3・☆こうさかさなえちゃんへ☆
部室で鉄砲塚さんから彼女宛のラブレターを渡された翌日。
一晩じっくりと考えた末、私はありったけの勇気を振り絞り、葵と一対一で対峙していた。
「―――で、話ってなんだよ、史緒?」
そう言った葵の服装は、いつもの清潤女子学園の制服では無く、あちこち擦り切れたダメージジーンズに、グレーのトレーナーというシンプルなもの。対する私も、ゆったりとしたライトグリーンのロングワンピースという出で立ち。
ここはいつもの文芸部部室ではなく、ピンクの花柄の壁紙に囲まれ、可愛いヌイグルミやクッションがあちこちに飾られた子供部屋―――ご、ゴホン!も、もとい、私の部屋だった。
放課後、部室ではなくここに葵を呼び出したのは理由がある。一つには、いつ誰がやってくるか分らない部室では、あまり込み入った話が出来ない事―――かと言って、朝や休み時間というのも難しい……いつも二度寝して遅れちゃう私や、遅刻ギリギリにやってくる葵と違い、果恵は真面目な子だから、いっつも誰よりも早くから学校にいる上に、私と同じクラスだから、こそこそ葵とラブレターの話なんかしてたらすぐにバレちゃいそうだし。
そしてもう一つ―――これが最大の理由なんだけど、訳あって葵の自転車の修理代を払ったがために、学校帰りに寄り道して相談するには、今の私の懐具合が寂しすぎるから、という事。
こないだ『鼈甲屋』に行った時だって、美味しくてついお金を使い過ぎちゃって……って、ていうか、頼み事するんだからそこは葵が奢ってくれてもいいんじゃないの!?うー……まあそんな事言えやしないんだけどね……。
「うん、実はね……その、ラブレターの代筆の件で、ちょっと……」
「お、出来たのか?じゃあ早速読ませて―――」
「ううん……違うの……あのね、葵。凄く言いにくいんだけど……」
気の弱い私だけど、これだけははっきりと葵に伝えておかなければいけない……絶対にこれだけは、彼女に対してだって譲ることが出来ない。
私は一度深呼吸して覚悟を決めると、真っ直ぐに葵の瞳を見つめた。
「―――取り敢えず、ベッドから降りて、抱きしめてるクマちゃんのヌイグルミ、離してくれないかなあ?」
私の言葉を聞いた葵は、えー……と不満げな表情を浮かべ、ベッドの上でヌイグルミを更に強く抱き締める。ち、ちょっと止めて!な、中の綿がはみ出ちゃいそうでしょ!?心無しかヌイグルミの表情も苦しそうだし……!!
「やだよ。だってコイツこんなにフカフカしてて可愛いんだぞ?手放せる訳ないだろ」
「葵が可愛がってても、私から見たらプロレスの技かけてるようにしか見えないんだって!!あ!ホラ、首がちぎれそうになってるじゃない!?」
ちぇ、っと残念そうにヌイグルミを手放して、葵は私の座るテーブルの前に置かれたクッションへと移動し、胡座をかいて座った。しかし目は次の犠牲者を物色しているが如く、部屋中に飾られたヌイグルミ達に向けて、キョロキョロと落ち着きなく動いていて……。
ど、どうしよう……次に何かあったら、私が身を挺してこの子達を守らないと……負けられない戦いが、ここにある……!!
私の悲愴な決意も知らずに、葵は、はぁ、とウットリしたかのような溜息を漏らした。
「久しぶりに来たけど……本当、あんたの部屋っていいよなあ……あたしから見たら夢の国だよ……」
「大袈裟な……あ、でも葵の部屋って確かにあんまり飾りっ気ないよね。パイプベッドと机と本棚くらいしか無いし……」
「まあね……ってかさ、家にヌイグルミの一つでも置いとこうもんなら、兄貴達にサンドバッグ代わりにボコボコにされて終わりだからね……」
憂鬱そうにそう口にする葵に対し、『私から見たら葵もそう変わらなかったけど』と教えてあげる冷酷さを、幸運なことに私は持ち合わせていなかった。
何か慰めたほうがいいのかな、と思った時、コンコン、とノックの音が響き、ドアが開けられる。そこにいたのは、髪を首筋で一対の短めのお下げに纏めた、贔屓目抜きに見ても可愛らしい、目のパッチリした女の子―――私の小学五年生の妹、早苗だった。
「おねーちゃん、葵ちゃん来てるんだって?これ、お茶とお菓子……」
?あれ?何かいつもと雰囲気違うな……。着てる服も他所行きっぽい薄い水色のシャツに、リボンが沢山付いた洒落た赤いスカートだし……?
