闇と光
整骨院でうつ伏せになって背中やら腰やらを揉んで貰っていると、男の先生だったにも関わらず、あまりにも気持ち良過ぎて不覚にも半立ちになってしまい 「はい、次は仰向けになって下さい。」 と言われて凄く困った経験のある輪島政義です。(情けねぇ。。)
はぃ、皆さんコンバンワ!
また今年も愛に飢えだす季節になった。
ここ三ヶ月ほどは、女性との交わりも無い。中学生の時に女性の肌の温もりを覚えてからは、こんな事は初めてだ。
しかし、踏み込む事もないままのダラダラとした関係を全て断ち切り、ここらで綺麗な身体になって一から出直してみたくなったのだ。硬派な男ってやつになってみたかったのかも知れない(キラーン!)。
そんな時に、なんとも上品そうなラウンジ『サガーラ』で、短いが歯痒い程に長く感じられた時間を乗り越えて、私は姉さんとの再会を果たした。
ここ数年、他人に使われた事の無い人が店で問題なくやれているのか少し心配だったが、単なる取り越し苦労だったと直ぐに気づく。
「わぁー!いらっしゃーぃ!」
満面の笑みで歓迎してくれた姉さんはすっかり周りに溶け込んでいて、さすが数十年の飲み屋でのキャリアは伊達じゃないと感心した(うむ)。
さっそく席に案内されて積もる話に華を咲かせる。
親分とは完全に離別れたらしい。姉さんが市から借り入れた震災の災害援護資金を食い潰すと、そのまま何処かへ姿を消したそうだ(でた)。
今は九州から『テキヤ』でこっちに来ていて知り合った極道と、遠距離恋愛をしているそうだ(お幸せに!)。
そして、あの『ソファーの下からチャカ出てびっくり!事件』の時に、姉さんの為に私選弁護人を何とか付けてやりたいと言っていたので、足しにして欲しいと私が渡した金も、親分は何処かの女に使い込んでしまっていた事も聞かされた(なぬー)。
とんでもないジジイだ。解散して正解だ。こんな男を慕って命を投げ出せる奴など居るはずが無い(ぶひー)。
その日は親分に対する愚痴大会で大いに盛り上がった。
それからしばしば姉さんから電話が掛かってくるようになり、サガーラにも時々遊びに行くようになる。
平日でもお構い無しなので隆や信三君との都合がなかなか着かずに、一人で行く事も多かった。
もう緊張する事もなくなった扉を開けると、姉さんの奥から聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえてきた。
「あらぁ 政義君、ひさしぶりぃ!私のこと覚えてるぅ?」
彼女の名前は由美子。龍政会で私の叔父貴に当たる秀さんの女房だ。
それで以前に組事務所で何度か会った事があるので覚えていた。何よりも、服の上からでも一目で分かるこの豊満な爆乳を忘れるはずがない(でへへ)。
「久しぶり。相変わらず可愛いね。」
少し生意気な挨拶を軽く交わしている時も、どうしてもチラチラとスイカップに目がいってしまった。解散したとはいえ叔父貴だった人の嫁をついエロい眼つきで見てしまう事には、それほど後ろめたさは感じなかった。
この日も散々飲んで、姉さん達と閉店まで騒いで帰った。
丁度その時期、屋台村の頃に仕事が終わってからよく遊びに行っていたニューハーフパブのママである九歳年上のルイちゃんから連絡が入る。容姿も綺麗で一見【それ】とは気付かない程の上質のニューハーフだ。
私は以前から彼女たちの『生き様』を高く評価していた。
女子大生や本業を持つ若い女性がキャバクラなどに小遣い稼ぎで勤めるケースも増えている。しかし、礼儀作法や巧みな話術を磨く努力もせずに気に入らない事があれば本来の居場所にいつでも逃げ帰れる、謂わば保険付きの『なんちゃって水商売』は、見ちゃいられない。
それに比べて少しでも本物の女性に近付こうと大金を掛けて、顔を整形し、胸を膨らませ、シンボルを切り落として進化を続けるニューハーフ達。極上の仕上がりを遂げた一部の人を除くと、道を歩くだけでまるで化け物を見るように容赦なく突き刺さってくる視線。普段の生活にも、一般人には計り知れない程の弊害や困難が降りかかってくる。
それでも進化を怠らない、諦めない。
自分の身体を削ってでも客を爆笑させたり、懸命に覚えた振り付けで華麗に舞い踊る姿にはいつも感動させられる。
逃げ帰る場所などあるはずも無い彼女たちの、リスクを承知の上で常に誇りを捨てずに日々精進し続ける生き様は、まさに『背水の陣』なのだ。
そんな事もあり、なんとなく電話の流れでルイちゃんとデートをする約束をしてしまった。
後日、待ち合わせ場所でルイちゃんと合流すると二人でレンタルショップに立ち寄って部屋にお邪魔した。
借りてきたビデオを観ていると、隣でお好み焼きを焼きながらビールをお酌してくれた。腹も満たせれて、良い感じのほろ酔い加減だ。
さて、ここからいよいよ私の決断が迫られる。
ルイちゃんは恥じらいながら体をくねくねとすり寄せてきた。ここまできておいて未だに答えを出せない私は、振り切るように咄嗟に二本目のビデオをセットする。幾つかのささやかな攻防の末、私は酔って寝た振りをしてしまった。
ルイちゃんゴメン。やっぱり・・・ワシやっぱりオカマとか無理ーっ!。
