4・大好きな、あなたへ
一寸先も見えないような、濃い朝もやに包まれた森の奥深く……。
私こと、フミ―オ・コーサ……ちょ、ちょっと待って……雰囲気違うな……え、えーと……そ、そうそう!私こと、勇者であるところのシャーロット・リリィハートは、ユニコーンならぬ愛馬チャリコーンに跨り、当てもなく一人彷徨っていた……い、言っとくけど、決して迷子になって仲間とはぐれちゃった訳じゃないから!
ま、まあ一人だとちょっと心細くはあるけど、勇者なんだし、何があろうとも恐れる事は……ひ、ひい!い、今あそこの茂み、なんかガサガサッて動かなかった!?も、もし魔物だったりしたらどうしよう……スライムとかゴブリンとか……ま、万が一魔王とかだったりしたなら!!……まあ茂みからひょっこり現れる魔王っていうのもあまりにも威厳が無さすぎるけど……。
顔面蒼白になって震えている私の想像を裏切って、茂みからちょこん、と可愛らしいリスが顔を出すと、そのまま、てててっ、と馬の前を横切って行った。
ふふふ、魔王め……勇者の私に恐れをなしてリスに姿を変えて逃げるとは……ま、まあ今日のところは見逃してあげるわ!……等と謎に勝ち誇っては見たものの、我ながら流石に自分の小心者ぶりが情けなくなってくる。
いけないいけない……しっかりしなさい、フミーオ……じゃなくてシャーロット!何の為にこの魔の森へ足を踏み入れたのか、あなたの使命を思い出して!
そう、勇者の私に課せられた使命……、それは、この森に棲むという悪しき魔女に囚われた姫君を救い出す、という事だった。
姫君……私は実際にお会いしたことはないんだけど、なんでもその類稀なる美しさに心を奪われた者は数知れず、今回の件だって『囚われたのは姫なのか、あるいは魔女の心なのか』、なんて歌いだす吟遊詩人もいるくらいで……そ、そういうのって、なんというか、勇者としてはよろしくないんだけど、百合好きとしては心がくすぐられまくってしまう。
はああ……なんかロマンチックだよね……虜囚と化した姫と、その愛を欲する魔女……くうぅ……たまんない。夏の季刊誌はそのネタで書こうかな……ん?キカンシ……ってなんだっけ?……なんかつい最近、それのせいで大変な目にあったような気がするけど……。な、なんだろう、ここに来て前世の記憶とか蘇ったのかな……は!実は、これって今流行りの異世界転生物とかだったり!?
……って流石に脱線しすぎたわ……今はそんな場合じゃないんだってば!
とはいえ私一人では、姫を助け出すどころか、その痕跡を見つける事だって不可能に近い。ただでさえ木々が生い茂り、昼なお暗い森の中だというのに、更にもやによって視界が遮られているし……。
途方に暮れた私は、姫の残した唯一の手がかりを腰にした革製のポーチから取り出した。
唯一の手がかり……それは、魔女が姫に送ったという、羊皮紙に書かれた何枚もの手紙の束だった。
書いた人間が魔女とはいえ、人に宛てた物を読むのは良心が許さないから読んでないんだけど、なんでもこれって、魔女の姫に対しての想いが書き綴られた恋文なんだって。それにしたってこれだけの量、例え読まなくとも、魔女の王女に対する想いの強さは伝わってくる。魔女とは言えど、恋をしたら一人の女の子なのかも。
それはそうと、もし魔法が使えたなら、この手紙から魔女の魔力か何かを察して後を辿れそうなものだけど……じ、自慢じゃないけど、私に魔法の才能は欠片も備わってないんだよね……。
それにしたって、手紙、か……ん?ま、また何か思い出しそう……しかも今度は最近どころか、現在進行形で大変な思いをしているような……それ以外にも、何故か頭に疑問符を浮かべまくってたような……あ、す、すっごく怖い思いをしてた気までする!
ブンブン、と頭を振って必死にその考えを振り払う……前世だろうとなんだろうと、ただでさえ心細いのに、この上怖かった事まで思い出しちゃったら……私泣き出す自信あるから!
も、もっと何か違う事考えなきゃ……例えば……そう!件の王女がどんな感じの方なのか、想像してみるのなんていいんじゃない?何しろ、魔女すら魅了する、という美貌の持ち主なんだし。
例えば、そうだなあ、スラリとした長身で、長くたおやかな、腰まで伸びた緑の黒髪。前髪はキリっとした凛々しい眉の上で切り揃えられ、クールで切れ長の目に、高く形のいい鼻、陶磁器のような白くきめ細やかな肌で、全体のイメージはこう、白いドレスの似合う、美しい刀身のような……。
「いや、有り得ないっしょ、ブチョー。王女って言うなら、どう考えてもあたしの方がテキニンだと思いますケド?」
そう言いつつ、真っ赤なドレスを着た美しい少女が、唐突に私のイメージを打ち消して脳裏に浮かんだ。
背中に伸びる赤味がかった茶色のロングヘア―。頭頂部付近の両側でその一部を束ねたツーサイドアップと呼ばれる髪型。長い睫毛に縁どられた吊り気味の目に、悪戯っぽく輝く緑の瞳。ツンと高い鼻の下には、情熱的な赤い唇……その美貌も着ている服も、確かに高貴な王女を思わせるんだけど、で、でもなんだろう……彼女から漂う、尋常ならざる、ふ、不埒なオーラは……。
!!こ、これはまさか、噂に聞いたサキュバスって奴!?わ、私ってば、淫魔の類に取り憑かれた!?