早苗は葵の隣に品良く腰を下ろすと、テーブルの上にコーヒーとケーキを置いた。うーん、我が妹ながら出来たいい子だよね……私の日頃の教育の賜物かなあ…って、あ、あれ?素っ気なく私の前に置かれたのは、麦茶とお煎餅だけなんだけど?
葵は隣に座った早苗に手を伸ばすと、爽やかに微笑んで、くしゃくしゃっと彼女の頭を撫でた。
「早苗は本当に良い子だよなあ……あたしもこんな妹が欲しかったよ」
「えへへ……早苗も、葵ちゃんみたいな、おにー……おねーちゃん欲しいなあ……」
葵の言葉に対して、頬を赤らめはにかむ早苗。ハートマークでも飛び交っていそうなその空気に、何やら姉としての危険信号を感じて、慌ててしっしっと手を振って彼女に退室を促す。
「さ、早苗!お姉ちゃん達誰にも邪魔されたくないすっごく真面目なお話があるから!ご、ゴメンね、で、出てってくれるかな!?」
軽く口を尖らせ、不服そうな顔をしたものの、『良い子』と褒めてくれた葵の手前もあるのか、早苗は素直に部屋から出ていった。う、うーん……さ、沢渡さんのメモに、早苗の名前は無かったよね!?
それにしたっていつの間に早苗は葵にあんなに懐いてたんだろう……?多分、葵って、誰にでも無頓着にスキンシップ取るのが始末に負えないんじゃないかな……天然の女たらしみたいな。
「本当にさあ、羨ましいよ、史緒。あんたはあたしの憧れてるもの、全部持ってるもんね。可愛い部屋にヌイグルミ、優しい妹―――それと……女の子っぽさもそうかな」
背後に手を付いて身体を反らせて、葵は天井を見詰めると、何とはなしに語りだした。
「あたしはホラ、家が建築業やっててさ、従業員の人達は男多めだし……家族だって兄貴ばっか三人もいるだろ?むさ苦しい男所帯、って感じでさあ……」
葵の家は『佐久間建設』っていう会社を経営していて、二階建ての自宅に隣接して、プレハブ平屋の事務所が置かれている。確かに何度か遊びに行った時も、作業着を着た体格のいい男の人達が、入れ替り立ち替りで忙しそうに出入りしてたよね。お兄さん達も優しくはしてくれたけど、立派な体格でいかつい感じだったし。
「だからかな……ずっと、女の子女の子したもんに憧れててさ……建築系か経理系の学校に行け、って言う親父や兄貴達の反対を押し切って、お嬢様学校の清潤に入ったのだってそうだし、運動部の勧誘断って『百合部』に入ったのもそう。上手く言えないけどさ、あそこになら、何か、キラキラして、フワフワした、あたしの憧れがあるんじゃないかって、そう思ったから」
……葵が文芸部に入った理由を聞くのも、この一年で初めての事だった。
当たり前の事だけど、葵には葵の理由があって入部してきたんだ……そりゃあその初日に男の子と間違えられたら怒るよね……うう……反省……。
だけど、だったら尚更……。
私は崩していた足を組み直し、正座して葵に向き合った。
「葵、ラブレターの事なんだけど……」
「お、やっと本題?で、進展具合はどうなってんのさ?」
「―――よく聞いてね、葵。ラブレターは代筆なんかじゃなく……あなた自身が書くべき物だと思う」
葵は反らせていた身体を戻し、は?と片眉を上げて、私を見つめ返すと、おどけたような、いつもの私をからかう時の口調で言った。
「……ははぁん、さては書けなくて、投げ出したくなったんだな?ったく、友達甲斐が無いったら―――」
「違うよ、葵。友達だから、私は言ってるの」
「………どういう意味?」
真剣味を帯びた私の声に、流石の葵もふざけている場合じゃないと悟ったのか、姿勢を正す。
「ラブレターって……ううん、相手に想いを伝えるっていうのは……やっぱり人任せにしちゃいけないって、そう思ったから……それじゃ、書けなくて投げ出してるのは葵の方ってなっちゃうもの。違う?」
「……いや、続けて」
腕組みして、神妙な顔つきで私に話の続きを促す葵。
いつもなら、私が彼女に意見することなんか滅多にない。仮に意見したとしても、その時は葵に言い負かされてお終いだもんね……場合によっては私が大泣きして。
けど、今回だけは引けない。何があろうと引くわけには行かない。
