行為だろうが……それも裏通りでは日常茶飯事なのか。
精々がチラと顔を向ける程度で、誰もが興味なさげにそのまま通り過ぎていく。
「これを精製した奴はいい腕をしている。ただそれだけに惜しい。希釈をこの半分にして、濃度を上げるべきだ。一回当たりの分量を調整すれば採算も取れるだろう。それから商品の劣化を嫌って香料を入れていないようだが……飲み物である以上その飲み口は重要だ。果汁か保存のきく香草を使うといい。季節に応じて温度を調節するのもいいだろう。その内に大通りに店を構える日が来るかもな。ただし人魚の声という触れ込みは今後一切使うな。これは私からのしなくてもいい忠告だ」
目を見開いては、ぽかんと口を開けたままの老婆。その手に二本の瓶を無理やり握らせては、向けた背中に時間差で礼を述べられる。
「感謝……感謝します……!」
それを軽く手でいなしては、また当てのない散策を再開する。そうして路地から路地へ。しかし時間も頃合いだろう。そろそろと帰結する結果を求めては、とある建物の前でおもむろに足を止める。
"ギルド夢の国"
年季の入った扉の脇に設置された、真新しい立て看板にはそう書いてあった。
「今日は休みだよ」
背後からかかる男の声。顔だけで振り向いては、その姿を目に捉える。男はある店で見かけた酷い客層の内の一人――清潔感の欠片もない冒険者だった。
「それとも何か急ぎの用なら同業者のよしみで伝言を預からないこともないけど?」
「今日は開いているさ。お前が知らないだけでな」
「何を言っているのかよく分からないな……。定番のハチミツなら家に幾つかストックがあるけど」
「酷い誘い文句だな。さっきの自白剤をお前に使いたくなってきた」
「自白剤……? 出来の悪い幻覚剤の間違いだろう?」
男は笑う。それも鼻で小馬鹿にしたように。
「いいや、自白剤さ。それも人魚の声に効能が瓜二つなな」
「まさか。……俺を実験台にでもするつもりか」
「さぁ? 私はただ使いたくなったと、そう言っただけだからな」
「お前……」
急に冷や水でも浴びたように大人しくなる冒険者の男。じわじわと脂汗の浮き上がり始めた顔は、何かを告げるようにして頻りにぴくぴくとその端から引き攣っている
「失せろ。今ならまだ王国の冒険者として扱ってやる」
「っ……魔女がぁッ――!」
男が言うが早いか、その声に反応しては物陰から飛び出す武装した集団。第三王子クレマン率いる騎士たちが取り押さえた男の傍には、例の店で見た酷い客層の二人も追加で含まれていた。
「遅い!」
私は戯れに叫ぶ。
「ええ!?」
それに合わせてその場に響くクレマンの素っ頓狂な声。
「姉さんがそれを言う!?」
「危うく私の身に危険が迫るところだった」
「それって未然に防がれたって意味だよね!?」
「結果論だ」
「いや結果論でいいよ!」
「ままま、まぁ、おおお、落ち着け、くくく、クレマンよ」
「おおお、落ち着いてるよ!」
「うるさい!」
「ええっ!?」
「心配するな。何も言わなくてもお前の気持ちはよく分かっている。だから一人にしてくれ……」
「えぇ……」
ブツブツと納得いかないといった様子で小言を漏らしながらも、それでも姉に言われた通りに三人の元冒険者を連れて配下の騎士たちと共に引き上げていく弟。
「この場に残った情報部長ライナスは、彼の敬愛する第二王女の無事をどこまでも喜び、自然と沸き上がる安堵感にほっと胸を撫で下ろしていた――」
「殿下。頼んでおいて何ですけど、注文と違う品が届いたので返品したい気分です」
「注文よりいい品が届いたろ?」
「なるほど。今日のあなたの予定にない行動を一から百まで並べ立ててあげましょうか?」
「お前が結婚できない理由を教えてやろうか」
「そういえば先日結婚しました」
「何……?」
「殿下には私事ですのでご報告していませんでしたが」
「冗談だろう?」
「ファマスの姉のテルマです。式はまだですが」
「お前――部下の姉と結婚したのか……やるな……」
「嘘です」
「……その時私は初めて怒りという感情に目覚めた――」
「まぁ、その、殿下。あまりクレマン殿下を――その、なんといいますか……」
これまでにない曖昧な態度を見せるライナス。
「何だ。もうクレマンの兄気取りか?」
「そのような――! いえ、決してそのようなことは……決して」
「いいさ。嘘でもお前にそれに近い気持ちがあるのなら奴は幸せものだ。頼れる相手が配下の騎士連中と私だけでは、奴の肩が砕け散るのも時間の問題だしな。思えばお前のようなそれなりに歳も近い、同性の話し相手というものを奴はずっと欲しがっていたのかもしれない。もちろん負担にならない程度でいい。出来ればその気持ち。奴のためにも大事にしてやってくれるか」
「殿下……」
「熱い涙を流すライナス。その意味は男同士の友情を越えて、最早兄弟愛とすら呼べ――」
「殿下」
「何だ」
「実は結婚してます」
「何……?」
「嘘です」
「その時私は初めて――」
「殿下」
「何だ」
「同じ反応です」
「これはそういうお約束だろう?」
「殿下……」
「何だ」
「その内クレマン殿下にも愛想を尽かされますよ」
「その言い方だとお前はもうすでに愛想を尽かしてるように聞こえるぞ?」
「仕事ですから」
「金で寝返りそうな人間が言いそうなセリフだな」
「殿下」
「何だ」
「帰らないんですか?」
「ああ、それだけどな」
懐に手を入れては、一本の鍵を分かりやすく目線の高さで提示する。
「ついでに知り合いの家を換気してやろうと思ってな」
「……クレマン殿下には途中ではぐれたと、そう伝えておきます」
「また子供じみた理由だな」
「大人びた対応をしてくれるんですか?」
「その時が来ればな」
「……先に帰ってます」
トボトボと。それから徐々にその速度を上げては、視界から消える頃には走り出すライナス。王城へ着くころにはおそらくクレマンと合流していることだろう。
「さて……」
手に持った鍵を懐へと仕舞っては、扉の脇に佇む簡素な立て看板に手をかける。そして正面を"ギルド夢の国"と書かれた表面から裏面へ。回転して出てきた言伝は、その書き出しから実にらしいものだった。
親愛なる友へ――
ニーナさんをよろしく
追伸、アリアが人魚と
仲良くなったらどうしよう
「……その時私は初めて怒りという感情に――」