邪念を追い払うように、両方のほっぺたを平手でピシャピシャと何回も叩く。その甲斐あってか、少女の幻影が脳裏から薄れていく……不満げに唇を尖らせつつ、最後に「イーッだ!!」と舌を出して。
あ、危なかったわ……大体「ブチョー」って誰の事よ……それにしても、なんだろう……美少女という事を抜きにしても、何かすごく気になる女の子だった……何か、私にとって、とっても大切な存在だったような……。
そ、それはともかく、何だか身の危険も凄く感じたんだけど……や、やだ、鳥肌まで……や、やっぱり淫魔かなんかだったんだわ、うん!
ととと、いけない!怖さを紛らわそうとしたら、違う意味で怖くなっちゃったじゃない!と、というか、今私どの辺にいるのよ……!?
周囲を見渡せば、相変わらず白いもやに阻まれて殆ど視界が効かないものの、生えている植物などから察するに、森のかなり奥の方まで入り込んでいたみたい……ちょ、ちょっと!!これじゃもやが無くとも現在地なんか分からないんじゃない!?
何でもいいから、今どこにいるか分かる目印とか看板みたいなのないの!?ホラ、『こちら森の入り口』とか『この先50メートル先右折』とか、『熊出没注意』、みたいなさ……まあ最後のに関しては、そんな看板があったら余計怖いんだけど!!
その時、どこか近くの茂みがガサガサッと揺れる音がした。くくく、熊!?と、と思ったけど、も、もう騙されるもんですか!ど、どうせまたリスか何か―――……。
「……れか……る……?」
「ひいいいいぃぃぃぃッ!!!!」
突然耳に届いた声に、思わず絶叫してしまう。しょ、しょうがないじゃない!?例え勇者だって怖いものは怖いわよ!!ままま、まさか本当に熊!?……アレ?けど、熊の鳴き声ってこんなんだっけ?
果敢にも逃げもせず、声の方向へと毅然と身構える勇者たる私(ホントは逃げるどころか腰が抜けかけて動けなかったんだけど!)。その私の視線の先、もやの中にはうっすら声の主の影が浮かんでいる。
「……だ……れ……かい……る……?」
ん?なんだろう、熊にしては随分小柄に見える……しかもよく聞けば、若い女性の声……?しかも影も声も、どこか高貴な雰囲気を感じさせるし、それに「誰かいる?」って問いかけてるみたい……。
これってもしや、探していた王女様なんじゃ!?間違いない、どうやって魔女の手を逃れてきたかは知らないけど、私の直感にビンビン来てる!!
「王女様!!こちらです!私、勇者フミ……シャーロットが、あなたをお迎えに参上いたしました!!」
私の声が届いたのか、もやの中にボンヤリと浮かんでいたシルエットが、こちらに歩み寄ってきたようで、徐々にその濃さを増していく。
やがてもやの中から姿を現したのは、美しい青いドレスに身を包んだ一人の少女……幾人もの心を奪い、恐ろしい魔女すらも虜にする美貌という噂にたがわず、髪の毛は短めのショートカット、日に焼けた健康的な肌、悪戯っぽい二重の瞳の上には少し太めの眉が乗り、そう、まるで腕白な少年みたいな―――ん?
そして彼女は、私に向かって軽く手を上げると、明るい声で言い放った。
「ちゃーっす!誰かいるかーい?」
「あ、あ、あ、あ、葵!!??」
ガシャーン!!
あまりの衝撃に一気に妄想から現実に引き戻された私は、愛馬チャリコーン……もとい、愛用の通学用自転車ごと、朝もやの中、ごみ収集所に突っ込んだのだった。
*****
「いたたたたた……」
ゴミの山の中から何とか身体を起こす私……と、とりあえず、どこにも怪我はしてないみたいね。自転車もどうやら無事みたいだし、今日が燃えるゴミの日で良かった……と、思ったけど、な、何コレ!?体中あちこちに臭い汁みたいなのが……うえぇ、生ゴミの袋でも破けたのかな。
こんな格好、早苗に見られたらなんと言われるやら。まだあの子が起きてない時間帯で助かった。早く帰ってお風呂入らなきゃ……寝不足でボーっとした頭もスッキリさせたいしね。何しろ自転車で走りながら夢うつつになるような状況だし。
とと、一応、夢から覚めたか現状確認。私の名前はシャーロット・リリ……じゃなかった、香坂史緒。清潤女子高等学園二年生で、文芸部部長。
今私がいるのは、駅前の、雑多な店が立ち並ぶ、寿通り商店街。スマートフォンで時刻を確認すると、現在の時刻は早朝5時30分を回ったところ。だけど、もう5月に入ったからか、日の出は早く、うっすらと辺りは白んではきている。
けど、先程までの妄想と同じように朝もやが濃く、一寸先も見えない、という程ではないものの、何メートルか離れるとぼんやりとしか視認できない。さすがに道に迷う、なんて事は無いと思うけど。寿通り商店街を抜けるだけだしね。
さて、何故私がこんな早朝からこんな場所にいるのか、夢から覚めているかの確認がてら、記憶を辿っていく事にする。
「……史緒、本当に帰る気なのか?もう時間も時間だし、あたしの家で寝てけばいいんじゃないか?家には泊まるって伝えたんだろ?」
ついさっき、私を自宅の前まで見送ってくれた佐久間葵は、心配そうな顔でそう言った。
「ううん、平気平気!それにホラ、今日の授業の支度だって出来てないしさ。シャワーだって浴びたいしね!」
まあ本音を言うと、昨夜、葵の家に泊まるかも、と伝えた時の、お母さんとその背後で聞き耳を立てていたと思われる早苗の声から、ただならぬ嫉妬の気配を感じ取ったからなんだけどね……。
ただでさえここ何日間か、放課後は遅くまで葵の家でラブレターを作成してきて、お母さんと早苗から『なぜ家に葵を呼ばないのか』という無言のプレッシャーをかけられ、針のむしろに座らせられているかのような精神的苦痛を与えられてきたのだ。これ以上のストレスは極力避けたい……。
ただ、その私の大いなる犠牲によって(大袈裟だけどさ)、吃驚仰天、驚天動地の万歳三唱、ついに、ついに、葵のラブレターが完成したのだ!!
