プロローグ・3 機械巫女(オートメイト)技術訓練校
「どぉお? 治りそう……かしら?」
あやめさんが俺の手元を覗き込んでくる。
「ツクモくんはいいなぁ。わたしもオトメちゃんが見られるといいのにぃ」
「そうですよねぇ」
俺は修理を頼まれた電動自転車のビスを外しながら左目で『彼女』を見る。
「俺だけじゃなくこの世の全部の人たちにオトメが見られるようになればいーんすけど……」
彼女――この自転車に宿ったオトメの少女が外装を留めているビスが外れるたび、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
彼女たちにとって分解されて内部を覗かれるのは、裸を見られるのと同じかともすればそれ以上の羞恥なのだ。
(ごめんな、すぐに直してやるから)
俺が視えてる左目を通じてそう訴えかけてやると、彼女はうつむきがちなまま、それでもこくっと頷いてくれた。
「シャフトとかギアに詰まった泥とかは取り除いたんで、あとは……」
外装を外し、内部をチェックする。
「それにしてもぉ……ごめんねぇ、ツクモくんにとって大事な日なのにこんなこと頼んじゃってぇ」
「いいんですいいんです。困ってる人のことを見過ごさない、これがこの世で二番目に大事なコトなんすから」
自動車の免許を持ってないあやめさんにとって、この自転車は買い出しの為の唯一の足だ。
この下宿は夕飯込みで、俺もその恩恵に預かってるんだから回り回って自分自身のためでもあるわけだし。
「そう言ってくれると助かるんだけど……でも、それじゃあ一番ってぇ?」
「そりゃもう、困ってる女性を見過ごさないコト」
「まぁ……うふふっ」
正直言えば、更にその上、殿堂入りとして『美人の女性の頼みは見過ごさない』があるのだけど、まぁこれは伏せておこう。
しかし、いつものチェーンのタルみやギア周りでもないってことは、別に特別な修理技術を持ってるワケじゃない俺には荷が重い。
オトメの子のほうを見ると……。
『……………………』
彼女は自分の膝の辺りを指差し、そのまま指先を上のほうに滑らせる。
「駆動系と……その上近辺……あ! これかァ」
モーターからの動力を伝えるギアの一枚が外れかけ、小石が挟まってた。おまけに同じく飛び込んだ小石のせいかプラグが一部傷ついて外れかかってもいる。
こうやってオトメが自分たちなりに自らの故障箇所を教えようとしてくれるから、素人の俺でも簡単な修理ができてしまうっていうワケだ。
「そこの工事現場で転んだんですか?」
「そうなのぉ……最近、道路工事が多いでしょお? やんなっちゃう」
しょぼんとしたあやめさんが軽くたくし上げるスカートから覗く膝には、痛々しく包帯が巻かれている。
「うっわ、大丈夫ですか?」
「うん、擦りむいただけぇ……。でもね、でもね、大人になってから膝小僧擦りむくって、なんだか傷の痛さ以上にへこんだりするじゃない?」
「あはは、なんとなくわかります」
苦笑しながら話してるあやめさんの隣で、オトメの子が申し訳無さそうにその包帯を見やっている。
まるで転倒したのが自分のせいだとでも言わんばかりに。
「一応、応急処置はしましたけど……」
「しましたけどぉ?」
「うーん、ギアとプラグ、その他にもちょっとキズがいってるのと……」
素人の俺が見ても、この自転車そのものがかなり古くなってるのがわかる。
昔、自転車屋の爺さんが『自転車はフレームさえ無事ならいくら壊れてても何度でもまた走れる』と言ってたけど……。
電動アシスト自転車となると、ちょっと事情が違ってくるとは思う。走れるは走れるだろうけど……電装系がイッたアシスト自転車はただただ理不尽に重いだけの存在に成り果てる。
