18 恒星と惑星
「帝国には俺が行く」
アリアーヌが退室してからわずか数秒後のこと。扉の向こうに消えた足音が聞こえなくなったのを確認しては、アーノルドはそう唸るように宣言する。
そんなアーノルドの言葉にアリスンを含めたエルフの数名は、つい先ほどまでアリアーヌへと向けていたものと変わらない微笑を口元に浮かべる。
「アーノルドにゃあは優しいにゃあ」
沈黙を肯定とするマスコットたち。ニーナは一人、ぶれないアーノルドへと小悪魔チックな笑みを向ける。
「ヒヒーン?」
何を言うでもなく、ただその場で優雅に嘶くサラブレッド。機を見たようにおまわりがその後を拾い上げる。
「クロナ殿。アリアーヌ様の前ではあえて私と見立ては同じであろうとその過程を省きましたが、今後の局面を見据える上でも個人の方針と、同時に集団としての目的を明確化しておくべきかと愚考します」
「うん。僕もそう思う。アーノルドさんが帝国行きを決めたように、今後はそれぞれの単独行動とその場その場での意思決定が重要な要素をはらんでくる。その前提としての衝突が事実なら、連合国の帝国南部への侵攻は悲観でも楽観でもなく、ただ起こり得る事象の一つとして僕たちは数えておかなきゃならない」
クロナはそれとなくアリスンを一瞥する。それは僕たちという単位にエルフたちが含まれていることを暗に示唆していた。
「王国の今後の動向に心当たりはありますか?」
「エヴァと政治は切り離して考えた方がいいかな。あくまでも政治の中心はフレデリック王とエヴラール皇太子。この際貴族は無視してもいいかもしれない。となると――あえて三か国連合と従来通りに一まとめにするなら、王国に支援要請を通達すると仮定した上で、王国はどう動くかを考えないといけないことになるのかな」
「二者択一ですね」
「うん。正直支援を送ってもおかしくはないだろうね」
「にゃっ! 王国は敵に塩を送るのかにゃ!?」
「まだ敵じゃないからね」
「にゃあ……」
「どうでしょう。可能性を推し量る意味でも一度支援をすると仮定した上でその支援内容について考えてみては」
「うん。エルフの一件からどこまで事態を見据えているかによるかもしれないけど……連合国と帝国が衝突する可能性を認識していれば、少なくとも国境線沿いの兵は引き上げられない。増強できるだけの余剰兵力も王国にはない。となると派遣できるのは予備戦力としての冒険者だけ。恐らくだけど今回兵の派遣は見送られると思う」
「同感です。兵の派遣は見送られる――しかし明確な敵として対立しているわけでもない現時点において、みすみす立場を悪くしかねない選択をそもそも許容できるかはさておき、王国は許容しないと考えます。帝国との戦端が開かれた際に共和国の参戦がないとは考えられませんが……ここは共和国経由での物資の支援という線が落としどころとしても現実的でしょう」
「開戦間近が随分と遠のいた気もするよ……ただ王国にとってこの猶予は一体何を意味するだろうね」
「本来なら攻めるべきなのかもしれません」
「王国に攻めるだけの力はないよ」
「連合国との共同戦線、共和国の懐柔、魔族との戦線を抱える今なら皇国も帝国に対して武力の供与はしないでしょうが……現実から乖離しすぎていますね。連合国が亜人の解放を目指すなら今ですが……」
「帝国も皇国がらみとはいえ、王国戦を控えた今、戦線を二つ抱える危険は冒したくないだろうね。北の戦闘がいつまで続くかは現状予測しようがないけど……それでも連合国が有利に動ける時間はそう長くはないだろうね」
「短期決戦ですか。むしろこれまで見送っていたことからも、現段階で動きを見せていないということは、つまりそういうことなのでは?」
「あくまでも前例のない前提を考慮しないならね。王国戦を控えている以上、場合によってはお互いに血を流すことなく帝国は南部を開放するかもしれないね。むしろある条件付きなら喜んで明け渡すかも」
「にゃにゃ? それってすごくいいことにゃんじゃにゃいかにゃあ?」