嗚呼、ここに至るまでなんという長い道のりだった事か……思い返せば涙が出そうになるわ。たかが数枚、されど数枚。世のラブレターを書く恋する少女達皆に心からの敬意を表したい気分。最も、告白を気恥ずかしいからって食べ物に例えて誤魔化そうとする子も、それを必死に修正する子もそうそういないでしょうけどね。
「ならせめて送ってくよ。あんた一人じゃ危ないし……もやも凄く出てるしさ」
「大丈夫だって!もう明るくなり始めてるし。それにホラ、葵だって疲れ切ってるでしょ。少しは休まないと」
多分私もひどい状況だとは思うのだけれど、葵は連日の執筆作業による睡眠不足で、髪はボサボサ、目の下は隈で真っ黒、疲労困憊でやつれ果てて、12ラウンド戦い抜いたボクサーのような様相だ。
それでも、「けどさ……」と言いかける葵の言葉を遮るように、私は極力明るい声で、
「それに、葵、今日の放課後、手紙渡しに行くつもりなんでしょ?」
「ああ。ホラ、『鉄板焼きは熱いうちに食え』とも言うしな」
「あー……『鉄は熱いうちに打て』、ね……まあともかく、だったらせめて少しでも寝て、コンディションを整えないと」
完成してすぐ渡しに行くというのも気が早い、とも思うのだが、葵に言わせると、書き上げてから日にちを置いてしまうと、逆に渡しそびれちゃいそうで……という事だった。まあ確かに、善は急げとも言うしね。勢いで行っちゃうのも、時には必要な事かもしれない。手元に置いてるうちに自信を無くして、また修正に次ぐ修正、なんてのも創作活動やってるとあるあるだし。
「……うん、分かった。けど、本当に気を付けて帰るんだよ?ボケーッとして、夢でも見ながら自転車漕いで、そんでゴミの山に突っ込んだりしないように」
「もう!葵ってば心配し過ぎ!さすがの私でもそこまでドジじゃないって!」
……今考えれば、そこまでドジだったんだな、私って……。
「あ、そうそう。それから、今日の放課後は私も一緒に行くからね」
「え?い、いくら何でも、あんたをそこまで付き合わせるわけには―――」
「逆よ。ここまで一緒に頑張って来たんだもん、どうせなら店の前まででも見届けたいの。ダメ?」
私の言葉に、一瞬考えこんだ葵だったけど、ふう、と息を吐き出して、二ッと微笑んだ。
「うんにゃ、逆に助かるかもな。あんたの手前、あたしもビビって敵前逃亡、なんてカッコ悪い真似は出来ないだろうし」
「敵前逃亡って……それに、葵そんなキャラじゃないでしょ」
「―――そうでもないよ」
葵はそう言うと、私の頭に手を置いて、クシャクシャッとかき混ぜるように撫でた。けど、何というかいつもの様に乱暴ではなくて、気のせいか、どことなく優しさが感じられる。
あ、なんだろ……葵と知り合って二年経つけど、何となく今、彼女が女の子達に人気がある理由が分かった気がする。普段からこうなら、私も葵を怖がらなくて済むのに……ま、そんなのはどう考えたって葵じゃないんだけどさ。
「それじゃ、私行くね。ホント、葵こそ少しだけでも寝てよ?眠れなかったら横になるだけでいいから」
「あいよ……その……史緒、今回はあんがとな」
鼻の頭を搔きながら、照れたようにお礼の言葉を口にする葵……もう、なんか調子狂っちゃうな。なんかこう、こっちまで気恥ずかしくなってくるじゃないの。
そんな気持ちを誤魔化すように、自転車のスタンドを倒し、片手でハンドルを握ると、私はもう片方の手を彼女に向けて振った。
「おやすみ、葵。また学校で」
「おやすみ……ホント、気を付けて帰れよ!」
こうして私は葵と別れ、朝もやに包まれた道を、我が家へと向けペダルを漕ぎ出したのだった。
そして現在、私は服に付いたゴミを必死に手で払い落しているわけで……ホント、制服で葵の家に行かなくて良かった……。
もう自転車に乗るのも怖いので、今度はゆっくりと押しながら、恐る恐る朝もやの中を進んで行く……さすがに怖がり過ぎかとも思うけどね。ま、これならもうゴミに突っ込んだりはしないでしょ。
それにしたって、本当に凄いもやだなあ……こんなの見たの生まれて初めてかも。通い慣れてる道だからいいけどさ、知らないとこだったら危ないとこ……早朝とはいえ、車の影も見えないし、このままだと、ひょっとしたら休校になっちゃうんじゃないの?なんだったら、電車だって動いてるかどうか……。
ちょうど駅前に差し掛かったので、そちらの方に目をやると、始発はどうやら動いていたようで、改札辺りから出てくる人影が、もやの中にうっすらと見て取れる。すご……線路があるとはいえ、危なくないのかな?まあこの後運行するかどうかは分からないけど。
―――ん?
