第四章〜思慮〜
「貴方と騎士団の者達に別れを告げたあと、私は予定通り一人自らの居城へ飛んで戻りました。二日かかりましたが、そこまでは何事もなく辿り着けたのです」
彼女の場合、文字通り飛行したのだろう。
あの古城はちょうどクローベルの最東端、ディプロとの国境付近に位置している。
王城がある世界屈指の大都市、イガルトも同じく東部にあるが、なにせ国土が広い。
さらに幾つもの山を越えなければならない為、俺が全力で走り続けても辿り着くのに四日はかかる距離だ。
先程の心を読む能力といい、既に人外の驚異的な能力を持つ彼女に改めてゾッとする。
幸いにもエメリアは下を向いたままだったので、悟られることは無かった。
「そのころには時刻は既に真夜中。真夏に相応しいうだるような熱帯夜でした」
彼女はただ淡々と事実だけを語り続ける。
そこに先程のような悲しみがあまり感じられないのは、深く思い出さないようにしているからだろうか。
口以外は、凍てついたように動かない。
「しかし城門を守る二人の番兵は私を見るや否や、目配せをして一人が城中に引っ込み、もう一人はその後こちらの顔も見ずに私の入城を頑なに拒んだのです」
口調が僅かに非難めいている。
嘘でもいいから同情の声を上げるべきなのかもしれないと一瞬思ったが、それは出来ない。
その兵士にとって、今まで命を懸けて守り抜いてきた姫君を邪険に振り払うのがどれほど辛かったかは想像に難くないからだ。
だが姫といえども異形の者を無許可で城に入れることは、間違いなく王の命に背く行為となる。
指名と良心を、天秤にかけることなどできない。
彼はそうする他なかった。
だからこそ、目を見れなかったのだろう。
心を読めるエメリアならそれは分かりきっていただろうが、それで納得できるわけがない。
悪いのは兵士でも彼女でもなく、二人をがんじ絡めに縛り上げていた現実そのものだ。
それが持つ絶対的な重みに、俺は唇を噛み締めた。
「どれぐらい待ったでしょうか、やがて兵士の一人が城中から戻ってきました」
ここで一呼吸置いて、突っ立ったままの俺を見上げた彼女の双眸は、暗い。
いろんな感情が雑ざりすぎて何を訴えたいのかすら分からない。
そんな風に見えた。
「彼の横には、父上が呆けたような表情で固まっていました。私達はしばらくの間見つめ合ったまま、時間を浪費していきました」
門で隔てられた四人が何も言えず立ち尽くす光景が目に浮かぶ。
父親が抱く感情を見て、彼女は何を思ったか。
その辛苦は計り知れない。
「その後私は歩み寄ってきた父上に、何の説明も無しにいきなり王族追放を宣告されました。見ての通り、この姿を治してもらうことも叶わなかったのです」
言葉と共に広げられた翼はとても大きいのに、なんだか壊れかけのハリボテのように脆く見えた。
双角も尻尾も、心なしか短い気がする。
そう感じられるのも、見上げたままの彼女の瞳を見れば当然のことに思えた。
しかし彼女には分からないかもしれないが、冷静に考えれば二つとも確固とした理由があるのだ。
それを理解できるように説明する自信が俺にはないから、つい顔を背けてしまう。
「帰るべき場所を失った私は手当たり次第に知人を訪ね、最後にこの隣国ディプロまでやって来たのです。騎士団長に居場所は聞いていましたので」
俺は確かにヴァンゲスの隠れ家に住んでいるとは言った。
だがそれが何処にあるかは教えてないし、ちょっとやそっと探したくらいでは到底見つかるはずがない。
この家は浮浪者がたむろする町の裏通りにしか入口がないうえに、扉に“不視”の魔術がかけられており、家の存在を知らないものには扉が見えないようになっている。
魔術は破れたにしろ、ここを探し当てるのに相当苦労しただろう。
そうまでしてわざわざ人斬りの傭兵である俺を訪ねた理由は、一つしかない。
「数日前出会ったばかりの貴方にこんなことを頼むのは筋違いですが、私にはもう当てがないのです」
言ってエメリアは立ち上がり、膝に両手を当て深々と頭を下げた。
「どうか、私を一緒に住まわせてくれませんか……?」
それだけ言って、頭を下げたまま動かなくなった。
