1・佐久間葵先輩へ
「ハイ、どうぞ」
「?これって……?あたしまだ何も……?」
テーブルに座ったばかりで、まだオーダーもしていないというのに、ミカの前に透明な小鉢が置かれた。
その中には、小さく盛られた氷と、青梅が透けて見える、涼し気な碧色のゼリー。
「いつも来てくれるサービス……っていうか、常連さんのあなたに、試食をお願いしたいの。マスターが夏向けに、って作ったんだけど」
「え?いいんですか?……あ、でも……」
一瞬言葉に詰まってしまうミカ。
実は、超の付くほどに甘党な彼女は、少しでも酸味があるもの―――酸っぱいものは大の苦手だった。
何とか添えられた木製のスプーンを手にするものの、ゼリーとミカとのにらめっこが続く。
「どうしたの?……もしかして……梅、ダメだった?」
少し困ったような表情を浮かべた店員の少女の声に、ミカは慌てて首を振った。
「そ、そんな事ありません!!あ、あたし好き嫌いないですから!!」
―――どんな理由があれ、少女から贈られたものを拒むことは出来ない。
意を決して、ミカはゼリーを掬うと、一息に口に含む。
途端に広がる、微かな甘味と、爽やかな酸味。
「……どうかな?」
「う……お、おいひいれす……」
顔をしかめそうになるのを必死に堪え、ぎこちない笑みを浮かべながらも、ミカは彼女にそう答える。
途端に目の前の少女は、まるで大輪の花が咲いたかのように微笑んだ。
「本当!?良かった!!マスターも喜ぶと思う!!」
その笑顔に、口内に広がる酸っぱさも忘れさせる程の甘さが、ミカの胸に広がっていく。
それは、今までに食べたどんなデザートよりも、優しくて、甘い、甘い味。
「あ、まだお茶も持ってきてなかったよね、ちょっと待ってて」
ミカにそう告げ、少女は店の奥へと小走りに駆けていった。
その背中を見送った後、ミカの口内に、忘れていた甘酸っぱさが蘇る。
「……ん~……酸っぱ……」
まるで、今ミカが彼女に抱いている想いの様に。
酸っぱくて、微かに甘い、切ない片想いを思わすような味。
どうしたら。
どうしたら、先程抱いた甘さをずっと味わっていられるのだろう。
―――もしも、あの人がずっと傍にいてくれたら―――。
自らの想像に、ミカの頬が熱く火照りだす。
慌ててその熱を覚ますように、彼女はゼリーの下に敷かれた氷を一口食べた。
―――そうなったらきっと、最上級の甘さを味わう事が出来る、よね。
その為には、何をすればいいのか。
頭を悩ませつつ、軽く溜息をついて、ミカは再び残ったゼリーとにらめっこを始めた。
『青梅ゼリーと恋の味 佐久間葵』
―清潤女子高等学園文芸部・季刊誌「春」より一部抜粋―
*****
「それにしても……佐久間先輩って本当に素敵すよねぇ……」
清潤女子学園文芸部一年生、沢渡杏さんは何気なくそう言って、はあ、と溜息をついた。
私はと言えば、その彼女の台詞に耳を疑い、違う意味で、はあ?と疑問符を付けた声を鸚鵡返しに漏らすばかり。
え?な、なんて言ったの?す、素敵って……『素手でも敵一個小隊を纖滅しそうですよね』とか『素で香坂部長の天敵ですよね』とかの略なのかな……。
等と私が思案を巡らせてるところに、沢渡さんと同じ一年生、鉄砲塚沙弥さんが訝しげな表情で口を挟んでくる。
「ステキって……『ステーキを十人前は軽く平らげた後に、腹ごなしにトンカツを十人前食べそうですよね』とか……『人気の無い夜道を歩いてたら、突如暗がりからステッキを振りかざして襲いかかってきそうですよね』とかいうイミ?」
あ……やっぱりそういう風に発想するよね。葵の事を知ってる人間なら。
M県の南東、S市の中央に位置する、この地方では名門とされる乙女の園、清潤女子高等学園。