だって―――私は葵の友達なんだから。
「―――私に出来るのは、葵がラブレターを書くのを手助けする事だけだと思う。それだって、葵の真心がちゃんと伝わるように、間違いを校正したりする位で、中身に関しては意見するつもりなんてない」
「………」
「ね、葵。葵の気持ちも分かるよ?恥ずかしかったり、照れ臭かったりしてさ、書きにくいって思うのもね。けど、それだって、葵の憧れてた、女の子らしさなんじゃないのかな?」
「……女の子らしさ?」
「うん。外見だけじゃなくて、好きな人の事を想ってドキドキしたり、キュンて切なくなったり……そういうのを含めて、全部。だから、書こうよ、葵。葵の憧れに近づくためにも、頑張ってさ。私も協力するから……」
「―――……ったく、めんどくさいよなあ……」
葵はそう言って目を閉じると、両手を頭の上に伸ばして、ごろん、と床に仰向けに身体を倒した。
しばらくお互いに無言になり、部屋の中は静寂に包まれる……う、言いたい事言ったら、い、今更になって怖くなってきた……あ、葵怒ってないよね……?だ、だとしたら……わ、私に対しての攻撃だけならともかく、二次災害を被らないように、い、今のうちにヌイグルミ達を避難させといた方がいいのかも……!?
私が怯え始めた矢先に、葵が物思いに耽るようにして、小さな呟きを漏らした。
「……あんたも言うようになったよね、史緒……『大タコに襲われる』って言うけどさ」
「?な、何よ、そのB級海洋パニックホラー……?」
「いや、よく言うだろ?大タコに襲われながらも浅瀬をどうとか」
「浅瀬……?あ、も、もしかして『負うた子に教えられて浅瀬を渡る』って言いたい訳!?」
パッと閃いて問い返すと、葵は、似たようなもんだろ、と、突然ガバっと身体を起こす。い、いや、全然違うと思うんだけど!しかも負うた子って私の事!?やっぱり子供扱いなの!?そりゃタコよりはマシだけど!!
私が反論する前に、葵はやんちゃな悪戯っ子みたいに、ニッと白い歯を見せて笑いかけると、トレーナーの袖を二の腕まで捲り上げた。
「うっし、やったろうじゃん!これでも文芸部―――百合部の副部長だってとこ、見せてやんよ!」
「葵……なんて男らしい……」
「バーカ、それじゃ逆効果になっちゃうだろ!史緒、あんたも部長なんだから、しっかりチェックしてもらうからね!」
思わず口を滑らせた私の額を、人差し指でピン!と弾く葵。い、痛たたた……ちょ、ちょっと……お、おでこに穴空いて無いでしょうね!?
うう〜、とズキズキ疼く額を両手で抑え、涙を浮かべる私を余所に、葵は持ってきたバッグからノートと筆記用具を取り出すと、ちょっと考えて、開いたページにシャープペンを走らせ始めた。
「えーと……『苺大福を連想させる、あなたの素敵な笑顔を見ていると、今にも私のお腹は高鳴り―――』」
どこかで聞いたようなフレーズとその内容に、『中身に関しては意見するつもりは無い』と言ったばかりだというのに、私の手は葵の手首を無意識に押さえていた。
―――そして彼女に向かって、ゆっくりと静かに、私は首を横へと振ったのだった。
*****
「ふあぁぁ……眠……」
シパシパする目を擦り、あくびを噛み殺しながら、私は文化部棟へと続く渡り廊下をフラつきながら歩いていた。
さらに一夜明けて放課後、毎度おなじみ清潤女子高等学園。
結局、昨晩真夜中過ぎまでかかったにも関わらず、葵のラブレターは完成しなかった……というか、ほとんど進展しなかった、と言った方が正しいかな。
私と葵のラブレターとの戦いは、筆舌に尽くし難いものだった……まあ尽くすんだけどさ。少しでもこの苦悩を吐き出したいから。
春の季刊誌の締切との戦いも、金輪際思い出したくもない程に大変だったけど、今回もまた、それに勝るとも劣らない過酷さではある。
『いや、書いてるのは葵本人であって、お前は校正作業だけだろ?』と、人は思うかもしれないけど、葵の思考を正しい方向に導く事が、果たしてどれ程の苦行か……それは例えるなら、艱難辛苦、七難八苦、四苦八苦の詰め合わせお買い得パックってとこだ。
