228話 過去
「では、ヒロ君。色々と世話になったね。あと……ユティアのこともよろしく頼む」
「はい、それはもちろん。こちらも色々と教えていただきまして、ありがとうございます」
「はははは、別に大した情報でも無いと思うがね……そうだ! ヒロ君、君は中央に行く前にバルトーラの街は通るだろう?」
「はあ? バルトーラ……」
どこかで聞いたような……
あ、そう言えば魔弾の射手の時に、中央へ行く際、一ヶ所だけ立ち寄った辺境と中央の境目の街。
中央へ行く者達の登竜門とも言える辺境最大の街のことだ。
「……はい、おそらくは通ると思いますけど……」
「そうか、ちょうど良い。私の知人がその街で藍染屋をやっていてね。もし藍染屋に持ち込みたいものがあるなら私の名前を出すと良い。決して悪いようにはしないだろう」
「村長のお知り合いですか?」
「うむ。古い馴染みでね。ボノフという藍染だ。会うことができたら私の名を出して、カードの負け分を払えと言ってやってくれ。それで『幾らだったか?』と聞かれるはずだから、『シュノーイの酒5杯分』と答えると良い。それで分かるはずだ」
これはありがたい!
初めてのまともなコネだ。
少なくともバルトーラの街まで行けば、俺の手持ちの機械種を修理できる目途が立ちそうだ。
「あ、ありがとうございます!」
頭を下げて礼を言う。
俺に取ってはこれ以上ない報酬だ。
……しかし、随分暗号めいたやり取りなんだな。
何かの意味があるのだろうか?忘れない様にメモっておかなくては。
「ははははは、礼を言うのはこちらだよ。君のような有望な若者に出会えて良かった。ようやく希望が見えるようになってきたからね」
そう言って村の見回りに戻る村長。
オークと2人して歩く姿は、紛れもなくこの村を必死で守ろうとする村長の姿なのだ。
俺と違って途中で逃げ出そうとせず、困難に立ち向かおうとしている。
初めは偉そうなおっさんとしか思えなかったけど……
ベネルさんが心服しているだけあって、やっぱり良い人だったのだなあ。
村長と別れた俺は、車を止めてある小屋に戻る。
俺に一礼してくるボルトに手を上げて応えてやり、車に乗り込んだ。
さて、日が昇り切るまであと1時間くらいか。
どうやって時間を潰そうか……
そうだな、あの『機械種戦術基本講座』がまだ読みかけだったな。
ちょうど良い暇つぶしになるだろう。
七宝袋から本を取り出し、表紙をめくろうとした時……
え、何これ?
手に持った本、『機械種戦術基本講座』から感じるのは、新たなる宝貝の気配。
何で? 昨日の夜に読んでいた時は感じなかったのに……
しかし、この手に流れ込んでくるのは、確かに新しく生まれようとしている宝貝の気配に間違いない。
どんな変化があったのだろう?
昨日の夜では駄目で、今ならできる理由。
……いや、それよりも今は宝貝化の方が重要だ。
これから生まれようとする宝貝……その名を読み上げなくては。
そう、この本から生まれる新しい宝貝の名は……
「宝貝 墨子」
俺の手にあった紺色の教本は、ほんの少し色を薄めただけ。
しかし、その中身は大きく変化を遂げているはず。
ただの教本に過ぎない書物は、不可思議な能力を秘める宝貝へと……
「いや、ちょっと待て!」
え?墨子?
それって中国の戦国時代初期の思想家、墨家の開祖、墨翟の思想を記した書物。
別に宝貝でも何でもない。
そりゃ世界的に有名な書物であることは間違いないが……
これは倚天の剣と同じか。
2000年以上の時を超えて現代にも伝えられる思想書。
何千万、何億の人間に読まれ、その存在が宝貝にまで昇華したということか……
やっぱりちょっと苦しいな。
どちらかと言うと、中華戦略ゲームで知力を上げたり、スキルを授けたりする効果のあるアイテム扱いであったことが大きいような気がする。
まあ、その辺りを深堀しても仕方が無い。
今、俺の手元にあるのは間違いないのだから。
で、この書物の効力は何だ?
