閑話 ユティア3
ユティア視点の閑話になります。
「ごめんなさい……」
とりあえず平謝りしかない。
まだ髪が濡れたままのエンジュさんに向かって頭を下げる。
「……ハクトに何をしたんですか? ほら、こんなに怖がっているじゃないですか!」
ムッとした顔のエンジュさんの後ろに隠れているラビットちゃん……そっか、ハクトちゃんっていう名前なんだね。
私が視線を向けるとハクトちゃんはビクッとして、座っているエンジュさんの足の間に頭を突っ込もうとする。
どうやら私から頭を隠そうとしているみたい。
「ちょ、ちょっとやめてよ。ハクト! そこは駄目って!」
エンジュさんは顔を真っ赤にしてハクトちゃんを押さえこもうとしている。
ああ、これって助けた方がいいのかな?
でも、私が手を出すともっとハクトちゃんが暴れそう。
「コラ! ハクト。落ち着きなさい! 大丈夫。私が守ってあげるから」
うう、なんか私が悪者みたい……
「なるほどね。ハクトの行動が珍しかったんだ」
「はい……とても軽量級機械種とは思えない程の思考能力なんです。でも、さっきのような怯え方を見ると、まるで人間の子供みたいな反応もするし……」
「うーん。確かにハクトは普通の機械種じゃないと思う。だって、私が車の整備をちょっと教えたくらいで、もう基本的なことは覚えちゃったくらいだし」
エンジュさんは腕組みしながら、部屋の隅っこで丸くなっているハクトちゃんに視線を飛ばす。
ハクトちゃんを落ち着かせたエンジュさん……エンジュは私の弁解を最後まで聞いてくれて、『アタイのことはエンジュでいいよ。その代わり、アタイも敬語を止めるし』と言ってくれた。
歳の近い女の子と話すのは久しぶり。
村では女の子達に嫌われていたから。
だから、ついエンジュのことが気になって色々と聞いてしまう。
「その……エンジュは……車の整備ができるのですか?」
青学も、緑学も、黄学も……女の子が学んでいるのは珍しい。
女が学問なんて……って世間じゃ良く言われるみたいだし。
この村でもそういった知識を持っているのは男の人ばっかり。
ちょっとエンジュに親近感が湧きそう。
「え……、でも。ユティア程じゃないよ。手だけが黄色いくらいだからさ」
そういって手をプラプラさせるエンジュ。
『手が黄色い』という表現は黄学を黄手まで学んでいるということ。
機械種以外の機械……ほとんどが車両や設備関係だけれども、それを整備できる知識や技術のことを黄学という。
でも、機械種のハードウェアの整備を主とする青学や、機械種の頭脳である晶脳やスキルを研究を主とする緑学に比べると、黄学は数段下に見られることが多い。
口の悪い人は、黄学のことを青にも緑にもなり切れない未熟で中途半端、『藍』には程遠い学問だと言う。
だから黄学だけを学んだ人は、自嘲の意味を込めて『○○だけが黄色い』という表現を使う。
でも黄手ということは、中型車両や一軒家規模の生活設備の整備ができるレベル。
『黄指』『黄手』『黄腕』『黄肩』の下から2番目。
でも、『○肩』の位はその道の第一人者を意味しているから、数えるほどしか存在していない。文字通りその学問を肩で支えている人たちのこと。
青学であれ、緑学、黄学であれ、『○手』というだけで生きていけるだけの食い扶持は稼げることができる。
ただし、それは男性だけの話。
「一応、アタイも開拓村出身でさ。昔、藍染屋をやっていた人が居て、子供の頃から出入りさせてもらったんだ。でも、結局学べたのは黄学だけ……ユティアが羨ましいな。青学や緑学も勉強させてもらえたんだね」
そう言うエンジュの顔は複雑そうな表情を浮かべている。
黄学しか学べなかったのは、多分、女ということと、その赤い髪……
『赤い髪の人間が、ブルーオーダーの機械種に触ると、レッドオーダーされやすくなる』
『赤い髪の人間は、レッドオーダーの機械種をおびき寄せてしまう』
『赤い髪の人間がいると、蒼石でのブルーオーダーの成功率が下がる』
これは根も葉もない俗説でしかない。
それは緑学の学説でもはっきりしている。
でも、それをまだ信じる人は多く、だから赤い髪の人間は忌避されることが多い。
多分、エンジュは私の何倍も苦労してきたのだろうな。
「でも……いくらハクトが珍しくても、マスターはヒロなんだから、勝手に調べたら駄目でしょう?」
ジト目で私を睨んでくるエンジュ。
全く返す言葉がありません。
「そもそも、晶冠開封ってマスター以外できないんだから、いくらハクトに頼んだって無理なはずだよね。整備の為に代理権限を譲り受けたわけでもないのに」
