プロローグ・2 現代――万沢 九十九
朝――。
「―――きなさい」
まだ目を開ける気力はないけど、まぶたの裏で光を感じる。
「―――きなさいってば」
うー……。
昨夜は例の分厚い就任資料だなんだを読んでて睡眠不足&脳の疲労も甚だしいっていうのになァ。
「そんなコト知ってる。知ってる上で起きなさいって言ってんの」
まァそう言いなさんなって。この世で二番目に幸福なのはこの予定間際寸前での危機感あふれるまどろみ、そんで一番幸福なのが―――。
「ぐぅ」
そんな状況での二度寝――――。
「起きろっつってんだよ、このド腐れド低能ドサンピンがーッ!」
「あぐぶ」
ベッドから蹴り出されて綺麗に床に転がる俺。
だいたいこの世で一番に最悪な起床に違いない。
「目ェ覚めた、ツクモ?」
「……ある程度は」
「そ。んじゃ朝食前に顔でも洗って100パー起きときなさい」
テーブルにはたった今出来上がった塩梅の朝食が湯気をほかほかと。
時計を見ると、まだまだ予定にはかなり早めの時刻だったのだけど、それをツッコんで再び二度寝に移行した日には、さらなる暴力による目覚ましが行使されそうな気がする。
「ちなみに今日の朝食メニューはなんでしょね」
「アタシ様が知るワケないじゃん? 例のごとく冷蔵庫とかにありあわせの材料でうまくやってくれてんだから、本人たちに聞けばいーじゃん」
「はっはっは、これまた朝からキツめの御冗談を」
「冗談だったらアタシ様のほうだって朝から多少は笑えるんだけど…………ってまたアンタ、悪い癖!」
「うい?」
「ツクモってばまーた左目閉じてんじゃんよ! それじゃアタシ様の姿も見えとらんでしょーが」
「うん見えてない。現状、俺的には謎のポルターガイスト現象に猛烈な暴力と暴言を振る舞われてるカンジ」
「……アタシ様のターン的には無理やりマブタこじ開けてついでに開いたまま縫い付けてやったっていーのだけども」
「こわっ! 相変わらずこの世でトップクラスに表現こわっ! 知ってんでしょ、俺の視力がバラバラなの。しかも乱視も入ってるし…………あ、違うこれアレだ。ほら、普段は片目閉じてて本気の時だけ両目的な」
「うるせぇなんの中二病設定だ。しかも取ってつけたように。つーか日常で眼鏡してる時は別にやってないじゃろがい」
「ま、ね」
視力云々はもちろん本当だ。裸眼の両目だと世界が大変に歪んで見える。
それゆえの癖であって……とはいえ、どっちこっち良い癖とは言えないか。
ベッドサイドの眼鏡をかけて左目を開く。
「改めておはよ」
俺の特別な左目――『妖精の目』だけに映る声の主。
「改めておはよ、サガン」
羽根をはためかせ空中に浮かぶ手のひらサイズの少女、サガン。
機械に宿る精霊――通称『オトメ』の少女。
彼女は俺――万沢 九十九が唯一契約を果たしている『オトメ』なのだ。
んーとまぁ、この世で一番とまでは言わないものの、色んな意味において、残念なことに。
「……オイ、おめぇ今モノローグでなんつった。聞き逃さねぇからなそういうトコよ」
※ ※ ※
「いっただきまぁ~っす!」
テーブルの上で俺の分から手頃なサイズに切り分けたデカめのサイコロ状トーストにかぶりつく我が契約のオトメ。
うーん。ちなみに現状までの絵に描いたかのような暴力ヒロイン(ともすればそれ以上の何かかもしれない)から彼女のビジュアルを――。
『筋肉はゴリラ! 牙はゴリラ! 燃える瞳は原始のゴリラ!』
……くらいにイメージされてる方々も居るかもしれないので早めに描写しておくことにする。
というかそんな悪い意味のみで圧倒的な存在感あるヒロイン、俺がまず側に置きたくない。
さっきチラッと言ったとおり、手のひらサイズの体に南国のチョイ珍しい蝶のような艶やかな羽根。
顔立ちも『オトメ』の例に従い綺麗に整った……いやまぁどっちかと言えば可愛い系か。ともかく美少女のカテゴリである。
ここまで行くとイワユル文字通り、かつ大方のイメージどおりの『妖精少女』って感じの像が結ばれているように思う。
ファンタジーものの定番マスコット的な『そういう』感じのモエモエした可愛い生物。
(記号としちゃ全部合ってるんだけど……)
濡羽色の長い黒髪に透けるような白い肌、そんで真っ赤な生地に花柄の模様が入った丈の長い着物……。
一番近めのビジュアルはおじいちゃんおばあちゃんちの和箪笥上に飾られてそうな市松人形、かなぁ。
ひらひらドレスとかましてや露出度高めなレオタード的なものが似合いそうないわゆる西洋風ファンタジー妖精とは恐ろしく遠いとこにあるイメージの集合体。
んでそこの背中にちょいとチョウチョの羽根を添えまして。
「んがんがんが」