正直、おそらく今日ルイちゃんを抱いてしまうのだと自分でも覚悟は決めていたはずだった。
一度ぐらいあった方が一生使える話のネタになるだろうが、逆にその一度が一生の汚点になりかねないという諸刃の剣を、土壇場で怖気づいた意気地の無い私は、それを鞘に収めてしまった事でルイちゃんをとても傷つけてしまった。
しばらく時間が経つと、向こうの部屋から店のダンスショーで使う女の子達の衣装をカタカタとミシンで縫い直す音が聞こえてきた。
私は今まで異端児として生きてきたにも関わらず、自分の中の『普通さ』を目の当たりにした情けなさを噛み締めながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
翌朝、罪滅ぼしにとまた余計な約束をしてしまう。
「前に大阪の海遊館行きたがっとったやろ?今度二人で行こうや。」
その場しのぎの口から出任せだった。大喜びしていた彼女の顔を見るのが辛くて、私はそそくさと部屋から逃げ出した。
サガーラでも常連になりつつあり、いつもの様に言葉遊びを楽しんでいた。
ブランデーをロックで四~五杯飲んだ頃、姉さんや他の女性スタッフと入れ替わるように、あのスイカップの由美子が私の席に着いた。
初めてじっくりと二人で話せる機会だったので、少しドキドキしながら戸惑っていた。
そんな私にニコッと無邪気な笑顔を投げかけてくれたお陰で、肩の力が抜けてとてもリラックスすることが出来た。飲み物を勧めると、今度はおしとやかに色っぽく微笑みながら水割りを作った。
私は妙に胸を高鳴らせながら色々な話をした。息子二人のお兄ちゃんの雄太は保育園の年長さんになり、一つ年下の健嗣も元気にやっている事。素直で言うこともよく聞き、とにかく見た目もめちゃくちゃ可愛かったので、私もこの子供達の事ならハッキリと記憶していた。
それでも子育てが大変な話や、最近はストレスで少し体重が増えてしまった事も教えてくれた。
そして、夫である秀さんが懲りもせず覚せい剤使用でまた刑務所に服役中だという事や、籍こそ残ってはいるものの、事実上の夫婦関係は既に崩壊している事まで話してくれた。
私は、それならば極道としての血縁関係ももう切れているのだからと、酒の力も後押しして本気で口説きに掛かってしまう。
すると、由美子の方も以外に満更でもなさそうだったので、あえてガツガツ急がずに次に持ち越す事にした。
数日後、大学で上京していって殆ど会っていなかった実の兄貴の結婚式が東京であるというので、暫く地元から離れることになった。
戻って来て、久しぶりにサガーラに顔を出すと、いつもの陽気でハイテンションな姉さんや他のスタッフが迎えてくれた。
その中に髪を切ってショートカットになった由美子の姿もあった。
毎度の事ながらブランデーをろくに味わいもせず、贅沢に胃に流し込んではしゃいでいると、席についていたスタッフが由美子と交代になったので、ようやく会えた喜びを伝える(あひゃ)。今日は由美子を仕留める日なのだ。
兄貴の結婚式などでなかなか来れなかった事情を知らせながら、ちゃんと髪型についても忘れずに触れた。男というのは、こういう些細なこころ配りが大切なのだ(にや)。
「髪 短いのも、よぅ似合ってるやん!イメチェンやな。アハハハッ!」
すると予想していなかった言葉が返ってきた。
「もうっ!政義君にフラれたと思ってバッサリ切ったんやんかっ!」
「へ・・・?」
どうやら前回ので既に付き合う事になったと思っていたらしい。
そんな私が急に姿を現さなくなったので、さっそく失恋したのかと勘違いをした結果、美容院で断髪式を決行してしまったようだ(ぐはー)。
可愛すぎる・・・
私の心は十一歳も年上の由美子に完全に射抜かれた(すぱーん)。
女性の事をこれ程までに愛しいと感じたのはいつ振りだろうか。
しかし、当然の事ながら前夫である秀さんを昔からよく知る姉さんが、この恋を許すはずが無い。
それで、私達は店が終わってから密かに会うようになった。
彼女を家の前まで送り届けて、そのまま車内で朝まで語り明かしたりもした。
一睡もせずに仕事に行く事も度々あったが、すっかり浮かれている私には、それほど疲れも眠気も感じなかった。
昼の休憩時間も毎日毎日、時間いっぱいまで電話で話し込んだが、不思議なぐらいに会話が尽きない。そして、また深夜になると秘密のデートだ。
そんな日々を繰り返して二ヵ月ほど経ったある晩。ホテルのベッドに横たわりながら、こんな提案をしてみた。
「なぁ 今度、由美子が仕事休みの日に、チビ達も連れて飯でも行こうや。」
「うんっ!」
貴重な母親との時間を、六歳と五歳の子供達に分けてもらっているのだから、挨拶ぐらいしておくのは当然だった。
それに、交際を正式に認めてもらえるようになる為にも仲良くなりたかったのだ。
堅苦しい所ではなんだか緊張しそうなので、焼き鳥屋へ行くことになった。
さっそく四人で乾杯すると、まず初めに子供達に謝罪した。
「夜中に目が覚めた時とか、横にお母さんがおらんかって寂しいやろ?ほんま ごめんな。」
「ううん。そんな時は おばあちゃんがいてくれることがおおいから だいじょうぶ~。」