「はい……でも……ハクトちゃんがとても私の言うことを聞いてくれていたから……もしかしてって思っちゃって……」
「もう! ハクトが怯えるのも無理はないよ! きっとドリルかなんかで頭をこじ開けられるって思ったんじゃない?」
「ご、ごめんなさい……」
ひたすら頭を下げるしかない。
「アタイじゃなくて……、明日、ヒロに事情を説明して謝った方が良いよ。ヒロはハクトのこと、凄く大事にしているから」
ヒロ……あの男の子かあ。
優しそうに見えたから、きちんと謝れば簡単に許してくれそう。
……その際に、少しだけハクトちゃんについて聞いてみようかな……
あ!! そうだった。
ヒロっていう人……もし、女衒だったらってどうしようって思っていたのに。
さっきまであれだけ悩んで、いっそ自殺しようかって考えていたのに。
ハクトちゃんへの好奇心で、全部思考がそっちに行っちゃってた。
……でも、こんな凄いラビットを従属しているのだから、女衒っていう線はあんまり考えられなくなったかな。
ベネルさんが言う通り『優秀な狩人』なのかも。
聞いてみようか、エンジュに……
ヒロという人について。
「でさ、凄くカッコ良かったんだ! 並み居る男達をバッタバッタと殴り倒してさ! それで……」
頬を上気させて、熱くヒロという男の子について語るエンジュの顔は、正しく恋する乙女の顔。
「私を守る様にバッと布を被せて……それでお姫様抱っこでさ、軽々と私を抱き上げて……」
そのキラキラした目は、私も昔、ベネルさんに向けていたモノと同じ……
でも、ベネルさんに付き合っている女の人が居るって分かって諦めちゃったけど。
「それで……私を……安全な街まで連れて行ってくれるって……」
だんだん顔が真っ赤になって、やがて下を向いてしまい、口調もボソボソとなってしまうエンジュ。
さっきまで怒られていたから、年齢の割に迫力があるなあって思っていたけど……
この子、凄く可愛い!
いいなあ、恋する女の子なんだ。
「アタイ、ここまで大切にされたのって初めてだったから……」
心に溜まった熱いモノを言葉に乗せて、そのまま俯いて黙ってしまう。
その言葉にはどれだけの思いが込められているのだろう。
エンジュとヒロさんが会ってまだ3日というのも驚きだった。でも。出会ってからの波乱万丈さもなかなかのモノ。
初めはエンジュが騙されているのではと思っていたけど、女の子1人の為にここまでの騒動を起こすのはどう考えても普通じゃない。
先ほど話に聞いた大立ち回りと、従属しているハクトちゃんのことも合わせれば、ヒロという人はベネルさんが言うように優秀な狩人で間違いなさそう。
「……見かけは全然強そうに見えないですけどね」
「あ、それはアタイも最初はそう思ったよ!」
ポツリと呟いた私の言葉にエンジュがすぐさま反応する。
これだから恋する乙女の反応は侮れない。
恋しい男の話は決して聞き逃さないのだから。
「だってさ。最初にアタイを拾ってくれた時、武器も構えずに車から出てくるんだよ。普通、荒野で助けを求めてる人がいたら、まず、野賊の囮って思うよね」
あーあ、それはこの辺境ならではの常識だね。
辺境では野に出没する機械種がそれほど強くないから、人間が野賊をする余地が残っているって聞いたことがある。
「だから、初めはヒロのこと、どこかの裕福な家の世間知らずかなって思っていたんだけど」
「それ、分かります。ちょっと浮世離れしたところがありますよね」
この家に到着するまで、沈んでいた私に必死になって声をかけてくれていた。
私に余裕が無かったせいで、ロクな返事ができなかったけど、今から考えたらちょっと優し過ぎるくらい。
「自分が乗っている車のことも良く知らないし、自分の積んでいる獲物にも詳しくなかったの。だから、アタイ、狩人から獲物ごと車を盗んできた人じゃないかなって思ったんだよ」
「え、それって……」
私の顔から血の気が引いた。
狩人から獲物を盗んでしまえば、即、その狩人は殺しにかかってくる。
それは子供でも知っている『狩人の三殺条』の一つ。
「ああ、今は絶対違うって分かってるよ。でも、最初はそう思ってたの」
私の顔色を見て、慌てた様子で訂正してくるエンジュ。
「ヒロってば、ラビットのハクトでオークを倒したとか、車を誰かから貰ったとか、おかしなことばっかり言うんだもん。それに自分のことを狩人だって言っちゃってさ。銃も持っていないのにだよ! しかも武器は鉄パイプって言うの! どこの世界に鉄パイプを武器にする狩人がいるのよ!」
ラビットでオークを倒す……さっきまでなら、そんなことはあり得ないって思ったけど、あのハクトちゃんを見るとあり得なくはないかも……
