第十五章~相棒~
走る、走る、走る。
足が重いが、耐えるしかない。
「レイ!もうすぐです、頑張って下さい!」
俺の上からエメリアが激を飛ばす。
俺が言ってやるべき言葉なのに、まったく情けない自分に腹が立つ。
これでやるべきことまで成し遂げられないようなら、死んだ方がましだ。
いや、成し遂げなければならない。
失敗は許されないのだ。
前を向き、ひたすらに駆ける。
やがて今まで月並みだった景色に変化が現れた。
草原が見えた。
そして蠢く人影も。
すぐそこだ。
「エメリア、下がれ!」
「え?どうするつもり……レイ!?」
ぬかるんだ地面を抉り、跳ぶ。
木々を掻い潜り草原へと飛び出し、目的の人物、守るべき対象を探す。
しかし、その前に俺の目に入ったのは、倒れた人間の山だった。
「な、んだ、これ」
まさか、まさか間に合わなかった?
違うよな、あの中にあいつらがいるなんて、そんなの無いよな?
俺のせいで、あいつらがやられたんじゃ、ないんだよな……?
「サイラス!」
名を呼ばれた。
幾度となく聞いてきた、馴染み深い声で。
振り向いた先には二人の兄妹。
両者とも、笑顔だ。
間に合った……!
「二人とも、無事だったんだな!良かった、本当に良かった!」
二人の側に着地し、肩を抱き寄せる。
確かに二人とも、此処にいる。
その存在が泣きたいほどにありがたかった。
「おいおい、止せよ、男に抱かれる趣味はねぇんだ」
「わ、私もちょっと恥ずかしいよ……」
二人の照れた笑顔も、眩しい。
この雨雲を吹き飛ばせるのではと思うほどに。
「いや、皆さんご無事で何よりです。これで万事解決ですね」
漆黒の翼が視界に入る。
顔を上げると、先程再会した異形の青年が、ほっとした様子で立っていた。
「クロワ、お前が加勢してくれたのか?」
「いえ、私だけではありませんよ。傭兵ギルドの腕自慢の方々が協力してくれたのです」
周りを見回すと、成る程、見知った顔の連中が何人かいた。
油断なく周囲を警戒する者や、さっさとヴァンゲスに帰ろうとする者等様々だ。
数で言えば二十人はいる。
「あなた方一行が街を出てから、ずっと皆で姿を消して尾行していました。今回の依頼で、テリオットの悪党の尻尾を掴むために」
「……何だと?」
全く気付かなかった。
気配くらいは察知できそうなものだが……。
「元々国からギルドに依頼が来ていたんですよ、あの悪党を潰せと。ですから向こうから依頼を出してきたこの機に罠を張ったわけです。悪事を表に出した所で奇襲し、内容を吐かせ、捕らえる。完璧に上手くいきましたね」
……待て。
ということは、何だ?
最初から安全は約束されていて、俺の心配は全て杞憂だったと?
「あぁ、何だったんだ、一体……」
余りの脱力感に膝から崩れ落ちる。
そんな俺を見てクロワは苦笑いをしていた。
「いやー、事前に伝えられたら良かったのですが、会長がグレッグ・ノートン様以外には話すなと仰られていたので……」
彼奴は知っていたのか。
だから手を抜いていた、のか?
そうではないと信じたい。
「まぁ立てよサイラス、今回の報酬分は謝罪としてギルドが払ってくれるらしいぜ?俺達にもお詫びがあるらしいし、万々歳だろ?」
「……そう、なのかな」
アルスの励ましも、あまり耳には入らなかった。
ノートンはどうなっただろうか。
やはりキルヴィナがやってしまったか。
あの時の選択は戻らないことが結果的には正解だったらしい。
でも、俺が進むべき道はこれで合っている筈。
また一つの命を犠牲にしてから覚悟を決めることになるとは、神様は何処までも意地が悪い。
こんな感傷に浸っていた物だから、空から降ってきたこの報告は完全に寝耳に水だった。
「報告!グレッグ・ノートンが傭兵ギルドを退会する旨を伝えてきました!」
当然周囲からはどよめきが上がる。
俺もこの不意打ちを理解できず、数秒間は固まっていた。
クロワだけが冷静で、同じく翼を生やした報告者に問いを返した。
「退会理由は何です?」
「左腕を失ったから、だそうです。確かに肩口を切られていました。魔術により止血されていますが、完全ではなく死の危険性もあります」
左腕を、失った?