煉瓦造りの如何にも古風な建物の正面から見た両側に、ちょっと雰囲気にそぐわない、渡り廊下で繋がれた、コンクリート製の建物が二棟。その一つがここ、文化部棟となる。そして、今私達がいるのは、その四階、文化部棟の一番端にある、文芸部―――通称「百合部」の部室だ。
十二畳程の室内にあるのは、一対の革張りのソファ、その間に置かれたガラス張りのテーブル。ドア近くには、中に書類だの資料だのがみっしりと詰まったスチール製の大きめの本棚が二つ。そして五月晴れの校庭が見下ろせる大きな窓の前に、年季の入った、樫で出来た部長用の立派な机。定位置であるその机付属の椅子に座る私は、つまりはここの部長となる。
今は放課後。ついこないだまでかかりっきりだった恒例の季刊誌の編集も終わり、あとは製本されてくるのを待つだけとなった。で、なんとはなしに部室に集まって、雑談を繰り広げていた訳なのだけど……。
私は衝撃にズレてしまった眼鏡を直して沢渡さんをマジマジと見つめた。
彼女は、ボブカットの髪を赤いカチューシャで上げておでこを出した、好奇心旺盛そうなくりっとした大きな瞳と、少し突き出た唇がチャーミングな女の子だ。
「あ、あの、そ、それって新しい冗談か何か?あ、アメリカンジョーク的な……『だからワイフに言ってやったのさ、それはもし今が原始時代だったらの話だろう?ってね。HAHAHA』、みたいな」
「香坂部長、何言ってんすか……分かんないんすか?あの良さが」
ソファに座り、彼女は呆れたような視線を私に送り付けてくる。だ、だってそんな馬鹿げた事を本気で言ってるとは思えないんだから仕方ないでしょ!?
そうそう、香坂というのは私の名字だ。フルネームは香坂史緒。さっきも言った通り、ここ、文芸部の部長を務めている。最も、145センチの身長と幼い外見から、そう見られる事は少なくて……これでも、アロエと呼ばれるダークグリーンの襟とスカートの特徴的な、清潤の制服の胸元の黄色いリボンが示す通り、二年生なんだけどね。とはいうものの、結局部長というのは名ばかりで、実際は体のいい使い走りだったりもするけど。
「いや、ブチョーの言う通りっしょ。あたしもサワタリアンがジョーダン言ってるとばかり思ってたモン」
私に賛同してくれたのは、沢渡さんの向かい側のソファに座った、背中に伸びた赤みがかった茶色の髪の一部を、ツーサイドアップという頭の両端で小さく纏めた形にしている猫っぽい美少女―――文芸部一の問題児、鉄砲塚沙弥さんだった。彼女と沢渡さんの胸元にはそれぞれ白いリボン―――これは二人が清潤の一年生である証―――が揺れていて。まあクラスは違うみたいだけど。
鉄砲塚さんの言葉に、沢渡さんはどんぐりみたいな目を天井に向けて、アヒルみたいに尖った唇を更に不満げに尖らせた。
「もー、また人の名前をベジタリアンみたいに……はあ、それにしても沙弥っちまでんな事言うんだ……。ガッカリすよ……」
失望を露わにしてそう呟く沢渡さん。
………ハッキリ言ってしまうと、葵が素敵とかいうあなたは、私から見たらベジタリアンどころかエイリアンなんだけど……。
「お、教えてもらいたいんだけど……なんで沢渡さんはそう思ったの?あ、あの葵が……すすすす……素敵って」
「沢渡だけじゃないすよ。知んないんすか?佐久間先輩が一年生だけじゃなくて、学園でもかなり人気あるって」
「は、はあああ!?は、初耳よ、そんなの」
葵が人気……副部長の立場を利用して、いつも私を虐待してるあの佐久間葵が、学園で……!?
な、何?清潤ってそんなに被虐趣味の子が多かったの!?あ、何かこの言い回しは円妙寺さんぽいな……。
「百合部の代表がそんなんじゃダメじゃないすかー、香坂部長。もっとアンテナ張っとかないと」
「サワタリアンが噂好きなだけっしょ。確かにブチョーはドンカンだけど、フツーそんなん知らないって。あたしも初耳だモン」
う……さりげなくまた人を鈍感呼ばわりした……。だから私は閃きタイプなだけなんだってば……!!
