最期の記憶
書き溜めはありません。
更新は依然鈍行です。
せめて準急行くらいにはなりたいです……。
「主文、被告人を死刑に処する」
壮年の裁判官が判決文を読み上げると、満員の傍聴席が静かにざわめく。
最前列で遺影を膝に抱えた喪服の中年夫婦は、肩を震わせながらも一言一句とて聞き逃すまいと正面から視線をそらさない。
その少し後ろには、朗々と読み上げられる判決文をこちらは手元に目を落として一心不乱にペンを走らせる者達がいる。
俺は彼らから更に後方、最後列に腰掛け、俺の後方に立つ学生服の少女と共に判決に耳を傾ける。
「……の命を奪った被告人の犯行は残虐極まりなく、斟酌するべき余地はない。よって……」
狂ったような大声が、読み上げられる判決を遮り、奇声を発する被告人席の若い男は刑務官に両脇を抱えられながら退廷させられていく。
あまりの見苦しさに俺は思わず苦笑が溢れた。
法廷においては些か無神経とも取られかねないが、俺の態度を咎める者は誰もいない。
誰もが口にしないだけで思っているからだ、「自業自得」と。
「ありがとうございました」
後ろを見ると学生服の少女の姿は既に無く、肩を貸し合いながら通りすぎていく夫婦の手の中で遺影が笑っていた。
これからも控訴、上告と裁判は続くだろうが、一先ずは被害者の無念に応えることができたかな。
俺も立ち上がり、聴衆も疎らとなった法廷を彼らに続くこととした。
『……殺人事件で逮捕起訴されていた喜多義武被告に死刑判決が言い渡され……』
『……宅捜索の結果、被告の自宅床下冷蔵庫からは被害者のものと見られる手首が発見されており……』
裁判所から出ると、何社かの報道陣が入り口前に並び、レポーターがお茶の間に向かって情報を発信していた。
ああいうのって建物の中でやったらダメなのかね?
寒い中、ご苦労様。
その姿を尻目に、俺はコートを羽織ると外に向かって歩き出した。
「主任! やりましたね、求刑通りで、痛って」
「ヤマ、不謹慎だぞ。喜ぶようなことじゃねーだろうが」
走り寄ってきた若い男の頭を軽く叩いて窘める。
ヤマ──大和 剛巡査長が主任と呼ぶ俺こと逆鬼 志朗は、警視庁刑事部機動捜査隊に所属する警察官だ。
主任、が示す通り、階級は15年前に昇任して以来変わらず巡査部長止まり。
45歳で主任だから出世コースに乗って無いってのは分かるな。
「今回の件、総監賞が出るらしいですよ! ……一課に。あいつら最初は家出少女の列車自殺で済ませようとしてた癖に、おかしくないですか?! 主任が遺体の手首が無いのに気付いて、被疑者のガサ入れで手首を見つけたからこそなのに!」
振り回す尻尾が見える勢いで追いかけてきたヤマが愚痴をこぼす。
「機捜の仕事は現場を浚って、証拠を見つけて、すぐに被疑者をパクれなきゃ担当に引き継ぐ事だろーが。どこがパクったとか、賞がどうとかどーでもいいことだろ」
「出ましたよ、主任の枯れた発言。もっと功績にがっついてれば、今頃は所轄の副署長でもやっ、痛って!」
うっせ、生意気言いやがって。
別に枯れたつもりはないが、組織でのし上がるとかは正直どうでもいい。
ってか偉くなるのって面倒くさい。
俺の情報が犯人に繋がって逮捕できるなら、手錠を嵌めるのは俺じゃなくていい。
何せ俺自身、教えてもらっているに過ぎないんだからな。
お陰ですっかり変人扱いだが、まあいいさ。
しかしこいつも俺の噂は知っているだろうに、随分と慕ってくれるもんだ。
俺についてても出世はできんし、変人の仲間扱いされるだけだと思うんだが。
一人娘と同い年の新人部下を見ながら、そんなことを考えていると、視線に気付いたのか怪訝な顔をしている。
「何ですか? もしかして娘さんを紹介し「樹海と東京湾どっちがいい?」
「あっ、はい。冗談です、スミマセン」
ちょーーーっと怒っただけなのにそんなにビビるなよ。
柔剣道合わせて8段の人に言われても説得力無いとか聞こえてくるが、その程度なら諦めろ。
……あのニートはもっと強いぞ。
「しっかし、何で主任はあんなに被害者関係のことを割り出せるんですか? しかも殺しの事件ばっかり」
尤もな疑問だ。
だが、答えはたったひとつ、実にシンプルだ。
「いつも言ってるだろ、被害者が全部教えてくれるんだよ」
「死体は語る、ですか。そう簡単には身に付かないですよねえ」
「いや、そういう意味じゃ、ん?」
なんだろう、手招きされてる。
あのオッサン、見覚えがあるような無いような。
あれは、どっちかな?
「お巡りさん、すみません。道をお聞きしたいんですが……」
「ああ、はいはい。何処までですか?」
地理案内とか懐かしいな。
交番巡査だった頃はよく聞かれ……、俺今制服じゃないぞ?
なん……で?
「あの世までの行き方を、よ。逆鬼ィィィ!!」
ドンッ! と突き上げるような衝撃。
突如腹を焼くような痛みが走る。
「ガっ! あグあぁぁあ!」
熱──ッ──痛──ッ!
痛ってえぇぇェェェ!!
腹が……裂けて、押さえても、止まらな……。
うわ、腸ってこんなに熱いのか。
ヤベ、これ無理かも……。
「主任?! 主任!!」
ヤマの声が近い。
馬鹿野郎!
俺の心配してる前に、あのバカを捕まえやがれ!
馬鹿でかい包丁、牛刀って言うのか、を持ったままヘラヘラ笑ってやがる。
通行人が襲われたらどうするつもりだ!
てめえら、うるせえ!
俺が死ぬのがそんなに嬉しいかよ!!
てめえらは全員、自業自得だろうが!!
アイツ、あれだ、名前忘れたけど珍しく俺が手錠を嵌めた殺しの被疑者だ。
あの野郎、娑婆に出てきてたのかよ。
糞ッ、逃げる気か!
「主任、すぐ救急車を「追え゛ェ!! 大和ォォォ!!」
あ、でもやっぱり救急車は呼んで。
「分かりました! 待てコラァ!」
あぁ、行っちまいやがった。
声が遠ざかっていく。
ヤベぇ、なんか寒くなってきた。
動くのは無理そうだ。
救急車、自分で呼ぶしかないか。
血塗れの手でポケットを探り、なんとかスマートフォンを取り出すが、画面を立ち上げたところで、指が動かなくなる。
ベットリと真っ赤になった画面には、無精髭だらけの自分と、成人式で振袖姿の娘が笑っていた。
画面が滲む。
笑顔がぼやけて見えなくなる。
奇異な目で見られていた俺を慕ってくれた。
血の繋がらない俺を、父と呼んでくれた。
母を亡くして寂しかっただろうに、仕事ばかりで構ってやれず辛かっただろうに、文句ひとつ言わなかった。
それなのに、あの子を独りにしてしまう。
独りは嫌だ。
あんな寂しい、哀しい、そんな思いをこれからあの子に……。
「……くしょぉぉ」
畜生!
畜生!!
畜生ォォォ!!
死ねない!
死にたくない!
「死にたく……ねぇよぉ……」
目の前が暗くなる。
スマートフォンの画面は暗転していた。
路上一面の赤、錆の臭いと鉄の味、固く冷たいアスファルト。
「ごめん、なぁ……み…さ…」
俺の記憶はそこで途切れた。