ななつ。
「なぁ、薫子」
「……へっ?」
明日のお菓子の下準備をしていたら、突然はるに声をかけられた。
耳元で言われたのが不意打ちすぎて、調理用のお箸を取り落としそうになる。
「ったく、お前……さっきから10回くらい呼んでるんだけど」
「うっそだぁ」
またいつもみたいにふざけてるんだと、軽く背中を叩いた。
久しぶりにじっくりと見たはるの背中は記憶にあるものよりもずっと大きくて、頼もしそうだった。
まだぼーっとしている私の顔を覗き込んで、心配そうに、でも少し怒ったようにこう言う。
「なあ薫子、なに考えてる?」
「………なんも。」
ちょっと機嫌の悪そうなはるの顔を見るのが苦しくなったから、粉っぽい木目の床を見る。
小さい頃からずっとみていた床。怒られた時に見ていたここだけは何年経っても変わらなかった。
・・・
結局そのままはるはいつもの場所に戻っていって、がらんとした調理場に私一人が残された。
お菓子の試作を再開しようとしたら、少し視界がぼやけていた。
「なんも」なんて嘘だ。
お菓子作りの手がたびたび止まっていたのは、自分でもわかってる。
本当は『会いたいな』なんて、思っちゃってた。
馬鹿みたい。
一緒に雨宿りをしただけの、なんてことない、ただの常連さんなのに。
ぼやけていた視界の原因に気がついて、私は持っていた泡立て器を取り落とした。
久々の更新でした。
この小説は天川奏さんとの共同執筆です。