第4話 流浪の人
光を感じて、薄目を開ける。涼やかな空気が頬を撫でた。丁度、日が昇ったばかりのようだ。静かに寝息を立てる桜お姉ちゃんの髪を優しく撫でながら、僕は身じろぎをしようとする。途端、
「ひにゃっ!?」
……変な声が漏れてしまった。て言うか痛い痛い痛い! 筋肉痛のこと忘れてた! 死ぬほどではないにせよ、筋肉痛特有の形容しがたい痛みが全身を襲う。暫く悶絶しながら、痛みが和らぐのを待った。
ふと、気付く。寝ているところは草原で、木々は殆どない。それなのに、僕の周りには、背中から大きな影が降りている。
後ろに、何か、いる。
冷や汗がぶわっと湧き出た。同時に、寝袋から全力で身体を引っこ抜く。未だ寝ている桜お姉ちゃんを庇いながら、後ろを振り向いた。
そして、見た。2メートルを上回る巨体。鈍く輝く銀の胴体。牛でも真っ二つに出来そうな重厚な大剣。
フルアーマーを纏った巨人、そんな印象を受けた。ソレを前にして、僕は悲鳴を上げた。それに答えるかのように、巨人も咆哮 (?) を返す。
「う、わあああああああああああああ!?」
「きゃああああああああああああああ!?」
……。きゃあ?
**********
「驚かせてしまいましたか。申し訳ありません。私はリリアと申します。不肖ながらハイエルフの血に連なる者です」
鋼の巨人 (?) はそう名乗った。彼女──確認したわけではないが、声からして多分女だろう──は、ちょこんと正座をして僕たちと向かい会っていた。僕たちの悲鳴で飛び起きた桜お姉ちゃんは、まだ眠いのか、僕の腕の中でうとうとしている。
「『調査』してみてもいいですか?」
「どうぞ」
許可が下りたので、早速見てみる。
リリア
種族 ハイエルフ
年齢 約5000歳
能力
筋力 141 (+150)
耐久 110 (+100)
敏捷 198 (-100)
器用 117 (-100)
知能 212
魔力 13
信仰 36
意志 71
魅力 106 (-100)
技能
剣術 ランク2 Lv142
蹂躙突撃 ランク2 Lv120
鉄壁 ランク2 Lv90
語学 ランク2 Lv87
数学 ランク2 Lv86
暗記 ランク2 Lv85
弓術 ランク2 Lv71
戦術 ランク2 Lv64
指揮 ランク2 Lv64
交渉 ランク2 Lv52
調査 ランク1 Lv13
筋力高っ。魔力低っ。技能多っ。そして凄まじい年齢。
「あの……失礼ですが、ハイエルフというのは皆、そのような格好をされるのですか……?」
「いえ。一般的にハイエルフは魔術を得意とし、肉体的には貧弱です。特に剣は野蛮の武器として忌み嫌います。不審に思うのも無理からぬことかと思います」
よかった。この世界のエルフが全員ムキムキマッチョだったらどうしようかと真剣に心配してしまった。
「身の恥を晒すようですが、私は生来魔力に恵まれませんでした。八歳のころ剣を志し、愛用の剣一本を佩いてハイエルフの集落を飛び出したのが十六の春。以来四千と幾余念、剣を頼りに生きて参りました。この鎧は」
言って、鎧を撫でる。
「若かりしころ、さる獣人の国の一武将であったころに、武勲を立てて王より賜ったもの。……尤も、改修に改修を重ねて殆ど原型をとどめておりませんが。今となってはかの国も、遺跡として形を残すばかりです」
……スケールが大きすぎて訳が分からない。
「能力の補正は、鎧によるものですか?」
「はい。この鎧は素早さと技量を犠牲にして攻守の能力を跳ね上げてくれます。私の素の筋力が140。ハイエルフとしては規格外に強いですが、竜種や高等魔族を前にしては赤子にも等しい」
「……竜というのはそれほど強いのですか?」
「ええ。私は生涯で3度、竜を斬りました。初めて竜を前にして実感したことは、ハイエルフという種族の無力さでした。高い魔力を有する竜相手では、ハイエルフの魔術は殆ど効果を発揮しない。逆に、竜種の強靭な肉体は我々を容易く引き千切る」
難儀な話だったが、彼女の語り口にそれほど悲壮感は感じられない。僕の表情を見て言いたいことを察したのか、彼女はくすり、と小さく笑い声を漏らした。
「悲観することばかりではないのですよ。この鎧は、私が出した答えの一つなのです。生身では、恐らくあと1000年修行したところで竜を斬ることは不可能でしょう。けれど、この鎧があれば……」
言葉と同時、巨体が爆発的な速さで飛び上がる。僕の頭上を飛び越え、鋼鉄の巨人は大剣を軽々と振り下ろす。
斬、などというレベルではない。言うならば、爆。隕石が間近に落ちたのかと思うほどの衝撃と轟音に、一瞬意識を刈り取られた。
土煙に咳き込みながらも、彼女の方を見やる。陥没した地面に蹲る影が一つ。いや、二つ、三つ?