年長さんの雄太が答えた。ハキハキと話すなかなかのしっかり者だ。
横では少し引っ込み思案な弟の健嗣が、慣れない男を目の前にして、もじもじとしていた。
2人がもっと小さかった頃に何度か会ったことを話したり、保育園での出来事をたくさん聞かせてもらった。まだまだぎこちない感じは否めなかったが、店をでる頃には私のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれて、少し距離が縮まったような気がして嬉しくなった。
「ほな由美子、また連絡するわ。チビ助らもまたなーっ!」
「お兄ちゃん またあそんでねー ばいばーい!」
笑顔をつくりながらも何処か寂しげにいつまでも手を振り続ける2人に、私は胸がキュンとなった。
四人でちょこちょこ会うようになり、すっかり打ち解けてきたある日、私は高熱を出して仕事を休んでいた。自宅で市販の薬を飲んで寝込んでいても全く治る気がしない。布団で唸っている時にちょうど由美子から電話があったので、家に行くから看病してくれないかと助けを求めた。
私はフラフラになりながら気力だけで車を運転して由美子の元へと急いだ。やっとの思いで辿り着くと、ベッドに直行してそのままダウンだ。
道中にスピード違反で警官に捕まった気がするが、そんな事を思い返す余裕すらなかった。
保育園から帰ってきた二人が、この時間に居るはずのない私がウーウーと情けなく弱っている姿を見て、少し慌てながら不安そうに覗き込んできた。
「おにいちゃん だいじょうぶぅ?」
由美子が私を気遣って二人を遠ざけた。
「ほらっ!お兄ちゃん しんどいんやから、二人ともあっち行ってなさい!」
綺麗にメイクをすませると、作った御粥を食べさせようとしてくれるが、食欲が無くて殆ど残してしまった。
出勤時間になり、死に掛けの私と保育園児達の三人でお留守番だ。
暫くすると、真っ暗にした部屋のフスマがガラガラとゆっくり開いた。
雄太と健嗣が私の額に当てている濡れタオルを交換にきてくれたのだ。
「ねぇ まだ あたまいたいのぉ?」
「おなか すいてない?」
熱で頭の中がグワングワンと鳴り響き、意識ももうろうとしていたが、心配そうに見つめる子供達の声はハッキリと届いてきた。
「今日はもう・・この部屋に入ってきたらアカンで・・。お お兄ちゃんは大丈夫やから・・心配する事あれへん・・・。」
もちろん内心ではずっと傍に居て欲しかったが、風邪を移しでもすると可哀想なので私は強がってみせた。
「でも、タオルとか かえてほしい時とか またいってね?」
「うん、有難う。」
回復したら、今度は私がこの子達のために何かしてやりたいと心の底から思った。
翌日も熱が下がる様子が無かったので、病院で点滴を打ってもらい、薬を貰ったが、結局一週間ほど寝込んでずっと心配を掛けてしまった。
ようやく体調も良くなり、仕事に復帰できるようになった朝、私は由美子にボソッと呟いた。
「今日もここへ帰って来たらアカンかな・・・」
「えっ?うん、待ってる。」
少し驚いた様子は見せたが、了承を得ることが出来た。
こうして四人の共同生活が始まった。
一緒に暮らし始めて一ヶ月が過ぎようとしていた。
仕事が終わって帰宅すると、たまにサガーラに行く意外はだいたい家に居て、子供達とテレビゲームやチャンバラごっこなどをして無邪気にずっと遊んでいた。
元々在った三人の家庭に私が割り込んで来たのだから、子供達に余計な気を使わせるような負担を掛けてはいけない。
そして、それを意識して無理に努めても、そんなものは敏感な子供達には全部お見通しで、逆に窮屈な思いをさせてしまう(うむ)。それで、こちらも裸になって自然に接するようなっていた。
しかし、家に男手がやって来たのだから、子育て等の苦労がもっと軽減されてもおかしくないはずだったが、ただ子供がもう一人増えただけのような状態に、由美子も呆れて笑うしか無かった(がはは)。
ある日、拳法ごっこで遊んでいた時に二人に対する感情が高ぶり過ぎて、こんな事を勢いで口走ってしまう。
「よーしっ!これからはお兄ちゃんの事をお父さんと呼びなさーいっ!」
その瞬間「しまった!」そう思った。
せっかく仲良くなれたのに、今までの関係が一気に崩れてしまうのでは無いかと発言を物凄く後悔して息が詰まった。
「はーい!おとーさーん!」
縮み上がった肩の力が一気に抜けた。
不安を一撃で吹き飛ばす子供達の暖かい返事にたまらなくなって、思わず2人を力一杯抱きしめていた。
「うぅ・・おどーざん ぐるじぃー。」
こうして、私の呼び名は『お父さん』に昇格し、これから子供達と由美子との家庭を、皆で協力し合いながら徐々に形成する事になってゆく。
暫く経ったある日の真夜中。怒り心頭の姉さんから携帯に電話が掛かってきた。
私がサガーラに顔を出す頻度が極端に減ったという話を店でしていたところ、由美子がうっかり口を滑らせて、一緒に暮らしていることを話してしまったようだ。
姉さんが怒るのも無理はない。秀さんの事ももちろん原因の一つだ。
しかし何よりも、サガーラに行くときに由美子と連絡を事前に取っているにも関わらず不審に思われないように、あえて姉さんにも今から店に行くと連絡を入れていた小ざかしい細工がプライドを傷つけてしまったのだ。