それに、車を貰うって相当だよね。この辺境じゃあ移動手段は貴重だから、それを貰ったって言われても、なかなか信じられないと思う。
で……、武器が鉄パイプ……
それは……ちょっと……在り得ない。
エンジュがそう思っても無理はないかも……
「だからヒロのことは家を追い出されたか、狩人に憧れて飛び出したか……そんな世間知らずの坊っちゃんが、三殺条も知らずに狩人の車を盗んだんだって……そう考えても仕方が無いでしょう……でも、ヒロが本当に強いってわかってさ。ヒロの言ってたこと全部本当かなって……、私が考えていたより、ずっと凄い人なのかなって……」
さっきまで嬉しそうにヒロさんのことを語っていたのに……
だんだんエンジュさんの表情が陰っていく。
「でも……ヒロがそんな凄い人だったら……アタイなんか相手にしてくれない」
下を向きながら零れた言葉には、どれだけの思いが込められていたのだろう。
エンジュの両手は膝の上でぎゅっと握り込まれている。
「多分、今はちょっとした気まぐれで付き合ってくれているだけ……、アタイみたいな魅力の無い赤毛のガキなんか……ヒロに相応しいわけがないもの……」
声が詰まり始め、湿っぽい響きが混じり出す。
うつむいていて見えないけれど、その目には涙が溜まっているのだろう。
「それは違うと思う。ヒロさんはエンジュさんのこと、大事にしているじゃない! さっきだって、出て行こうとしたエンジュを引き留めて……」
「それは多分、ユティアさんに良い恰好を見せたかっただけだよ……、だってユティアさん、私と違って、凄く綺麗だもん」
「そ、そんなことないよ……エンジュだって可愛いよ」
「嘘……、こんな赤毛で……、身体もやせっぽちで、おまけに顔は傷だらけだし……」
駄目だ。エンジュったら悪いスイッチが入っちゃったみたい。
自分に自信がないのかな……
でも、赤毛を気にするなら、ヒロさんは最初からエンジュさんをそこまで助けなかったと思うし……え? 顔が傷だらけ?
「エンジュ? その……顔に傷なんて無いと思うけど……」
「む! そんな嘘つかなくてもいいよ!」
エンジュにムッとした顔を向けられる。
でも、本当に顔に傷なんてない。少なくとも見える範囲には見当たらない。
ひょっとして、見えないような小さい傷を気にしているのかな?
「えっと……ちょっと待って……、ほら、この鏡で見てみたら?そんな目立つ傷なんて無いよ」
鞄から手鏡を取り出して、エンジュに渡してみる。
すると顔をしかめて嫌そうな顔。
「アタイ……鏡って嫌いなんだ。嫌でも赤い髪が目に入ってくるから……」
だから髪を短くしているのかな。
でも、珍しいくらいの鮮やかな赤。
人によってはレッドオーダーの目の光を思い出すかもしれないけど、私には夕焼けの真っ赤に染まった空の色のように見えた。
「そ、そんなこと言わないで。エンジュの赤い髪はとっても綺麗よ」
私の言葉にはっと顔を上げるエンジュ。
目を大きく開いてこっちを凝視してくる。
え、何か気が触るようなこと言ったかな?
「……二人目。アタイの赤毛を綺麗だって言ってくれた人……」
そうポツリと呟くと、エンジュは受け取った鏡で自分の顔を覗き込む。
じっと鏡に映った自分の顔を見つめて、何かを確認するかのように頬や唇に手を当てている。
そして、数分後。
「嘘……アタイの顔の傷……消えちゃってる」
信じられないとばかりの呆然とした声。
「何で? どうして? あんなに殴られてできた傷なのに……、気持ち悪いからって髪の毛をナイフで切られた時の傷も消えてる……」
エンジュは随分と凄惨な過去を背負っていそう。
私も最初の頃は、世界で一番不幸だなんて思っていたけど……
どれくらいの傷だったのかは分からないけど、エンジュはまだ若いんだから、多少の傷くらいなら治っちゃうこともあるでしょうに。
あ、ひょっとして……
「そう言えば、女の子が恋をすると、女性ホルモンが活発になって綺麗になるって聞いたことがあるよ。エンジュも恋をしているから、それで治癒力が上がったのかも」
「アタイが……恋……」
エンジュの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
紅色紅潮した頬の熱を確かめるように自分の両手で挟み込む。
しばらくそのポーズのまま何か考え込んでいたエンジュは、やがてその目に潤みを湛えだし、ポロポロと涙を零し始めた。
「絶対無理だよう……あんな凄い人が、アタイなんかを好きになってくれるわけがないよう……う、う…」
ああ! 泣いちゃった。
なんでだよー!
