第十四章〜価値〜
受けない。
ただ、避ける。
縦横無尽に振るわれる鎌の斬撃を、ただ避けていく。
「避わすばかりでは、どうにもならないだろう?どうするつもりだ?」
息切れ一つせず、会話を交わしてくる。
戦いの最中だと言うのに、余裕だな。
「五月蝿い、黙れ!」
どうにか脇腹を狙って振り抜いた一閃も、容易に回避された。
ノートンが少し退いた所に横槍を入れたキルヴィナの突きも、狙いを外す。
奴がいた所には、既に何もない。
ただ黒い煙が渦巻くばかりだ。
何処に消えたかと見回していると。
「背後には気を付けろ」
「レイ、後ろ!!」
いつの間にか回り込まれており、遮二無二飛び退いて首を守る。
もう少しキルヴィナの声が遅ければ、レイ・サイラスは下に転がる実体のない死体達の仲間になっていただろう。
「ふん、やはり素質はあるな。反応がいい」
雨で張り付いた白い前髪の奥から、赤い目がこちらを見る。
喜怒哀楽は、見えない。
が。
「……敵に警告をするなんて、どういうつもりだ?今から殺す相手に恩を売っても、仕方ないだろう」
らしくない。
グレッグ・ノートンが、仲間も平気で殺していたあの男が手を抜くなど。
「どうせ茶番なら、楽しんだ方がいい。それだけだ」
「茶番だと?その言葉、後悔させてやる」
にじり寄り、剣に電光を走らせる。
奴の大鎌も熱を増したような気がした。
「私は後悔などしない。自らの選択を悔いたりなどしない」
向こうから仕掛けてきた。
幻術も何もない、らしくない真っ向勝負で。
踊るように回りながら、細切れにされそうな斬撃の嵐を繰り出してくる。
その魔手が届かないギリギリの間合いを保ちながら、俺は声を張り上げた。
「どう、だか!それなら何故、そうも躍起になっている!」
「幻覚に包まれ目が壊れたか、哀れだな、レイ・サイラス」
「哀れなのはお前だ!見えすいた嘘をついて誤魔化すな!」
こいつは悪だ。
傭兵などというろくでもない輩の中でも、最上級の悪だ。
自分の心が壊れるほどに非道を尽くした、死神。
だというのに、何故今更過去を気にするのか。
合理的に考えれば、そんなことは何も意味を持たないのに……。
「剣が冴えないな、死ぬ気か?」
「ーーっ!?」
まずい、考えすぎた。
泥に足をとられ、バランスを崩す。
ノートンはその隙を見逃さず、刃を喉元へ伸ばしてきた。
「ハッ、させるかっての!」
寸手の所でキルヴィナがそれを阻止してくれた。
ランスが奴の体を突き破るが、出てきたのは鮮血ではなくまたしても黒い霧。
ノートンは間合いを取って静かに立っていた。
「レイ、集中しな。気を抜いて倒せる相手じゃない」
キルヴィナが刺すようにこちらを見た。
命懸けの戦いの最中では、こんな顔が当たり前だ。
しかし俺は、闘志が次第に萎えつつあった。
「そうだな。だが、俺はまだあいつに言いたい事がある」
俺はノートンの方へ向き直り、はっきりと言った。
自分がそうであれば良い、そして多分そうだろうと思う真実を。
「お前、本当は自分の過去を、過去の選択を後悔してるんじゃないか?」
死神は答えない。
それとも感情を失った彼には、答えられない物だったか。
「だからこそ俺に会おうなんて思ったんじゃないか?俺が昔の自分に似ていたから、過去の自分にも救いはあったのか知りたくて」
過去は取り戻せない。
だから、自分を他人に投影して夢想しようとした。
救いはあったんだと自分に言い聞かせ、それが出来なかった自分を戒める為に。
「そして自分と同じ道を歩ませないために、俺を依頼の中で合法的に殺す気だった。違うか?」
彼は鎌を構えたまま、微動だにしない。
この沈黙を俺は肯定だと受け取りたい。
俺はまだ話すつもりでいたが、それは遮られてしまった。
キルヴィナが憤怒の顔で俺を見ていたからだ。
「レイ、こんな屑に何話しても無駄だよ」
「キルヴィナ……」