「……バッテリーもちょっとヘタれてきてますし、モーターもそろそろ……」
バッテリーは消耗品だから交換もできるが、その他の部分はもはやユニットを全交換しないと遠からず限界が来ると思う。
「交換……しなくちゃだめ?」
「そうですね」
「でも、そうするとオトメちゃんが……」
もちろん妖精の目を持たないあやめさんにはオトメの姿は視えない。いまもその目線は彼女のほうに向いてさえいない。
オトメは機械に宿る。その機械の本体とも呼べる部位――この場合はバッテリー、モーターなどが組み込まれたユニット――を交換するということは下手をするとオトメの消滅を引き起こす可能性がある。
オトメが消失した機械にも、再び新しくオトメが宿ることもあるが……それは記憶も経験も失った、また新しいオトメでしかない。
彼女の場合はこの電動自転車そのもの、まるごとが本体なのでもしかしたら存続できるかもしれないが……。
「オトメちゃんはなんて言ってるの?」
あやめさんが俺にそう聞く前……交換に話が及んだ段階から、彼女はきっぱりと俺に答えを送ってきていた。
「支障のある部分を全て交換して、完全な形で修理してください……って」
迷いのない笑顔は明瞭にそれを語ってきている。
(そうだよな……お前達はみんなそうなんだよな)
仮に自分が消えてしまうとしても、それを惜しんで自分の持ち主に支障がでてしまうことなど……まして怪我や命に関わることなどあってはいけないのだと。
オトメはみんな、そういう考えの持ち主ばかりなんだ。
「そう……」
あやめさんは少しだけ考えてから……。
「うん、わたしこのまま乗り続けてみる」
「いいんですか?」
「ブレーキとかぁ……タイヤやチェーンは大丈夫なのよねぇ?」
「それは保証します。いいコですよ、この子は」
そういった部分はまだまだ十分に現役……いや、ともすればそれ以上だ。
もちろんそれもあやめさんが大切に扱ってるからこそ、だ。消耗する部品はこまめに替えてあるし、油も定期的に射されている。雨の日はバイク用のカバーを被せられ、泥や汚れはすぐに拭き取られているのは俺も知っている。
「ふふっ、じゃあ大丈夫ぅ。女子校時代からのおつきあいだものぉ、まだまだこれからもずぅ~っと仲良くしていきたいわぁ」
にこにこ微笑みながら、優しくサドルを撫でるあやめさん。
そんな彼女を見て……オトメは自分の主の頑固さに少し困ったような、それでいて確かに嬉しそうな顔でやっぱり微笑んだのだ。
※ ※ ※
「さて、と」
まだまだ冷えるので、頬まで覆えるネックウォーマーや厚めの手袋をきっちり装着。
「学校って、川向こうのところよねぇ」
「ええ、第四埋め立て区画っす」
「決まったら通勤大変よねぇ。……はっ、ツクモくんもしかして引っ越しちゃうぅ?」
「御冗談を。ココより住心地のいい場所なんてこの世全部ひっくるめてもありませんって」
「まぁまぁ……うふふ、嬉しいわぁ」
「もし通勤できなさそうなら、いっそ断ってきますし」
「ええええ~? それはダメよぉ~。ううう、わたし的には嬉しいけどぉ……や、やっぱりそれはぁ……あうぅ」
なんだか本気で悩みだしてくれちゃう優しい大家さん。
まぁ……現実問題、川を超えたら下宿はもとよりアパートもマンションもなく、ただただ技術訓練校の敷地が広がるばかりだ。引っ越しなんかする意味なんかほとんどない。
寮はあるみたいだったが、どういうルールか個人保有の家具家電等は持ち込み禁止とあったので論外だ。
契約してないとはいえ、せっかくこの世に生まれた我が家のオトメたちを全部処分だなんて考えられない。
