第十一章〜博徒〜
霧雨はしつこく降り続いており、小屋の前にはかなり大きな水たまりができていた。
そこに映る空も相変わらずの鼠色で、この分だと明日の天気も怪しい。
自分としてはありがたいが、まったくローファもこんな中でよく魔術を教える気になるものだ。
苦笑しながら四方をぐるりと見渡す。
右手には、両脇を絶壁に囲まれた昼間とは思えないほど暗い森が、侵入者を拒むような異様な雰囲気を纏って構えている。
そして左手には、今まで進んできた草が生えていないだけの一本道が、最早水浸しで小川のようになってヴァンゲスの街へと延びていた。
この道を挟む正面と小屋の背後には、そこかしこに水が浮いている緑の平地が広がるばかりだ。
ここら一帯も昔は森林だったらしいが、ヴァンゲスに人が集まるにつれ森が邪魔になり、大規模な樹木伐採を行ったと聞いたことがある。
そのせいで今はだだっ広い草原になっており、家はおろか畑すらない。
土壌が悪いのもあるだろうが、こんなところで麦や野菜を作っても森の獣の餌場を確保してやることにしかならないからだ。
しかも今日はあいにくの雨で、草を食む羊たちも、それらを追いまわす牧羊犬と羊飼いの姿も見えない。
そのため見通しはいいのだが、ローファの姿は見えなかった。
小屋の裏手だろうか?
泥で滑らないよう気を付けながら裏側に回り込もうと水たまりを飛び越えた、その時だ。
「展開!!」
甲高く鋭い声が響くとともに、後ろで猛烈な光の氾濫が巻き起こった。
振り返っても、目を焼かれそうな金色にすぐ目を逸らしてしまう。
雷の魔法だと思うのだが、こんな現象を起こす魔術は見たことが無い。
俺の“発光”でもここまでは照らせないぞ……!
それは数秒の内にやがて穏やかな光となり直視できる程度に収まってくれたが、ちょっと焦っていた俺は、彼女が言っていたことも忘れて裏へと走って馬鹿なことを口にした。
「ローファ!無事か!?」
もしかしたら、敵が先手をかけてきたのかも。
そう思い、ぬかるんだ地面に足を取られながらもなんとか背の大剣を構えた俺を、彼女は笑顔で出迎えてくれた。
「え?あ、うん。私は元気だよ?」
……不思議そうな眼がかなり恥ずかしい。
その彼女の足元には、黄金色の線で構成された六芒星の魔法陣が。
角にはさらに円が描かれており、その上に小屋の裏に積んであったのだろう長い丸太が立てられている。
陣内に降る雨は、その丸太に“誘動”されていた。
「あ、あぁ、そうか、ならいいんだ」
そうだった。
雨の心配は要らないって、こういうことだったのか……。
いつもながら単純な自分に嫌気がさす。
鞘を背から下ろし、剣を納めて小屋に立て掛けていると、ローファがポツリと口を開いた。
「その性格だね」
理解できず首を捻る俺に、手招きしながらくすくす笑う。
「真面目で、いつも全力を尽くす。それがサイラスの良いところだけど、それが合成のやり方が分からない原因だよ」
黄金の魔法陣の中、人差し指を立てて饒舌に語るローファは真剣ながらも楽しそうに見えた。
使い古されたマントを風にたなびかせながら、彼女は再度笑った。
「よーし、それじゃあ始めよっか!手始めにレイ、どんな特性を使えるの?」