「後悔?する訳ないじゃんこの下衆が。あんたはこいつがどれだけ穢らわしい奴か知らないんだよ。なのに分かったふりしてあんた何様?何を根拠にほざいてるの?」
静かな声だった。
呻きのような、唸りのような、確かな怒りと憎しみが凝縮された声だ。
返答次第ではその首を落としに来そうだった。
だが、ここは譲れない。
悪党でも、殺しはしたくない。
「あいつは確かに悪党だ。だけど、骨まで腐ってはいないかもしれないだろ?殺しを全く厭わないなら、俺はさっきの隙で死んでいる筈だ」
キルヴィナの援護もあったが、その程度で殺り逃す奴じゃない。
そもそも殺すなら消耗しているキルヴィナを狙うべきだ。
「あいつは進みすぎてもう戻れない。それを後悔しているから、俺を殺せないんだ。例え俺がこの先道を誤る危険性があっても。俺は彼奴自身が選べなかった道を進んだ、希望そのものだからな」
人殺しを受け入れて鬼になり下がるか、苦しみながら殺しを避けて人であり続けるか。
傭兵である以上必ずぶつかる単純な二択を、奴は間違えた。
同じ答えを出した人間はごまんといる。
目の前のキルヴィナも恐らくはそうだろう。
だが、ここまで愚直に自分が正しいと信じた者はいなかった。
大体の者は何処かで罪悪感を抱えた、中途半端な鬼になっている。
自分の感情を押し殺して、無理矢理に理由を付けて納得して、完全に選択することを拒んでいる。
しかし、奴は進んでしまった。
人として良心が耐えられないほどの領域に。
だから自分がもたらす死に対して思考することを放棄し、死神になってしまったのだろう。
キルヴィナはランスを俺の喉元に向け、さらに目を鋭くした。
今俺の命は、こいつに握られている。
ヒヤリと冷たい汗が背筋を流れるが、喋ることを止めるわけにはいかなかった。
「はっ、反吐が出るね、あんたの話は。結局あんたの妄想じゃん」
「かもな。いずれにしても本人に聞いてみれば分かることだ。そうだろ?ノートン」
死神は雨を受けながらこちらを見る。
返答はない。
でもその目には、微かな、本当に微かな迷いがあったような気がした。
「お前が傭兵をやっている事情は知らない。でも、もういいだろ?お前ほど殺してきたのなら金はあるはずだ。こんな仕事辞めて、普通の生活に戻れよ」
わずかでも後悔があるならもう止めてほしい。
見ていて痛々しい。
ノートンは雨粒が顔に当たることも気にせず、ゆったりと空を見上げた。
「ふん……今更傭兵を辞めたところで、どうもならないだろう。既に終わった話だ」
木偶のように突っ立ったまま、無感動な声で続ける。
「この仕事を続けようが続けまいが同じだ。私は永劫変わらない。何も感じず、ただ生きる。……いや」
ここで奴は予想外の行動をとった。
その鎌を後ろに投げ捨てたのだ。
敵二人を目の前にしているこの状況で。
これはもう、命を捨てたのと同じ。
水飛沫をはねながら、鎌は地面に横たわった。
さらに奴の魔法か、鎌は赤い線が入り細切れになっていく。
刃も柄も原型を止めないまでになり、最後にはキルヴィナの足下に破片が散らばりに来た。
「女傭兵、私に恨みがあるようだったな。何の恨みかは最早分からんが、殺したければ殺せ。元々死んでいるような命だ、惜しくもない」
「な、に……!?」
「変わらない生活にはもう飽きた。さぁ、そのランスで腹を穿つがいい。魔術で避けるなどと下らない真似はしないから安心しろ」
ノートンは目を閉じ、周りの景色まで元の森に戻してしまった。
あとはキルヴィナが彼の言うように腹を穿てば、終わる。
武器を失ったノートン相手なら、抵抗もできずに一瞬だろう。
グレッグ・ノートンは死んで、俺はキルヴィナを連れて森を抜け、エメリアやアルス、ローファを助けに行ける。
キルヴィナはどうすれば良いのか困惑してはいるが、ランスはノートンに向けていた。
殺す事も十分に有り得る。
でも、それでいいのか?