なら、すぐに救出に行かないとまずい。
まだ間に合うなら、助けに行くしかない!
立ち上がる俺を引き留めたのは、続きの言葉だった。
「それと……要領を得ない伝言を授かっています。私を助けに来るな、来たら自殺するとの事です」
「な、何ですか、それは?何故助けてはならないのです?」
「このまま自力で森を出られるか否か賭けをしているから、違反行為は出来ないとのことです」
……まったく中途半端な奴だ。
殺さないなら逃がしてやれば良いのに。
あいつは、やっぱり鬼にはなりきれないらしい。
「あいつが無事に出られることを、祈るしかないな」
「そうですね。では、そろそろ私も撤退します。会長への報告をせねばなりませんから」
クロワの反応はごくあっさりしたものだった。
去る者は追わず、か。
「そうか。ありがとうクロワ、助かった」
「任務でしたからね、当然です。それでは」
ヴァンゲスの方へと飛び去る黒い影を見送る。
これで万事解決だ。
後は皆でヴァンゲスに帰るだけ、だな。
「サイラスよ、どうやらお前は帰れそうにないぜ?」
「は?」
アルスが指差した先には、エメリアがいた。
ずぶ濡れになりながらも、こちらに向かって一直線に歩いてくる。
「悪いが俺とローファは先に戻る。ごゆっくりな」
「お、おいアルス!」
彼を追いかけようとした俺の手を、エメリアが繋ぎ止めた。
彼女はそれきり何も言ってこず、俯いている。
雨の音が耳に痛い。
「……どうしたんだ?エメリア」
何処か傷を負っているのだろうか。
それならまたおぶって帰ろうか。
しかし、俺のそんな推測は全く意味を成さなかった。
「……どうしたか、ですって……?この、馬鹿!」
乾いた音が、響いた。
それが自分の横っ面を張られた音だと気付くのには、少し時間がかかった。
「馬鹿!馬鹿、馬鹿!レイの、馬鹿……!」
それが契機となったかのように、彼女は俺の胸を殴り始めた。
しかしやはり娘の腕力だ、痛くはない。
しかし穏和なエメリアがこんな行動に出るとは思わなかったので、俺は情けなくもどうすべきか戸惑ってしまう。
「わ、悪かった。襲われた時に側に居てやれなかったのは謝るよ。お前を守りきれなかったよな」
「この……大馬鹿ぁ!」
「ぅわっと……!」
彼女は翼を広げてふわりと浮かび、俺を押し倒しにかかってきた。
不意を突かれた俺は抵抗できずに倒れ込む。
ぼろぼろと大粒の涙を溢しながら、彼女は俺の肩を揺さぶった。
「どうして、貴方は人のことばかり!わた、私や、皆のことばかり……!」
彼女の顔はもうグシャグシャで、前も見えていなさそうだ。
声も震え、掠れ、別人のようだった。
「俺は、もう後悔したくないから……。誰にも、死んで欲しくないんだよ」
何とか答えるが、彼女がここまで慟哭するような事は無いと考えていただけに、俺は返すべき言葉を決められなかった。
王国を追放された時ですら涙を隠そうとした彼女が、こんなに弱さを見せるなんて。
「貴方が、い、いなくなれば、私が後悔しますよ!何であの時、止めなかったのかって!」
「それは……」
今度は、返せない。
自分の命を軽視していた節は確かにあったからだ。
もしかしたら、俺は自分が今背負う苦しみをエメリアやアルスに味わわせていたかもしれない。
しかし、こんなに泣くほど俺のことを頼りにしていたのか。
会って数日、しかも傭兵などという信用ならない人種である俺を。
それだけ彼女の抱える悲しみは大きかったのだろう。
「私には、もう貴方しかいないのに!あ、貴方まで、失ったら、私はどうすればいいのですか……!?」
アルス、ローファにキルヴィナがいる。
一瞬そう言いかけたが、寸でのところで踏みとどまった。
エメリアが言いたいのは、そんなことじゃない。
たった数日の付き合いである俺ですら失いたくない、それを伝えたいだけだ。
ここで他人の名を出すのは彼女からの逃避に他ならない。
ならば、どう答えればいいのだろう。
どんな答えなら、エメリアの心に響くだろう。
今更何を言っても、既に危険を犯した俺の言葉は説得力に欠けるかもしれない。
それでも、このまま言葉を返さなければエメリアの不安は消えない。
考えて、考えて、考えに考える。
結局辿り着いたのは、こんな下らない答えだった。
「俺は、消えない。傭兵である以上、依頼を途中で投げ出したりはしない」
俺は傭兵だ。
騎士のように、エメリアを守るために戦うなんて言えはしない。
所詮俺の戦いは自分の為であり、他人の為なんて奇麗事は介在する余地がない。
今回は偶々知り合いからの依頼だったから必死になれたが、他ならどうだったろう。
それでもなお、俺は自分の命を張って守ろうとしただろうか?