駅から出てくる人影の中に、一瞬見慣れた制服があったような気がして、私は眼鏡の下の目を凝らす……アロエグリーンの襟とスカート……あれって間違いなく清潤の制服だよね……?
勿論、清潤にだって運動部はあるし、朝練とかで登校が早い子だっているだろう。けど、さすがに始発でっていうのは早過ぎない……?わざわざ遅れないように、って電車に乗ったにしろ、このもやじゃ朝練があるかどうかだって怪しいしさ……。
寝不足のせいもあるのだろうか、変に好奇心を刺激され、見失わないように、とサドルにまたがり、静かにペダルを漕ぎ出す。
制服姿のシルエットを凝視していると、ふとその少女にも見覚えがあるような気までしてきた。勿論、細かいディテールまでは分からないけど、あの歩き方……まさかそんなはずが無いよね?
だって―――彼女が今ここにいる筈が無いもの。
おかしな考えを振り払うように首を振り、それでももう一度少女を観察しようとしたものの、残念ながら、もうその姿は朝もやの中に消えてしまっていた。
あれ?そんな……清潤に行くならこの道に進む筈だよね?……それとも私、また夢でも見た?
首を捻りつつ、前に向き直った途端、私の目に飛び込んできたのは―――。
ガシャーン!!
朝もやの中にけたたましい音を響かせ、私は再び、ゴミの山の中に突っ込んでいた。
*****
一日の授業を終えて放課後―――空は雲一つない快晴、どことなく初夏の匂いを感じる爽やかな午後。
ホント、今朝の朝もやは一体何だったのよ……ま、朝日が昇るころにはすっかり姿を消してたらしいけど。それで休校にならなかったのは良かったけどね。
さて、気持ちのいい太陽の日差しの下にはそぐわない、満身創痍の擬人化みたいな二人組、心身共にボロボロな状態の私と葵は今、寿通り商店街の入り口に立っていた。
「ぐあぁぁ!か、身体が焼き尽くされる……お、おのれ……太陽め……!!」
「き、吸血鬼か!大体吸血鬼ってのは、美男美女ってのが相場だぞ。史緒みたいな、ちんちくりんの吸血鬼がいるもんかよ。あたしならまだ話も分かるけどな」
く……それを言うなら、葵だって美男美女じゃなくて、美男女みたいなもんじゃないの……今朝の妄想があったから「美」だけは許してあげてもいいけどさ。
何にせよ、二人揃ってヨレヨレのフラフラなのは間違いない。私は今朝、何とか家に帰りついたものの、シャワーを浴びてやっと寝ついたところを、お母さんと早苗に叩き起こされ、葵と何をして来たのか質問責めにされて、仮眠もろくに取れなかった……葵もあの後、ラブレターを渡す事を考えて、殆ど眠れなかったらしい。
授業中や昼休みにうつらうつらと居眠りをしてしまったが、当然その程度では、精神的にも肉体的にも、溜まりに溜まったここ数日間の疲れを取るには至らなかった……そこに来てこの日差しは、吸血鬼ならずとも、オーバーキル必至というものだ。
私と葵はにっくき直射日光からの攻撃を避け、なるべく日陰を選んでコソコソと歩を進めていく。
「……ねえ葵、思ったんだけど、これじゃ私達、吸血鬼というよりゴ〇〇リみたいだよね……」
「ヤな事言うなよ!……まああたしもちょっとは思ったけどさ……せめてそうだな、例えるなら尾行中の探偵とか、マスコミとか……あっ!」
「な、何よ急に大声出して……?」
「探偵とかマスコミで思い出した。沢渡だよ、沢渡」
沢渡さん?何で急に彼女の名前が出てくるんだろう……というか、思い出すきっかけがゴ〇〇リって……余りにも彼女が可哀想じゃない……?仕方ない、伏字部分を消すと「ゴスロリ」という事にでもしておきましょうか……まあ彼女にそのイメージは無いけどさ。
脱線する私を他所に、葵は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「何か知んないけどさ、あいつ最近あたしの周りをちょろちょろしてたんだよね……しかも手帳みたいなの手に持ってさ」
うぇ!?沢渡さん、葵の事まで嗅ぎまわってたんだ!それは……命知らずというか何というか……。
「そんでさ、『何か用か?』っつっても、『その、部長と副部長ってどんな関係なんすか?』って誤魔化してきてさ。そりゃ、部長と副部長の関係に決まってんじゃん、って」
いや……多分それ、誤魔化しじゃなくて直球そのままの質問だと思うけど……ま、まあ葵にそんなこと言っても分かるわけないか……。
「おまけにさ、『髪を振り乱した、この世のものとは思えない、妖女みたいな知り合いいないすか?』なんて言い出すんだぞ。バカバカしい……トンチンカンな知り合いは、史緒一人で間に合ってるっつーの」
う、うわぁ……沢渡さんって、インタビュアーの才能が壊滅的にないんじゃないの……?よく今まで色んな人に取材してこれたものね……。
史緒の場合、妖女ってより、小さい方の幼女だけどな、と言って、ははは、と笑う葵……言っときますけど、一つも上手くないからね、それ!