「……ね、葵。こ、この『あなたを想うと、心の中がモンブランケーキみたいになって』って……どういう意味?」
「そんな事も分かんないのかよ。ほら、モンブランって上にグルグルしたデコレーションされてるだろ?だからそれになぞらえて、『甘い戸惑いを覚えて』みたいな意味だよ」
「だったら『甘い戸惑いを覚えて』って書こうよ!字数的にも!」
どうやら葵という人間は、極度に恥ずかしかったり照れたりすると、食べ物絡みに持っていこうとする癖があるらしい……作品にもそういう傾向はあったけど、あれはかなり抑えてたんだ……。
「あ、あとさ、こことここに『ジャムみたいに蕩けそう』って表現が二回出てきてるんだけど?」
「ああ、それは重複してる訳じゃないから。こっちは苺ジャムで、こっちはブルーベリージャムの事だよ」
「いや、分かんないから!どこがどう違うっていうのよ!?」
「そんな事も分かんないのかよ……ホラ、こっちはここの濁点が苺の粒々っぽいだろ?で、こっちはここのハネがブルーベリーっぽい……」
「……素直に表現変えよ?ね?」
昨夜の葵とのやり取りの数々を思い出し、どっと疲労で肩が重くなる。信じられる?ここまでやって、書けたのがまだほんの出だしの数行だけなんて……。
どうやらしばらく放課後は葵とのマンツーマンのラブレター作成が続きそうだ、と思った私は、部活には当分は顔を出せない旨を自分の口から伝える為、こうして重たい体を引きずって、健気にも文芸部の部室へと向かっていた。
昨日は同じクラスの果恵に伝言をお願いしたけど、一応部長のケジメとしてね。春の季刊誌の作業は終わったとはいえ、部長の私のみならず、副部長の葵もいないのに、何か問題でもあったら大変だし。
その葵はといえば、今頃は一度家に帰って支度を整えているはず……自転車で通ってるだけあり、彼女の家の方が私の家より遠いので、先に帰ってもらって、私の家で落ち合う約束になっている。
ようやく辿り着いた四階奥の部室のドアを開ける。さて、誰か来てるかな……?
「ブチョー、何やってたんですか!!」
「わ!!」
ドアを開けるやいなや、私の頭は、何やら温かく柔らかいものにぎゅうっと押し包まれた。
「ぐぐ、ぐるし…ぃ……て、鉄砲塚さん!?」
もがきにもがいて、ようやく後頭部に回された鉄砲塚さんの両手を振りほどき、私は彼女のその……ちょっとばかり、ほ、ほんのわずかに私のよりも、ゆ、豊かな胸から顔を上げた。……け、決して悔しくはないし、羨ましくもないけど、何か特別な食事法とかマッサージとかやってるのか、一度くらいは聞いてみるのもいいかも……あ、あくまで見識を広げたいからって理由だけだからね!
あ、そ、それはともかく。
「ど、どうしたっていうのよ!?い、いきなり……」
唐突で一方的なコミュニケーションはいつもの事だけど(うう……なんかそれが当たり前みたいになってるなあ……)、この子、何でかはしらないけど、昨日は暗い顔して部室を出て行かなかったっけ?確かその前は拗ねたみたいに出て行ってたし……。きょ、今日はなんなの??
鉄砲塚さんの顔を見ると、いつものノー天気な陽気さはどこへやら。なにやら眉を曇らせて、ひどく悲しげな表情だ。
うーん……そりゃ彼女は猫っぽいけどさ……こうもクルンクルン猫の目みたいに機嫌が変わるっていうのは……。
「……昨日、佐久間センパイと何してたんですか……」
「え!?あ、そ、そうか、果恵から聞いたんだ。えーと……その……ちょ、ちょっとね、野暮用で……」
重たい声の鉄砲塚さんの問い掛けに、馬鹿正直にラブレター作成の話をするわけにもいかず、歯切れの悪い返事しか出来ない……この子にラブレターの事が知れたら、葵が黙っちゃいないだろうし……また下手に取っ組み合いの喧嘩になんてなられたら、文芸部には止められる人間なんていないものね……。
「……じゃあその前は……?二人で仲良く喫茶店に行ってたみたい、ってサワタリアンから聞きましたケド……」
「え!?う、そ、それはね、そ、その……」
く……沢渡さんの情報網と噂好きを甘く見てたわ……!!
