123話 紅姫
いや、ちょっと待て。
さっきまで絶対にそこになかっただろうが!
思わず宝箱に怒鳴りつけそうになる俺。
どのような理屈かは分からないが、黒司祭や狼を倒したドロップ品と思われる宝箱が俺の目の前に出現していた。
クソッ、早く離脱しないといけないのに。
いや、ジュードの話では宝箱が出た部屋は安全地帯になるってことだったけど。
それはこのダンジョン最下層でも同じなのだろうか。
じっと宝箱を見つめてみるが、そこの答えがある訳ではない。
それよりも大事なのは、この宝箱を開けるか否かだな。
俺が心配しているのは、宝箱を開ける時に付き物である罠の存在だ。
『毒矢』『石弓』『毒ガス』『爆弾』『麻痺』『石化』『警報』『強制転移』。
思いつくだけでもこれだけの罠の種類があり、俺に危険を及ぼす可能性のある物も多い。
確か地下3階くらいで出てくる宝箱に罠は無いとジュードが言っていたが、当然、ダンジョン最下層はそれに当てはまらない。
宝箱を開けてくれる白兎もいないし、罠を外してくれるシーフもいない。
開けるなら俺しかいない状態だ。
もちろん、俺の身の安全を優先するなら、宝箱は放置一択だが、その選択には俺の中の物欲が待ったをかける。
ここはダンジョン最下層。出てくる宝はそれに相応しいものに違いない。
ここで取り逃せば、次に同じレベルの宝に出会うことはいつになるか分からない。
ああ、これがセーブしてやり直せるRPGだったら、間違いなく開けていただろうが、これは現実だ。賭けるのが俺の命かもしれないなら、そんな安易に決められない。
ゲームの中の遺跡を探索する冒険者たちは、いつも宝箱を前にこういった葛藤をしているのだろうか。
こういった選択肢を前に俺が選ぶのはいつも『保留』だが、こればっかりは保留する意味が……
ああ、そうだ!
「七宝袋、頼む」
俺の呼びかけに応え、目の前の宝箱を収納する七宝袋。
これで全て解決。今までの俺の悩んだ時間はなんだったんだ。
後でゆっくり開ける方法を考えるとしよう。
それまで預かっておいてくれ。お前が居てくれて助かった。
改めて七宝袋の規格外の能力に感謝の意を捧げると、七宝袋からフルフルと震えるように照れているような波動を感じた。
さて、心残りも無くなり、視界の矢印に従って先へと進んでいく俺だが、ここへ来てこのダンジョンの終着点が気になってくる。
巣には紅姫という機械種の親玉みたいなヤツがいて、それを倒せばクリアということは聞いているが、実際にどのような機械種なのかは分からないままだ。
紅姫というからには、赤系統のデザインなのだろうし、姫とつくからには美女、又は美少女の人型機械種に違いない。
紅姫って従属させられないのかな。
そろそろ女性型の機械種を従属させたいのだけど。
侍らせるなら美人の人型がいいよね。
思わず髪を赤く染めた雪姫が、俺に寄り添う姿を思い描いてしまう。
う、心が痛い。
しばらく立ち止まって、心を落ち着ける。
なんで自分の想像で精神的ダメージを受けちゃうんだよ。
もうこれはトラウマに近いのかもしれないな。
はあ、と一息ため息をついて、進むのを再開する。
紅姫が機械種の親玉というなら、その戦闘力はどれくらいだろう。
当然、先ほどやり合ったストロングタイプの機械種よりは強いはずだし、前にアデットの話で、複数の巣の総合体である『城』ではレジェンドタイプという最上位の機械種が存在していたという情報もある。
ストロングタイプのさらに上位であるレジェンドタイプ、それよりもさらに上ということもありうるのではないか。
もちろん、上位存在だからと言って戦闘力が必ず上だというわけではない。
総会のやり取りの中で、紅姫は機械種を生み出しているという話を聞いた。
紅姫が戦闘力ではなく、生産能力に特化した存在であれば、それほど強くない可能性がある。
その場合は他の機械種がその傍に侍っているだろうし、戦闘の最中も生み出してきて、どんどん数を増やしていくということも考えられる。
それを聞いて女王アリや女王バチのような生態を想像したが、どのように機械種を生み出すというのだろうか。
人型というなら人間と同じように……
ゴッ!!
立ち止まって、自分の顔を拳で殴りつける。
絶対にしてはいけない想像をしてしまいそうになったからだ。
口の中で血が滲みだすのが分かった。
しかしそれは当然しかるべき報いだ。
俺の中で彼女だけは汚してはならない。
それだけは俺が絶対に守らないといけないことだ。
はあ、とため息をついて進むのを再開。
もう考えるのは止めよう。どうせ情報が足りないから、いくら想定しても無駄に終わるだろう。会えば分かることだ。
ダンジョンの最後に相応しい祭壇のような大ホール。
そこで紅姫を思われる機械種は俺を待ち構えていた。
どうやら奇襲は不可能のようだ。すでに俺の存在を認識している様子。
そびえ立つ10m近い長身に真っ赤なボディ。
阿修羅を思わせる4本の腕。それぞれの手には刀剣が握られている。
やや細身の女性らしいフォルム。
目は吊り上がり、額にも第三の目。
口は頬まで裂けており、その隙間からはみ出しているのは鬼のごとき牙。
顔は正に般若というべきものだろう。
「俺の想像と違い過ぎる!チェンジで!」
つい漏れてしまう俺の心の叫び。
その叫びを聞いたからかどうかは分からないが、阿修羅ごとき姿の紅姫は、俺をその燃えるような赤い瞳でジロッと睨みつけてくる。
うおっ、何て威圧感!