(それにしても……)
機械巫女訓練学校か――。
一時はオカルトの類と一顧だにもされてなかった『オトメ』と『それと契約出来る巫女』の存在がいまや公的機関で研究され、あまつさえは巫女を育てる施設までできあがった。
(まぁ……あの惨業革命なんかを経れば、人類まるごと、そういう風にもなっちゃうか……)
オマケにそこの教師――教官だっけ。それに俺が任命されるかもしれないってんだからなァ。
「ああ、そうそう」
ようやくあやめさんが煩悶(あうう状態)から復帰した。
「学校には姪っ子のけーちゃんも居るはずだから、もし会えたらよろしく言っておいてくれると嬉しいなぁ~」
「ああ、巫女候補なんでしたっけ」
「そうそう~。鉄砲形の血筋って多いのよぉ、目を持ってる子ぉ」
「へぇ、そうだったんですか」
「うふふ。わたしにはその才能、ちっとも無かったけどぉ」
困ったように眉を寄せて苦笑するあやめさんだけど……。
「……いつか、目なんてなくたってオトメと仲良くできる日が来ますよ」
「うふふ、そうだといいんだけどぉ」
俺の左目には、嬉しそうにあやめさんに寄り添ってる電動自転車のオトメの姿が視えていた。
「んじゃ、行ってきます」
「はぁい、気をつけてねぇ~」
「姪っ子さんに会えたら、あやめさんが寂しがってるから顔だしてあげるように言っときますよ」
「あらあら、じゃあそれもお願いねぇ~」
あやめさんに見送られつつ、愛車のバイク、ベスパに跨って走り出す。
別段、バイクが好きでも詳しい訳でもないのだけど……。
引っ越してきた当初にとりあえずの足が欲しいと立ち寄ったバイク屋で見かけた時、このバイクに宿ったオトメが名前通りド直球でハチっぽい格好をしてたのが素直に可愛くて即決してしまった。
彼女にもまだ名前はないのだけど、今も嬉しそうに俺の頼りない運転をちょいちょいサポートしてくれてる。
後で聞いたらけっこう名のしれたバイクだったようだけど、どっちこっち3代目のレプリカ生産のもので、中身は元祖のものとは完全に別物。
音だの乗り心地だのは似せて再現されてるらしいけど、それに感動できる知識も経験もないので少々宝の持ち腐れちっくなのが申し訳ない。
(さぁて……)
こっから埋め立て地区の橋までだけでも結構あるぞォ……。
※ ※ ※
「ようやく橋を超えたか……」
広大な一級河川、利根川をえっらい勾配でまたぎ超えるように掛けられた橋をどうにか乗り越えて、軽く一息。
橋のちょうど真ん中あたりでは山間からの吹き下ろし向かい風も強く、なんかこうあらゆるものが嫌がらせを仕掛けてきているようにさえも感じられた。
「ちぇっ、橋超えて埋め立て地区入ったら店のひとつも無くなるのかよ。こりゃシクったなァ」
対岸に道の駅があったんで温かい飲み物でも……と思ったが、反対車線を超えて入るのが面倒で思わずスルーしてしまったのを今まさに猛烈後悔してる。
「自販機くらいはあると思ってたんだけどなぁ……」
いったん路肩にバイクを停め、メットを外す。
「着いたぁ?」
もぞもぞと……懐に潜ってたサガンが眠たげな顔を出す。
「なんだいなんだい、まだ入り口じゃーん」
「小休止だよ、小休止」
「おいおい、これから通勤するかもって場所だよォ? 毎日毎朝小休止しながら出勤するつもりかい」
「……途中ちょっと迷ったからな。慣れればもっと早いよ」
「相変わらずの方向オンチっぷりだねえぇ。ちゃんと地図も資料にあったでしょーがい」
「地図なんてななぁ、現在地点を見失った段階でただの何が書いてあるかわからんラクガキになるんだよ」
「出たよ方向音痴特有の迷子逆ギレ」