「つか!それよか前には二人きりでオクジョーに行って、戻ってきたら親密そうにヒソヒソ小声で話し合ってたって!ブチョーも佐久間センパイもほっぺ赤くして、メチャクチャ妖しい雰囲気だったって聞いたんですケド!?」
「え、えええぇ〜……」
「しかも如何にも仲良さげに、佐久間センパイがブチョーをお姫様だっこして、そのまま後方二回転半のチュー返りを決めたって!!」
「い……いや、それは流石に嘘だって気がつこうよ、鉄砲塚さん……」
……前言撤回。甘く見てたのは、沢渡さんの超人的なまでの噂に尾ヒレを付ける能力だったわ……。
それにしたって、私と葵が妖しい雰囲気って……。その想像に思わず頭を抱え込んでしゃがみこみたくなったのを何とか堪え、私は必死に部長としてのなけなしの威厳の総力を結集して、ビシッとこの場を誤魔化す事に決めた。結集してできるのがその程度か、と、我ながら悲しくなるけれども。
「と、とりあえず落ち着いて下さい、鉄砲塚さん。私と葵には何も後暗い所はありませんし、疚しいこともありませんから」
「じゃあ、どーして昨日何度もメールしたのに返事くれなかったんですか!?電話だって繋がらないし!!」
「え?め、メールに電話……?」
し、しまったなあ……昨日は葵の執筆に付き合って集中しようとしてたから……着信音どころか電源オフにしてたんだっけ……。
「しかも、シンパイでブチョーの家まで行ってみたら、イモートさんに『おねーちゃんと葵ちゃんは今、二人きりで誰にも邪魔されたくないんだって』って追い返されたんですケド!?」
あ……さ、早苗……。
あまり良くできた妹というのも、それはそれで考えものだわ……。
「そ、そのね、それはその……な、なんて言うかな……こ、今後の文芸部の方針について熱く語らってたというかなんというか……は、ははは……」
「………ホーシン……ですかぁ?」
必死に誤魔化す私を、疑わしげなジト目で見つめる鉄砲塚さん。
失われし部長の威厳よ、我と共にあれ!と心の中で懸命に繰り返し、私は場を仕切り直そうと襟を正した。
「……と、とにかく、私と葵は友人だけど、それ以上何もありませんから!それと、私用につき、私達はしばらく部を留守にします。ですので、鉄砲塚さん、あなたにはしばらく果恵のサポートとして部の運営を―――」
「……つか、これじゃ逆っしょ……」
ポツリ、と鉄砲塚さんのピンクの唇から呟きが漏れた。
「……あたしの考えてたコトとまるでセーハンタイなんですケド……どーしてあたしがブチョーと佐久間センパイに……」
「え?せ、正反対って何の事―――」
「―――何でもありません!!さ、ドーゾ、思う存分佐久間センパイと楽しんでらしてください!!」
私の疑問を断ち切るように大きな声を出して、鉄砲塚さんはグイグイと私の背中を押して、この部屋から追い出そうとする。
「ちょ、て、鉄砲塚さ―――」
廊下に追いやられた私の声を遮るように、鉄砲塚さんはよそよそしいながらもしっかりとした口調で言った。
「―――不用意な発言を撤回すると共に、香坂部長、余計な詮索をした事もお詫びいたします――ご指示、確かに承りました。部長副部長共にご不在の間、微力ながら宮嶋先輩の補佐として、鉄砲塚沙弥、精一杯文芸部の運営に務める所存です―――以上」
それから付け加えるように小さな声で、たった一言。
「……ばか」
……パタン、とどこか哀しげな音を立てて、私の背後で部室のドアが閉じた。
*****
結局、帰る道すがら、鉄砲塚さんの行動についてあれこれ考察を繰り返しては見たものの、明確な答えは出せないままだった。まああの子の行動を私の尺度で測ったところで測りきれるものじゃないって分かってはいるのだけど。
それでも―――彼女の気持ちを知りたくて。
うー、と唸って髪の毛をクシャクシャと掻き毟る。……やっぱり熟考タイプじゃないんだよね、私。考え込むと頭の中が混乱してこんがらがってしまう。
閃きタイプを自負しているからには、こういう時こそビビッと来て欲しいんだけど……むむむ……。
―――ダメだぁ……。
とっかかりすらも掴めないまま、ふと気がつけば私はいつの間にか家の近くまで来てしまっていた。考え込みながら歩いてきたからあっという間に思えるけど、そのせいもあっていつもより時間がかかってしまったかもしれない。葵はもう来てるのかな?
