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「どうなさいましたか?」

 レジの店員さんは、きょとんとした表情を浮かべて私のほうにレジ袋を差し出していた。私は小さくすみません、とつぶやいてレジ袋を受け取ると、逃げるようにしてコンビニの自動ドアをくぐって、冷房の効いた室内から外に出た。もう一度、夏夜の熱気が私を包み込んだ。

 夕ご飯を買いに出ただけなのに、思ったより遠くまで歩いてきてしまった。近くの交差点には信号がなくて、何人かの警備員の人が赤色のライトで車と人を誘導しているのが見えた。さっきより、ずっと多くの人や車が行き来していた。もう少し歩けば、花火が見える堤防に出られるのだ。

 私は人だかりの背を向けて、もと来た道を引き返した。背後から、どん、という低い破裂音と、はにぎやかな話し声が私を追い立てた。下を向いて歩いていたから、目の前から誰かが歩いてきたことに気付いたのは、視界の片隅に見覚えのあるサンダルの柄が見えてからだった。

「来たんじゃん」

 耳に心地いいよく通る声は、少しだけ笑いを含んで揺れていた。子供のいたずらを見つけたみたいな笑みを浮かべて私を見上げていたのは日名子だった。

 日名子は大きく一歩を踏み出すと、すれ違いざまに私の手首をつかんだ。そのまま速足で歩きだすから、私は抵抗する間もなく、小さな背中に引っ張られて歩きだした。

「行こう、早くしないと終わるよ」

 やわらかい素材のサンダルが、歩くたびにぺたぺたと間の抜けた音を立てた。ずっと一人でいたから、話の仕方さえ少しぎこちなくなる。

「ごめん、電話、くれたのに」

「え、何? 聞こえない」

 堤防に上がる緩やかなスロープを歩く。ここを登り切れば、もう見えるのだ。日名子はまだ私の手首をつかんでいたが、痛い、とつぶやくと離してくれた。日名子は、また速足で私の前を歩く。

「あのさ」

 前を向いたままでも、日名子の声はよく聞こえた。

「茅野の良さがわかんない奴なんて、みんなクソヤローだよ」

 最初は何を言われているのかわからなかった。数秒経って、日名子がずっとその話をしようとしていたことにようやく気が付いた。

「私も悪かったんだよ。気づかないうちに、嫌なことをしてたのかもね」

 日名子は考えた風に私のほうを眺めていた。それから、

「茅野は悪くない」

 根拠なんて一つもない主張なのに、その一言は私の心をすっと軽くした。こういう時、私はこの小さな背中が友達でよかったと思う。

「前沢が悪いってことにしとこう」

 私たちはもう堤防の上に出ていたた。遠くで、見覚えのある四・五人の集団がはしゃいでいるのが見えた。そのうちの一人が、私と日名子に気付いて手を振った。

「でも」

 私はこの期に及んでも、まだ善人のふりをしてふるまうことばかりを考えている。

 ひゅうう、と、花火の玉が笛のような音を奏でて宙へ放たれた。堤防にいる人たちはみんな一斉にその音に耳を傾けて、一瞬の静けさが周囲を覆った。

「少なくとも、今くらいはいいんじゃない」

 今までで一番大きな爆発音が、私の体を震わせた。うっすらと残るまっすぐな軌跡の先で、色とりどりの火花が勢いよく飛び散り、巨大な炎の花を夜空に咲かせた。

 周囲からは小さな歓声と拍手が巻き起こる。私は、滑らかな曲線を描いて夜空に消えていく火花の軌跡をずっと眺めていた。

 日名子も夜空を眺めていた。ずっと黙っていたと思ったら、ふいに私のほうを向いて、

「終わっちゃったじゃん、茅野が早く来ないから」

 文句を言う日名子に、私はごめんと謝った。茅野のごめんは信用できないからなーとぼやく。果たしは思わず、自分の頬が緩むのを感じていた。

「また来年も、来よう」

 そう私がつぶやくと、日名子は、はっとしたようにこちらを見て、それから歯を見せて笑った。

「来年は、ちゃんと電話でてね」

 ごめんって言ってるのに、と、私は勝ち目のない反論で応戦する。日名子は私の話をもう聞いていなくて、遠くではしゃいでいた友達たちに大声で何か叫んでいた。

「行こう、これから宅飲みするから」

 日名子は足早に彼女たちのほうに歩いていく。私はその後についていきながら、もう一度夜空を見上げた。

 今年は花火なんて見ないと決めていたのに、最後の一番大きな一発をこの目に納めてしまった。その余韻は、心に強く刻まれて消えそうにない。

 今この瞬間に肌に感じる暑さを、目に移った風景を、心のどこかでくすぶるどうしようもない気持ちを、何年、何十年たった後も、何度でも、鮮明に思い出すことができると私は確信していた。

 果たされない約束、浅はかな策略、鳴り続ける着信音、夏の夜のうだるような暑さ、夜空に向けて打ち上がる軌跡、楽しいことや、嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、すべてを夏の夜空に打ち上げて、花火は色とりどりの光を放つのだ。

 早くー、と遠くから呼び掛ける声に急かされて、私は慌てて駆け出した。

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