むっつ。
「くしゅん」
あたたかさより見た目を重視した店用の着物を着てきたせいか、少し肌寒くなってきて小さなくしゃみが出た。
どうやら彼には聞こえていなかったようで、彼は少し空の方を見上げたあとにまた口を開く。
「それから……」
ちょっと苦しそうな顔をしたのは、気のせいだろうか。
次に続く言葉を、じっと待つ。
「きっとその人は、君の事を__」
そこまで言って彼は、また口を閉じた。
頬を流れる雨粒は涙のようで、よく分からない気持ちがどうしようもなくなって私も雨の中に出る。
「えっと、響さん?」
固まってなにか考え込んでいる彼が心配になった私は、なにげなく彼の袖を引いてみた。
はっとこちらを向いたその顔は、まだ少し苦しそうで。
そんな思いを飲み込んで袖から手を放した。
「いや、何でもない……」
消え入りそうな顔でそう答えた後、彼の顔はまた上に向いた。
苦しそうだった表情がちょっとずつ、雨に流されていく。一緒になって上を見上げれば、今まで全く気付くことのなかった、美しい景色が目に入った。
雲の合間からわずかに顔を出す光だとか。
その光で反射して、ビー玉のように輝く雨粒だとか。
雨の中を懸命に飛ぶ、小さな鳥の姿だとか。
彼が見ているのはこれだろうか、そう思うと次第に雨の日がまんざらでもなくなってくる。
「響さんは、雨が好きなんですか?」
「うん、音も匂いも、全部……ううん、濡れるのは好きじゃないかも。」
彼はこっちに視線を戻して、大げさな動きで苦笑する。
濡れるのが嫌いじゃないと聞いて、ちょっと共感を覚えてしまった。
忘れかけていた湿気で髪の毛が大変なことになっていることを思い出して、また下を向く。
靴ずれをおこした右足には、うっすらと血がにじんでいた。
「私も、濡れるのは好きじゃないです。湿気とか……」
それでも、話すときに下を向きっぱなしではきっとよくないのであきらめて彼のほうを向く。
とめどなく降り続ける雨のせいでよく見えなかったけれど、目が、合ったような気がした。
「でも響さんが言うなら、私も、好きになれるような気がします……」
「そっか……」
どうしてそんな言葉が口から出たのかわからなくて、なんだか恥ずかしくなってまた視線は地面に移る。
ふんわりと柔らかい風が吹いてきて、まわりに広がっていた雨の音が少し弱まった気がした。
「そろそろ止むね。僕、送っていくよ」
「いっ、いやいや、そんな悪いです……!」
そういえば、お店のほうは大丈夫かな。そんなことを考えていた時ににこんな言葉がかけられたので、心底驚いて手をぶんぶんと振る。
焦ると動きが速くなるという自分でも自覚していない癖を教えてくれたのは はる だったのを思い出す。
私の必至な遠慮なんて気にもとめず、彼はずんずんと来た道を戻っていく。
私も観念してそれに続いた。
「有り難う、ございます……」
そこまでの道のりで話したのはこれだけで、あとはずっと居心地のいい沈黙が続いていた。
沈黙って居心地の悪いものだった気がするんだけどな。
店へ着くとあきれたように腕を組んだ はる が立っていた。
私のほうを見てから隣にいるお客さんのほうに視線を移してお辞儀をする。
「お前、どこ行ってたんだよ……! あと……お客さん……」
「ふふっ、こちら響さんって言うの」
うちの店にもお客さんが来ているのがうれしくて、私は大丈夫だよ、と伝える意味で彼のことを紹介する。
ちょっと不服そうな顔をしていた はる にはもしかしたら伝わっていなかったのかもしれない。
「えっと……」
隣にいた響さんも続いてお辞儀をした。
ちょっと はる のほうへ駆け寄って、お店で何もなかったかを聞いて、店を開けてしまっていたことを謝る。
「雨降ってきて、ちょっと一緒に雨宿りしてたの。ごめんね」
「えっ……と……」
はる がそのとき少し悲しそうな顔をしたように見えたのはどうしてと、聞く気になれなかったのはなんでなんだろう。