俺の知力を上げてくれるのなら大歓迎なのだが……
手に持った墨子から流れ込んでくる力……それは……
『建造物の解析』
あらゆる建物、建造物の構造を把握し、図面として映し出すことができる。
それはたとえ人の手に寄らない物でも同様。
そう、たとえ機械種の作りし『巣』であっても、『ダンジョン』であっても……
これはまたチートなアイテムだ。
今までダンジョンや巣の攻略には、不確実な打神鞭の占いのナビを頼るしかないと思っていたが、この宝貝があれば最短距離で目的地に辿りつけることができるだろう。
さらに隠されていた通路や部屋ですら発見することも容易い。
また、街や都市でもこの力は有用だ。
敵方の拠点ビルへの侵攻や、隠し部屋、隠し通路を見つけ出すことにも利用できる。
確か墨子という書物は博愛、反戦、平和を説いた思想書だが、墨家自体が工匠や土木技術を持った集団だったようで、都市防衛やそれに関わる兵器、建造物についても取り上げられている。
その辺りの逸話からこの能力が導き出されたのではと推測するが……
俺が狩人として活動するのに非常に役に立つ宝貝であるのは確実だ。
「頼むぞ、墨子。これから巣やダンジョンではお前を頼らせてもらう」
薄い青に染まった教本……墨子からゆっくりとした穏やかな波動が返ってくる。
非常に落ち着いていて老成した雰囲気。
縁側でお茶でも嗜むお爺さんのよう。
しかし、昔は戦場で腕を鳴らした経験を持つような凄みも感じられる。
その豊かな見識は俺の活動を裏から支えてくれるだろう。
これでまた一つ、俺に頼れる宝貝が増えた。
しかし、ブルソー村長には色々と貰い過ぎだな。
こちらも依頼を果たしたり、古傷を癒してあげたりしたけど、もう少し借りを返したい心情だ。
……そうだな。
あの機械種トロールの遺骸を村長に返してあげようか。
俺にとっては使いにくい仕様だし、元々は村長が従属していた機械種だ。
聞けば村長の切り札的機械種であったというし。
元々NTR嫌いの俺としては、誰かが愛着を持って従属していた機械種を自分のモノにするのは抵抗がある。
それに機械種を修理できそうな藍染屋は村長から紹介してもらった所だ。
俺が辺境では珍しいトロールの機械種を持ち込んだりしたら、不審に思われることがあるかもしれない。
ベネルさんと森の中で倒して放置しているゴブリン達の遺骸。
明日、村人達と一緒に回収しに行くと言っていたから、あそこに置いておこう。
ベネルさんに知られたら、また怒られそうだけど、俺だと分かる証拠は無い。
たまたま立ち寄った優秀な狩人が、問題になっていた巣を攻略した上で、邪魔になったトロールの遺骸を捨ててしまっただけなのだ……
かなり苦しいが、次に会うのは大分先のことだし……大丈夫だろう。
よし、そうと決まれば善は急げだ。
ちゃっちゃと終わらせておくことにしよう。
そう思い、車から出ようとしてドアの取っ手に手をかけたところで、ふと思い出したことがあった。
そう言えば……ヨシツネって俺が村に帰ってきたことに気づいているんじゃ……
前もそうだったし、ひょっとしたら……
「……コホン、ヨシツネ?」
「ハッ、ここに」
いたよ、コイツ。
車のフロントガラス越しに直立するヨシツネが見えた。
ひょっとして、ずっとここで俺が声をかけるのを待っていたのか?
俺の索敵能力は人並みだからヨシツネが隠身スキルや光学迷彩を使って姿を隠していたら、俺では発見することはできない。
しかし、今までのやり取りから、もしかして俺が隠れているのを見抜いていると誤解しているのではなかろうか。
……誤解を解いておくべきか、それとも威厳を保つために誤解したままにしておこうか?
ガタガタガタ
俺が誤解を解くべきか否か悩んでいると、ボルトがこちらに駆け寄ってくる。
不審な機械種が急に現れたから、俺を守ろうとしてくれているのだろう。
「止まれ! ボルト。コイツは味方だ」
車のドアを開けてボルトを制止する。
「お前の先輩にあたる機械種だ。名をヨシツネと言う。ただしこれは他の者には黙っているように」
俺の命令を受けて立ち止まったコボルトは、慌てるように視線を俺とヨシツネの間を行ったり来たりさせている。
突然現れた先輩の存在をどう受け入れて良いか、戸惑っているのだろう。
うーん、普段白兎やヨシツネを相手にしているから、この呑み込みの悪さがちょっと気になる。
「ボルト、下がって門番を続けなさい」
俺のはっきりとした命令で、ようやく自分の立ち位置を思い出したようで、小屋の入り口に移動し、待機の状態につく。
「ふう、不用意にお前を呼んだのは失敗だったかな」
「ハッ、申し訳ありません。拙者の判断ミスでございます」
その場に跪いて頭を下げるヨシツネ。
「いや、よい。それより話があるから、助手席に座れ」
「……ハッ」
別にボルトに聞かれても問題は無いが、万が一の為だ。
おずおずとドアを開けて助手席に入ろうとするヨシツネだが……
「どうした? 座らないのか?」
「いえ、主様と横並びに座るのは不敬ではないかと」
「さっさと座れ」
「ハッ、申し訳ありません」
コイツの俺を敬う態度は度を越しているな。
悪い気がするわけじゃないが、もう少し柔軟になれないだろうか?
「さて、報告を聞かせてくれ」
俺が聞きたいことは1つしかない。
「ハッ、その、主様が気になされていたユティアと言う少女ですが、特に自殺をするような素振りは見せませんでした。今は白兎殿が見張っておりますが、もう問題は無いと思われます」
「そうか……エンジュとユティアさんはどんな様子だった?」
二人とも仲良くしてくれていたのだろうか?