「そうだな……“疾駆”に“発光”、“麻痺”と“誘導”。あとは普通に雷の召喚か」
召喚は魔力をそのまま体外に抜き出すだけだ。
これらは、その召喚も含めて全て、雷の魔術でも基礎中の基礎と言われる物だ。
熟練した魔術師ならば更に“遊撃”や“貫通”なども使えるらしいが、こんな名前を出せる程俺は修練を積んでいない。
「なるほど……組み合わせとしては“発光”は使い難いね。まずは“誘導”と“疾駆”を合成してみよう。弓矢を出してくれる?」
手を突き出すローファに、俺は正直に話した。
天へと伸びる丸太の下に転がっている、真っ二つに折れた弓の残骸を指差しながら。
「剣を構える時に、無我夢中になっていて……。気が付いたら投げ捨てていた。ごめん」
エメリアに出会ってからというもの彼女に翻弄されっぱなしだったが、自分にこういった間抜けな一面があることが一因なのかもしれない。
しかしローファはそれをさっさと拾い上げると、数刻の間にそれを接合しなおして悠々と戻ってきた。
「これでいいでしょ?ほらほら、矢を番えて」
これも魔術だ。
ここまで器用な彼女に教えてもらえるならば、俺でも簡単に合成ができるようになる気がする。
「これでいいな。的は?」
標的がなければ矢を射ることも出来ない。
ローファは黙って丸太の一つを指差した。
その一点に集中する俺の右手をローファが両手で包み込む。
「まだ指は放さないで。“疾駆”と“誘動”の合成呪文は、須臾にして天駆ける雷、ただ標を求めん。唱えてみて」
呪文は自らに流れる魔力に秘められた特性を呼び起こす鍵のようなものだ。
二つの特性を同時に発動させるならば、呪文も合成する必要があるということか……。
「須臾にして天駆ける雷、ただ標を求めん……っ!?」
突如、右腕が“疾駆”をかけた時とは比較にならない光を放ち始めた。
だが、普段は魔法の使用にあたって焼けるような痛みなど伴わない。
まるで腕を炉にくべられているかのようだ。
矢を離さないよう歯軋りしながら原因不明の激痛に耐えていると、ローファが何かしらの呪文を唱えながら腕に触れた。
途端に痛みは嘘のように癒され、つい力が緩む。
そこで矢が不可視の速度で放たれ、弧を描きながら丸太に突き刺さった。
あまりの衝撃に矢が矢尻だけを丸太に残して折れる。
「今のは両方の特性が最大限に呼び起こされて、暴走してしまったの。大事なのは加減、如何にして気持ちの昂揚を鎮められるか」
魔力が覚醒すると気分が高まって一種の興奮状態となる。
それを鎮めることで魔力の量が調節されるのだと結論付けた。
「それじゃあもう一か……!?」
先は聞こえなかった。
「な、何が……!?」
ローファが戸惑うと共に絶句したからだ。
無理もない。
雨避けとなっていた六本の丸太が、一斉にその巨体をこちらに預けようとしていたのだから。
俺達に暗い影を落とすそれらは、優に小屋の屋根を超える長さ。
潰されれば死は免れないだろう。
「雷よ須臾にして天駆ける光よ」
弓と矢筒を投げ捨て、舌がもつれるかと思うぐらい急いで詠唱を開始し、魔力を対象の脚に注いでいく。
丸太は空を隠さんばかりに迫っていた。
ローファは手を組んで祈りを捧げている。
間に合え……!