私は自分なりの解釈で由美子との交際が問題ない事や、遊び半分で一緒になったのでは無い事を切実に訴えたが、到底受け入れられるはずも無かった。
「とにかく私はアンタらの事、絶対に認めへんからなっ!」
二~三日して姉さんから事情を知らされたルイちゃんからも電話があり、今までと違った低音の太い声で責められた。
「政義君 彼女いるんでしょ!?もう 海遊館なんか行かなくていい!ばかーっ!!」
私は何度も謝りながら、軽はずみに彼女の心を振り回した罪を反省した。
それから暫くして由美子はサガーラを辞め、私が姉さんと会う事も無くなってしまった。
それからは生活を守るために仕事に一層励んだ。
深夜までの残業が続いてへこたれそうになった時もあるが、帰ったらあの子達が笑顔で待っていると思うと、それも辛抱出来た。
子供達が寝静まると、ホッと一息ついてテレビを見ながら焼酎を飲んだ。私が唯一苦手としていた焼酎の旨さを知ったのはこの頃だ。
この時に、私はずっと気になっていた質問をぶつける決心をする。
「んと・・・。お前らとこれからもずっと一緒におりたいから、答えにくいこと聞くぞ?」
急に真顔になったのを見て、何を言われるのか不安そうに由美子はじっと待つ。
「ワシと一緒になってからシャブ喰うてへんやろな?」
先程まで和やかだった雰囲気が一気に重苦しい空間に変わった。
今までに知り合った経験者の話を聞くと、旦那が家で覚せい剤を使用する習慣がある所は必ずと言って良い程に嫁も使用していたし、由美子が過去にしていた事も周りから聞いて知っていた。
しかし、問題は今だ。
ずっと刑務所を出たり入ったりしている秀さんに放っておかれた子供達に、これ以上悲しい思いはさせられない。だから、私の目を盗んでまだ続けているのかどうなのかを、どうしても確認しておきたかったのだ。
「・・・アンタと一緒になってからは、もうしてない。」
「ほんまやな?」
「うん。」
念の為にもう一つ質問をする。
「今、この家には残ってへんねやろな?」
そう聞くと、由美子は台所の方へ歩いて行く。そして、私が普段絶対に触ることが無いような場所からゴソゴソと小さな小さなパケと呼ばれる袋を持ってきた。
秀さんが今回服役する前に残していった物だったが、いずれまた自分が使用する時が有り得るかも知れないと思って取っておいたらしい。
私はその場で、この最悪な置き土産をトイレに全て廃棄した。
その際に雄太の友達の母親で中毒寸前の女とも何度か一緒に使用した事なども聞かされる。ショッキングな事実ではあったが、由美子の全ての過去を受け入れると決めて質問していたので、それで咎めたりは一切しなかった。
そして、顔をうつむかせて申し訳なさそうにする由美子の肩をそっと抱き寄せて、絶対に二度と手を出さない事を改めて約束させた。
桜の花も咲き乱れ、雄太は小学校に上がり、健嗣も年長さんになった四月。
付き合った当初から二人がずっと目を背けてきた問題について由美子と話し合った。
由美子と秀さんの正式な離婚についてだ。
子供達を蔑ろにして、薬の底なし沼から這い出す努力もしなかった秀さんが腹立たしかった。今すぐに離婚届を提出しても、あの子達も私にこれ程までに懐いてくれているのだから問題は無いはずだ。しかし、由美子はすんなりとは聞き入れない。孤独な塀の中の人間に外からの手紙一枚で離婚を迫るのはあまりに酷いと言うのだ。
確かにその通りだ。
だが、私と一緒に暮らしている事すら知らされていない秀さんが、出てきた途端に、それなら仕方ないと納得する訳が無い。
せめて早い内に、手紙で私の存在を伝えて欲しいと頼むと、辛そうになんとか聞き入れてくれた。
違う。違う。秀さんに対して腹立たしかったのも事実だ。
でも、そんな事では無い。
本当は自分でも気づいていた。私はただ出所してきた時に、子供達や由美子が秀さんの元に戻ってしまうかもしれないのが怖かったのだ。
子供達が『本当のお父さん』を目の前にして、果たして私を選んでくれるのか。それを想像するのが怖くて、ずっと考えないようにしてきた。
この今の幸せを失いたくなかった。
思い出を一つ積み重ねる度に、お互いの距離が一歩近づく度に、その日が来るのがどんどん恐ろしくなっていった。
一緒にいたい。共に生きていきたい。それしかなかった。
数日後、私は正直に本心を打ち明けた。
すると由美子も抱いていた不安を話してくれた。
今は良くても、十一歳も年が離れている私がいつまでも自分と居てくれるはずが無い。私にいつ捨てられるか分からない中で、離婚に踏み切るのが怖かったそうだ。
お互いに不安を晒し合った事で、胸のつっかえが取れた気がした。
それから二ヵ月後の六月、今まで必ず表紙に記号が標されていた塀の中から由美子に届いた封筒には【最終章】と書かれてあった。
私は秀さんに感謝した。
そして、自覚していた。幾らもっともらしい理屈で自分を正当化してみても、秀さんに対しての行儀の悪さを自覚していた。
だが、哀れみはしない。いや、してはいけないと思った。それが失礼な気がしたからだ。