同じ車内でギスギスするのは勘弁してもらいたいのだけれど。
「ハッ、拙者が見たままを語らせていただきますと……拙者が見張りに着いた時、エンジュ殿が号泣されており、それをユティア殿が慰めておりました」
はあああ?
一体どういう状況だ。
エンジュが落ち込んでいるユティアさんを慰めているのではなく、逆なのか?
「その……漏れ聞こえる声から判断しますと、どうやらエンジュ殿は『自分では駄目だ』とか、『可愛くない』とか、お嘆きのようでして……、それをユティア殿が必死で『そんなことない』と励まされているようでした」
うーん。
美人のユティアさんを前にして、コンプレックスでも刺激されたのかな?
「その後、泣き疲れたエンジュ殿を寝かしつかせ、ユティア殿も床に着かれました……、それと、就寝前に白兎殿と仲良くされているようでしたので、白兎殿がユティア殿を慰めたのかもしれません」
「ほう、流石は白兎だな。俺の期待に答えてくれたようだ」
詳しい話は白兎に聞けば……無理か。
ゼスチャーで話をするのも限界がある。
筆談という手もあるが、そもそも白兎って文字を書けたっけ?
何となく教え込めば書けるような気もするけど……
「報告は以上になります」
「ご苦労」
ヨシツネの報告を聞き終えた俺は、頭の中で情報をまとめる為に、背もたれに体重を預け、ゆっくりと目を閉じる。
ユティアさんのことは、とりあえずのところは問題なさそうだ。
それよりもエンジュの不安定さが気になる所だな。
ひょっとして俺の対応で何か不満を溜めていたのだろうか?
ブロックの時といい、村長の噂の時といい、ちょっとぞんざいに扱い過ぎたかな。
……それとも、今まで散々俺のヒロインに相応しくないとか思っていたことが、顔に出てしまっていたのだろうか。
それとも俺の態度が急変してしまったことに気づいてしまったとか?
分からないなあ。
そもそもエンジュが何を考えているかなんて分かるわけがない。
ただ成り行きで俺についてきているだけなのか?
もしかして今でも俺の獲物を狙っているのか?
はたまた俺の能力を利用しようとしているのか?
少し前までは、彼女は俺に惚れているかもしれないという自惚れがあった。
出会ったあの夜に身体を重ね、その次の夜もお互いの身体の温もりを確かめ合った。
そして、商会で打ちのめされた彼女を見て、俺が守らねばと強く心に誓った。
その後、あの逃げ出した路地裏で抱き合い、彼女のか細い身体に手を回した時、これは運命の出会いだと信じかけて……
『裏切られた』
いや、正確には裏切られてはいない。
しかし、裏切るかもしれないとわかったのだ。
そうと分かった瞬間、彼女の全ての行動が嘘に見え始めた。
あの快活な笑顔も、あの弱々しい態度も、悔しさに目を滲ませた涙も……
最初から全部俺を騙す為の演技でなかったか。
よく考えれば、いくら一目惚れだからといって、会って初日で身体を許すわけがない。
初めから俺を体よく利用するつもりだったのだろう。
だから隙を見せれば俺からウバ……とする。
今は俺が有用そうと分かったから、一緒にいようとしているだけだ。
俺がチートスキルを持っていなければ、見向きもされなかったに違いない。
……当たり前だな。
前の世界でも彼女なんていたことがない。
女の子が喜ぶ話題も知らない。
女の子の扱い方だって本の知識しかない。
そんな俺を能力抜きで好きになってくれる子なんているわけがない。
この世界で俺を能力抜きで気に入ってくれたのは……あの雪姫だけだ。
美しい銀髪を煌びやかせて薄く微笑む彼女の横顔が思い出される。
この思い出だけは色あせることなくいつまでも俺の心に残っている。
こうやって思い悩んでいた時にふと現れるのだ。
いつまで経っても消えない俺の恋と罪の証。
はああああ……
大きくため息をついて、一旦思考を中断する。
いつものことだ。結局、終着点はいつもここになるんだ。
過去を振り返っても何も進まないのは分かっているけど……
止めよう。これ以上余計なことを考えるのは。
エンジュもユティアさんも次の街が安全と分かれば、そこで別れるのだから。
そうすればまた一人旅が始まる。
白兎と、ヨシツネと、新たに加わった森羅と廻斗。
何に気を遣うことも無い気楽な旅になるだろう。
ボルトはエンジュに譲渡してあげても良いかな。
これは手切れ金みたいなものだ。
別にエンジュのことが嫌いになったわけではない。
この世界での初めての人でもあるし、幸せになってもらいたいとも思っている。
でも、俺のヒロインとしては不合格なのだ。
彼女はそれほど美人ではないし、胸も大きくないし、俺を裏切るかもしれないし……
だから、俺は悔しくなんてない。
彼女を選ばない俺は間違ってなんかない。
なぜなら……
『選びさえしなければ俺は傷つくことは無いのだから』