「うっせい。今の今まで……っていうか部屋出たあたりからジャケットの下でぐーすか寝てた奴が」
「だぁーってさぁぁぁ! あの大家苦手なんだよォ」
「そんな事言うな。いい人だぞ、あやめさんは」
「そら知ってるわよォ。つーか悪い奴ならあたし様の場合、とっくにボコっておしまいやろがい」
「……その場合俺の居住権もいっしょにオシマイだな」
「そうでなくてさぁ……なんかこう、熱量高ぇんだよォォ……。あたしの姿、視えないクセに『どこどこどこぉー!?』みたいに探しまくるしさァ」
「あやめさんオトメ見たくてたまらん病だからなァ」
本当、神様は意地悪だ。
サガンは物理干渉の度合いも含め『限りなく本契約に近しい仮契約』なので、姿こそ普通の人には視えないが、声は聞こえてしまう。
引っ越して早々、俺と会話してるところをあやめさんに見つかって以来、彼女はサガンの熱烈なファンなのだ。
たぶん、初めてごくごく近い場所で声を聞いたオトメってことで好意的に刷り込まれすぎちゃったのかもなァ。
なんもその対象がコイツでなくたって、もうちょい品のいいオトメであっても良かったと思うのだが。
やっぱり神様は意地悪らしい。
「こないだなんか『ここー!?』つって庭の石までひっくり返してたろ!? いるか! ンなトコいるか! アタシはダンゴムシか! それともハサミムシか! もしくはそれに類するナニかか!」
空中でいたく憤慨なされる我が仮契約のオトメさん。
まぁ、なんだな。普段は相当に傲岸不遜でテンションも高めなサガンだが――いや『だからこそ』なのか、同じかそれ以上の熱量で向かってきて、かつ自分とテンションの方向性が全く異なる存在は苦手なようだ。
前に小学生低学年くらいのチビ助どもにウッカリ声を聞かれてしまい、同じような反応をかまされて大層、疲労していた。
同族嫌悪……ともちょっと違うか(あやめさんや子どもたちにいたく失礼な表現でもあるし)。
「アタシ様はほそぼそまったりと、アンタを蹴たぐってるほうが性に合ってるよゥ。はぁー……さむさむ」
「俺的には一方的に迷惑だが」
好き勝手言いながらサガンは再び俺の懐に潜り込んで暖を取る。
「やれやれ……」
出る前に買っておいたペットボトルの緑茶は当たり前ながらとっくに冷めてる。
でも無いよりはマシかと口を付けつつ、ざっと『訓練校』の敷地を見渡した。
そこは――。
「……ダダっ広ェだけでナンもねェなー」
アゴの下辺りから辟易したようなサガンの声。
見渡す限り、広大すぎる敷地。しかもろくすっぽ整備さえされていない。
かーなーり遠くに、広く舗装された敷地らしきものも見えるし、さらにその先におぼろげに建物の影も見える。とりあえず何らか手の混んだサギとかイタズラってことではなさそうだ。
「珍しいな、意見があった。俺も今まさにそう言おうとしたとこだ」
「いぇーい、はっぴーあいすくりーむ」
「なんだそれ」
「知るか。昔のコドモは言葉かぶったらそんな風に言ってキャッキャウフフしてたんだよ」
「……お前、やっぱ呪いの市松人形じゃないの? 江戸時代くらいから存在する」
「……言葉に注意しろ? いまのアタシ様は位置的に非常にアゴを砕きやすい場所取りなのだ。具体的には頭突き等の方法で」
「なんか面接的なものあるらしいんで一応やめといて」
ゴミ箱も無いのでカラになったペットボトルをカバンに押し込んでから再びベスパに跨りエンジンをかける。
「奇遇だな。アタシ様も自分の頭が痛げなのでやめとこうと思った」
「いぇーい、はっぴーあいすくりーむ」
「使い方あってるようで微妙にちげぇーよ」
俺は再びバイクを走らせ、遥か向こうに霞んで見える建物を目指していった。