冷たい水と君の手
よく喉が乾く夏に君は僕に微笑んだ。
アスファルトが太陽の熱を目一杯飲み込んで、ぶわっと吐き出すから
どうにもこうにも僕の体は毛穴という毛穴から汗が滴る。
逃げ場のない熱気に滅入っていた。
声もでないほどに乾く喉をどうにかしようとふらふらさ迷っていたその時に
君は真っ白なワンピースをふわりと広げながら僕の方を振り返る。
「水、いる?」
ああ、いるとも。何せ君が連れてきたこの場所はアスファルトやコンクリートばかりで緑1つない。
足の先から溶けていってしまいそうだ。
「暑い?」
暑い、暑いよ。
だと言うのに君はどうしてそんなに幸せそうなの?
僕の苦しみは1ミリも君に伝わらない。
自販機だってコンビニだってましてや川や海もない。
ねえ、なんでもするよ、なんでもするから僕に少しの水をくれないか。
「あげない。それにたとえそれらがあっても貴方はどう仕様もないでしょう?」
そうだけど。
じゃあ何故こんなところに連れてきたの。
僕は怪物。
僕はばけもの。
見た目だって美しくはないし、手足と呼べるものもない。
人間の形に近いけれどとても醜く、言葉だって上手に紡げやしない。
だからいつもは辺境の里の一等高い山の深い所の暗い、暗い洞窟の中で静かに眠っている。
なのに君はわざわざ僕をここまで連れ出してきた。
どうしてなの。
僕を殺したくなったの。
もう死にそうだし、少し死にたい。
「あのね、暑いを知って欲しかったのよ」
君の寂しげな横顔に、疑問符が浮かぶ。
僕はとうとう耳まで良くなくなってしまったのかな。
君の言っている言葉の意味がわからない。
「知ってた?貴方って生きているの」
肌に纏わりつくようなぬくい風が音もなく僕らの間を横切る。
また一筋汗が垂れる。
「貴方はあの暗くて狭くてさびしい場所でいつも一人、眠っているでしょう。
私が貴方を見つけた時だってそうだったわ…」
そうだね。
君は迷い込んでしまった暗い森の中で泣いていた。
僕はその声に気付かなかったけど、君は僕の喧しいいびきに気付いて寝床にふらふらやってきた。
ざあざあと、今とは真逆の寒い雨の夜。
君に大きく揺すぶられ起こされたとき、僕は不機嫌で喰ってしまおうかと思った。
だけど山の土の汚れの中にある無垢で白い可愛らしい顔に僕は心奪われた。
花のようで、珠のようで、蝶のようで、星のようだった。
ぎゅう、と締め付けられる胸に、不機嫌さはみるみる食べられていったんだ。
そんな君は不安の中で孤独じゃないことに安心して僕に抱きつき懐いて
こうして今日も僕に微笑む。
白いワンピースがとてもよく似合っていることは言いそびれた。
「私はね、貴方が眠っているのが怖いの」
君は顔を上げずに続ける。
「死んでいるのではないか、もう起きないのではないか。
私達は心臓が止まれば死んでしまうけれど
貴方と私達は違うから。
もしかしたら眠り続けることが終わりの時になってしまうのかもしれない。
じゃあ貴方が生きてるのっていつなんだろうって。
でもきっと貴方もわからないでしょう?」
泣きそうな君の声色が熱気と混ざり合う。
一生懸命聴覚が聞きなれた君の言葉を拾って
なけなしの脳みそがそれに意味を見出し僕は理解しようとするけれど、どうにもならない暑さがそれを少しずつ邪魔する。
だけど、君が泣いてしまうのは嫌で、良く分からないままに僕は君に手を伸ばす。
僕は生きてるよ。
「…本当に?」
本当だよ。
「暑い?」
暑いよ。
「喉が渇いた?」
喉が渇いたよ。
「私の事、好き?」
君の事が、好きだ。
とうとう僕の指先は少し離れた君の手に触れる。
そのまま優しく繋いで僕の方へゆっくり引っ張ってみると、促される様に君は僕のことを抱きしめた。
とても暑い。
君は熱いね。
その温度の中に音がする。
君の鼓動が僕のお腹に当たる。
ああ、この子が言いたかったのはこういう事か。
唐突に僕は理解した。
「君は生きているんだね」
自然と漏れた僕の当たり前に、君はゆっくり顔を上げて微笑んだ。
そして潤すには足りないけれど、それでも満たされるくちづけを僕にくれる。
君が好き。
君を好きな僕が好き。
僕を好きな君が好き。
君も僕が好き。
暑い、暑い夏の真ん中。
君は色んなことをこれからもきっと教えてくれる。
灼かれる暑さも凍てつく寒さも、燻るさびしさもとめどない愛しさも。
僕は生きていて、君も生きている。
この鼓動を忘れぬ様に無くさぬ様に、今夜は君と抱き締めあって、眠りにつこう。
満天の星空に包まれながら。