―――そうだ、葵だ。まずは彼女のラブレターを完成させることに集中しなきゃ。
鉄砲塚さんの事も勿論気にはなるけれど、まずは一つ一つ終わらせていこう。私はそんなに器用なタイプではないし、こういう場合、どっちつかずになってしまうのが一番まずい気がする。
そこまで考えて、よし、と一人頷いた途端―――。
「わ!?」
「きゃっ!!」
どん、という衝撃とともに、私はよろけて地面に尻餅をついてしまった。
「痛たた……ご、ごめんなさい―――って、あれ?」
「あ、こ、こっちこそごめんなさい、ちょっと手紙を読みながら歩いてたから―――お、おねーちゃん?」
謝りながら顔を上げれば、私の正面には同じように地面に座り込んでいるランドセルを背負った早苗の姿と、その脇には見慣れた家の門構えが。どうやらお互いに危うく家の前を通り過ぎそうになっていたらしい。
「だ、ダメじゃない早苗、何か読みながら歩いてて、車にでもぶつかったら大変でしょ?」
ここぞとばかりに姉の威厳を見せつけるように早苗をたしなめる。こういう機会でもないと、良くできた妹に注意するなんて事はそうないしね。
「おねーちゃんこそ……また考え事しながら歩いてたんでしょ?気をつけないと、それで何回か眼鏡ダメにしてるの忘れたの?走ってる車どころか、標識にぶつかりそうになったり、電柱にぶつかりそうになったり……そうそう、斎藤さんとこの田んぼに突っ込んだ時なんて、ど真ん中まで歩いて行くまで気がつかなくて。あの時もしもわたしがいなかったら―――」
「あ、う、うん。あの時はごめんね、早苗まで泥んこにしちゃって……こ、今後は気をつけるから……」
う、うぐぐ……間髪入れずにたしなめ返されてしまった……。
と、早苗の傍らに落ちているピンクの可愛らしい便箋と封筒に目が止まる。宛名の部分には星のシールに挟まれて、早苗の名前が。
「早苗、読んでたのって、それもしかして―――」
「あ、学校でラブレターもらっちゃって」
「え!!!???ラララ、ラブレター!?」
平然と事も無げに言った早苗に対し、私は逆に動揺の色を隠せない。
な、何!?今度は早苗にラブレター!?最近の私の運勢、どれだけラブレターがキーアイテムになってるのよ!!そ、それにしても、小学五年生でそんなやり取りをするっていうのはさすがに早熟すぎない?というか、その封筒からして相手は女の子だよね!?だ、大好物とはいえ、さすがに小学生で、しかも身内で百合妄想は―――って、問題はそういうことじゃなくて!!
「そそそ、それで、さ、さささ早苗はその子にどう返事するつもり―――?」
「もー、おねーちゃん焦り過ぎだよ。ろれつが回ってないじゃない」
スカートのお尻をパンパンと叩いて立ち上がると、早苗は依然しゃがみこんでいる私に手を差し伸べ、優しく立たせてくれた。う、うう……どっちが姉なのやら……。
「そういうお付き合いはできないけど、お友達でよければ、って返事するつもり」
「あ……そ、そうなんだ……ホッとした……けど、くれぐれも相手を傷つけたりしたら―――」
「あ、今までだって色んな子にそう言ってきて慣れてるから、へーきへーき」
そ、それって、以前にも何通もラブレターをもらった経験があるっていう事……!?そ、そりゃ早苗が可愛くて出来る子だってのは姉として重々承知だけど……。
「まだ小学生だもん、そういうのってちょっと早い気がするし……それにね、あたし、気になってる人がいるから―――」
え……?き、気になってる人って……。
昨日の反応から見て、まさかとは思うけど―――うー、なんでこういう事はすぐ閃いちゃうのかなあ……もしかしてスランプなの、私?