言い聞かせた。自分に言い聞かせた。前を向いて、必ず笑顔の絶えない素敵な家庭を築くと誓う事こそが今更ながらに私が出来る唯一の礼儀なのだと。
仕事は順調だった。昼休みに由美子の声を聞くために電話をするなんて事はとっくに無くなっていたが、変わりに毎日持たせてくれる手作り弁当を、人知れず美味い美味いと心の中で連呼しながら、がっつくのが楽しみになっていた。
少し前に車の免許は取り消しになってしまったが、私とコンビで各現場を切り盛りしていた後輩のお陰で大きな支障も出ずに助かっていた。
帰りに居酒屋などへ立ち寄ることも増えてきた。酔うとそのままの延長でカラオケのある店に繰り出してしまう事もあったが、なるべく子供の起きている時間に帰宅するように心がけた。
その頃から由美子のご両親とも食事にいく機会が徐々にでてきた。
お義父さんはある病を患ってから徐々に悪化していき、今では両目両耳が不自由になったそうだ。お義母さんの方はというと過去に脳梗塞で二度も倒れた事がある上に、アルコール依存症『アル中』というやつで、私も言葉や表現などに細心の注意を払いながらコミュニケーションを取るのはなかなか大変だったが、なんとか由美子の幼少時代からの話なども沢山聞かせてもらえた。
二人が夜に家を空ける時など事前にお願いしておけば、お義母さんが子守に来てくれることが多かった。普段は人当たりも良く、孫達にもよくしてくれる良いお祖母ちゃんだ。
ただ、周りで誰か大人が目を光らせている状況なら、酒を飲む際も節度を保って楽しむことが出来るのだが、子守に来てくれて子供達しか居ないような場合では、食事も作らずに酔い潰れて寝ていたりと酷い事になる。
そこで、お願いする時には『宝隠しゲーム』と称して、子供達と一緒に料理酒を含む全ての酒類を毎回隠すようになり、お義母さんは大人しく子守に専念してくれる事が多くなった。たまにお礼にビールなんかを少し買って帰ると、口数が急に増えて無邪気な笑顔で楽しそうにその日の子供達の様子を教えてくれた。
お義父さんとの対話は手の平に文字を書くことでこちらの意思を伝えていた。
病気になるまでは至って普通の健常者だったので、あちらからの意思は言葉で伝えてもらう。
そうやってどうにかご両親とも仲良くなれてきて、家族として暮らしやすい環境が着々と整ってきた。
蝉も土の中でムクムクと活動を始めた頃。
由美子の父親方の祖父が亡くなった。九十歳もまわっていて大往生だったが、長男であるお義父さんが喪主を務めるのが困難であった事から、私が喪主代理の大役を仰せつかる。
故人とは老人ホームへ会いに行った時の一度しか面識が無かった。正直、21歳になりたての若造にはあまりにも荷が重すぎる。
しかし、私にとってこの大役は由美子との十歳以上の年の差を埋めて、ご両親に安心してもらう為にも乗り越えなければならない壁なのだ。
さっそく葬儀場の人に細かく教えてもらって悪戦苦闘しながら段取りを進めてゆき、なんとか通夜の準備は間に合った。
密葬の形式を取って親族以外には殆ど知らせていなかったが、それでも数十名の参列者が焼香に訪れてくれた。私は必要不可欠な最小限の単語だけは一応織り交ぜながら、どうにか『喪主の挨拶』の代理も務めた。何ともいえない緊張感に途中で頭が真っ白になりかけて、暗記した言葉が幾度か飛びそうになる場面もあった。しかし、それが悲しさのあまり言葉を詰まらせている様な印象を与えて、逆に参列者の涙を誘う演出になってしまったのは救われる誤算だった。
翌日も朝から最終的な打ち合わせを済ませると、特に問題も起こらず告別式は無事に進んでご両親も大層満足してくれた。
どうにか責任を果たした私は家に帰って肩の荷を降ろすと、達成感と開放感で一気に疲れが出てきて、うな垂れるようにぐっすり眠りについた。
数日後、葬儀の時にもいた二人兄妹だったお義父さんの妹から連絡があったらしい。
どうやら定期預金やその他諸々で、全く皆無だと思われていた遺産が四百万円程あった事を知らされる。そして、生前に何度も老人ホームに足を運んで面倒を見ていたのは自分なのだから遺産を全部こちらによこせと言ってきたそうだ。
その件で、お義母さんがせめて葬儀費用だけでも何とかならないだろうかと、私に助けを求めてきた。
とりあえず先方に電話をかけてみると、葬儀費用をそこから支払う了承は得たが、残った金額はあくまでも我々のものだと突っ撥ねられた。
相続時の財産分与は妻が50%で残りを子供達が均等分配になるので、妻が既に他界しているこの場合では二人兄妹の折半になるのは法的にも周知の事実である。
しかも、遺言として全財産を娘である妹の方に譲ると口頭で約束していたと言だしたのだ。体が不自由で異議を貫くのも難しいと、兄夫婦を舐めてかかっている態度に納得のいかなかった私は、妹にある罠を仕掛けてみた。
「遺言、遺言て仰いますけどね、利害関係の無い第三者の立会人もおらん状況での遺言が、ほんまに成立するとでも思ってますの?」
本能的に攻撃の危険を察知した妹は、妻を若造に侮辱されて怒りを露にする夫に電話を変わった。私はそのまま強めの口調で続ける。
「そこまで言うんやったら、当然遺言書の一つでもおまんねやろな!それ無かったら話にもなりまへんで!?」