自信がない。
元々自分一人で危機に陥っている全ての人を助けるだなんて、土台無理な話なのだ。
ならばそこには、自然と優先順位が出てくる。
俺がさっきノートンを切り捨て、アルスとローファの元へ向かったように。
だからこそ、せめて仲間だけは守りたいと思うが、それだって酷く拙く危なっかしい。
幾つもの偶然、そして仲間の協力があって、ようやく仲間を守りきれるレベル。
ならば、俺に出来ることとは何だ?
答えは一つだ。
「お前の依頼は、必ず成し遂げる。それまでは、俺もお前も絶対に死なせない」
せめて、傭兵として恥ずかしくないよう生きる。
依頼は途中で投げ出さず、最後までやり通す。
だから、俺は死なない。
そして依頼人であるエメリアを戦場に連れ出したのは俺だ。
ならば、そこから無事に連れて帰るのも俺の役目だ。
だからエメリアも絶対に死なせない。
当たり前の事だが、今の俺に確約できるのはこの程度の事しかない。
正義の味方染みた台詞を言うのは、もっと強くなった後だ。
せめて一人で仲間たちを守る自信が持ててから。
いつになるかは分からないが、必ずや強くなってみせる。
答えを聞いたエメリアは痛みを堪えるように目をつぶる。
唇を噛み、時々しゃくりあげながら、震える小さな拳を握っていた。
まるで歯と手で、渦巻く万感の思いを潰しているようだった。
彼女はその拳を所在無げにさ迷わせた挙げ句ほどき、もう一度、その手を振り上げた。
「……納得、してくれないか?」
二度目の痛打を食らった左頬を抑え、笑いかける。
ここで笑わなければ覚悟こそ強く感じられるが、自信が無いようにも見えるだろう。
その程度は楽々こなせると彼女に思わせなければ。
エメリアはグシャグシャの顔のまま、目線を合わせて笑ってくれた。
「レイ、私は、心が読めるのですよ?」
俺の笑顔、その裏の思惑を見透かされたらしい。
彼女の笑顔は呆れ気味で、そして同時に嬉しそうでもあった。
「そうだな。でも、お前は読んでいない。他人の思考に土足で踏み入りたくないんだろう?」
大方俺の笑顔が露骨すぎただけだろう。
彼女が言った通り、俺はどうしても感情が表に出てしまうらしい。
「それでもっ……時々、予期せず見えてしまうのですよ。貴方の、過去も」
彼女はさっきとは違う静かな涙を流しながら、俺の目を見た。
綺麗な、エメラルドのような瞳だ。
澄み切っていて、汚れを知らずに輝いている。
この目に、あの災厄を見せてしまったか……。
「貴方が、森へと向かう直前、私は見ましたよ。傭兵である貴方が、死を嫌う理由を。本当は、止めたかったんですよ?自分を大切にして欲しいって、叫びたかったんです。でも……出来ませんでした。あんな過去を一人で背負っている貴方に何て声をかければいいのか、私には解らなかった」
エメリアも落ち着いてきたのか、冷静に話をしてくれている。
俺は馬鹿みたいに泥沼の中に座りながら、黙って聞いているしかない。
彼女はそんな俺の手を取り、言った。
「ねぇ、レイ。貴方の過去は、一人で背負うべきものでしょうか?」
……試されてるのか?