「我に力をおおお!!」
ローファを両手に思いっきり抱きしめて力の限りに地面を蹴った。
先程の矢にも劣らない速度で魔法陣を跳び出し、凄まじい地響きと轟音を感じながらぬかるんだ地面に倒れ込む。
背中から落ちたので一瞬呼吸が出来なくなったが、これでローファは無事だろう。
横になりながら目の前の彼女に無事を確認する。
「げほっつ……だ、だいじょぶか、ローファ?」
彼女は若干顔を赤らめながら、俯きがちに答えた。
「う、うん。ありがと……。あの、もうそろそろ、離してほしいな……」
互いの吐息が顔にかかりそうな距離で、ローファが恥ずかしそうに笑う。
俺は未だに彼女を胸に強く抱きしめたままだった。
「あ、ご、ごめん」
慌てて離れたが、微妙に気まずい沈黙が流れることは防げなかった。
キルヴィナのような男勝りな人を除けば、女性に対して免疫ゼロな俺が気の利いた言葉を思いつくはずもなく、とりあえず時間稼ぎに立てかけていた大剣を取りに戻る。
しかし、それだけの為ではない。
懸念していたことが現実味を増してきたからでもあった。
「……魔術には、音を消す方法もあったよな」
「あるにはあるけど、それがどうしたの?」
今、それは確信に変わった。
俺は重なり合う丸太の横を通り過ぎた時、その一つにくっきりと靴の跡が残っていたのを見逃さなかったのだ。
その魔術を足にかけたうえで疾駆と不視をかければ、後は丸太を思いっきり蹴り倒せばいい。
相当高度な技だが、その程度の魔術師を六人雇うくらいは出来る筈だ。
超一流の傭兵、グレッグ・ノートンですら雇えるのだから。
「ローファ」
細い肩を掴み視線を捕まえるが、彼女は直ぐに目を逸らした。
「合併の話は罠だとしか思えない。引き返そう」
剣は守るために振るうものだが、鞘から抜かずに解決できるならそれが一番だ。
成功報酬と一緒にいる三人の命が吊り合う訳がない。
命より大切なものなど、無いからだ。
「……嫌だ」
だから、この答えは全く想定していなかった。
深夜の襲撃、今の事故に見せかけた奇襲。
誰でもこの先の危険に気付くはずだ。
「お前も分かるだろ?森は深く暗い。何が起ころうと大した騒ぎにはならないんだ」
つまり今までのような人目を配慮した攻撃ではなく、真っ向から殺しにかかってくるということだ。
前のような有象無象のお飾り騎士ではなく、修練を積んだ精鋭が集団で襲ってくるはず。
そうなれば戦えるものが二人のこちらは多勢に無勢。
万に一つも勝ち目はない。
「死んだら終わりなんだぞ?何も残らない。お前もアルスもエメリアも、俺は見殺しになんてできない」
必死だった。
死なせたくないから。
一握りにも満たない僅かな希望を追って命を賭すなんて馬鹿げている。
肩を揺さぶり、顔を背ける彼女になおも語りかける。
「今のままでも十分幸せだろう?金だけが全てじゃ」
「綺麗事だね」
鼻で笑い、蔑むような冷めた目で俺を睨む。
「サイラス、生活に苦労したこと無いんじゃない?」
「なっ……!?そんな、ことは……」
語尾に向かうにつれ声が萎んでいく。
俺にはいくらでも仕事がある。
金が無ければ、自分がもっと働けばいいだけだった。
確かに金は必要としているが、ローファの言うとおり生活についてあれこれ苦心するようなことは無かった。
「私達の仕事はお客さんがいて初めて成り立つ。サイラスのように、自分が好きな時にお金を得ることが出来る人はほんの一握りだよ」
赤銅色の瞳が燃えている。
触れてはいけない話題に触れてしまったのだ。
「危険なんて百も承知だよ。お兄ちゃんも私も、旨すぎる話だって気付いてる。だけど、私達はその上であなたに頼んだの」
肩から滑り落ちた手を振り払い、不敵な笑みで腰に手を当てる仕草が兄に瓜二つだった。
「相手を一網打尽にする必要は無い。要は大将を抑えて役人の前に引きずり出せばそれで解決するの」
ゾッとした。
どんな凄腕の剣士を前にしても、ここまで寒気はしない。
不安を抱えながらも覚悟を決めた人間は、大抵こんな笑みをしている。
「サイラスは命を的にお金を稼いでる。じゃあ、私達が命をベットにするのはいけないこと?」
アルスと同じ、冗談めかした軽い口調。
彼曰く、話で空気まで重くなるのは耐えられないからわざとそんな喋り方をするらしい。
彼等にとっては命すら、冗談に出来るものなのか。
「……おりるつもりは無いのか」
一応確認してみるが無駄だろう。
たとえ俺が二人を見放してもこの兄妹は森へ向かう。
多分、今のような笑みを浮かべながら。
「無いよ。私達には、ワイルドカードが二枚もあるからね」