まるで子供のように泣き崩れるエンジュ。
いきなりのことで少しばかり狼狽してしまったけど……
その様子はどこか昔の自分自身を思い出してしまう。
私がこの村に来て泣いてばかりだった。
それで、よくベネルさんに慰めてもらっていた。
そして、去年病気で亡くなってしまったけど、マナランさんにも……
旦那さんが借金で辺境開拓村送りになってしまって、その旦那さんに一緒に付いてきた人だった。
子供の方は成人していたから免れたみたいだけど、家族が離れ離れになってしまったのに変わりは無い。
自分も辛い状況なのに私のことを実の娘みたいに可愛がってくれた人だった。
よく泣いているのを抱きしめて慰めてくれた。
その温かさにどれだけ救われたか。
だから私も……
エンジュに近づいてそっと小さな体に手を回す。
頭に手を置き、壊れ物を扱うかのように優しく抱き寄せる。
柔らかくて、良い匂いのする赤毛を優しく撫でると、抱き寄せた時は固くなっていたエンジュの身体から力が抜けた。
「う、う、う、グスン」
しばらくするとこちらに寄りかかり、私の胸に顔をうずめるようにして泣きじゃくってくる。
エンジュの口から漏れるのは自分を卑下する言葉ばかり。
その度に私がそれを否定してあげる。
『アタイは全然女の子らしくないから……』
『だったら女の子っぽくしましょう。髪でも伸ばしてみる?』
『駄目だよう……、赤い髪を伸ばしたって気持ち悪いって言われるだけだよう……』
『そんなことないって。こんなに良い匂いのする綺麗な髪なのに……』
『……身体だってやせっぽちだし』
『エンジュはまだまだ若いんだから。大丈夫、これからもっと成長するよ』
『う、う、アタイ、可愛くないから……』
『エンジュは可愛いよ。ほら、笑ったらもっと可愛くなるから……』
さっきまでの毅然とした女性はもういない。
今は恋に悩む一人の女の子なんだ。
しばらくエンジュとのやり取りを続けながら、背中を優しくさすってあげる。
今までずっと抱えていた不安が爆発したのだろう。
エンジュの不安が紛れるまでそうしていよう。
それが私がこの子の為にしてあげられる唯一のことだ。
30分程、泣き続けたエンジュは私の膝で眠ってしまった。
そろそろ私の膝も限界なので、そっと頭を移動させて柔らかい布の上に置く。
そして、上からタオルケットを被せてあげてこれで完了。
「ふう……」
ちょっとばかりの労働の後に、ほっと一息。
人には色々な事情があって、皆それぞれに悩むことがある。
私もさっきまで死のうかなって思っていたくらいだったけど。
そっとハンカチでエンジュの目元に溜まった涙を拭いてあげる。
「う……うん」
赤ん坊がぐずるような声を上げるエンジュ。
ふふ、可愛い。
こんな可愛いエンジュが好いている人なんだから、絶対悪い人なわけがない。
だとしたら私の未来も少しだけ希望が見えてくる。
それにあのハクトちゃんのマスターということもあるし……
「あっ!」
部屋の隅に視線を向けると、ハクトちゃんがこちらをじっと見つめている。
それはどこかこちらを興味深そうに見ているように思えた。
この子、やっぱりかなり高度な思考回路を持っている。
好奇心、興味、探求心。
こういった感情は相当人間に近い機械種でないと持ちえないモノだ。
しばらく視線を合わせ続ける私とハクトちゃん。
やがて、ハクトちゃんはこちらにテクテクと近づいてきて、ヒョイっと後ろ脚二本で立ち上がる。
そして、なぜか前脚の1本を突き出すようにこちらに向ける。
「え? 何?」
何かの合図だろうか?
それとも何かを知らせようとしている。
目の前のハクトちゃんの耳は何かに期待するかのように、ピクピク動いている。
うーん。このポーズはもしかして……
「えーと? こうかな?」
恐る恐る人差し指を近づけて、ハクトちゃんの突き出している前脚に、チョンっと触れてやる。
あ、正解みたい。
耳が嬉しそうにグルングルン回っている。
本当に変わった子。
従属された機械種はそのマスターに似るという俗説があるけれど、ヒロさんも凄く変わり者だったりするのだろうか?
まあ、それも明日になれば分かるはず。
これから一緒に旅をする仲なのだから。
次話から本編に戻ります。




