第二章〜再会〜
「……やっぱり、平和が一番だな」
こんな仕事をしていると、平穏な日常がいかに尊いか思い知らされる。
自分の家で思いっきり羽を伸ばしている時が至上の時間に感じられるのだから、ある意味貴族より幸せかもしれない。
そして俺は、現在その幸せを居間にて思う存分堪能していた。
「あぁ……最高だ」
寝返りをうち、至福の時を口で表す。
この家は傭兵達と依頼人の仲介を請け負ってくれるギルドから貸し与えられているもので、俺の居住国、ディプロの主要都市ヴァンゲスの中心部にある。
勿論殺した仲間の復讐に来るような奴等に見つからないよう、ちょっとした仕掛けが施されている。
つまり、俺の休息を崩壊させるような存在は現れないということだ。
一人上機嫌に跳ね起き、最近ろくに読めていなかった魔導書に手を伸ばし続きのページを探す。
というのも前回の依頼――クローベルの姫様救出は、事後処理がかなり面倒なものだったのだ。
普通ならば終わった後はさっさと帰り、数日後に依頼人かギルドの会長の所に出向いて報酬を受け取る。
そこでその依頼についての詳細を報告して終わりなのだが、今回は違った。
エメリアを奪還した後、まずは砦周辺をくまなく捜索し残党を残らず討伐。
さらに俺が魔術をかじっているのを良いことに、騎士団の遠征途上にあった町村の人間を脅して、そのことを喋らないよう約束させるという不愉快な役目まで負わされた。
“疾駆”があれば、前回の広大な範囲を廻るにも二日、三日で済むからだ。
代わりに報酬は元の額に三割上乗せされ、ディプロの通貨で2340ボルカとなったが、胸の内の蟠りは依然として消えなかった。
しかし一ヶ月は楽に暮らせそうな大金を与えられた以上反論は出来ないので、大人しくヴァンゲスに戻り休暇をもらって久々にのんびり過ごすことにした。
初日は本など読もうとも思えなかったが。
そんなこんなで、砦を抜け出てから今日でもう五日が経とうとしていた。
休暇といっても迂闊に外には出られないし、今みたいに本を読むのが一番ではあるのだが……
お、あったあった。
たしかここからだったな。
目当てのページを見つけ出し、一行目を読み終えたその時だった。
滅多に客の来ないこの隠れ家に、ノックの乾いた音が響いた。
ここに来る奴と言えば仲間内の傭兵達か、家賃の徴収に来るギルドの役員位なのだが、こんな弱々しいノックは誰もしない。
「誰だ?」
中から問いかけてみるが、返事はない。
空耳か……?
とはいっても無視するのは気が引けたので、一応確認のために部屋の隅にある玄関へと向かう。
そして、何の気なしに扉をサッと引いた。
その瞬間、来客は俺にその細く柔らかな体を預けてきた。
控え目ながらも温かで心地よい感触が胸に伝わり、女性独特の甘い香りが鼻腔を満たす……。
「な、なっ!?」
困惑して思わず後ずさるとそのまま倒れる姿勢になったので、慌ててその細い両肩を掴んだ。
その後ろには大きな緑のドラゴンの翼。
「……エメリア?」
来客が彼女である証明はそれだけで十分だ。
しかし、何故?どうやってここに?
「しっかりしろ、おい」
呼びかけながら肩を優しく揺さぶってみたが、反応は無い。
気を失っているのかと思ったが、肩がゆっくりと上下しているので、眠っているだけらしい。
こんな所で眠りにつくのだから、相当疲れていたのだろう。
「……そっとしといてやるか」
今の彼女からは聞けないということで、せめて容姿に何か手がかりがないか探してみる。
彼女は出会った時のドレスとは正反対の真っ黒なローブに身を包んでいた。
しかしさっき見た翼だけでなく、尻尾も双角もしっかり残っている。
俺の記憶が正しければ、砦を脱出した後エメリアが先に王城に戻ろうと飛び立つ間際、騎士団長が
「クローベルの魔術使団ならこの程度の異形を治すのは造作もないこと。ご安心下され、エメリア様」
と誇らしげに言っていたが……。
「……どういうことだ?」
疑念は深まるばかりだが、これ以上不毛な推量を続けるより、明日の朝エメリアに直接聞いた方が確実に早いだろう。
まだ日も落ち切っていない時間なので、少しばかり待つことになるが。
「とりあえずは運んでやるか、な」
俺は昏々と眠り続ける彼女を背負い、二階の寝室へと向かった。
「……ィ……」
真っ暗な中でかすかに声が聞こえる。
誰のものかは分からないが優しく温かい。
柔らかな真綿で、ふわりと包み込むような声質。
「レィ……ぃいかげ……起き……」
しかしその人物の機嫌は明らかに悪い。
つい最近聞いたような気がするのだが、全く思い出せない。
一体誰だったかな……?
「えぃっ」
「痛だだだだだ!?」
頭のてっぺんに走った強烈な痛みが、眠気を残らず吹っ飛ばした。
何がなんだかわからないまま、うつ伏せの顔が勝手に上へ向いていく。
90度まで吊り上げられ痛さに見開かれていた目は、むすっとした顔でベッドの上から伸ばした右手を引っ込めるエメリアを捉えた。
「……他に起こし方があるだろ」
左手で引っ張られた髪の辺りを、右手で目を擦りながら文句をたれると、彼女は呆れたように溜め息をつきながら長い睫毛と共に目を伏せた。
「私が何回優しく起こそうとしたか貴方は知らないのでしょうね……」
「寝ていたからな」
平然と返してやると、彼女はもう何も言うまいという風に首を左右に振った。
その方向を見ないようにして体を起こすと、俺は何故か寝室の床の上に膝をついていた。
どうもベッドに突っ伏したまま寝ていたらしい。
「あれ?何で俺……」
言い切る前に、エメリアが口を挟む。
「私は玄関で倒れた所までしか覚えていませんが、貴方が此処に運んでくれたのでは?また感謝しなければなりませんね」
混じり気のない純粋な笑顔を見せ、ちょこんと頭を下げた。
彼女の言葉を鍵にして、昨晩の記憶が寝起きでぼんやりしている頭から引き出される。
「……あぁ、そうか」
倒れたエメリアを二階の寝室まで運んだのは思い出したが、その先がない。
……つまりそのまま朝までぐっすりだったのだ。
「くぁ……さて、と」
でかいアクビをしながら立ち上がりベッドの向こうにある木窓を開け放つと、茜色の空と清々しい朝の空気が一日の始まりを告げてくれる。
大きく伸びをして首を二、三回鳴らし、最後に深呼吸を一回。
一杯に吸い込んだ空気が体を巡り、頭を立て直した。
さて、飛び込んできた用事を終わらせるか。
「いい天気になりそうですね。やっぱり晴れが一番です」
……まずは横で空を眺めている暢気な姫様に事情を聞くとしよう。
連載スピードはばらつきそうですが、必ず続けますので読んでやって下さいm(__)m