そんなノートン一人が報われない終わり方で、本当にいいのだろうか。
ノートンは悪だが、同じ悪である俺達が彼を裁く権利などない。
それに俺は、もう誰にも死んで欲しくない。
どんなに醜い人間が相手でもそれは確かだ。
ならば、結論は決まっている。
「……そんなの、認められる訳がないよな」
キルヴィナとノートンの間に立ち、大剣を構えた。
面と向かうのは、キルヴィナだ。
彼女は別段驚いた風もなく不快そうに鼻を鳴らした。
「何のつもり……なんて聞くだけ野暮か」
「そうだな。キルヴィナ、退くことは?」
「それも、聞くだけ野暮だね」
「……それもそうか」
緊張が走る。
今から俺は、親しい知人に対して剣を向ける。
一つの命を守るために。
キルヴィナを殺さずに倒すのは至難の技だが、やるしかない。
剣を一層強く握った所で、唐突に大音声が響いた。
「レイーー!!」
俺もキルヴィナもその声に気を取られ、得物を下ろした。
聞き間違える筈もない。
この声を聞くだけで、笑みがこぼれる。
無事でいてくれたのか。
声の主は空から乱暴に着地し、息を切らしながら俺の腕を掴んだ。
表情が尋常じゃない程に歪んでいる。
今にも泣きそうな所を必死で我慢しているような、そんな顔だ。
どうやら、無事を喜んでいる場合ではなさそうだ。
「レイ、レイ!早く戻ってきてください!アルスが、ローファが!」
「落ち着け、エメリア!どうした、敵が襲ってきたのか?」
彼女は唇を固く結びながら頷いた。
この様子だと一刻の猶予を争う状態らしい。
早く戻らないと、二人がどうなることか。
足に“疾駆”をかけ、大剣を鞘に納める。
剣を背に縛り付けてる余裕はないので抱き抱えた所でキルヴィナがにやりと笑って呟いた。
「私は、“仕事”を終わらせないとね」
「っ……!!」
そうだ。
今の俺は一つの命を抱えている。
ここを離れれば、その命はいとも簡単に消えてしまうだろう。
しかしこのままでは、二つの命が消えて無くなるかもしれない。
しかも二つ共ごく親しい人間のものだ。
取捨選択するならば、当然後者を選ぶ。
しかし、しかしこのまま見捨てれば、俺はまた一つの命を背負うことになる。
選べない、選びたくない。
どうすればいい、どうすれば皆が助かるんだ、誰も死なずに済むんだ。
誰か、神様でも悪魔でも誰だって良い、教えてくれ。
答えをくれたのは、結局死神だった。
「お前は、何を大切にしたい」
「そ、れは」
「私などにかまけていて、大事な物を取り零すなど愚の骨頂だ。早く行け」
「う……」
弱い俺は、周囲を見回してしまう。
いるのは平然としたノートン、目に復讐の炎を燃やすキルヴィナ、そして事態を把握できずに、ただただ困惑と焦りに包まれ気が気でない様子で狼狽えるエメリアだけだ。
「レ、イ……?」
守るべきもの。
それが、漸く分かった気がした。
何が強いだ。
何が大丈夫だ。
そんな言葉に逃げて、自分の背負うべき責任を軽く考えていただけではないか。
エメリアは、こんなにも怯えている。
血の味も、戦闘の空気も知らなかった彼女が、それらに触れてしまい心が折れそうになっている。
強くても、やはりエメリアは女の子だ。
ローファのように辛酸を舐めた訳でも、キルヴィナのように命のやり取りを知っている訳でもない、普通の無垢な女の子。
だから自分が守ろうと考えていたのに、放り出して自分の甘さに惑わされて。
俺は、馬鹿だ。
「全てを守るなんて、人間には出来ない。ならばせめて大切なものくらいは守り通せ」
そうだ。
せめて大切なものは。
この考えは揺るがしてはいけない。
自分にも言い聞かせたことではないか。
その考えだけは貫き通せ。
甘さを捨てられずとも、それだけは。
もう、迷わない。
「行くぞ、エメリア」
力強く、傍らの相棒に声をかける。
彼女は頷いた。
相変わらず不安そうな顔だが、少しましになった気がした。
剣を抱え、再び森の中へと飛び込んでいく。
後ろは決して見ない。
あれだけ忌み嫌った存在なのに、いざという時には惜しくなるなんて自分は本当に甘い。
唇を噛みながら、俺は守るべきものの元へと加速していく。
走る足は、確かな足取りで地面を掴んでくれた。