鉄砲塚さんの言う通り、沢渡さんと言えば、まだ入学して間もないというのに『歩くお昼のワイドショー』の異名を早くも学園内に広めつつある。何より人の噂やゴシップが大好きで、何かを広めようとしたらまず彼女に話せ、と二年生の私にまで伝わっている程だ。何だったら、それだって彼女が広めたのかもしれない。
ただ、残念な事に、彼女の持ってくる情報は虚実入り乱れた不確定なものばかりで……そこらへんも『ワイドショー』の由来なのだろうけど……一概に信用できるものばかりとは限らないのが困った所だ。
本来なら、文芸部より新聞部にでも入った方が似合ってるのだけど、そういった情報元も特定できないような事を真実の様に書く所から、新聞部の仮入部でお断りされたらしい……ちなみに、彼女が文芸部の春の季刊誌に書いたのは『スクープ!剣の道に咲いた妖しい二人の恋愛関係』という実録風の作品だった……あれ、もしモデルがいたら怒られるよね……。
「いやいやいや、沙弥っち。こんなの常識だって。噂っていうのはもっとこうさあ、こないだ朝っぱらからラブラブムードで、人目もはばからず腕を組んで登校してきたカップルがいたとか、そういう―――」
「あ、そ、そんな話はいいから!そ、それより、葵のどこがいいのかって話をもっと詳しく―――」
慌てて私は話題を葵の事へと戻す。藪蛇とはこの事よね……ゴールデンウィーク以降、人前ではあまり必要以上に接近しないようにって鉄砲塚さんには厳命してあるけど……。まあ人がいなくても少しは節度を弁えて欲しいとこなんだけどね!
あれは一度調べなきゃな、と鼻息荒く意気込む沢渡さんも、私の言葉に本題を思い出したようで、一度ソファに座り直すと、右手の人差し指を立て、講義を始めるかのように、改まった様子で語りだした。
「いいすか?基本的には、清潤で人気の女生徒は大まかに三種類に区分されるんす」
「さ、三種類……?」
「まずは女性的なタイプっすよね。お姉さま、って感じの。これにはうちの三年生である徳永さんや、生徒会副会長の辻堂さんなんかが含まれます」
徳永先輩かあ。部長なんかの引継ぎが終わって以来、あまりここに顔は出さないけど、何か納得。確かにあの人は物静かで清楚だけど頼り甲斐もあって、理想のお姉さん、って感じだもんね。辻堂さんはよく知らないけど、確か深窓のお嬢様、って雰囲気の人だったはず。
沢渡さんは次に、二本目の中指をピースサインの様に立てた。
「ま、勿論これに対して、妹系な女の子もいる訳で。こっちは主に一、二年生すね。例えば、沙弥っちのクラスの悠生っちとか、後は二年生の倉田さんとか」
「ムトーユーキかー。ま、確かにあのコは外見はちっちゃくて可愛いけど。ただ、あたしは同じちっちゃくて、可愛いタイプなら―――」
そう言って、私に熱のこもった視線を投げかけてくる鉄砲塚さん。ち、ちょっと止めてよ!もし沢渡さんに変に勘繰られでもしたら、せっかく話を戻した意味が無くなっちゃうでしょ!?
けど、沢渡さんをこっそりと探るように見ても、自分の話に夢中みたいで、私達を疑うような素振りもなく……よ、良かった。この子にバレたら、明日にはもう全校生徒に知れ渡って、校内の晒し者になっちゃうもんね。
「ほんで、三つ目。これには結構当てはまる人多いんすけど……」
薬指までの三本の指を立てる沢渡さん。その顔は真剣で、声までなんだか内緒話みたいに小さくなってて……思わず聞いてるこちらも変に緊張してしまい、ごくりと生唾を飲み込む。
「……前部長の白峯先輩や、二年生の浅倉先輩、それに沙弥っちなんかもここに入るんす」
「は!?あたしと白峯センパイとが同じカテゴリーなんて、カンベンして欲しいんですケド!?」
肩を抱いて身を震わせ、心底嫌そうな顔をする鉄砲塚さん。白峯先輩というのは文芸部の前部長なんだけど、彼女の事を鉄砲塚さんは毛嫌いしていて……最も、その一因は私にある訳だからなんとも言えないかな……。
それにしたって、その話が本当なら、鉄砲塚さんってやっぱり結構人気あるって事になるのか。まあ見た目は美少女だし、スポーツも勉強も得意だし、当然と言えば当然なのかな?な、中身は多分に問題のある子なんだけど……。
「まあこれはズバリ、活動的で、凛々しいタイプとでも言うか、宝塚の男役的なタイプっす。カッコいい系すね。ここに、佐久間先輩も入る訳で」