「そうですね。ただしその結果として――連合国という国はなくなるでしょうが」
「ぜんぜんよくにゃいんだにゃあ!?」
「前者については魔族との戦闘の終結が早いとみれば帝国も応戦するでしょう。しかし長引くとなれば――また別です。まったく、困ったものですね。連合国には帝国を攻める姿勢だけでも取って頂きたいものですが……連合国の意思決定にはどうしてもバラつきがありますからね」
「南部の亜人の比率にもよると思います」
そこでそれまで聞くことに徹していたアリスンが沈黙を破る。
「ワンッ! 南部につきましては手持ちの情報が少ないゆえ……お話ししていただけると非常に助かります」
「アリアーヌ様のためにも、お力になりたいのはやまやまなのですが……私もそれほど特区については詳しく知っているわけではありません。ただ体感としての所見でよければですが――エルフは多かったと思います」
「連合国でのエルフの立場をお聞きしてもよろしいですか?」
「それは私"たち"ではなく連合国"の"エルフということでいいですか?」
「はい。出来ることならばその両方をお話しいただけると助かります。現状を理解する上でも今は一つでも情報が多いに越したことはありません。しかし同時に話したくないこと、話せないこともあるでしょう。無理にはお聞きしません。話せることだけお話しいただけますか」
「お心遣い痛み入ります。しかしそこまで気を遣ってもらう必要はありませんよ、おまわりさん」
アリスンはその口元をわずかに綻ばせる。
「そうですか」
おまわりはただ目の前のエルフを正面から見据える。そこには出会った当初のような――外した首輪の先で、まだ見えない何かに縛られているかのような――失意の底から抜け出せずにいる彼女たちの弱々しい姿はなかった。
たとえ物理的には解き放つことが出来たとしても、目に見えない負の側面まではどうすることもできない……。
ただ時間だけが彼女たちを安息へと導くだろう。そう信じては待つことしかできない。もしかすると彼女たちに安息など一生訪れないのかもしれない。そんな不安も……どんな理屈も、どうやら一人の少女の前では何の意味ももたなかったらしい。
引力。一言でいうならそれだろう。彼女たちはその強すぎる力に引き寄せられ、いつしかその姿を自ら光を放つことのできる、立派な恒星へと変化させていた。
もう大丈夫だろうか……いや、もう大丈夫だ。おまわりはアリスンから向けられた笑顔にそっと被り物の下で笑い返した。
「はい。連合国でのエルフの持つ影響力はさほど大きくはありません。ただし、それはどの国も同じという意味でです。ただ連合国を構成する、それぞれの国が持つパワーバランスには大きく開きがあります。エルフはその中でも上位に位置しますが――エルフの国内部でも派閥や思想に食い違いがあり、やはり意思の統一には今でもほど遠いと考えます」
「となると連合国の中でも独自に軍事力を持ち、尚且つ意思の統一に長けた国が先導する形で、または独断で動くことが考えられますね」
「はい。例によらず帝国国境に面している国は、どの国もその点で秀でているとみて問題ないと思います」
「王国側ではどうですか?」
「分かりません……。ただどの帝国にも王国にも面していない国としてエルフの国を例に挙げるなら……開戦には至らないと思います」
「理由をお聞かせいただいてもよろしいですか?」
「やはり意思の統一に難を抱えているというのが一番ですが……そうですね。エルフの国は国という体裁を保ってはいますが、それは連合国に加盟するためだけの見せかけに過ぎないのです。部族間の取り決めでしかない政治基盤は話し合いの場でしかなく、実際にどうするかはそれぞれの族長に委ねられているのです。加えて時間が限られているとなると……意見をまとめることはおろか、帝国相手に先陣を切るということはとてもではないですが、考えられないことです」
「何となくですが連合国の特区に対する扱いというものが分かってきた気がしますね」