挑発されてカッとなった夫は、咄嗟に言い返す。
「勿論あるわい!」
在るはずが無い。もし在るとすれば最初から微妙な口頭での遺言云々の話など持ち出さないからだ。今度は先程とは変えた落ち着いた口調で締めた。
「ほなら、明日その遺言書を囲んで皆でお話をしたいんで必ず持参して下さい。因みに私も代理人として出向きますんで、宜しくお願いします。」
「おう!」
これで、遺言書を偽造でもしてきてくれると一瞬で解決だ。
遺産相続において遺言書の偽造は、その権利の一切を剥奪されると法的に定められているからだ。
翌日、待ち合わせをしたご両親の家に到着すると、思い掛けない展開になった。
「昨日は嘘をついてしまって、申し訳ありませんでした。」
妹夫婦と、何処からどう見ても『カツラ』だと見受けられる三十歳代半ばの息子が三人揃って深々と頭を下げて謝罪してきたのだ。
不自然な程の突然な転換に、さては法律を調べてきたのだと直ぐに分かった。
相続の権利を剥奪するには至らなかったが、弱みを一つ握った事でようやく通常の話し合いが開始出来るようになった。
その最中で先方のカツラ息子がチラチラと見ていたメモ書きの裏をよく見てみると、遺産相続に関する法律の解説が記載されていた。わざわざその本か何かをコピーした裏にメモをしてきているのだ。これは、こちらも法律についてしっかり勉強をしてきたという遠回しなアピールだったが、義父夫婦が正当な相続さえ出来ればそれで良かったので今更どうでも良い事だった。
本来なら、こういう人の生き死にに関するデリケートな金銭トラブルにはあまり首を突っ込みたく無いところだが、私が介入した事によって順当な配当をスムーズに得られたご両親からの信頼は一層深まっていった。
オゾン層の破壊のせいなのか、まだまだ暖かい日差しが降り注ぐ十一月下旬。
早いもので由美子と付き合い始めて一年が経った。
隆は中学時代に一時期付き合った彼女と寄りを戻して夏に結婚していた。
信三君も散々浮気しながらも十年程続いていた彼女と結婚した。
北永先輩を始とする職場の仲間達も殆どが妻子持ちになった。
皆それぞれが新たなスタートを切り、悩み事なんかも相談し合って右往左往しながら必死に生きている。
いつまでも昔のようにお茶目なだけでは生きられない。
ガキはもう卒業だ。
これまで何度も二人で大喧嘩した事もあったが、他のどの家庭と比べても劣らない程に円満な家庭を家族四人で育んでこれた自信があった。
今日も我が家には笑顔が溢れている。子供達との「行ってきます」と「お帰りなさい」のキスは欠かさない。こんな私でも、目に入れても痛くないという感情が理解出来るようになったのだから、人は誰でも変われるのだとつくづく実感する。変わる為の努力などしていない。大切な人達を守る努力をしていたら、結果的に変わってたという感じだろうか。今日もやたらと酒が美味い。
この日は、私も昔から良く知っている永田さんという親方の現場に応援として派遣されていた。
作業場所がたまたま密封されたような場所で、本当に後1ヶ月もすれば正月なのかと疑いたくなるぐらい蒸し暑かったが、永田さんに少し前に三上君というピザ屋の可哀想な青年に原付で突っ込まれた笑い話などをして気を紛らわせた。
正午になり昼休憩に入った時だった。
突然、今までに体験した事のない苦しくて不安で怖くてどうしようもない程の胸騒ぎに襲われた。
由美子に何かあったに違いない!
根拠は何も無いが、なぜか絶対にそうだと分かった。
急いで携帯に電話を掛けたが出ないので家に掛け直しても居るはずの時間帯なのに出ない。また携帯にするが何度掛けてもベルは鳴っているのに全く出ない。私は気違いになったように何度も何度も掛け続けた。何十回目だっただろうか、ようやく電話を取った由美子の声は今にも死にそうな悲鳴にも似たものだった。
「頭が割れるーっ!!痛いーっ!痛いーっ!助けて!頭が割れそう!!頭が割れそう!助けてーっ!」
「お前 今何処におるんじゃ!?直ぐ行ったるから場所言わんかいっ!」
やはり何かあったのだ。私の脳裏には何故か瞬時に身の毛も弥立つ有ってはならない最も恐ろしい予感が駆け抜けた。
狂ったように頭痛を訴える由美子の電話を誰かが取って、震えた声でボソボソと喋るその相手の名前を聞いた時に予感が確信に変わってしまう。
由美子が過去に数回一緒に覚せい剤をした事があると言っていた雄太の友達の母親だ。
私は相手の家の場所をなんとか聞きだすと、永田さんに早退させてもらうように頼み込んだ。すると、尋常で無い私の様子を見て何も聞かずに承諾してくれた。
電車を乗り継いで目的地へ急ぐが、いつもよりも停車駅が多く速度も遅いような感じがして仕方が無い。無限大の雪だるまの様に不安と苛立ちが一秒ごとに膨張していく。五十分程掛かってようやく電車が到着したので改札を駆け抜けると全力疾走だ。
息も絶え絶えに前まで辿り着いて力任せに扉を開けると、痛みに耐え切れずに自分の頭の毛を両手で引っ張りながら指の間にむしり取った毛を絡ませて転げまわる由美子の姿があった。
「頭が割れるーっ!痛い痛い痛いーっ!助けてーっ!!助けてーっ!!」