「はあ!?ちょっと、白峯先輩と葵を一括りにしないでよ!!」
今度不満の声を上げたのは私の方だった。しまった、と思うものの、既に遅く、鉄砲塚さんがジト目でこちらを睨んでいる。
だ、だってしょうがないでしょ!?あのクールビューティな白峯先輩と、なんだったら宝塚どころか、ハリウッドアクション―――ランボー怒りの文芸部か沈黙の文芸部、はたまたスーパー文芸部ファイターIVみたいなあの葵が同じなんて―――最後のはちょっと違うけど―――絶対有り得ないもの。
けど、私の否定の声など聞こえてないみたいに、沢渡さんは話を続ける。
「特に佐久間先輩は、中性的な感じと、ぶっきらぼうというか、媚びない感じの、クールなとこが人気みたいすよ。……自分も佐久間先輩のそういう所にこう……そそられるというか……」
頬を染め、てへへ、と照れ笑いを浮かべる沢渡さんとは対照的に、私は唖然として口を開きっぱなしにするばかり。
中性的でぶっきらぼう!?そ、それは勘違いもいいとこだと思うけど……。
第一に、あの子は中性的なんかじゃない。むしろ、男の子そのものみたいな……まあそれでも美少年、って類ではあるけど。彼女の容姿は、ショートカットの黒い髪、健康的な日に焼けた肌、眉毛も太め。目はぱっちりと二重ではあるし、鼻筋の通った整った顔立ちでもあるものの、どことなくやんちゃな悪戯坊主を連想させるものだ。
ぶっきらぼう、とか、媚びない、っていうのも違うな。葵は単に、男兄弟に囲まれて育ったからか、モロに影響を受けたようで、ガサツで大雑把で面倒くさがりで、それでいて暴力的なだけなんだけど。あ、あと物凄い大食らいだったりするかな。
あ、も、勿論そりゃあいいとこだってあるんだけどね!!えーと……むむむ……ま、まあすぐには思いつかないけどさ……。
そんな事を考えていた私を、沢渡さんは軽く睨んで。
「……本当、香坂部長が羨ましいすよ。いっつも佐久間先輩と親しげにしてて……やっかんでる子も多いと思いますよ」
「や、やっかむって……」
……私だって替わってもらえるものなら替わって欲しいくらいだ……葵と知り合って以来今日まで、私が彼女にどれだけ虐げられてきたか……。
実際に叩かれたりした事はそう無いけど、そのうち履歴書の趣味の欄に『史緒苛め』とでも書きそうなくらいに……ううん、もうすでに書いてたとしても不思議はないかも……もし彼女と中学生時代に知り合っていたなら、清潤の志望動機にだってなってたかも知れない。
兎に角、葵は私をいたぶるのが大好きだ。
例えば、私が授業中にちょっと失敗したとしよう。するとどこで聞きつけたものか(犯人は私と同じクラスの果恵しか考えられないんだけど)、次の休み時間には、隣のクラスからわざわざ罵詈雑言の嵐を吹かせに、スカートを翻し颯爽と現れるのだ。やれ文芸部の恥だの、部長としての風格が無いだの、その胸じゃ小学生に間違われても仕方ないだの、私が真っ白になるまで言い続け……って、あれ?思い出してから気付いたけど、む、胸は関係ないじゃない!!
そ、そんな事は置いておくとして、もしそれが親しげにしている様に他の人の目に映っているとしたならば、私は迷わずこう尋ねるだろう。
―――あなたには、可憐な少女が殺人鬼に追い回されるホラー小説が、微笑ましいラブストーリーにでも見えるのですか?、と。
「つか、所詮サワタリアンの言うコトっしょ。頭から信じられるワケないって」
「甘い、甘いなあ沙弥っち。これにはちゃ~んとソースがあるんだから」
ソファの手すりに肘をついて寄りかかった鉄砲塚さんの疑わしげな言い回しに、沢渡さんは不敵な笑みを浮かべ、ちっちっちっ、と顔の前で人差し指を振る。
「ソースって……何か証拠でもあるの?」
「モッチロンすよ、香坂部長。まあ、証拠っていうより、証人って言った方がいいかな」
「?証人って?」
何やら自信ありげに胸を張り、私達の顔を一度見回す沢渡さん。それから勿体ぶるように制服のポケットからメモ帳を取り出すと、テーブルの上に開いて置き、声高に宣言した。
「ズバリっすね、佐久間先輩にラブレターを出して、玉砕した女の子達を独自に調べてみたんす!」
「ららららら、ラブレタアアァァァ!!?」
思わず椅子から立ち上がって覗き見れば、メモ帳にはビッシリと清潤生の学年と名前が書き込まれている。え……じょ、冗談でしょ……?
