第三章〜吐露〜
読んで下さっていた皆様、遅くなりましてスミマセンm(__)m
「〜、〜♪」
目の前の姫様はベッドに座って俺が食おうと思っていたライ麦パンにバターを塗りたくっている。
「……いつの間に取ってきたんだ」
「あなたが外を眺めている間に」
ちょっと声にどすを聞かせてみたが全く効果がない。
悪びれる様子もなくかじりつき、口をもごもごさせながら
「パンにしてはちょっと固いですね」
と文句までつける始末だ。
「そりゃそうだろう。柔らかい小麦のパンを毎日食えるのは、よほどの金持ちか王族、貴族くらいだ。庶民にはむしろ安いライ麦パンのほうが馴染み深いぞ?」
エメリアはきっちりと飲み込んでから感心したようにしきりに頷いた。
「そうだったのですか?私はてっきりパンは総て柔らかいものだとばかり……うぅん、私の見識がいかに狭いか教えていただけた気がします」
何の変哲もないパンを気難しげに見つめる彼女がひどく滑稽に見え、思わず吹き出してしまった。
不味いライ麦パンなど食えないと言い出すような傲慢な貴族も星の数ほどいる。
だが、大陸屈指の大王国であるクローベルの王位継承者ともなれば、最早その存在すら知らないのだ。
いくら王族の娘とはいえ世間知らずもいいところではあるが、身分の違いを明確に突き付けられたようで少し苦々しかった。
エメリアはパンをかじりながら俺に怪訝そうな顔を向けたが、気にしないことにしたらしい。
余程腹を空かせていたのか瞬く間にそれを食べ終えてしまうと、遠慮がちな欠伸を一つした。
出会った時には気付かなかったが、その鮮やかな紅い唇の下には鋭い牙が生えていた。
噛みついたものをズタズタにしそうなそれの持つ迫力に、一瞬ドキリとする。
その表情の機微を、エメリアは見逃さなかった。
わざとらしくそっぽを向いて唇を尖らせる。
「いいですも〜ん。どうせ私は異形ですよ〜。レイに怖がられたって何とも思いませんも〜ん」
その観察力には舌を巻くが、やることがどうにも子供じみている。
表情がころころ変わるところもあって、年齢的にはもう大人であるはずの彼女だが、まるで少女のように感じられる。
「まだ何も言ってないだろう?それくらいでいじけるなんて子供みたいだぞ?」
当然ながらこの言葉に悪意は無かったが、これが小さな火種に油を注ぐ結果となった。
エメリアは弾けるように立ち上がり、ずずいっと顔を近づけてくる。
可愛い顔なのに、睨むと結構迫力がある辺りは統治者の血統らしい。
「私はもう18歳です!それともそんなにこの牙に噛みつかれたいのですか?」
鼻がぶつかりそうなほどの距離で、にんまりと牙を剥いて笑う様は中々に怖い。
怪我をする前に謝る方が賢明だろう。
「わ、悪かった。そんなに怒らないでくれ。な?」
若干後ろに顔を引きながら両手を広げて降参の意を示す。
正直に言ってここまで噛み付いてくるとは思わなかったので、俺は内心かなり焦っていた。
それが表情に出たのか、エメリアは急に顔を離し、そのまま後ろのベッドに倒れこんだ。
そこで横向けになって、拗ねたように人差し指でマットの縁を掻く。
「す、すみません、大人気ない反応でしたね……。ですが、その、そんなに幼く見えますか……?」
「まぁ18にしては幼い感じがするな……もうちょっと若いかと思ってた」
ここまで言って途切らせると、彼女の心臓に矢が突き刺さる音が聞こえるようだった。
かなり気にしている問題のようなので、うつ伏せで虫の息になっている彼女に慌ててフォローを入れる。
「いやな、別に子供に見えるって訳じゃないんだ。それに今のままでも十分可愛いんだし気にする程のことじゃないと思うぞ?」
エメリアは起き上がり、探るような目付きでじっと俺を見つめてきたが、やがて何かを諦めたように首を振りながら小さく笑った。
「とりあえず言葉通りに受け取っておきましょう。そんなことより、聞きたいことがあるのでは?」
……まただ。
あの日と同じ、文脈としてはごく自然なものだが、やはり違和感がある会話。
俺は聞きたいことがあるとは一言も言ってないのに、その事を見抜いている。
何故……。
「何故分かった?」
「何をですか?」
至極当たり前の返答を返された。
いや、分かっていて敢えて聞いているのか?
……どちらにせよ、俺には答えを聞く以外にそれを知る術はない、か。
「俺の考えていたことが何故分かったか、だ」
もう一度問い直すと、エメリアは何でもないことのように答えた。
「ああ、それはですね、この姿になってから何故か人の心がある程度読めるようになったのですよ」
……軽く言ってくれるがそれって結構凄くないか?
心が読めるなんて、上手く使えば飛べることより余程有用な能力になるぞ……。
「ある程度って?」
どの程度読めるのか、最大の問題はここだ。
魔法による読心は水の特性“透過”を応用することで案外簡単に出来る。
しかしそれはその瞬間考えていることに限られる上、水魔術は総じて発動が遅いため、戦闘にはあまり役に立たないと魔導書に記されていたのを憶えている。
しかし真面目な疑問は、説明ではなくささやかな復讐で返された。
「そうですね、例えば貴方が私のことを世間知らずとか子供じみているとか思ったこと位は分かります」
これには苦笑しか出てこない。
返す言葉が無い俺に容赦ない攻撃が飛ばされる。
「それでも私のことを気遣って半分くらい本気でお世辞を言ってくれたことは嬉しかったですけど。私の牙が余程怖かったのでしょうね?それに」
駄目だ、敵わない。
もう気恥ずかしくてしょうがないので、俺はここで無理矢理遮って詫びた。
悔しいので少し茶化してしまったが。
「スミマセンでしたもう止めて下さいエメリア姫」
そう言って頭を下げた時おれの耳に届いたのは、息を呑む音だった。
……やはり茶化すべきではなかったか?
これは本気で怒らせてしまったかもしれない。
「私はもう、姫ではありません」
「……ぇ?」
驚きで声が掠れた。
何かの冗談、にはとても思えない。
彼女の声音にさっきまでの暢気さは微塵も無いからだ。
恐る恐る顔を上げると、エメリアは一目見て強がりと分かる悲しげな笑みを浮かべていた。
まるで、友達か親に一人ぼっちで取り残された子供のような表情。
それを見た瞬間、俺は彼女に何が起こったか直感してしまった。
「どういう、意味だよ」
本当は彼女の姿を見た時から、薄々こうなるのではないかと危惧していた。
が、それはあまりにも残酷な結末だから、考えないようにしていただけなのだ。
彼女に降りかかった覆しようのない現実の悲劇。
あの夜の後、起こりうる限りで最悪の展開。
彼女はそれを、消え入りそうな声で肯定した。
「私は……クローベルの王族を、追放されました」
それだけ言うと、口を真一文字に引き結んで押し黙ってしまった。
白く小さな手は、揃えられた膝の上で拳を握り締め震えている。
普通なら取り乱してもおかしくないのに、じっと耐えているのは王の娘の意地だろうか。
しかしその姿は、哀れな程に儚かった。
「詳しく、話を聞かせてくれないか?」
酷な要求だと思うが、疑問を解かなければ前に進めない。
彼女もそれは分かっているようで、下を向いたまま小さく頷いてくれた。
次話も宜しくお願いします。