そんな初見イメージ全部壊し系妖精?(不確定)が、いま目の前のテーブル上で自分の頭くらいあるトースト(の切れ端)にバター醤油を塗ったくってかぶりついている。
そっと、眼鏡の上から左目を塞いでみる。俺がオトメの姿を見ることができるのはこの左目だけだ。
すなわち。
「んぐんぐんぐ」
右目だけでテーブル上を見ますれば、なんもない中空にバター醤油塗ったトーストの切れ端が浮かんでて、それが結構なペースでちょっとずつ消えていく。
まぁちょっとした心霊現象にも等しいビジュアル。
「……わかったぞ」
「げふー。なぁにが?」
トーストを平らげ、テーブル上に足を投げ出して座りながらビックリするくらいデカいゲップのサガン。
……市松人形なら市松人形でもうちょっと楚々としてれば可愛げがあるってもんなんだが。
「お前さんの本体……なんのオトメかって」
「ほほう、言ったんさい?」
「呪いの市松人形。髪とか伸びる系の。夜中歩く系の」
「ブブー! つーかおめぇソレ何度目の答えだよ。オマケに言うたび髪とか夜歩くとかちょっとずつ具体的な部分付け足してきてっけどよー」
「だって基本的にはそれしか思いつかないしなァ」
「よーしいいぞ、そこ動くな。いまその節穴どころか無用の長物に等しい貴様の左目をえぐり出して軽めのデザートにしちゃる」
「そのバターナイフこれからすぐに俺が使う予定なんでテーブルに置いてくださいませんかね」
「ったく。そんなこっちゃー何時までたってもアタシ様と本契約なんかできないわねェー」
バターナイフを皿の上でほかほかしてる目玉焼きの黄身に突き立てるようにブン投げ、やれやれと肩を竦めてみせるサガン。
さっきは彼女のことを『唯一契約しているオトメ』としたが、正確には『唯一、仮契約しているオトメ』が正解だ。
オトメとの契約はまず前提となる第一段階で『彼女たちの姿を見い出すことができる』からスタートして……。
(1)『それが何の機械に宿るオトメかを把握する』
※複雑な、複合的な機械の場合はどこの何の部分に宿ったオトメかを把握する必要もある。自動車を例にすると、それ単体に生じた一個のオトメの場合もあれば、エンジンやラジエーター、カーステレオなどの部品単位に宿ったものの場合もある。
(2)『オトメの宿った機械を所有する』
※購入もしくは譲渡された事が明確であり『自分が所有』していなくてはいけない。
(3)『オトメに固有の名前を与える』
この三つの条件を満たした上で双方の同意があって初めて『契約』となる。
仮契約のままだと――。
「本契約終えて実体化すれば、アタシの体にも触れ放題! あーんな事やこーんな事までやりたい放題だってのに~」
あくまでこちらからは姿が見える、会話ができるだけ。触れるなどの物理的干渉はできない。
ただしオトメ側は(所有者の近辺のみではあるが)ある程度の物理干渉をもすることができる。
トーストを貪るのはもちろん(本来オトメは食物摂取の必要はないのだが)俺を蹴るの殴るのは一方的にできる。
正直ここは今もって釈然としない部分ではある。ものすごい不平等契約じゃないのか。
ちなみに余談ではあるが、世にいう心霊現象の大部分は『姿を見いだされただけで契約してもらえずほっぽりだされた野良オトメ』の仕業ではないかと俺は疑ってる。
「アンタまだ、アタシ様がナンのオトメか分かっちょらんもんねー? ぐしししし」
これまたおおよそ妖精らしからぬ(絵的な例に挙げた市松人形としてもらしからぬ)品のない笑みを浮かべて嘲笑するサガン。
「おまえさんが教えてくれないんじゃん」
仮契約までしか進んでいない理由がこれ。普通は『(姿を)見て』『(何かを)知って』『(本体を)得て』『名前を与える』というのがオトメとの契約のセオリーだ。
まぁ、言うほどオトメとの契約は一般的なものではないが……まぁ、その狭い世界でのセオリーという意味合いで。
「甘えんなや! 全てのオトメが自分から正体を明かしてくれる親切サン揃いとか思うな。アタシ様は契約者としてのアンタを教育してやってんじゃろがー」
「ハイハイ……」
いい加減そこそこ長めの付き合いなんでいろいろ察しを付けてはみたんだけど……。
さっきまでイロイロとオトメの定義みたいなものやら契約のセオリーやらを一席ぶってみたものの……。
なんせ彼女たちオトメそのものがまだまだ研究の過程途上の不可思議で曖昧な存在。
『オトメは原則的に本体及び契約者の傍でしかリアライズできない』……と言っても例外はある(キロ単位で行動範囲を持つ個体も存在する)。
『オトメは原則的に動力を持って作動する自動機械に生じる』……と言っても例外はある(単純な構造物、ペンチやドライバーなどの工具から生じる例もある)。
『オトメは原則的に契約者の命令は絶対遵守するものである』……と言っても例外はある(コイツとか)。