ソファへと移動し、テーブルに広げられたノートをまじまじと見つめる……その数はざっと三十人は下らないだろう……しかも学年もバラバラ……一年生が一番多いみたいだけど……三年生の先輩もいるし……う、うわ、うちのクラスの女の子までいる……。
う、嘘?ここに書かれた女の子が皆、あ、葵の事を想ってて、ら、ら、ら、ラブレター出したっていうの!?
あまりの驚愕に固まった私の姿に、ふふん、と鼻を鳴らし満足そうな笑顔を浮かべた沢渡さん。
「どっすか、これで佐久間先輩の人気が本物だって信用してもらえ―――」
「……つか、なんでサワタリアンがこんなもんワザワザ調べてたのか、まるで理解フノーなんですケド……」
あ、そういえばそうだよね。別に前以ってこの話をしてた訳じゃないし、沢渡さんが噂好きとはいえ、これを調べてた理由が分らない。
鉄砲塚さんの投げかけた疑問に、今度は沢渡さんの笑顔がぎこちなく固まった。
「そ、それはその……」
「ショージキに言わないと、サワタリアンがこんなコト調べてた、って佐久間センパイに喋っちゃうケド?」
「わ、分かったよ、沙弥っちー……もー、人が悪いんだから……」
沢渡さんは俯いて両手の指を絡ませ、言いにくそうにもじもじとしながら。
「……そ、その……実は沢渡もですねー……佐久間先輩にラブレターを出した事がありまして……」
「え!?さ、沢渡さんまで葵に!?」
「え、ええまあ……そ、それでですね、見事にスルーされちゃって……さ、沢渡以外でラブレター出して、返事もらえた子はいるのかなー……なんて思って、それで調査を……。ま、結局誰一人返事はもらえてなかったんすけどね」
葵がラブレターをもらってただけでも驚きなのに、そ、それを総スルーしてたっていうの……!?
しかし、そこで私はソファに腰掛け、うーん、と首を捻って考え込む。確かに葵はガサツで大雑把で面倒臭がりではあるけど、そんなに情に薄い人間ではない、筈。確かに、柄にも無いロマンチックな恋愛小説書いてる割には、そういう実際の恋愛沙汰って苦手そうだったりもするけど……。
それにこれだけラブレターもらってて私が聞いてないっていうのも……あの子隠し事苦手そうなのになあ。葵と仲いい果恵なんかは相談受けてたりしたのかな……だったら私だけ除け者にされてたみたいで、なんかショックだ……。
そこまで考えて、少し落ち込んで暗くなってしまった私の肩を、隣に座る鉄砲塚さんが、ちょんちょん、と指でつついてきた。
「ん?何、鉄砲塚さん?」
「あの、ブチョー。その、実はあたしもラブレターもらった事あるんですケド……?」
「ああそうなんだ、へー」
「あ、ああそうなんだって……ホラ、それに関しても何か思うトコとかあるっしょ!?」
思うとこって……別になあ……鉄砲塚さんもモテるってさっき聞いたし、それに関しては何ら不思議には思わない……大体この子は派手で目立つもんね。入学して間もないとはいえ、清潤ではちょっとした有名人だもの。
あ……でも……。
「……んー、そうね……思うとこと言えば……」
「!な、何ですか!?ズバリ言って欲しいんですケド!!」
私の顔を見つめ、長い睫毛に縁どられた大きな目を、何故か嬉しそうにキラキラと輝かせている鉄砲塚さん。
その肩にポンと手を置いて、私は諭すように彼女に告げた。
「―――鉄砲塚さんはスルーなんかしちゃ駄目だよ?ちゃんと返事してあげないと……」
途端に彼女の顔が強ばったかと思うと、肩に置かれた私の手をやや乱暴に振り払ってソファから立ち上がる。
「―――もーイイです!!シリマセン!!」
そのままツカツカと足早に出入口へと向かうと、鉄砲塚さんは「イーっだ!!」と、鼻に皺を寄せ、不機嫌そうなしかめ面を私に向けて、ドアをバタン!と音高く締めて部室を出ていってしまった。
……な、何?私何か癇に触るような事言ったかな……?あの子はたまに理解出来ない行動取るんだよね……。
