16 猛禽の視点/昼間のコウモリ
「お姉さま! エヴァお姉さま!」
形式的な会議も終わり、退室する人の波に乗っては会議室を後にする猛禽頭。その背中へと声高に駆け寄る天真爛漫を絵に描いたような女性――。
王国の第四王女、サラ・ディ・トマソは分かり切ったように両手を広げては、また歓迎するように両手を広げるエヴァの胸元へと勢いよく飛び込んでいく。
「お久しぶりです! お姉さま!」
「うん。久しぶり、サラ」
「なんで被り物の上に被り物を被っているんですか?」
「被り物の上に被り物を被っている、か。確かにその通りだね。うん。サラは相変わらず面白いものの見方をするね」
「そ、そうですか? 私……お姉さまに褒めていただけるなんて、すごく嬉しいです!」
目を見開いてはぱあっとまるで少女のように表情を明るくするサラ。
「ただ残念ながら今はまだその問いかけには答えを用意することが出来ない。これはまだ何の意味も持たないことだからね」
「お姉さまの仰られることはいつも難しいです……。でも分かります。お姉さまにとってそれはとても大事なことなのですね?」
「他ならぬ可愛い妹のためだからね」
黒い帽子を手に取っては、妹のサラへと優しくかぶせるエヴァ。その手で押さえるように促しては、進路を指し示すように背後へと回る。
「今日は日差しが強いから気を付けて帰るんだよ」
「はい! お姉さま!」
両手で帽子のつばを押さえては、軽快な足取りで王城の廊下を駆けていくサラ。そのどこまでも純真な妹の背中を見えなくなるまで見送っては、姉として第二王女エヴァ・クラーリは再び大会議室へと足を向けた。
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「姉さん。いつまでその被りものを被っているつもりですか」
大会議室に据えられた円卓。椅子を引っ張って行っては、窓辺に腰を下ろすエヴァ。その姿を見つけるや否や声を上げた男こそ、エヴァを除いて唯一自らの意思で会議室へと残った王族――王国の第三王子、クレマン・エスランだった。
「まさか王国の未来を案じているものがたったこれだけとはな」
エヴァはクレマンの指摘を無視してぐるりと室内を見回す。会議終了後も律儀に残っているのは、ライナス率いる情報部以下数名とクレマン率いる騎士数名のみ。
エヴァは八まで数を数えては、静かな笑みを猛禽頭の下に浮かべた。
「答えになってませんよ。姉さん」
「その話に落ちはない。だから聞くな」
「サラには話しても僕には話してくれないんですか?」
「いい大人が妬くな。ライナス。お前が話してやれ」
「ええっ!?」
円卓に腰を下ろすクレマン以下数名、そしてエヴァ。資料を片手にいざ円卓へと腰を下ろしたところで声をかけられたライナスは――寝耳に水だと大きく目を見開いては――何のことだとエヴァとクレマンの間でその視線を行き来させる。
「どうせ落ちのない話だ。適当に作り話をそれっぽく話してやれば納得するだろうさ」
「姉さん。そういう話はもしするとしても僕に聞こえないところでやらないと意味がないと思います」
「だから言っただろう。落ちのない話だと。ライナス」
「え、ええと……その、あれです。これはいわゆる政治的象徴といいますか……」
「象徴なら王がいるがな」
「エヴァ殿下……」
「何だ?」
「無理です」
「だそうだ」
エヴァとライナス。二人してお手上げだと早々にクレマンへと顔を向ける。
「姉さんが別に話したくないならそれでもいいです。僕は僕なりに勝手にその理由を考えておきますから」
「その方がいい。お前のためにもなる」
「はぐらかしてももう遅いですよ」
「フッ。だそうだ、ライナス」
「エヴァ殿下」
「何だ」
「逐一私に振らないで頂けますか」
ライナスは相手が王女であることなど忘れて、もとい呆れて少しだけ目を細める。
「これだから何かしてないと不安になる男は死ぬまで働かせるに限る」
「仰られている意味が良く分かりませんが……給料分はしっかりと」
「情報部長ライナス」
「はい」
「給料分とやらの報告をしてみせろ」
「はい。では前回会議にて対帝国戦を想定した共和国への使者派遣の件ですが――経過報告から申しまして難航しております。一団は共和国国境線を無事通過いたしましたが、共和国からの通達によると、王国の使者として公式に会うつもりはないとのこと。国境線近くの村にて待機を命じております」
「それでいい。こちらから私の一存で共和国相手に切れるカードは何もないからな。それよりも一団は一度西へ向かわせろ。連絡は密にな」
「承知しました」
「西……? それよりも僕は共和国の対応の方が気になります。これまでの共和国なら公式、非公式問わず、とにかく会ってから何かしらを吹っ掛けてくるぐらいは平気でしてきていた筈です」
「してこないということは、しないか出来ないということだ。つまり何かが共和国の中で起きている」
「姉さんはそれを確認しに西へ? でも西には何も……あ」
右へ左へと視線を送っては、その可能性をすり合わせるクレマン。頷きを返す騎士たちが示すのはクレマンへの厚い信頼だ。
「そういうことだ。ただ帝国の動向が分からない以上、早々に決めつけるのは危険だ。帝国に入り込むことは現状不可能だろうが――共和国に入り込めたのは幸いだった」
「でもそうなると開戦自体がかなり先になるんじゃ……」
「それは分からない。仮にそうだとしても、今の王国に国として帝国に打ち勝つだけの力はない。つまりいつ開戦されようとも敗北が濃厚な王国にとって――それがいつであるかはさほど重要なことではない」
「ならどうしたら……」
「考えられる損失を把握し、制御することだ。上手く負けるか、勝ちを目指さず引き分けに持ち込めばいい」