その横では先程電話に出た女が、ただ怯える様に立ちすくんでいる。それを見て私は思わず怒鳴りつけた。
「コラァッ!!救急車は呼んだんかいっ!!」
女は恐る恐る口を開いた。
「呼ばれへんねん。呼んだら2人とも捕まんねん・・・。」
「ほんなモン関係あるかいっ!ダボかコラァッ!!死ぬよりパクられた方がよっぽどマシじゃいっっ!!」
私は制止を振り切って【119】に助けを求めた。
遅い。遅い。遅い。来ない。救急車が全然来ない。
長すぎる待ち時間に由美子を気に掛けながらも、その女に詳しい事情を問い詰めると、やはり予想した最悪の答えが返ってきた。しかも、この状態で一時間近くも放置していたと言うのだ。
ピーポー ピーポー ウゥー
私はようやく救急車が到着したので、叫びながら痛がり続ける由美子を抱え上げたが、どうも違和感がある。
そして、二~三歩進んだ時に大きな異変に気がついた。
「ワレッ!左半分、足も腕も動いとらへんやないかいっ!」
おそらく脳の血管が切れた時に左半身不随になっていたのだ。
駆けつけた救急隊員には、急性の脳内出血のようで突然倒れて頭痛を訴え始めたのだと咄嗟に嘘を付いた。
そのまま市内の総合病院に担ぎ込まれると、痛み止めか何かの応急処置を受けてようやく叫び声はひとまず治まった。
病院から由美子の実家に来てやって欲しいと連絡を入れると、驚いたお義母さんが直ぐに飛んで来てくれた。
暫くすると、脳外科医の先生が近寄ってきて個室に案内された。翌日に行う手術の方法を説明されると、お義母さんが同意書にサインをした。
親方に連絡を入れて簡単な事情を説明し、数日間休みをもらえる事になった。
その日は一旦病院を出て子供達を学校や保育園に迎えに行くと、なるべく動揺させない様に意識しながらお母さんが倒れた事を伝えて、入院の用意を一緒に手伝ってもらった。
当日、タクシーでお義母さんを迎えに行き、心配で胸を詰まらせている子供達には適当な流行のギャグを連発してどうにか落ち着かせながら四人で病院へ向かった。朝のうちに由美子の顔をチラっと見れたが会話など到底出来る様子では無い。いよいよ手術の時間が迫ってきて私達はソファーで祈るように待っていた。
娘が脳内出血なんかになってしまったのは、脳梗塞に二度もなっている自分からの遺伝のせいだと、自身を責め立てて涙を流すお義母さんを励ました。子供達の不安をこれ以上煽らないようにと毅然とした態度を演じてはいたが、本当は私も頭がどうにかなりそうな精神状態だった。
あれ程誓ったはずなのに。どうしてこんな事になってしまったのだ。どうしてだ。どうしてなんだ。
何故また手を出したのだと由美子に対する激しい怒りが湧き上がってきた。それと同時に完全に辞めさせれなかった自分の無能さが悔しくて情けなくて仕方なかった。
家族四人で平和で無邪気に過した時の穏やかで優しい由美子の笑顔と、脳を切った激痛で狂ったように叫び続けてくしゃくしゃに歪んだ由美子の顔が交互に浮かんでくる。そして、ダラリと垂れ下がって全く動かなくなってしまった左半身の衝撃が生々しく何度も蘇ってくる。
心臓が握り潰されそうに苦しくて苦しくて息もできない。
いくら冷静に努めようとしてみても、まるで世界中の全ての不幸が圧し掛かってきたような気までしてしまう。
そこへ、倒れた時に由美子の横で突っ立っていたあの女がコソコソとした様子で訪ねてきた。そして、私はその第一声に驚かされる。
「本当に御免なさいね。それで・・・あの、警察の方は・・・?」
こいつは由美子の心配では無く、自分の心配で偵察に来たに過ぎなかった。
私が苛立ちながらも警察の方は何とかなりそうだと伝えると、安心した女は自分に出来る事があれば何でも言って欲しいだの、何か力になりたいだのと急に付け加えてきた。
「なぁ、大概にしてくれや。もう謝罪も何も要らんから、二度と由美子に近づかんといてくれ。それが唯一あんたに出来るこっちゃ。頼むから早よワシらの前から消えてくれ・・・。」
駈け付けた由美子の友人を非情に追い返す私を不思議そうな顔で見ていたお義母さんや雄太達の前で、体裁を悪そうにしながらも己の身の安全は確保できた満足気な様子を隠しきれずに帰っていくそいつの後姿に一瞬殺意さえ覚えた。
そういえば、元嫁の父親に同じような言葉を投げつけられた事があったのを思い出す。きっとあの人も、大切なものを傷つけられて悔しくて悲しくて腹が立ってこんなにも辛かったのかと、今頃になってようやく感情の奥底が理解出来た気がして、私は自分の愚かさを改めて実感していた。
看護婦数名と担当の先生が、コマ付きのベッドか担架みたいな物に麻酔でぐっすり眠る丸坊主になった由美子を乗せて、私達の目の前の治療室のような所へ入っていった。
出血した頭の中の血を抜くために頭部に穴を開けなければならない。その場所をCTスキャンか何かで細かく特定して印をする為に、頭の周りをぐるりと囲むように土星の輪っかみたいな感じで器材を固定するのだ。
1年生と年長さんの子供達にはあまりに過酷な緊張感なので、少しでも和らげてやろうと2人に小銭を渡して売店に好きなお菓子や飲み物を買いに行かせた。
丁度その時だった。
ギュィーンッ!ガリガリガリッ!