同じ学年でそれなりに親しげとはいえ、その気持ちは沢渡さんも同じようで、丸い目を更に丸くして私に尋ねてきた。
「?沙弥っちどーしたんすかね?」
「いや……私にもさっぱりなんだけど……あ、そ、それよりね、沢渡さん」
鉄砲塚さんには後で機嫌が治った時に理由を問い正せばいいとして、今は葵へのラブレターの話だった。
葵がどう考えていたにせよ、これだけの女の子達の想いをスルーしてしまうなんていうのは、ちょっと許せる事ではない。断るにしたって、きっちりとした返答をしてあげないと、彼女達は想いを引きずったままになってしまう。
自らがかつて経験した事を思い出し、ちょっと切なくなりながらも、私は真剣な表情を沢渡さんに向けた。
「……葵には私が後で話をしておきます。どんな理由があったって、人の気持ちを無視するなんていけない事だから」
「香坂部長……」
「だからね、沢渡さんからも、ラブレターを送った彼女達に伝えてあげて欲しいの。皆―――勿論あなたもなんだけど、葵に変に幻想を抱きすぎだって」
そうだ。葵の真実の姿を知らないままに、あの子に憧れる不幸な女の子をこれ以上増やしてはならない。それに、勝手に理想を重ねられるのは、葵にとっても迷惑だろうし。
ここはいっそ、沢渡さんの能力を生かしてもらって、葵がどんな人間なのかをはっきりと全校に広めてもらうのも手かもね……!!
事ここに至り、私は葵の友人としての(実際は葵の玩具みたいなものだけどさ)、妙な使命感と責任感に燃え始めていた。
「げ、幻想……すか?」
「例えばね、ここにクマのヌイグルミがあったとするでしょ?それを見たら沢渡さんは何て思うかな?」
「え?そ、そりゃ、わー可愛いな、って思いますけど……」
「そう……クマのヌイグルミは可愛いよね……私も毎晩抱いて寝て―――ご、ゴホン!!そ、それはどうでもいいんだけどね!!」
危うく部長の威厳を損ないそうになり、急いで咳払いで誤魔化す。
「じゃあ、もし本物のクマを動物園に見に行ったとしましょうか。檻の中でウロウロするクマ……それを見たらあなたはどう思う?」
「えー、なんすか、それ……まあ、強そうだなあ、とか、怖いなあ、とか思うんじゃないすかね?可愛い、とは思わないかなあ。猛獣だし」
「うん、本物のクマはヌイグルミみたいに可愛くはないよね……ご飯だっていっぱい食べそうだし」
私は目を軽く閉じ、うんうんと満足気に頷いてみせた。
目を開けて、怪訝そうな沢渡さんを見据えると、今度は出来るだけ深刻な表情を作って尋ねてみる。
「……なら、もしも、よ。もしも沢渡さんが山の中で、いきなりクマと遭遇したとしたら、どう?」
「え!?そ、そりゃ危険でしょ!?誰か助けてー!とか、殺されるー!とか思うんじゃないすか!?あ、目を逸したらヤバイ、とか、死んだフリしないと、とか良く聞きますけど―――」
「あ、聞く聞く!あれどっちが正しいんだろうね?それとも、目を離さずにゆっくりと倒れて、死んだフリすればバレないのかな?ホラ、寝てる時に目を開いたままの人もいるっていうし、よく映画とかで、志半ばに散った仲間の目を掌で閉じてあげたりするじゃない?だったら、死んだフリで目を開けてても―――」
「それでクマが掌で優しく沢渡の目を閉じてくれたら笑えますけどねー……何の話でしたっけ?」
「あ、そうだった!ゴメンゴメン!!えーと……」
あーもう……脱線癖ってどうしたら治るのかなあ……。
我ながら流石に嫌になりつつも、沢渡さんに指摘され、私は慌てて話を本題に戻そうと、さっきとは逆に、彼女に向かって人差し指を立てた。
「……つまりね、あなた達が見ているのは、これ―――ヌイグルミのクマみたいにディフォルメされて、都合のいいように解釈された葵なのよ。素敵だなー、とか、カッコイイなー、なんて妄言は、そんな根拠の無い、夢や幻に過ぎないの」