ま、まあ葵がこんな暢気な態度なのも、あの妖女の事を良く知らないからだし……。言ってあげた方がいいのかな……けど、確たる証拠もなしに忠告しても、葵は信じてくれそうもないんだよね……。
葵はひとしきり笑った後、私を見つめると、急に真剣な顔つきになった。
「……けどね、こっから妙なんだけど。今日もまた尾行でもしてきたら面倒だな、って思ってさ。釘を刺しに、文芸部の部室に行ってきたんだよ」
「あ、だから葵、放課後の待ち合わせに少し遅れたんだ。で、沢渡さんはいたの?」
「うん、沢渡のヤツ、いたはいたんだけどさ……」
急にトーンを下げていく葵の声。それとともに、日陰だからという理由だけではない、ゾワゾワとした謎の寒気が私の背中を走っていく。
うわ……この雰囲気の出方……最近何度か覚えがあるじゃないの……。
「……その時、部室には沢渡しかいなかったんだけど、あいつこのいい天気なのに、何故かブルブル震えてて……」
「う、うん……そ、それで?」
「見たら顔色も真っ青でさ……部室に入ったあたしを見るなり『ぎゃあああ!!』って叫んで、そのままどっかに行っちゃったんだよ」
「え!?」
おかしい……いつも虐げられている私ならともかく、沢渡さんには葵を見て叫び出す理由も、逃げ出す理由も無いはず……というか、あの子葵の隠れファンじゃなかったっけ?
「……そしたら、沢渡が部室から出ていく時に、チラッと見えたんだけど……」
「み、見えたって……な、何がよ?」
「……沢渡のヤツ、手に持ってたんだよ。思い出したくもない、あの……」
そこで一旦話を止める葵。私も思わず、ゴクリと大きな音を立てて生唾を飲み込む。
「『真っ赤な封筒』を―――!!」
「どひいいいいいいぃぃぃぃッ!!!!」
私の絶叫に驚いた周囲の人達が、何事かとこっちに視線を送ってくるのを感じる。しかし、今の私にはそれを恥ずかしがっている余裕もなければ、「どひいいぃぃッ!!」という叫び声はうら若き乙女としてはどうなのか、と疑問を抱く暇も微塵もない……ま、『真っ赤な封筒』ってアレだよね……?葵が中学時代にもらったって言ってた、きょ、きょ、恐怖のラブレター……。
「大声出しすぎだろ、史緒。ちょっと落ち着けって」
「……だだだだ、だって葵、そそそそそれって―――」
「んー。ま、あたしの見間違いだとは思うんだけどね。大体、もし仮にあの時の手紙だと考えたら、沢渡に出す理由が無いだろ」
「ま、まあ、それはそうだけど……」
確かに葵の言う通り、葵へのラブレターだったとしたら、それを沢渡さんに送る理由が分からない……もしかして、彼女に鞍替えでもしたのかな……というのは無理矢理が過ぎるか……。
けど、こないだ沢渡さんが話してた事も引っかかるんだよね……他の女性からの葵へのラブレターを燃やしていた妖女……彼女がもし『真っ赤な封筒のラブレター』の差出人だとしたら……やっぱり清潤の生徒って事になるの?
「それでも一応話を聞こうと、沢渡の奴を追いかけたんだけどさ。あいつ、逃げ足の速さが尋常じゃなくて……」
「え!?葵の足でも追いつけなかったって……沢渡さん、どれだけ必死だったのよ……」
「ま、沢渡に追い回されずに済むなら、あたしとしては逆に好都合だけどな」
怯えてる私とは対照的に、葵は暢気にそんな事を言っている……うーん、葵は今もその子が葵を追いかけてるかもしれないって知らないし、そりゃそんなに怖がらないか……それに、確証もまだないしね……。ここは黙っておいた方が良さげかなあ……それに、もし何かあったとしても、腕っぷし自慢の葵なら大丈夫だと思うし……。
とはいえ、気になることは気になるし、ちょっと沢渡さんに話を聞いてみるのもいいかもしれない。そりゃ勿論、怖いは怖いけど、葵の為だもんね。
「……っと。史緒、ここまででいいよ。後はあたし一人で行く」
葵の声で我に返る。気が付けば目の前の看板には『甘味処 鼈甲屋』の文字……あ、い、いつの間にか着いてたのね。それにしたって、葵意外と冷静じゃない。敵前逃亡とか言ってた割りには……。
そう思って葵を見ると、あ、あれ?そ、その滝のような汗って寝不足の影響!?な、なんか目も泳いでるし、顔色も真っ青……わ!あ、足もガクガク震えて……というか、最早タップダンスでも踊ってるみたいじゃない!
「……あ、葵、本当に一人で大丈夫?ハンカチ持った?ティッシュは?手紙はちゃんと用意してあるの?」
「過保護かよ!大体、あんたと違って、あたしは忘れ物するドジなんかじゃ―――」
そう言って鞄を探っていた葵の顔から、一瞬にして血の気が引く。え、ま、まさか葵―――!?
「な……無い……?確かに今朝入れたはずなのに……」
「い、入れたはずって……そ、それじゃ、どこかに落としてきたって事!?」
「そんな筈……だって、教科書の出し入れの時に確認したけど、最後の授業の時までは、確かに鞄の内ポケットに―――あっ!?」
驚いている葵の視線を追うと、鞄の底、ちょうど内ポケットの辺りにほつれが見える……手紙ならそこから滑り落ちてしまいそうな程の、だ。
もしかして、ここに向かう道すがら、そこから手紙を落としてきてしまったんじゃ……!?私も葵も寝不足と疲労でフラフラだったし、それに気が付かなくても無理はない……。
「ふふふ、史緒、どどど、どうしよう」
「おおおおおおお、落ち着いてよあああああああ、葵。ととととととと、とりあえず来た道を戻って……!!」
「おおお、お前の方が慌ててるじゃないか!」
葵は一旦呼吸を落ち着けると、自分に言い聞かせるように語りだした。
「―――宛名は書いてないけど、差出人のあたしの名前は書いてあるんだ。ひょっとしたら拾った人が交番に届けてくれてるかもしれない」
「そ、そうなんだ……じゃ、じゃあ学校で落としてたとしても、上手く行けば葵のとこに戻ってくるって訳ね」
「ああ。だからとりあえず、来た道を戻りつつ、見当たらなければ交番まで―――」
そこまで葵が話したところで、私の頬を微かな風が撫でた……ような気がした。
「……その必要は……ございません……」
ひ!な、何!?どこから声が―――!!??