「はい。端的に申しまして――連合国の統一見解としては"特区に亜人はいない"ということになっています」
「なるほど……。つまり帝国領の亜人は帝国の民。そういうことですか?」
「少し……違います」
「連合国は一枚岩じゃないからね。その見解とやらもただ多数決で決まったというだけに過ぎなかったり……こう見るとエルフの国は連合国という国を分かりやすく表しているのかもね。国境線沿いは常日頃から外部からの脅威に晒されているし、連合国という大きなまとまりにしても結局何かあれば矢面に足されるのは自分たち。力があって当然だし、むしろなければ話にならない。常に危機感を持ち続けているからこそ、強硬派になるのも頷ける。ただそうでないというだけで内側はまたその逆。今ある平穏が彼ら強硬派の下にあることを理解していながらも、目の前の日常が口惜しくてたまらないんだよね。勿論、平和を手放すのにはそれはそれでとても勇気がいることなのだけれど」
「クロにゃあは物知りだにゃあ?」
「ですね。ただ一つだけ私から補足をさせていただくのなら、エルフの国においての帝国南部におけるエルフは――同族とはみなされていません」
「にゃっ!? そ、それにゃあこのままエルフの国に行ったとしても――」
「はい。正直私自身、今回連合国行きが見送られることになってほっとしている部分もあるのです」
「王女様には話したのか?」
アリスンへと飛ぶ低音。アーノルド自身、感情的になっているわけでも、怒りを露わにしているわけでもなかったが、意識を向けられたアリスン以外のエルフはほとんど反射的にビクリとその場で肩をはねさせた。
「いえ……」
「アーノルドさん」
すかさず両者の間を取り持つようにして会話へと割り込むクロナ。
「連合国行きを決めたのはアリアですが、勧めたのは僕です。エルフの国の内情ももちろん把握した上でです。エルフの国と特区について上手く話をまとめられるかは分かりませんが、連合国に加盟している国は他にもいくつもあります。まずはアリアの意思を尊重する形でエルフの国を目指し、その後の行動と選択については彼女たちに任せてもらってはいただけませんか。その上でそれ以外を望むのなら――僕はもちろん応えられるように尽力するだけだけどね」
矢継ぎ早に語られるクロナの考え。微動だにしないままそれを聞き終えたアーノルドは、静かに首を縦に振る。
「くっ、クロにゃあ……」
「うん?」
「良く分からにゃいけど、すごいにゃあ……」
「こう見えて勇者パーティーでマスコットをやってたことがあります」
「どう見てもそうにゃあ!」
「ははっ、今じゃ元が二つつくけどね。とにかく、今後は連合国の動向に注視しつつ、北の戦闘についてはエヴァに一任。その間に帝国が連合国相手に時間稼ぎを始めるようなら……戦闘は終結間近、同時に王国の対帝国戦が間近に迫っているとみていいのかな。これからの行先は連合国次第。そしてそれを受ける帝国次第。ただ帝国が王国戦後を見据えるならその順序が逆になることも考えられるのかな。例えば南部の割譲を自ら提案するとか……」
「後々攻める口実をそこで作っておくわけですか。むしろ話を聞く限りでは、それで内部崩壊を起こしそうですが……」
「帝国ならそれぐらいやるだろうね。それに連合国相手なら開戦を見送ったとしても十分に釣り合いは取れる」
「皇国ですか……。主義はともかく、後ろ盾としては十分すぎますね」
「むしろ今回の対帝国戦。連合国の参戦は既定路線だとしても、重要なのはその一線をいつ超えるかなのかもしれないね」
「連合国もたいへんにゃんだにゃあ……」
「どっちかというとそれに運命を左右される王国のほうが大変なんだけどね」
「連合国はまだ自分でその時を選べるだけマシということでしょうか」
「実際のところ、王国も連合国も取り巻く状況は大して変わらないんだけどね。お互い生き残るためには共闘せざるを得ない。連携は必要不可欠。それが綿密であればあるほどいい。ただ現実問題としてそれはかなり難しいだろうね」