その小さな背中が微かに震えていることと、滑らかな絹のような蒼い髪に覆われた顔から涙が静かに滴り落ちていくことから、もう彼女がいっぱいいっぱいであることは見て取れる。
……今は、そっとしておいてやるか。
それに、この頼みはそう簡単に呑めるものではない。
「少し、考えさせてくれ」
言い残し、俺は彼女を置いて寝室を後にした。
出る瞬間に嗚咽が聞こえたような気がしたが、聞こえないふりをした。
この家は隠れ住むにはもってこいだが、快適に生活するには少々狭い。
部屋は扉を入ってすぐにある居間、その奥にある梯子を上ると寝室、下りると倉庫となっているが、倉庫が必要なほど物資を持っていないために地下は完全に何も無い空き部屋になっている。
置いてあるのは黒ずんだ木製の机と椅子が一対と、その上に面倒だから灯しっぱなしにしてある魔法の灯火を入れた小瓶が転がっているだけだ。
地上の喧噪と無縁のため物音が殆どしないこの部屋は、独りで考え事をするのに最適だ。
背もたれのない固い椅子に腰を下ろし、小瓶を立てて揺らめく光を見つめながら黙考する。
「……」
彼女にとって追放は死刑宣告とそう変わらない。
普通王族は王宮の中で人生の大半を過ごし、あまり民と触れ合う時を持たずに生涯を終える。それ故に、彼らの持つ人脈はどうしても支配階級間に偏りがちである。
これまでの様子を見るに、彼女もそれに漏れず限られた世界のみに生きてきた筈だ。
しかし、彼女が異形と化した瞬間、その人脈はいとも簡単に崩壊してしまう。
クローベル王がエメリアを問答無用で追放したことも、それと全く同じ理由にある。
そしてもう一つ、決定的な理由がある。
それは、王は民の信頼を得ることがすべてだということだ。
もし民の反感を買ったならば、やがて反乱を招き、国は滅びることになる。
武力によって民を屈服させ、略奪や重税で国を支える暴君も存在するが、クローベルは大昔からその徹底した民衆との共同政策によって国を発展させてきた大国である。
例えばその政策の最たるものに全政法議会があるが、これは国内にある主な町村から代表者を一年おきにイガルトの王城に召集し、そこで王が提案した政策や法等に対して全員が平等な立場で国側の議会員と議論を交わすもので、ここで可決しなければ、いかなる政策も行うことができない。
これのお陰でクローベルでは滅多に反乱が起きず、世界最高峰の治安の良さを保てているのだが、歴代の王の中にはそこで決定された事柄を無視し、王位を剥奪された者もわずかながらいた。
もし現国王が今のエメリアを保護し魔術師団に異形の治癒を依頼した場合、魔術師団は国のためだけにのみ動かすことができるという国家成立時に可決された大原則に引っかかる。
しかもクローベルは何百年も前から異形の者に対して、国内滞在すら許さないかなり厳しい体制を取っているのだ。
そんな中、実子といえども半竜の娘を、国どころか城にまで入れたらどうなるか。
「……確実に反対運動が起こる、か」
最悪、王位剥奪にまで追い込まれる可能性もある。
もちろんこれはまだ対応が寛容な他国にも十分当てはまることだ。
そもそも化け物同然の人間を何も無しに歓迎する奴など平民にだっている訳がない。
金目的で利用しようとする下衆な輩はごまんといるが。
ため息を吐き、頬杖を突いていた右手を額に当てる。
まさに八方塞がりだ。
もし俺が居候の申し出を断った場合彼女が選べる選択肢は、野たれ死ぬか、自らの身を削る地獄のような労働を続ける真っ暗な日々を送るかのどちらかしかない。
若干18歳の彼女には辛すぎる選択だ。
もちろん俺だってできれば助けてやりたいし、いい加減独りきりの生活にも飽き飽きしていたところだが、決定的な問題が一つある。
「金が……無い」
元々俺はここより遥か南にある議会にも呼ばれないような同国内の小さな村で生まれ、出稼ぎでヴァンゲスまで来て傭兵をやっている身だ。
もう始めて4年近くになるが、それでも自分の食い扶持と家賃、親への仕送りで手一杯の状態で、エメリアまで養う余裕など欠片もない。
これ以上稼ぐにしても、その分自らの命を懸ける回数も増やさなければならない。