輪っかを頭に固定するために頭蓋骨にボルトをねじ込んでいる濁音が伝わってきたかと思うと、麻酔をしているはずの由美子が子供のように泣き叫ぶ声までハッキリと聞こえてきた。
「うわぁ 痛いー!痛いよー!!うわぁーん 痛いよー!」
それが引き金になり、最後の一線でかろうじて維持してきた気力の堤防は堪え切れずに一気に崩壊した。私は周囲を全く気にする事もなく、病院中に響き渡るような大声でただひたすら泣きわめいた。
「代わったりたい。今すぐ代わったりたい。ワシは死んでも構わんから由美子を助けてくれ。代わらしてくれ。頼むわ。頼むから!死ぬんやったらワシが代わりに死んだるから誰かワシを殺してくれーっ!!」
驚いた看護婦たちが駆け寄って来たが、由美子が部屋から出てくるまで次から次へと溢れ出てくる滝のような涙が止まることは無かった。
その後、由美子は手術室に移動して、見事に耐え抜いて無事に病室へ戻ってきた。執刀した先生の話では予想していたよりも出血の量が多かった為に、予定よりも血が残ったようだ。しかし、それも日が経つとじきに引いてくると言っていたので、とりあえず命に係わる峠だけは超えたことに我々は安堵した。
まだ麻酔が効いているのだろうか、人の気も知らないでぐっすり眠っている由美子の寝顔が少し恨めしかった。
翌日には少しだけ会話も許可された。由美子には麻痺の影響で左半分の表情が無く話し方も相当不自然だったが、再び意識を取り戻して声を聞かせて貰えた事が何より嬉しかった。暫くは、こんな事になった経緯については一切触れずに治療に専念させるようにした。
手術から五日が経ち、脳から降りてきた出血で顔がパンパンに腫れ上がっていたのも少しずつ引いてきたような気がした。
子供達も保育園や学校を再開し、私にせよ収入を得るためにはいつまでも休んでいる訳にもいかないので、ここらで仕事に復帰する事にした。
由美子の入院中、お義母さんがずっと家に常駐してくれて、主婦として一生懸命頑張ってくれた。私も、避けられない残業でどうしても面会時間に間に合わないとき以外は毎日見舞いに通った。
まだ若いので努力をすれば麻痺した左半身も必ず動くようになると主治医の先生に教えられたので、左の手足も毎日マッサージし続けた。看護師さんが忙しくてなかなか対応してくれない時にはトイレに行けない彼女のオムツも私が替えた。家に帰るとお母さんの話をして子供達を元気付けて、学校が休みの日は一緒に見舞いに向かうようにした。
そろそろ退院の見通しが立ちだした頃、ツルッパゲだった頭もイガ栗並まで毛が伸びてきて、初めは何の感触も無かった左半身は随分動くようにまでなってきた。
そんなある日、面会時間が終了したので病院の1階まで降りたところで思い掛けない人と再会する。
『姉さん』だ。姉さんと会うのは半年振りぐらいになるだろうか。
十九歳の長女が急性腹膜炎になったらしく、救急で来たそうだ。
由美子が原因不明の急性脳内出血で入院していると伝えると、何故もっと早く知らせなかったのかと叱られた。あんな事があって疎遠になっていたのに、こんな暖かい言葉を掛けられて嬉しくなった。
しかし、三十二歳やそこらで急に脳の血管が切れるだけでも珍しいのに、あまり詳しい経緯まで知らせると、勘の良いこの人は必ず薬物絡みだと見抜いてしまうので、大雑把にしか伝えずにその日は別れた。
その翌日の昼間に姉さんがさっそく見舞いに来てくれたらしく、由美子も喜んでいた。
そろそろ死に掛けた原因について、由美子ときちんと話をしなければならない。
約束をしたその後もずっと続けていたのかと訊ねると、本当にこれが初めてだったと答えた。
「しょれで、ひしゃし振りやったのに分量がちょっと多しゅぎたみたいで頭切ってもてん。アハハ。」
「いや、笑えんし・・・。」
理由がどうであれ、自分が逮捕されるのを恐れて由美子を見殺しにしかけたあの女と、家族をかえりみる事無く薬物を使用したのは許せる事では無い。
「もし、また手ぇ出すような事があったら次はワシがお前を必ず殺すから、よぉ覚えとけよ。」
後ろめたさを隠すために、おどけて見せていた由美子の瞳が素直に潤んでいくのが分かった。
私はしかめっ面を崩さない様にしながらも、由美子の麻痺した左手をギュッと握り締めた。すると、まだまだ影響は残っているものの、由美子はその時の精一杯の力で必死に握り返してくれた。もはやしかめっ面など維持出来るはずが無い。表情を緩ませて思わず涙を零してしまう私に、少し右だけ引きつった様な微笑みを浮かべながら由美子が呟いた。
「結婚でも・・・しゅる?」
春休みも終わって雄太は二年生に上がり、健嗣もピカピカの一年生になった。
由美子の方は退院してからも毎日リハビリに通い、まだまだぎこちない動きではあったが自力で歩けるほどに回復していた。顔面の麻痺も少しずつ和らいで喋り方も大分自然な感じになってきた。
それにしても不思議だ。もし、あの時に胸騒ぎがしなければどうなっていたのかと考えるだけでゾッとする。
もし、あの時に応援で呼ばれたにも関わらず、いきなり直ぐに帰りたいと言い出した我侭を永田さんに聞き入れて貰えてなかったらと考えると寒気で震えが止まらなくなる事も暫くは続いた。
私の22歳の誕生日を翌月に控えた六月某日。子供達も連れて病院へリハビリの付き添いに行った帰り、爽やかに降り注ぐ太陽の光に照らされながらそのまま市役所へ立ち寄った。
私たち四人は、ついに戸籍上でも正式な家族になったのだ。
幾多の苦難を抱えながら固い絆で結ばれた我々は、また一歩新たな道のりへと踏み出した。