「にゃあ……」
頭を一頻り悩ませてはぐるぐると目を回すニーナ。いつの間に移動したのか、その横からサラブレッドに支えられては、同様に数歩進み出たアリスンを見つけてクロナはふっと表情を和らげる。
「アリスンさん」
「はい」
「今回の見送り――アリスンさんたちにとってもかなり消極的な対応に映っていると思います」
「そんなことはないです。クロナさんの選択は間違っていませんよ」
「ありがとうございます。ただ連合国が開戦した際に連合国内に部外者の僕らが存在するというのは非常に危ういということだけは理解してほしい。アリアの身の安全を含め、アリスンさんたちの立場にもそれはきっと悪い意味で影響を及ぼしてしまう」
「大丈夫ですよ。理解しております」
「うん。ただ場合によってはかなりの無茶を強いることになるかもしれない」
「分かっています。……利用してください。私たちを」
アリスンはエルフを代表して微笑む。そこにあるのはただの悲壮さではない――確固たる決意だった。
「……アーノルドさん」
クロナは思わず声だけでその名を呼ぶ。自分は何をやっているのだろう……。果てしない虚無感に襲われそうになっては、自身の覚悟が足りていなかったことにそこでようやく気付かされる。
まったく……こればっかりは鉄火場を離れすぎたからかもしれない。クロナは抜けた気合を入れなおすように、人知れず苦笑した。
「これは限りなく低い可能性ですが――帝国が特区で非道な時間稼ぎを画策する。そういうこともあるかもしれません。そうなった場合に王国側から帝国国境線を越えてもらわなければならなくなるかもしれません」
アーノルドは答えない。ただ沈黙を是として首を縦に振る。
「ただし――これは連合国からの要請でもなければ王国側の対応でもない。いうならば非公式。個人的な闘争に他なりません。本来ならば要請の後、それに協力する形で参戦することが望ましいですが……それでは規則の前に結果が破綻してしまう。――役割分担しましょう。その時は事後承諾を得られないか自分も連合国側に陸路で越境を試みます。ただし確約は出来ません。匿名性が重要視される中で、事と次第によってはその行先も異なってくるでしょう。たとえそうなったとしても難しく考えることはありません。柔軟に行きましょう。必要なら帝国に行き、連合国にも行く。何なら西の山脈地帯に向かってもらってもいいんです。その際に帝国側から連合国に皆さんを誘導した場合にも、帝国側から王国に招待した場合にも、後のことは全てこちらに任せて貰って構いません。ただ一つだけ理解していただきたいのは……僕たちがただそれだけのためだけに帝国領に入ることになれば――連合国にも王国にも、そして帝国にも無用な戦火をばらまくことになります。加えて大義の前に立場を失うことになれば、僕たちが関与した特区は迫害の対象になりかねない。結果的に誰も救われず、何も救われないでは意味がない。今求められているのは、これ以上事態を肥大化させずになるべく小さく収めること。王国も連合国も、エルフもアリアの意思も、そして自分たちも。考えられるすべての可能性とそれに伴う危険に対して、あらゆる角度から抑制を図り、当事者兼部外者という立場から終止符を打って回る――。決して簡単なことではないでしょう……。しかし出来なくはない。個々が思い思いの思惑を手に、成就に向けてただ邁進する。そこに担うべき責任があるというのであれば――」
クロナは見回す。長ったらしい演説じみた説得を肩に、今更持ち出した覚悟を問いかける。
「グルルル……」
「ワンッ!」
「ハハッ」
「フフッ」
「この身尽き果てるまでアリアーヌ様と共に。エルフ一同すでにその覚悟は出来ています」
「にゃ、にゃあもっ!」
「ヒヒーン?」
「トツトフツフトツトトツトツフトフトツトツ?」
「うん――。これを機に世界進出というのも悪くないと思うんだよね」