「え……じゃ、じゃあ本当の佐久間先輩は……?」
沢渡さんの疑問に、今度は勿体ぶるように中指を立てて。
「……葵の真実の姿はこれ―――強くて、怖くて、ご飯をいっぱい食べる、猛獣のような存在―――いいえ、猛獣そのものといっても過言ではないかもね!!」
「―――ふーん。なかなか面白い例えじゃない、それ」
「……でしょう?さてここからがとっておき、会っただけで、誰か助けてー!とか、殺されるー!とか思わず叫んじゃいそうな、獰猛且つ凶悪、危険極まりない、野生のクマみたいな葵っていうのは―――」
問い掛ける声に、我が意を得たりとばかりに薬指を立てつつ、私は眼鏡の下の目をカッと大きく見開いた。
「私のこの目に、普段映っている葵の姿なのよ!!!」
と、目の前に座った沢渡さんの視線が私から逸れて、背後に注がれていることに今更ながらに気が付いた。何よ、ここがクライマックスなんだからちゃんと聞いてくれないと……。
ん?どうしたの?怯えたような顔で必死にドアの方指してるけど……?一体そっちに何があるっていう―――。
「……史緒、あんたがあたしの事をどう思ってたか、よーく分かったよ……それにしたってクマはヒドイよね……佐久間と掛けたか知んないけどさ」
あ、あれ……!?そ、そういえばさっきから、沢渡さん以外の声が会話に混じってたような……。
ダラダラと滝の様に冷や汗をかきつつ、どうか自分の予想が外れていますように!!と心の底から祈りながら、ぎぎぎ……と恐怖に軋んだ音を立てて嫌がる首を、無理矢理捻って後方を確認する。
―――無論、予想が外れている訳もなく、いつの間にかそこに腕組みをして立っていたのは―――。
「……ま、ここじゃなんだからさ。ちょっと顔貸してくんないかな?」
―――冷めた様な表情で、軽く握った左手の親指だけ立てて、佐久間葵は肩越しにドアを指し示した。
……葵のその言葉に、私は、助けて!!も、殺される!!も口にする事が出来ないまま、彼女から目を逸らさぬようにして、ソファにゆっくりと静かに横たわり―――死んだフリをしたのだった。
*****
文芸部を出て、幾つかの文化部部室を越えた文化部棟の中央には、昇降用の階段がある。
死んだフリなど当然通用する筈もなく、葵に襟首を引っ張られ、私は今そこを上に向かって登っていた。最上階である四階から上、となると屋上になる訳で。
高さ3メートル程のフェンスに囲まれ、何脚かのベンチが設えられたそこは、普段なら文化部の少女達がお昼休みにお弁当を食べたり、談笑したりする憩いの場となっているのだが、そこへ向かう今の私の足取りは、十三階段を登る囚人のそれだった。
「あ、あの……葵?」
「……………」
葵はと言えば、文芸部を出てから一切無言……普段のように悪態を付いてくれた方が、よっぽど精神衛生上ありがたいんだけど……それだけ彼女が怒っているという事なのだろう。
……そりゃ自分がクマに例えられて散々言われてるとこに出くわせばね……例えそれが嘘じゃなくても。うう……謝るタイミングが掴めない……。
それにしても何されるんだろう……わざわざ文芸部を出て屋上へ行くというのは……下級生である沢渡さんの前では見せられないような行為をするつもりなのかな……あ、それとも部室を血で汚したくなかったからとか!?葵はプロレスの技使うらしいし!!
屋上へのドアがゆっくりと葵によって開けられ、私は彼女によって無理矢理中央にあるベンチへと座らされた。
周りを囲んだ金網製のフェンスが、今はただ、逃走を阻むコロシアムの壁にしか見えない……。最も、屋上なんだから逃走しようとしたって無理だけどさ。そういや金網デスマッチ、なんてのがあるって聞いた事あるわ……。
いきなり金網を登りだし、最上段から私に向かって腕をクロスさせて飛んでくる葵を想像する。……そ、その場合はどう避けたらいいの……!!?