突如として聞こえた鈴の音のような声に、驚いてきょろきょろと周囲を見回す私と葵。しかし、どこにも声の主の姿はない。あ、あれ?き、気のせいだったのかな?
「……ここです……」
その声に、視線を周囲から戻すと、いつの間にか私と葵の間に、チョコン、と影が一つ立っていた。背の低い私よりも、ちょっとだけ小さい。
もし清潤の制服を着ていなければ、小学生と間違われるであろう、おかっぱの少女―――うちの部の一年生、円妙寺了子さんだ。
「え、円妙寺さん!?どうしてここに!?」
「佐久間先輩を探していましたら……何やら日陰に隠れるようにしてコソコソ移動している……おかしな二人組がいると聞き及びまして……最近部長と佐久間先輩のお二人は……よく一緒にいらっしゃると……沙弥から聞いていたものですから……そのような奇行に走られるのは……私の知る限りでは……香坂部長しかおられなかったので……」
「おい円妙寺、上級生に対して流石に失礼だろ。それにそれだと、あたしも史緒の同類みたいじゃないか、訂正しろよ!」
「……ちょっと……葵も大概私に失礼じゃない……?」
「確かに……これは失礼をいたしました……」と、細い目をさらに細めて、袖口で口元を抑えてコロコロと笑う円妙寺さん。うーん、本当に失礼と思ってるのかなぁ……どうも読めないんだよね、この子。
まあ奇行に走っていたのは確かではあるから、あまり強くも言えないんだけどさ。
「それはともかく……お二人とも……お探し物は……これではありませんか……?」
「あ!円妙寺、そ、それ……!!」
円妙寺さんが手にしていたのは、初夏を思わせる爽やかな薄い水色の、一通の封筒だった。葵の反応からして、そ、それって―――。
半ば奪い取るかのようにして、強引に円妙寺さんの手から封筒を受け取ると、葵はそれを胸に抱いて、ほぅっと安堵の溜息をついた。
「え、円妙寺さん、こ、この手紙どこにあったの!?」
「……文芸部の部室に……」
「そ、そっか!沢渡を追いかけるのに机の上に放り出していったから、多分その時―――」
円妙寺、感謝するぞ!!と、円妙寺さんの両手を握り、ブンブンと上下させる葵……ちょ、ちょっと大丈夫!?円妙寺さん、脱臼とかしない!?
やっと彼女の手を放して、嬉しそうに封筒を見つめている葵は置いておいて、私は気になっていた事を円妙寺さんに切り出した。
「あ……あのさ、円妙寺さん……そ、その、さっきも名前が出てた、て、鉄砲塚さんの事なんだけど……わ、私の事、な、何か言ってなかった?」
鉄砲塚さんとは、この間部室で一方的に会話を打ち切られてきりだ。下手をすると一日に何度だってあの子からの連絡を伝えてくる私のスマホが、あれ以来パッタリと鳴らなくなっている。
「……ええ……聞いておりますとも……香坂部長が随分と……その……無粋な方でいらっしゃると……」
「ぶ、無粋ってどういう意味よ」
「……お分かりにならない所が……無粋なのですよ……よろしいですか……香坂部長……」
一瞬、円妙寺さんの目が真剣そのものな光を帯びた。もしかしたら、彼女は私に対して、少し怒っているのかもしれない。
「……ああ見えて……沙弥も一人の女の子なのです……それを努々……お忘れになりませぬよう……」
て、鉄砲塚さんが女の子って……そんな当たり前の事、分かってるつもりだけど……?
「……よくお考えになる事です……それでは……私はこれにて……」
疑問符を頭に浮かべた私を他所に、立ち去ろうとする円妙寺さん。私は彼女の背に、待って!と手を伸ばす。
「その、私はまだお礼を言ってなかったから……ありがとうね、円妙寺さん。葵の手紙を拾って、しかもわざわざ届けてくれるなんて」
「構いません……私はただ頼まれただけですので……」
「?え?円妙寺さんが拾ってくれたんじゃんかったの?」
「いいえ……拾ったのは……『し』……」
そこまで口を開きかけて、円妙寺さんは彼女にしては珍しく、「しまった!」という表情を浮かべて口を押さえた。
『し』……!?私の知ってる限りで、文芸部に関係があって、頭文字が『し』の人って……一人しか思い浮かばないんだけど……まさか……?
「……喋り過ぎました……恩着せがましくなりたくないと……口止めをされていたのに……」
「あ!ちょっと待って、円妙寺さん!それって一体誰の事―――」
唐突につむじ風がサッと吹き、私の視界を奪う。次の瞬間、その風に溶け込むかのように、円妙寺さんの姿は私の前からすっかり消え去ってしまっていた……ちょっと……毎回思うんだけど、あの子本当に人間!?狐狸妖怪の類なんじゃないの!?