「姉さんならそれが出来ると?」
「他人の用意した椅子にわざわざおさまってやることもない。何、布石は打ってある。相手が座るとそう思い込んでいるのなら――そっと背後に回り込んで優しくその首を絞めてやればいい」
猛禽の下。エヴァは冷めた笑みで円卓を俯瞰する。クレマンたちにとってそれはもう珍しくもなければ、興味を引く対象ですらない――。
変質しつつある常識はエヴァの心を人知れず躍らせた。
「姉さんはどこまで……いえ、その布石がアリアーヌだっていうんですか?」
「さぁな。ただ、一つの可能性ではある。ライナス」
「はい。アリアーヌ殿下のご動向ですが――行き先は連合国です。同行しているエルフとの仲睦まじい姿が確認されていることからも、一行はその故郷、エルフの国を目指しているものと思われます」
「仲睦まじい……流石姉さんの弟子なだけはありますね」
「妹が誇らしいか?」
「姉さんに懐いてくれてよかったですよ」
「ふっ」
素直じゃないな――。
「ライナス」
エヴァは猛禽の下で素直に笑った。
「はい」
「経路の確保はどうなっている」
「地上からの越境は難しいでしょう。従来通り連合国へは海路から――いずれかの国を抜けて、エルフ国への入国を終点として目指すことになると思われます。船の手配に関しましては、港町ギメにて小型船と大型船を一隻ずつ確保しております」
「良くやった。アリアーヌが連合国に入ってしまえば、嫌でも帝国は連合国の動向を気にしなければならなくなる。後はこちらで手筈さえ整えてしまえば帝国相手に連合国を引きずり出せる」
「引きずり出せる……? 姉さん! 連合国と手を結ぶつもりですか!? 聞いてませんよ!?」
席を立ってはその場で前のめりに声を張り上げるクレマン。
「何も手を結ぼうというわけではないからな。ただこの先、私の関与しないところで結果としてそうなるということはあるかもしれないが」
「それは横暴だ!」
「何がだ?」
「そ、それは……」
「民あっての国。国あっての民。私は可能性を選択肢という形で示唆しているだけだ。選び取るのは私ではない。それに王やエヴラールの奴が現実に亜人の国と手を結ぶと、クレマン。お前はそう思っているのか?」
「そ、それはないでしょうけど……ないでしょうけど! それでも――!」
「エヴラールの奴も言っていたではないか。それでは民がついてこないと。奴は民を蔑ろにしたりはせんよ」
「しかし……」
「どちらにせよ今回の帝国戦。この場に残っておきながら共和国の参戦がないなどと、現実を都合よく解釈しているようでは――王国に今日はあっても明日はない」
エヴァの言葉に円卓へと着いた両手を拳へと変えるクレマン。行き場のない本音を噛み殺してはそれでもと腰を下ろしたのは、クレマンがその肩にかかった重責を改めて認識しなおしたからだった。
「クレマン殿下」
「何ですか」
「連合国についてですが……少しばかりエヴァ殿下との認識の相違があるようなので補足を」
「どうぞ」
「エヴァ殿下はあくまでも敵の敵として連合国を捉えているのでありまして、正確には王国の味方とは捉えられておりません。王国は連合国に対して現在進行形で不干渉を貫いておりますが、連合国にとっての王国とは、ある部分においての運命共同体なのです。王国といういわば一つの緩衝材を失うことで国家の存続に関わるほどの影響を受けてしまう連合国は、王国の有事を対岸の火事として容認することが出来ないのです。そしてエヴァ殿下が仰られた"引きずり出せる"という言葉を適切に解釈するのであれば――王国はただその時に備えて連合国の背に手を当て続け、機を逃さぬよう後押しできる体制を整えておくということなのです」
「ライナスさん。私がこの場に同席しているのは、王族としてのその責務を果たすためですが……それと同じくらいに私は一人の人間として、一方を生かすために一方を蔑ろにするということがどうしようもなく嫌なだけなのです」
「面白い奴だろ?」
言葉とは裏腹にどことなく誇らしげなエヴァ。
「私の力不足をお許しください。クレマン殿下」
そしてどこまでも実直であろうとその場で深く頭を下げるライナス。
「いえ、こちらこそ。王国の行く末を前に、私個人の感情を優先してしまうわけにはいきませんから……。頭を上げてください。ライナスさん」
クレマンのどこか哀愁漂う声に思わず下から向けられるライナスの視線。ふとした拍子に顔を見合わせては、二人して表情を穏やかにする。
「何だ急に。気持ち悪いやつらだな」
「姉さん」
「エヴァ殿下」
ほとんど同時に上がる、クレマンとライナスの呆れたような声。
「何だ?」
「その被り物を被っている理由がやっと今分かりました」
「クレマン殿下。奇遇ですね。私もです」
「ほう? なんなら答え合わせでもするか?」
「ライナスさん。同時に言いましょう」
「では僭越ながら、せーの!」
「「この――!」」
「鳥頭ーっ! ――って、ええっ! ライナスさん! 酷いですよ!」
慌てふためくクレマン。対するように何も聞いていない何も見ていないと、資料を片手に一人眉間へと皺を寄せ始めるライナス。
「ライナスさぁんっ!」
大会議室に響くどこかわざとらしいクレマンの悲痛な声。ほどなくしてライナスは堪えきれなくなったとその固めた表情を端から崩していく。
「ふむ……鳥頭か」
被り物の下で人知れず唸るエヴァ。どちらからともなく笑いだしたクレマンとライナスに王国の未来を重ねては、自然と室内を満たしていく長閑な時間。
エヴァは不意に窓へと映った自分の姿を見て小さく笑った。いい響きだ――。
サラ・ディ・トマソ=王国の第四王女、金髪、天真爛漫
クレマン・エスラン=王国の第三王子