そう脱線して身体を震わせていた私に、背を向け金網越しに校庭を眺めていた葵が、唐突に話しかけてきた。
「……あのさ、史緒。その……あんた、誰か大切な人に向けての手紙って……書いた事あるかな?」
「……大切な人にって……うーん……ま、まあ何通かは……」
その質問に首を捻る。手紙って普通そういうもんだよね……そんな親しくない人には書かないし……。でも、なんで急に手紙なんて……?今の時代、メールとかあるのに……。
ハッ!?こ、これはもしや、遺された大切な人達に一筆書いておけ、という、まさしく事実上の処刑宣告なのでは!?
「そうか。あたしは書いたことないんだ、そういうの」
「う、うん……普通はよっぽどの事がない限り、そういうのは書かないんじゃないかなあ……」
私の言葉を聞いた葵の手が、ギュウッ、と金網を握り締める。指の色どころか、金網の形が変わるんじゃないかってくらいに力強く……思わず背中を悪寒が走る。う、ウォーミングアップ!?
「―――よっぽどじゃなきゃ、か。そうだよね……。じゃあ、今はそれくらい差し迫ってる、って事になるのかな」
「い、今頃気が付いたの!?そりゃこれ以上ない位に差し迫ってるでしょ!!」
今まさに、私に身の危険がね!
葵は思いつめたような険しい顔で振り向くと、私へと一歩足を踏み出した。私は思わず、少しでも距離を取ろうと身体を反らす……うう……く、来るか……!?
私の怯えた動きを意にも介さぬ様に、葵は地獄の底から響くような低い声で、ゆっくりと語りかけてきた。
「なんだ、知ってたのか……じゃあさ、不躾だけど、書いてくれないかな……手紙をさ」
「う……ど、どうしても!?」
「―――嫌なのか?」
そりゃ嫌に決まってるじゃない……。
ジロリ、と私を睨みつける葵の厳しい目から顔を背けつつ、心の中でそうツッコミを入れる。
でも、もし書くとしたら、誰宛に書けばいいのかな?お父さん、お母さん、あ、それから妹の早苗に……て、鉄砲塚さんにも書いとかないと、またあの子はヘソ曲げるかな。まああの子に向けてなら『お願いだから私の仇を……』みたいな感じだよね。葵と格闘で張り合えるのあの子位だし。
「うーん……でもいざ書くとなると……『うら若きこの花を散らすことをお許し下さい』みたいな感じなのかなあ……」
「ち、散らすって……玉砕前提かよ!」
「え?だ、だって、どうしたって敵いそうにはないじゃない?か、格が違うっていうか……」
「か、格が……叶わないって……そ、そう言われたらそうだけどさ……」
何やら私の言葉にショックを受けたのか、がっくりと項垂れる葵。ん?自分が女の子っぽくない暴力振るうって事気にしてたのかな?
とりあえず、よく分からないけど傷つけちゃったみたいだし、ここは一つ、心証を良くする為にフォローしといた方がいいのかもしれない。
「で、でもホラ!お、同じ女の子なんだし、やってみなきゃ分らない事だってあるよね!わ、私も精一杯の事はしてみるから!!うん!頑張る!!」
「史緒……お前、そこまで……」
「だ、だってそりゃあ……」
私だって生命は惜しいし。
「史緒!!」
突然葵が私に抱きついてくる。え!?このまま私の身体を締め上げる作戦なの!?
でも、力はこもってるものの、別段苦しくもなく……むしろ回された手からは何か、優しさのようなものを感じる。
「……ありがとう……あたし、あんたが友達で良かったよ……」
「え!?」
ちょ、ちょっと待って!?葵が私にありがとうって……な、何かの聞き違い!!??し、知り合って一年ちょっとで、は、初めて言われたんだけど!!??
そ、それにお礼の意味が分からない……なんだろう、お互い全力を出して戦う事への感謝とか……それとも何か新しく開発した技を私に試すつもりとか!?
混乱している私を他所に、葵は身体を起こすと、先程までとは打って変わった明るい声と満面の笑顔で、予想だにしていなかった事を口にした。
「じゃあ、宜しく頼むよ―――ラブレターの代筆!」
は……?
はいいいぃぃ!!!???