エメリアの表情は無機質で心が読めない。
何を考えているのだろう。
しかし、目を合わせた以上もう嘘は通じない。
正直に答えよう。
「……当然だ。俺の過去は俺が背負う。当たり前だろう?他人に押し付けることなんて出来ないし、出来てもしたくない」
彼女がこの話を知ったところで、できることはない。
いくら仕事の相棒でも、それは一緒。
「そうですね。でも、過去はどうにも出来ずとも、過去に苦しむ今のことならどうです?私だって力を貸せるでしょう」
「は?」
何が言いたいんだ?
「これから辛いときは、苦しいときは、私を頼ってください、レイ。私は貴方の相棒なのですから」
彼女ははっきりと、目を逸らさずに宣言した。
大真面目に、自らのことを傭兵の相棒だと。
俺が助けにするべき存在だと。
俺は彼女の清らかな瞳を見つめ返した。
この細くてか弱くて、けれど強い心を持つ異形の少女が俺の相棒か。
相棒。
共に闘い、働き、手を取り合う存在。
そう思うと、自然口元が緩んだ。
「……ふっ、ははは、ははははは!」
「な、何ですかその笑い方は!真面目に言ってるんですよ!?」
「あぁ、分かってる!そうだ、お前は俺の相棒だよ!ははははは!」
俺は馬鹿だった。
相棒を相手に守らなければならないなんて、おこがましい。
俺とエメリアは相棒同士。
俺が彼女の危機に駆けつけるように、精神的に参った時は助けてくれる存在なんだ。
そう思うだけで、心が軽くなったような気がする。
俺は一人じゃない。
これからは、二人で頑張っていこう。
「ありがとう、エメリア。これからは頼りにする。絶対だ」
「……まぁ、それならいいです」
「おし。それじゃ、早いとこ帰ろう。風邪でも引いたら事だ」
「そうですね。急いで帰りましょう」
立ち上がり、泥まみれの身体で、並んでヴァンゲスへの小道を歩きだす。
そんな汚い手でも、彼女は強く握りしめてくれた。
結局俺は、どうやら勘違いをしていたようだ。
彼女は、強い。
確かにエメリア・マークハントは、普通の少女よりはずっと強い心の持ち主だ。
誘拐、王族追放と立て続けの不幸にも挫けず、傭兵の手まで借りて立ち上がってきた。
それだけでも、普通は十分だろう。
むしろ強すぎるほどだ。
だから、俺は彼女なら何があっても多分大丈夫だと何処かで甘く考えていた。
傭兵として共に行動しようとしたのも、そんな決め付けがあったからだ。
だが、間違っていた。
彼女には、まだ強さが足りない。
例え人を殺さずとも、この仕事には死が身近に転がっている。
そんな世界で生きていくには、彼女はまだ弱すぎる。
しかし、それはまた俺も同じ。
ここで覚悟を決めても、まだ苦難は立ちはだかるだろう。
そこで絶対にくじけないとは言い切れない。
だから、二人で強くなっていこう。
一人では抱えきれずに潰されてしまうものも、二人なら大丈夫かもしれない。
慰め、励まし、これらはささやかなものだが、それでも力にはなるだろう。
そうやって色々経験していけばいい。
「ねぇ、レイ」
「ん?」
「あの……、あんな話をした後で、何なのですが」
「何だ?」
「……今日の夕飯は、どうするのです?」
この、暢気な竜の少女と共に。
この辺りで完結しておこうと思います。
と言うのも、この小説、描き貯めがゼロの状態から見切り発車で始めてしまった小説なんですね。
これ以上グダグダと続けるのも考えものかな、と思ったので、一応依頼も一段落したここいらが潮時かな、と思いました。
更新日時がえらく空いてしまったので、読んでいただいた方々には多大なご迷惑をかけてしまったことと思います。
それでも、もし読んで下さった方々がいたならば、ここでお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
しかし、かなり中途半端な状態で終わってしまったのも事実ですし、この話は初めて書いただけあってそれなりに思い入れもあります。
そこで、もしかしたら、といったレベルですが、二部を書くかもしれません。
その時はもっと研鑽を積んで、しっかりと書き貯めをして、設定も練って、新たな形、一部を読んでいなくても分かるような形でお送りしたいです。
勿論レイとエメリアが主人公ではありますが(汗)。
もし見かけたら、その時は読んでいただけると嬉しいです。
それでは、長々と書いてすみませんでした。
またお会いしましょう!