261話 訓練
「では、これから作業に入りますね。多分昼までには終わると思います」
そう言うと、ユティアさんはボストンバッグから機材を取り出し、潜水艇のコックピットのコンソールを触り始める。
その手際の良さは全くの素人である俺が見ても舌を巻くほど。
テキパキと流れるように作業を進めていく熟練工のようだ。
さっきまでの醜態が嘘みたいな凛とした姿。
仕事モードだとここまで凛々しくなるのに、普段はどうしてあのポンコツ具合を晒してしまうのか。
そのギャップに俺とエンジュは、またもお互いの顔を見合わせて苦笑い。
「ははは……、さて、これ以上ここにいたら邪魔になるから、外に出ておくことにするよ。エンジュは?」
「アタイの仕事は全部終わったから……、どうしようかな?車はもう弄るところがないや……」
そう言って不安そうな表情を浮かべるエンジュ。
エンジュは仕事人気質だから、仕事が無いと落ち着かないんだろうな。
「アタイにできることっていったら、車を弄ることくらい……」
エンジュは沈んだ顔だ。
うーん、これはちょっと、フォローしとかないと。
「そんなことないよ……ほら、廻斗のネクタイも作ってくれたじゃないか。アレ、とっても良くできていたし。エンジュは裁縫も上手だろ」
「……でも、今、繕うモノもないし」
「えーっと……そうだ! 確か布を出すマテリアル精錬器があった!」
コックピットの後ろに積み上げている箱の山から、『機織り』と思われるマテリアル精錬器を引っ張り出す。
「多分、ここにマテリアルを入れると……」
電子レンジの様な金属の箱へマテリアルを投入。
すると、駆動音とともに箱の切れ込み部分から出てくるのは……
バスタオル程の大きさの真っ白い布。
それがトイレットペーパーのようにせり出てくる。
「わあ、凄い。これって『機織り』だったんだ」
「まあ……そうみたい。できたら服が出るのが良かったんだけど」
布しかでないのはあまり高位のマテリアル精錬器ではないからだろうか?
この布を服に作り変えていくのはかなり熟練の技がいるだろう。
「でも、これってスッゴク手触り良いよ。これなら下着にも使えそう」
出てきた布を手に持って感触を確かめているエンジュ。
下着って……
これでパンティーとかブラジャーとか作るんだろうか……
「ありがとう、ヒロ。この間、予備のパンツが破れちゃったんだ。それで、今穿いているのしかなくて困ってたの。良かった、これでお風呂に入らなくても洗濯できる……」
それは知りたくなかったぞ。
女の子が同じ下着をずっと穿いたままなんて……
……ということは、俺と会ってから水浴びしてた時、下着も一緒に洗っていたのだろうか?
脱いで洗っていたのか?それとも穿いたまま洗っていたのか?
あと、どうやって乾かしていたのだろうか? 乾くまでノーパンだったとか?
思わず水浴びしていたエンジュの裸体が、そして、ノーパン状態のエンジュの姿が頭に浮かび……
いやいやいや、止めとけ!
これ以上は自制心が揺らぐ。
頭を振って妄想を打ち消す。
イカン、頭が色ボケしている。
ここは少し外の風を吸ってくることにしようか……
エンジュは出てきた布の採寸を取り始めている。
このリビングルームで裁縫に取り掛かるのだろう。
あんまり異性がこの場にいるのも良くないだろうし。
「エンジュ、ちょっと外へ出てくるよ」
「あ、うん。分かった……、ヒロ。何かアタイに繕ってほしいモノがあるなら言ってよ。最優先で取り掛かるからね」
「あははは、ありがとう。とりあえず、自分の下着を最優先にしてよ。可愛いのできたら俺にも見せてね」
「あ……、もう! ヒロ!」
顔を真っ赤にして、照れながら怒るエンジュ。
白い布を胸の前に抱き、むうっとした顔で睨んでくる。
おっと怖い怖い。
これは大変だ。怒られる前にさっさと退散するとしよう。
潜水艇の外に出た俺は、特に目的も無く辺りをフラフラと散策する。
空は雲一つない青空。
熱くも無い寒くも無い気温。
絶好のお散歩日和と言える。
ただ、惜しむのは周りの風景が何もない荒野だけだということ。
腰の辺りまでの高さの雑草が所々に生えているだけ。
面白味も無いお散歩コースであるが、俺は構わず歩き続ける。
しかし、歩きながらも、頭の中にチラつくのは、先ほどの俺の余計な一言によって、生まれるかもしれない少し先の未来かもしれない妄想。
それはエンジュが顔を赤らめながら、ズボンを降ろして俺にパンティーを見せつけてくる場面。
『はい……どうぞ。ヒロが見たいって言ったから……』
下を向きながら恥ずかしそうな表情のエンジュ。
それは誰がどう見ても18禁ゲームの一場面だ。
思わず立ち止まって、額に手を当てる。
「しまった……余計なことを言っちゃったかもな……」
これは未来視じゃないよね。
選択しなかった未来じゃないし。
どうもここ最近、茹だった考えが浮かんでくることが多くなったような気がする。
立ち止まったまま、自分の今の状態について頭を巡らせる。
そうして出た結論は……
「イカンね。どうも欲求不満が溜まっているのかもしれない」
一度……いや、二度も味わってしまった甘い果実は、俺の欲望に火をつけて燻らせたまま。
人間は辛いことは我慢できても、楽しい事を我慢するのは難しいらしい。
禁煙や禁酒、又は薬物中毒を治すのが難しいのもそのせいだ。
こういった症状の対処は、代替物で誤魔化して、徐々に慣らしていくしかないという。
代替物ねえ。
次の街に着いたらそういうお店にいくか……
でも、エンジュ達にバレた時が怖いし。
うーん。こういった時はどうしたら良いのだろうか?