莫邪宝剣を持っていなかったらチビってたかもしれないな。
ここまでデカい機械種とやり合うのは初めてだ。
高さだけならあのフンババをも上回る。
しかし、デカいだけだったら何とかなる。
それだけ的が大きいということだ。
莫邪宝剣で切りつけさえすれば……いや、あの空間障壁というものがなければ、大丈夫……無いよね。
まあ、切りつけてみれば分かることだ!
莫邪宝剣を構え、紅姫に向かって走り出す。
まずは足を切断して、それから……
え、いない! 消えた!
まさか、光学迷彩?
先ほどまで俺の目の前にいた紅姫は完全にその姿を消していた。
まるで瞬きした瞬間に消えてしまったかのよう……
ブワッ
その斬撃を察知できたのは奇跡に近い。
ほんのわずかな空気の乱れが気づかせてくれた。
『八方眼』で見えるのは、いつの間にか俺の背後に出現した紅姫。
これは姿を消したのではない。瞬間移動したのか!
俺は飛び上がって背後から振り下ろされる刀剣の一撃を躱す……
ゴン!!
あ、しまった。紅姫は4本の腕に4本の刀を持っていた・・・
飛び上がって回避した俺を襲う、すくい上げるような2撃目の斬撃。
横腹に喰らい、ゴルフクラブでボールを叩いたように真上へ吹き飛ばされる。
ダン!!
高さ20mはある天井に叩きつけられる俺。
そして、そのまま重力に引かれて落ちてきたところを紅姫の3撃目が襲う。
ドン!!
今度は壁に叩きつけられ、数十センチはめり込んでしまう。
クソッ、反撃をしなくちゃ……
衝撃で頭がクラクラしているところへ、紅姫の4撃目。
え、嘘。
壁にめり込んだ俺を串刺しにせんとばかりに、刀剣を突きこんでくる。
ドゴオオオオオ!!
腹に突きつけられた強烈な一撃。
そのまま壁の中に数メートルは突きこまれる。
腹に尖ったものが当たっている。
それは刀というより平たい鉄柱というべきものだ。
俺は思わずそれを両手で掴む。
このまま埋め込まれるのは嫌だ。
俺の思いが通じたのか、刀剣はゆっくりと引き抜かれていき、それと一緒に俺も壁から抜け出せることができた。
ああ、助かった・・・
あ、あ、、あああ、ああ
刀剣にしがみついたまま俺を、紅姫はまとわりつく虫でも払うかのように、ゆっくりと上に振りかぶって……
そのまま地面に叩きつける!!
ゴオオオオン!!!
また、地面にめり込んでしまった。
もうどうにでもしてくれ。
度重なる連続攻撃に完全に心が折れてしまった。
すでに俺の手には莫邪宝剣もない。
最初の攻撃を受けた時に手放してしまったのだろう。
さらにその上から紅姫の1mはあろう足で踏みつけてくる。
ドオオオオオオン!!!!
俺の下半身を踏みつぶさんとばかりの震脚。
「あああああああああああ!!!!!」
ああ、今、聞こえた叫び声は俺があげているだろうか?
どこか他人ごとのように聞こえてしまう。
完全に身動きが取れない。
ただ上を見上げているだけだ。
地面に埋め込まれ、俺が見える景色は上だけ……
俺の目に映る複数の刀剣の切っ先。
どうやら紅姫は俺を踏みつけながら、刀剣で滅多刺しにするおつもりのようだ。
「ははは、はは、ははは……」
叫び声も枯れてしまい、もう乾いた笑い声しか出ない。
ザクザクザクザクザクザクザクザク!!!!!
俺を切り刻む無数の音が響き渡る。
幅60cm近い尖らせた鉄柱を何度も突きこまれている。
俺の上半身を中心に、顔、胸、肩、腕を構わずに滅多刺しだ。
「もう嫌だ!早く終わってくれ!雪姫、君の所へ行くから……」
俺の口からはもう泣き言しか出ない。
ただ泣きながら終わりを待つしかなかった。
さあ、どのくらい経ったのだろうか。
ゆっくりと体を起こし、服に着いた埃を払う。
ここは地獄か、天国か、と一瞬考えたが、目の前の光景は先ほどから変わっていない。
紅姫は俺から離れたところで4本の刀剣を構えている。
なぜか怯えたような雰囲気を感じるのは気のせいか。
周りを見渡すと、ボロボロの床に壁に天井。
まるで戦場の後みたいだ……戦場の後だから当たり前か。
あ、こんな所にあった。
近くに転がっていた柄だけとなっている莫邪宝剣を拾い上げる。
すまんね。君を手放しちゃって。
莫邪宝剣に力を注ぎ、光の刃を生成。
そして、部屋の隅で戦闘態勢を取る紅姫に向き直り、一言。
「ねえ、何で俺は無傷なんだろう? あれだけ切られて、突かれて、踏まれて、切り刻まれて、滅多刺しにされたのに」
紅姫からは返事は帰って来ない。
ビショップとは違い、話す機能が無いのか、それとも話す気が無いのか。
まあ、返事は期待していなかったからいいけど……
でも、これだけ言っておこう。
「次は俺の番だから」