嫌な予感を感じつつも、玄関のドアを開けて、まず私達の目に付いたのは男物っぽいデニムの紺色のスニーカーだった。あ、もう葵着いてたんだ。やっぱり時間かかっちゃったかあ。
早苗も彼女の来訪を一瞬で察したらしく、目をキラキラと輝かせる。あ……嫌な予感が当たってたみたい……。
「もー!おねーちゃん、今日も葵ちゃんが来るならどうして教えてくれないの!?」
「え?い、いや、だってそれは……と、というより、早苗、今日もお姉ちゃん達大事な話があるから邪魔は―――」
「やだあ!!おねーちゃんばっかりズルイよー!!」
た、ただでさえ私の頭は葵の手紙と鉄砲塚さんの事で許容量ギリギリだというのに……お願いだからこれ以上お姉ちゃんを混乱させないで……!!
こうなれば互いに相手より一瞬でも早く部屋に行き着くしか方法はない。早苗と私は同時にダッシュで靴を脱ぎ捨て、二階の私の部屋へと先を争いながら、こけつまろびつ狭い階段を駆け上がる。
それでもなんとか姉の矜持を見せつけ、ギリギリのデッドヒートを制して、先に私がドアを開け、転がり込むように部屋に入ると、そこには―――。
「うわ、このホットケーキ美味しい!!」
「本当?良かったわ、お口にあって……あとこれ、簡単にだけど、クッキーも作ったから……」
「こっちもすっごく美味しいです!いやー、いっつもこんなのが食べられるなんて、史緒のヤツが羨ましいなあ……」
「あら、じゃあ葵ちゃん、おばさん家の息子……娘になっちゃう?」
あはは、うふふ、と何やら仲良くベッドに横並びになって和やかに談笑してる葵とお母さんの姿に、私と早苗は目を丸く見開いた。ま、まあ葵はいつも通りラフでボーイッシュな格好だったんだけど……ふ、普段は髪の毛をアップにまとめてて、化粧っけも殆どなく、どちらかというと年相応な落ち着いた色合いとデザインの服ばっかり着てるお母さんが……。
「お、おかーさん……」
「ど、どーしたのよ、その格好……?」
「あら、史緒に早苗。うふふっ、どう?お母さんもまだ捨てたもんでもないでしょ?」
カールした髪を肩まで下ろし、うっすらとお化粧して、ピンクの口紅まで……その上フリルの付いた純白のブラウスに、赤い花柄のフレアスカート……な、何?こんなお洒落してるお母さん初めて見たんだけど!?
「もう、史緒ったら……今日も葵ちゃん来るならちゃんと言っておいてくれないと……昨日大したことしてあげられなかったから、お母さん慌てて支度したのよ」
「あ、いえ、あたしの事は別にお構いなく―――」
「そうはいかないわよ!あ、ホラ葵ちゃん、ほっぺたにクリームが―――」
何やらうら若き乙女のように頬をほんのり朱に染めながら、葵の顔についたクリームを指で拭うお母さんを見て、またまた私の脳裏に嫌な予感が団体様で押し寄せる。
早苗はといえば、ふくれっ面でそんな二人の様子を見ていたものの、ついに我慢できなくなったのか、葵を挟んでお母さんの反対側に腰を下ろした。
「葵ちゃん!クッキーはあたしが食べさせてあげるから、口開けて!」
「こら、早苗!葵ちゃんまだお口にホットケーキが入ってるでしょ?わたしが先に紅茶を飲ませてあげるから―――」
あ……あはは……もうダメ……火花を散らせて、たった今、私の頭が完全にキャパシティオーバーした……。
それでもなんとか、ブスブス黒煙を噴き上げている私の頭脳は、香坂家の今後の円満な存続と、葵のラブレター作成続行の為の最適解を、必死に導き出した。最も、導き出そうが出すまいが、これ以外に今為すべきことはないと思うんだけどね。
スーッと一気に胸いっぱい息を吸い込み―――。
「二人とも、出てって〜〜〜〜――――――!!!!!!」
渾身の力を込めて絶叫すると同時に、明日以降は、葵の家でラブレター作成しよう、と私は固く心に誓った。例え、その事でお母さんや早苗に、どう憎まれようとも恨まれようとも、だ。
けれども、私は信じてる。もう葵に可愛がられずに済む私の大事なヌイグルミ達だけはきっと、その英断に感謝してくれるに違いない―――と。