下世話な悩みの解決に頭を捻りながら、自然と周りを見渡す。
辺りは全く見覚えの無い風景。
どうやら悩みながら歩いているうちにかなり遠くまで来てしまったようだ。
「離れ過ぎたか……あれ? あれは……白兎達か。まだ訓練をやっていたんだ」
目に入ったのは、白兎達の訓練の場。
向かい合っている天琉とボルト。
お互い手を振り回し、時折蹴りも飛び出している。
どうやら模擬戦をしているようだ。
天琉のパンチはグルグル両手を回しているだけ。
しかし、ボルトは天琉の猛攻を余裕を持ったステップで躱し、カウンターで蹴り返す。
蹴られた天琉はポテンとひっくり返るも、すぐに立ち上がってボルトへ向かっていく。
……ボルトは最下級とはいえ、近接格闘を持っているから、実戦じゃなければボルトの方に軍配が上がるんだな。
天琉の方が身体スペックは圧倒的に上なのだろうが、生まれたばかりなので、まだまだ自分の身体能力を上手く扱えないだろう。
少し視線を横にずらせば、白兎相手にと廻斗が打ち込みの練習を行っているようだ。
白兎はまるで熟練トレーナーのように、自分の前脚をミットに見立てて、廻斗に打ち込みをさせている。
まるでベストなキッドの映画に出てくる、老人の空手家といじめられっ子の修行風景みたい。
廻斗は遠慮なく、ペシペシとパンチ、キックを叩き込んでいるが、どうにも敵を打ち倒せるような威力があるとは思えない。
まあ、傍から見たら兎さんとお猿さんがお遊戯をしているようにしか見えないぞ。
本人達は真剣なのだろうけど……
しばらく白兎達の練習風景を眺める。
それは微笑ましいとすら思える未熟な拳闘。
初めは遊んでいるようにしか見えなかったが、ずっと見ていくうちに、徐々にではあるが、それぞれが成長していっているように見えてきた。
天琉のグルグルパンチがしっかりと腰の入った直突きに。
ボルトの直線的な蹴りが、フェイントを織り交ぜるように。
廻斗のペシペシという打ち込みの音がいつの間にかバシバシと聞こえるように。
すげえ!
皆の熟練度がワープ進化しているぞ。
これが白兎の指導力というモノだろうか?
本当に白兎の『天兎舞蹴術』を覚えたんじゃないだろうな……
……これは俺も負けてはいられない。
白兎達の猛烈な練習風景を見ていて、俺の心にも火が灯されてしまったようだ。
俺も何かしなければという思いが湧き上がってくる。
俺が今取り組まねばならない課題……
「剣の素振りの練習でもしておこうか」
自分に言い聞かせるように独り言を呟き、肩にかけたショルダーバックを七宝袋に入れ、代わりに倚天の剣を引き抜く。
黄金色の宝剣。
朝日を受けて輝く剣身は、山吹色の炎を噴き出しているかのよう。
三国志の英雄、曹操がその腰に佩いたという天下の名剣。
宝貝としての能力は天を貫き、空間を切り裂く無双の刃。
剣の技量を向上させる機能を持たない剣なので、俺の素の技量を上げるにはモッテコイと言える。
それにコイツの能力を最大限に引き出すには、俺自身の剣の技量を上げるしかない。
魔弾の射手ルートにおいて、俺はこの宝剣を縦横無尽に振るい、空間障壁を展開する上位機械種をバッタバッタと切り倒していった。
あのルートの俺は、近接武器の練習を何年も欠かさずに行い、それだけの技量を身に着けることができたのだ。
もちろん俺の『闘神』スキルからくる身体能力ありきのことではあるが、あの時の俺は正しく倚天の剣の力を100%引き出すことができていたと思う。
未来の俺ができたのだから、今の俺ができない理由なんてないだろう。
ブンッ!!
中学の時に習った剣道を参考にして、上段の構えから真正面に切り下ろす。
上から下へと一直線を剣先で描いたつもりだが、やはり腕が未熟なせいか、剣先がブレて、刃筋を上手く通せていない。
それでも大抵の敵ならばこの剣で真っ二つであろうが、俺がこの宝剣を使う時は空間障壁を使う機械種の上位個体のはずなのだ。
そして、空間障壁を使うと言うことは、空間攻撃も使う可能性があるということ。
ブンッ!!
切り込みが浅くなってしまえば、一撃で倒せないかもしれない。
そうなれば相手の反撃を招き、空間攻撃によって俺が命の危険に晒されてしまう。
ブンッ!!
これからようやく俺の夢の実現への道が見えてきたのだ。
道半ばで倒れるなんて、異世界転移した意味が無い。
ブンッ!!
そうだ!
ようやくチャンスを掴むことができたんだ。
この異世界で俺は幸せになるんだ!
こんなところでやられてたまるか!
ブンッ!!
とても無心でとはいかないが、それでも、こうやって剣を振るって練習することで、いつか未来の俺の腕前に近づいていくはず。
そして、剣を振るう度に俺の夢へと……幸せへと近づいていくのだ。
ブンッ!!
目の前に立ちはだかる『ナニカ』を切り裂くように。
俺を惑わそうとする『ナニカ』を切り払うかのように。
自分の足を掴んで離さない『ナニカ』を切り離すかのように。
俺はひたすら倚天の剣を振り続けた。