「おい、史緒。何ボーっとしてんだ?」
「いやだって……円妙寺さんが……あ、葵は気にならないの?」
「円妙寺?あれ、いつの間に帰ったんだ、あいつ。まだ礼を言い足りなかったのに」
円妙寺さんが消え去るところを見ていなかったのか、葵は至極普通の対応……。それにしても、あれでまだお礼が足りなかったんだ。あれ以上両手をブンブン振ったら、脱臼どころか、円妙寺さんの腕がスポンッて取れちゃいそう。
「ま、いいや……じゃあ史緒、あたし行ってくるよ」
葵はそう言うと、薄水色の封筒を片手でキュッと握る。彼女の目には先程までの怯えはなく、決意の光が宿ってた。
「う、うん……そ、その……葵、頑張ってね」
「サンキュ。なーに、大好きな甘い物食べて、手紙を一通渡してくるだけだよ……はは、それにしても、史緒に励まされる日が来るなんて、思ってもみなかったな」
葵はいつもの様に、白い歯を見せてニッと笑うと、私の肩に、ポン、と手を置いた。
「……あのさ……史緒、あたし……あんたが……」
「……え?わ、私が……何?」
私に対して何か言いかけたものの、葵は少し考えこむと、肩に置いた手を戻す。な、何よ!?き、気になるじゃないの!?わ、私ってば、何か葵を怒らせるようなことしたっけ!!?
「……ま、いいや。まだそれを言うには早いしな。全部済んだら、その時また改めて、だ」
少しはにかんだようにそう言うと、葵は私に背を向けて、鼈甲屋へと踏み出した。そして、グッ!と片手の親指を立てて見せる。
「うっし、っと。佐久間葵、一世一代の大勝負、だ……史緒、また明日、学校でな」
「うん、分かった……また明日、ね、葵」
葵の姿が店内に消えても、私はそのまましばらく、鼈甲屋の前から動かなかった……どうか神様、葵の恋が上手く行きますように、と心の中で祈りながら。
*****
葵が鼈甲屋のお姉さんに手紙を渡しに行ってから、数日が経った。ここ何日か天気が良かったのに、打って変わって、今日は朝からずっと雨が降っている。
午前の授業を終え、昼休みを迎えた清潤女子高等学園。私は今、昼食をとるのもそこそこに、一年生のクラスが並ぶ、本校舎の一階へと足を運んでいた。
「しっかし史緒……わざわざ沢渡の様子を見に行こう、なんて、あんたも世話焼きだな」
そう言って、私の傍らに並ぶ葵は大きな欠伸をした……はしたないなあ……これがこないだまでラブレターでドギマギしてた乙女の姿なの……?あの時の葵の爪の垢でも取っといて、煎じて飲ませてやれば良かった。
葵は何とか手紙を渡す事に成功した途端、すっかりいつもの彼女に戻ってしまっていた。まあ渡しただけだから、返事はまだもらってないみたいなんだけどね。
「だってさ、葵は気にならないの?沢渡さん、こないだからずっと部室に顔を出してないんだよ?」
そう、沢渡さんはあの日部室を飛び出して以来、一度も文芸部に顔を出していない。
「つったって、あたしらだってしばらく部室に顔出してなかったし……部活より優先する大事な用事なんて、誰にだってあるだろ」
「そりゃそうかもしれないけどさ……でも……」
「ま、やる事やって最近はヒマだし、あたしも副部長として少しはらしいとこ見せたいから付き合うけどさ」
もしも、だ。沢渡さんが来ない理由が、彼女が手にしていた真っ赤な封筒のせいだとしたなら……私としては、そこに何が書かれていたのか、どうしても確かめておきたい。葵に関係する事かもしれないんだしね……まあ、当の本人が、暢気に私に付いてくるとは思ってもいなかったけど……。
などと考えているうちに、沢渡さんのクラス、一年C組の入り口の前に着いた……ものの、どうやって彼女を呼びだしたらいいものか……まあ文芸部の者ですって言えばいいんだけどさ、葵の姿を見たら、また沢渡さん逃げだしちゃいそうだし……。
そう思って躊躇っていると、いきなり私の前の扉が横へと開いた。
そこに立って、普段は切れ長の吊り目を丸くして私を見下ろしているツーサイドアップの美少女は……。
「あれ!?て、鉄砲塚さん!?沢渡さんと同じクラスだっけ?」
「いや、あたしはこのクラスにヨージがあって……つ、つか、ブチョーこそなんでここに?」
葵のラブレターの推敲作業も済んで、文芸部に顔を出せるようになった私だったが、鉄砲塚さんとは気まずい空気が流れたままで、殆ど会話らしい会話も出来ていなかった。鉄砲塚さんも部室には来るものの、私の事を避けてるようだったしね……。
お互い言葉に詰まってしまい、数秒無言の時が流れる……そこに、業を煮やしたかのように葵が割り込んできた。
「二人とも何黙りこくって見つめ合ってんだよ!おい、鉄砲塚、あたし達は沢渡に用があるんだ。ちょっと呼んできてくれないか?」
その声にハッとしたような鉄砲塚さんは、そのままジト目で葵を睨みつける。
「……サワタリアンなら何日か休んでるみたいですケド……つか、今日もブチョーと佐久間センパイ一緒ですか……仲睦まじくてケッコウですね」
「え!?沢渡さん休んでるの!?」
もしかして彼女の休んでる理由って、例の赤い封筒が原因だったりするのかな……って、っていうか……鉄砲塚さん、まだ葵と私の事、変に勘繰ってるんだ……。
これはなんとか誤解を解かなきゃ……と、私が考えているうちに、葵が不機嫌そうに口を開いた。
「んだよ、鉄砲塚……あたしと史緒が一緒にいるのが、なんか気に食わないのか?」
「別に……。ただ、ブチョーの後ろを金魚のフンみたいにくっついて歩いてる佐久間センパイって、カッコワルイな、って思っただけですケド」
バチバチと音を立てそうなくらいの視線の火花を散らす二人……い、いけない!!このままじゃ、凶暴熊vs化け猫の文芸部最終戦争が勃発してしまう!!ああもう!!いっそ二人が合体してくれたら大熊猫になって可愛いのに!!