……まぁ例外だらけなのだ。大抵は分かりやすい姿をしていたり、自分の方から何のオトメか教えてくれたりするもんなんだが……。
ともかく、これだけ例外が多いといくら自分の身の回りにあるものって言ったってなかなか目星はつかない。
「もったいないなァー。アタシ様がリアライズしてればァ……ちゅー♪とかしてあげられちゃったりィ、もっともォーっとイロイロしてあげられちゃったりするんだけどもォー?」
「うわぁいらねぇ超いらねぇ! ここまでの暴力的なアプローチの果てのどこにそんな色気要素が!? お前さんはもうちょい自分のキャラクターってのを見つめ直す機会を作ったほうが良いと思うのだけどね!」
「無理しなさんな、性欲だるんだるんの若者よ~。このアタシ様みたいな美少女丸出しなオトメがリアライズしちゃった日にゃあ、そらもうえちえちえろえろな行為に手を染めてしまうクセに~」
「今度はサイズ差を見つめ直す機会を持とうか! 手のひらサイズの図体でアンタなに言ってんの!」
「なにィ!? 人間の性欲の可能性ナメんな! オナホ妖精で検索してみてからモノ言えよ!?」
「だいたい字面でわかるわ! 性癖ジャンルとしてマニアックにもすぎるわ! あ……何のオトメか分かった」
「ほうほう、聞こうじゃないかい、若人さん」
「TENGA――」
ごむす。
口にするが早いか、サガンのちっこい拳が正確に俺の顔面に突き刺さってた。そのサイズと全く比例しない理不尽な破壊力をもって。
「……具体的な商品名出すなや」
「……それは反省してる」
「ったく。『バージンループ』だの『つぼみちゃん』だの言われなかっただけマシかもしらんが」
「うん、いま言っちゃったよね」
あやうくへし折られかけた鼻骨のあたりをさすってると……。
「ありゃ、もうこんな時間」
様々な種類の数字フォントをあしらった服を着たオトメの子が自分の本体――柱時計を指差しながら慌てたように身振り手振りをしてた。
「いっけね」
手早く朝食の残りをかきこみ、身支度を整える。
「ごちそうさま。今朝もありがとな」
キッチンの彼女たち――冷蔵庫、電子レンジ、IHコンロのオトメたちが『どういたしまして』というような笑顔で応えてくれる。
ちなみに全員、普通の女の子サイズ。ちっこいのはサガンだけだ。これもまた『例外』のひとつ。
俺が『オトメが見える』以上、この部屋にはそれなりの数のオトメが存在している。
そう聞けば一人で住むにはちょっと広めの2LDKも、さぞやオトメたちでみっしり詰まった、ちょっとした夢の国的なものを想像した御仁もおられるのかもしれないが……。
大抵のオトメはそこまで自己顕示欲も強くないし、自己主張も激しくない。普段は姿をみせず自分の本体の中に収まっている者のほうが多い。
あくまでもサガンが『例外』なのだ。行動パターンも性格もその暴力性も。
「アンタまたアタシ様をモノローグで雑に扱ってくれちゃないかい?」
それに――。
すっ、と時計の、そしてキッチンのオトメたちの姿が消える。
俺はさっき、サガンが『唯一契約しているオトメ』と言った。
彼女たちとは契約はおろか……名前さえも与えていない。ただその存在を『視た』――認識しただけの状態。
仮契約もそこまで半端な状態では、彼女たちのその存在は希薄なままだ。
俺の左目にだけ映るレベルでの半実体化でさえ数分がやっと。言葉を交わす事もできない。その希薄な状態で、それでも一生懸命に食事だの洗濯だの、だらしない俺の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれようとする。
「ツクモ」
サガンが少しだけマジなトーンで言う。
「名前くらい、与えてあげなよ。そりゃアンタの気持ちもわかるけどさ……」
※ ※ ※
部屋を出て鍵を閉め、外階段を降りていくと……。
「あらツクモくん、おはようございます」
庭先を掃いていた箒の手を止め、笑顔で挨拶してくれたのは、鉄砲形 菖蒲さん――。
俺の住むこの下宿屋の大家さん。正確な年齢は知らないが、とりあえず見た目は二十そこそこの俺よりも若く見えるほど。
ぱっと見ちょっと頼りなく見えてしまうかもしれないが、その実、細腕一本、たった一人でここを切り盛りしているのが彼女なのだ。
「あらあら、今日だったのね、初出勤」
「やめてくださいって、まだ働くかどうかも決めてないのに」
「うふふ♪ あらぁ、でもぉ……それじゃちょっと困っちゃったかなぁ」
あやめさんがちょっとだけ眉を寄せたのを見て、俺はなんとなく察する。
「ああ、時間ならまだ余裕見てますから大丈夫っすよ」
「本当? それじゃあ……またちょっと頼まれてくれるぅ?」