目を凝らしてみると、リリアさんの剣が、巨大なトカゲのような生物を真っ二つに断ち切っているのだと分かった。大トカゲの口は唾液を引く牙を晒して大きく開かれ、今にも食いかかってきそうに見えた。流石に、ぞっとする。こんなに近くまで寄られていたのに、全く気付かなかった。異世界というものを甘く見すぎていたようだ。
「……襲われかけていたのですね。助かりました、ありがとうございます」
「いえ。半ば以上パフォーマンスです。実際……あと数歩、そのトカゲが近づいていたら、彼女の術で肉塊にされていたでしょうしね。でしょう?」
リリアさんの言葉に、僕の腕の中で桜お姉ちゃんは、くあ、と欠伸を一つ返したのだった。
**********
「恒常方術?」
「うむ」
大トカゲ──名前はソウゲンアオトカゲというらしい──の肉を煮込みながら、桜お姉ちゃんは僕の問に答える。
「方術の奥義の一つに無心にして術を繰り出す法というのがある。要するに、寝ていようが気絶していようが術を繰り出すための技術じゃ。
原理的には単純で、まずマナを過剰量収束させる。次に効果終了後にマナを取り込んで自己複製するような術をかける。これだけじゃ」
これだけじゃ、とか言われても全然分からないんだけど。
「じゃあ、昨日寝ている間それを?」
「当然じゃろ。だいたいお前は術なしでは死に掛けるんじゃ、対策ぐらい当然とってあるわ」
そりゃそうか。筋肉痛のことで頭が一杯だったけど、僕は常に命の危険に晒されているのだ。いやま、自業自得なんだけど。
「桜さんが他に掛けていたのは、敵意を持って一定距離に近づいたものを自動的に攻撃する術」
「うむ。それとこの子が怖い夢を見たら背中をさすって安心させるための術、この子が寝汗をかいたら拭ってやるための術、この子に蚊が近づいたら爆殺するための術、そして不埒にもこの子のきれいな肌を汚そうとした蚊と接触したことのある蚊を追跡して全て爆殺するための術」
……多っ。多いな! 過保護にも程がある。そして蚊に対して辛辣すぎる。
「……それで? リリアとやら。儂らに接触した理由は何じゃ?」
「大した理由はないです。子供が二人連れでこんなところにいるのを不審に思って様子を見ただけです」
まあ、あんな危険生物がごろごろいる草原に一見ただの子供にしか見えない僕らがいたら普通はそう思うか。ただそこでわざわざ助けに来ようとするあたり、リリアさんの人の良さ、というか馬鹿正直さが伺える。
「……本当にそれだけか?」
桜お姉ちゃんは妙にリリアさんにつっかかる。何か疑わしいようなことでもあっただろうか?
「……何故、日本語を話せるんじゃ?」
あ。あまりにも自然に会話しているから全く気付かなかった。特に術を使っているわけでもないようだし、確かにどうして彼女は日本語を話しているのだろう。その問に対し、リリアさんは平然と、
「昔、習ったからです」
「……習った?」
「はい。この言葉は、チキュウという世界の言語の一つですね? 私はチキュウからの転生者に3人、会いました。チキュウの言語の内、英語、中国語、ベトナム語、ウクライナ語、ロシア語、そして日本語を話せます。語学は、得意ですから」
……とんでもないことをさらっと言う。転生者に関しては、僕と似たような経緯でこの世界に来た人たち、ということだろう。5000年も生きれば、3人ぐらいは会う……かもしれない。けど、その言語をほぼ完璧に使いこなすなんて有り得るのか?
「色々な国を渡り歩いて言葉を学ぶのは昔から好きだったのです。日常会話程度なら、33の世界の700余りの言語を使いこなせます。これはちょっとした自慢ですよ」
全然ちょっとどころではないと思う。知能200越えはまさしく桁が違うな……。
そんなやりとりをしている内に、肉が茹で上がったようだった。
「リリアも食うかの? 茹でただけじゃが」
「ふむ。ではお言葉に甘えまして」
言葉と同時に、ブシュ、と空気が抜けるような音と共に、鎧の前面がゆっくり左右に開く。思ったのだが、鎧というよりはパワードスーツみたいなものに近いのかもしれない。
そうして、中から出てきたのは──。
肩口で切りそろえた銀糸の髪。けぶるような紫の瞳は強い意志を宿して輝いている。優美な顔立ちは繊細さと精悍さが不思議に同居していた。体つきは一目で鍛えていると分かるが、鋭く引き締まっており、ごつさは感じられない。いや、むしろ小柄とさえ言えた。全体的な印象はさながら一本の名剣、といったところか。
まあ、要するに。理想的なロリババアなのでした。
「リリアさん」
「はい? なんでしょうか?」
がし、と両手で握り締めるように彼女の小さな掌を包む。腕の筋肉が筋肉痛を訴えて悲鳴を上げたが、今はそんなものも気にならない。
「僕のハーレムに入ってください。世界で3番目に幸せにしてみせます」
「は……? あ、いや、あの……。えー、3番目と、いうのは……?」
「2番目は桜お姉ちゃん。1番はこんな素敵な人達に愛してもらえるこの僕です」
「は、はあ……。いや、でもその、何故私を……?」
「勿論、貴女の美しさに心を奪われたからです。小さな体に溢れんばかりの気高さ、美しさ、包容力。まさにロリババアの鑑と──」
言葉の途中で、僕のお腹に小さな手が置かれた。リリアさんのものではない。恐る恐る、振り返る。桜お姉ちゃんが、凍りつくような冷ややかな目で、僕を見ていた。
「何を……言っとるんじゃこのドアホがああああああああッ!!」
ガシガシガシガシガシガシガシガシガシガシガシガシ!!!
「ひにゃあああああああああああああああああああああああ!?」
……桜お姉ちゃんに腹筋をこれでもかと言うくらい蹂躙された僕の悲鳴が、青い空に溶けて行ったのだった……。
重装歩兵ってなんか好きだ。FEのアーマーナイトとか。何故か概して不遇だけれど。