殺されない自信はあるが万が一ということもあるし、まず人を斬ること自体あまりやりたくないことなのだ。
人殺し以外の依頼もあるが、数が少ない上に報酬が安いものが大多数である。
「……どうすればいい……」
「自分で稼いでもらえば?」
「うおぅ!?」
背後からいきなり話しかけられ間抜けな声が漏れる。
しまいには驚きのあまり椅子ごとこけて尻もちまでついてしまった。
俺は鈍痛に顔をしかめながら、上目づかいにもう聞き慣れた威勢のいい声の主を睨む。
恐らく遠方の依頼をこなしてきたばかりなのだろう、フードを脱いだ顔には僅かに疲れが見えた。
すぐ傍に立て掛けられている彼女愛用のランスが仄かに鉄臭いので、その内容は聞かずとも分かった。
それでもその炎のような短く紅い髪のおかげか、表情は明るく見える。
ともあれ。
「勝手に家に入ってきた上盗み聞きとはどういう了見だ」
返ってきたのはいつも通りの生意気な減らず口だった。
「別にいいでしょ。わざわざ時間割いて来てくれた客に細かいことぐちぐち言わない」
お前なんか呼んでないと物凄く言ってやりたいが、言い合いになったところで今までの戦績は全敗だ。
俺は早々と降参し、絶対に聞こえないよう呟きながら立ち上がった。
「はいはいすいませんでしたっと……馬鹿野郎」
彼女は一瞬眉をひそめたが、気にしないことにしたらしく傍にひっくり返っている椅子を取って腰掛けた。
俺に座らせる気はさらさら無いようなので、仕方なく机に寄りかかって彼女を見下ろす。
「で?ご多忙な女傭兵のキルヴィナ・メイビルさんは一体何の御用でいらっしゃりやがったのですか?」
口調に突っ込んでくるだろうと思ったが、キルヴィナは別の方向から攻めてきた。
「特に用はないよ。暇潰しに来てみただけ。まぁその甲斐はあったみたいだけど」
立ち上がり、俺の顔をこの上ないくらいのニヤニヤ顔で覗き込んでくる。
つくづく面倒くさい奴だ……。
「誰?寝室にいたあの娘。すごい可愛いよね?あんたにはもったいない位なのに、なんで泣かしたりするのかねぇ?」
ふざけているのは分かるのだが、真剣に頭を悩ませていることを茶化されるのは実に不愉快だ。
人ととして当然のマナーくらいは守って欲しい。
「翼や尻尾が生えて喜ぶ奴はお前くらい馬鹿なんだろうな」
言ってやると、彼女はことさら残念そうな顔で首を振る。
「そうだねぇ。私があの姿になれれば冗談の通じないあんたを尻尾で殴り倒せるのに」
「今は話に付き合う気分じゃないってことだ。喋りたいなら他をあたれ」
自分でも随分な対応だと思ったが、彼女は怒りもせず俺をじっと見据えてきた。
その金色の瞳には、エメリアからは感じられない鍛え抜かれた鋼のような力強さがある。
「一人で大丈夫?」
女でありながら傭兵ギルド屈指の腕前を誇る彼女。
その地位に登り詰めるまでの並々ならぬ努力は、俺なんかの比ではない。
その眼と言葉に思わず気圧されると、今度は俺に気遣うような視線を向けてきた。
「詳しい事情は知らないけどお人好しなあんたのことだから、どうあってもあの娘を助けるつもりなんでしょ。それはあんたの自由だけど、あんまり一人で抱え込みすぎると押し潰されちゃうよ?もっと楽に考えなって。あんたのせいであんな姿になった訳じゃないんでしょ?」
無言で頷くと、キルヴィナは優しく微笑んだ。
それは柔らかく包み込んでくれるのではなく、思いっきり背中を押してくれるどこか心強い微笑みだった。
「それなら生活費稼いでもらう位いいじゃん。むしろ依頼に対しての報酬を要求してもいいと思うけど。何にせよ、あんただけが背負うべき重荷じゃないよ」
最後にキルヴィナはそっぽを向いて、自らの癖の強い髪を右手で玩び始めた。
照れた時の彼女の癖だ。
「二人で頑張れ。困った時は私も力になるからさ」
そう言った途端回れ右をすると、また後で、と早口で告げ、ランスを片手に携えて逃げるように梯子を器用に上って行った。
「やれやれ……まったく」
本当に忙しい奴だ。
来るのも勝手ならば、帰るのも勝手。
だが……。
「今日ばかりは、感謝しなきゃな」
ふと机の上を見ると、魔法の灯火が鮮やかな白光を放っていた。
大体二週間かかっていますがこれからも読んで下さい
orz