どどどどうしよう……!?閃け……閃くのよ私……最近不調だったけど、い、今こそ閃きタイプの真髄を発揮する時でしょ……!!!閃いて……鉄砲塚さんが不機嫌になった元々の原因は―――!!
その時、必死の祈りが通じたか、天啓の如き閃きが私の頭に降臨した。
私は文芸部部長として、竦みそうになる身体を何とか必死に奮い立たせると、二人の間に割り込んでいく。
「ら、ラブレター!!!ててて、鉄砲塚さん!!そ、その、ら、ラブレター、だ、だよね!?」
「え?……と、突然何ですか、ブチョー……?」
「きゅ、急にどうしたんだよ、史緒……?」
ラブレターという単語は、葵にも思いの外効いたようで、二人とも一瞬鼻白んだ。このチャンスを逃すわけにはいかない……私は早口で一気に鉄砲塚さんに捲し立てる。
「そ、その!よ、よく分かんないんだけど、ラブレターに関して私、鉄砲塚さんを怒らせるような事しちゃったんだよね!?ご、ごめんね!円妙寺さんに言われたんだけど、私ホラ、ぶ、無粋だからさ!!」
「ぶ、ブチョー……」
「だ、だからさ!お願い!謝るから機嫌直して……それでどうして怒ったのか聞かせて欲しいの!!わ、私ってば、自分がラブレターなんかもらった事ないから、そういうの疎くって!!」
「ラブレターを……もらった事がない……?」
ちょ、ちょっと!不思議そうな顔で私を見ながら、そこだけ復唱しないでもらえる!?ま、まあ鉄砲塚さんみたいな子には、ラブレターをもらった事が無い人間がいるなんて、考えられないんでしょうけど!!
と、何故か鉄砲塚さんの顔から険しさが消え、みるみる口角が上がっていく。
「ナルホド……そうだったんですね……つか、そりゃ分かんないですよね。ラブレターもらった事が無いんですモン」
「くくく……何度も繰り返さないでよ……!」
「わっかりましたぁ!じゃあここは一つ、あたしがヒトハダ脱ぎますから!!」
「え!!??ちょ、ちょっと鉄砲塚さん!!い、いくらあなたでも、こ、こんな所で脱ぐなんて、そ、その―――」
「いや、そういう意味じゃないだろ、史緒」
葵の冷静なツッコミに我に返る……い、いけない……鉄砲塚さんっていえばその、破廉恥の代名詞みたいなイメージがあるから、つい……。
私の反省などお構いなしに、先程までの仏頂面はどこへやら、今や満面の笑みを浮かべた鉄砲塚さんは、今にも小躍りしそうな様子で、教室へと戻っていく。
「それじゃ、楽しみにしててくださいね、ブチョー!」
そう言ってニコニコしながら手を振ると、鉄砲塚さんは、ピシャン!と教室の扉を閉めた……な、何だったのよ、一体……女心は猫の目の様に変わるって言うけど、いくら猫っぽいからって、鉄砲塚さんのこの変わりようは……。
しばし呆然としていた私達だったが、葵が疲れたように口を開いた。
「なんか……今初めて史緒の苦労が分かった気がするよ……アレの相手するのは大変そうだな……」
何かにつけて小突いてくる、葵の相手するのも大変なんだけどね……という愚痴は何とか胸の中に抑え込み、私はただ「うん……」と小さく頷いた。
「じゃ、じゃあ教室戻ろうか……沢渡さんいないんじゃ仕方ないしさ……」
「だな。ついでに昼飯食い足りなかったから、購買でなんか買ってくか」
「え!?葵さっきコロッケパンと焼きそばパンと、カツサンドにカレーパン、四川風麻婆豆腐パンまで食べてなかったっけ!?」
「デザートがまだだろ。ちょうど最近新発売の、ティラミスパンとみつ豆パンとクリームソーダパンが―――」
「ねえねえ、あの人何やってるんだろ?」
葵の言葉に重なるように、通りすがりの一年生達の会話が聞こえた。
「部外者……だよね?ウチの生徒のお姉さんとか?」
「えー、だったら何であんな思い詰めた顔してるの?」
「っていうか、父兄なら普通に入ってくるでしょ」
その会話が気になったのか、葵の目が彼女達の視線の先を追う。
「騒がしいな……一体誰がいるって―――」
そこまで言ったところで、葵の動きがピタッと止まる。ど、どうしたの?こ、ここからじゃ葵の背中で良く見えないな……?
私が背伸びをしたり身体をずらして窓の向こうを見ようとしている最中、突然葵が凄い勢いで昇降口の方へ走り出した。え!?まさかこの雨の中、外までパンを買いに行くつもりなんじゃ―――。
一体何を見てそんなに急いで……と、葵の見ていた窓の外に目をやると、校庭の向こう側、アーチ状になっている校門の辺りに、綺麗な緑色の傘を差した人影が見える。あれ?あの人どこかで……今日は三つ編みじゃなく髪を垂らしてるけど……もしかしてあれって……鼈甲屋の――……。
その人影が誰かに気が付いた私は、走り出した葵を追って、昇降口の方へと駆け出していた!